令和8年(2026)2月16日(月) 旧暦12月29日 仏滅
今朝の撮影 Data SONY α1 II Sigma 20-200mm F3.5-6.3 DG iPhone 17ProMAX 現像 Adobe PhotoshopLightroomCC 撮影枚数623枚
- 天気図を 引いた少年今いずこ スマホの空に線はもう無し -
今朝の外気温は8℃と、この時期にしてはずいぶん暖かく感じられる朝でございました。しかし、東京の空は朝こそ晴れ間を見せていたものの、どうやら天気はゆっくりと下り坂へ向かっているようですね。 昼間の気温は15℃に届かず、日差しも乏しいとの予報でございます。数字だけ見ればそれほど寒くないように思えますが、陽のぬくもりが無いだけで、体感はまるで別物でございますね。あほまろのような年季の入った身体には、こうした“日差しの不在”こそが、何より堪えるのでございます。 午後になると空はさらに表情を変え、厚い雲が広がり始め、夕方からは雨、場所によっては雪が舞い始めるとのこと。内陸部や山沿いでは夜遅くになるほど雪の範囲が広がり、うっすらと積もる可能性もあるそうでございます。春の入口に立ちながら、冬が名残惜しそうに振り返っている――そんな一日になりそうですね。 そして、明日のあほまろには、ささやかながら大切な予定が控えております。満開を迎えた河津桜に逢いに行くのでございます。 そのため、いつもの早朝散歩も少し早めに切り上げなくてはなりません。境内の草木やビクトリー君たちに「今日は少し早く帰りますよ」と心の中で断りを入れながら歩くことになるのですよ。 寒冷前線が南下する影響で、伊豆地方は曇り空となり、気温も低めとの予報でございます。しかし、“花曇り”とはよく言ったもので、桜はむしろ、柔らかな曇り空の下でこそ、その色彩をいっそう深く感じさせてくれるものです。 青空の下の桜は華やかですが、曇り空の下の桜には、どこか時の深みが宿ります。それはまるで、過ぎていった歳月が、花の中に静かに溶け込んでいるかのようなので、これもまた、風情のひとつでございましょう。 天気予報というものは、外れるのが当たり前――。あほまろの若い頃は、誰もがそう思っていたものでございました。 朝は晴れと聞いて洗濯物を干せば昼には雨、傘を持って出かければ一滴も降らず、まるで天気にからかわれているような日々でございました。そのたびに人は空を見上げ、「予報なんて当てにならない」と呟いたものでございます。 ところが、近頃の天気予報はどうでしょう。まるで未来を覗いてきたかのように、実によく当たるようになりましたね。 スーパーコンピュータが膨大な計算を行い、空気の流れや温度、湿度、気圧の変化を解析して予測を導き出しているとのことですが、それでもなお、現在の観測値にはわずかな誤差が含まれており、雲の成長の仕組みには未解明の部分も多く残されているそうでございます。 つまり、どれほど精密な計算を重ねても、空は完全には人間の支配下に入らない――、そこに、自然の威厳が残されているのでございましょう。 それでも、翌日の予報的中率は約83〜90%に達しているとのこと。これは驚異的な数字でございます。 残る10%余りの「外れ」は、空が人間に残してくれた最後の自由なのかもしれませんね。 そして本日、2月16日は「天気図記念日」です。 明治16年(1883年)の今日、日本で初めて天気図が作られたのでありました。 当時は全国わずか11か所の測候所から、電信で送られてきた観測データをもとに、人の手で天気図が描かれたそうでございます。その貴重な天気図は、新橋と横浜の停車場に掲示され、多くの人々が足を止めて空の未来を見つめたことでしょうね。 蒸気機関車の煙が空へ昇り、人々が未来の天気を紙の上に見出していた時代は、なんとも風情のある光景だったことでしょう。 あほまろにも、天気図と格闘した少年時代がございましたよ。 学校には天気図用紙なるものが用意されており、NHKラジオの「気象通報」を聞きながら、北緯、東経、風向、風力、天気、気圧――それらを一つひとつ書き留め、等圧線を引くのでございます。 ラジオから流れる無機質な数字の羅列を頼りに、見えない空の姿を紙の上に描き出す、それは、まるで透明な龍の輪郭をなぞるような、不思議な作業でございました。 前線の位置から雨の可能性を読み、低気圧の動きから天気の変化を想像する。幼いあほまろは、自分がまるで気象学者になったかのような気分で、得意になって線を引いていたのでした。 しかし―― どれほど真剣に描いても、翌日の天気が当たった記憶はほとんどございません。結局のところ、空はあほまろの拙い等圧線などには、微塵も従ってくれなかったのでありました。 今では、スマホを開けば、雨雲の動きまでもが手に取るようにわかる時代でございます。わざわざラジオに耳を澄ませ、鉛筆で線を引く必要など、どこにも無くなってしまいましたからね。便利になったことは間違いございません。 でも、あの頃のように、「空を理解しよう」と必死になっていた時間は、どこか遠くへ置き去りにされてしまったようにも思えるのでございます。 そういえば、気圧の単位も、いつの間にか「ミリバール(mbar)」から「ヘクトパスカル(hPa)」へと変わってしまいましたね。 名前が変わっただけで、本質は何ひとつ変わっていないのに、人はまるで新しい世界が始まったかのように受け入れてしまう――、それはまるで、年号が変わるたびに、自分まで新しくなったような気になるのと同じでございます。 空も、人も、本当は何も変わっていないのですよ。変わったのは、空を見上げる人間の心だけなのでしょうかね。 今朝もあほまろは、スマホの予報を確認しながら、それでも最後には空を見上げております。 機械の予測より、自分の目で見た空を、どこか信じていたいのですからね。 「天気図を 引いた少年今いずこ スマホの空に線はもう無し」(阿呆人也) あほまろが毎朝歩く、浅草寺の裏広場には観光客の喧騒も届かず、ただ静かな空気が流れる、とっておきの場所でございます。 今朝もまた、その片隅で、人知れず「時間の重なり」をそっと見せてくれておりました。 新しい一日の光の中に、過ぎ去った無数の朝が溶け込み、まるで昨日と今日とが静かに握手を交わしているかのようでございました。 新しい葉が芽吹き始めても、枝先にはなお昨年の実を手放さず残しているハナカイドウの実。季節が一歩先へ進もうとするその傍らで、過ぎた時を静かに抱え続ける姿に、あほまろは毎朝そっとエールを送っております。 今朝の日の出は午前6時27分。 国民的大女優・有村架純妃ご本人のお手植えとして、浅草寺に奉納された由緒ある桜が、今朝も次々と花を開かせておりましたよ。 ボケの花。 境内の河津桜も満開になりました。 今朝もメジロがやってきて、美味しそうに蜜を吸ってましたよ。 さに耐え続けてきた境内の水仙たちも、ここ数日の暖かさに背中を押されたのでしょうか、まるで春の到来を待ちわびていたかのように、一気にその数を増してまいりました。 水仙の花は決して大輪ではございません。 しかし、その小さな花びらの中心に灯る淡い黄色は、まるで冬の名残の中にともされた小さな灯火のようでございます。 便利な時代になり、暦も天気予報も、春の到来を正確に教えてくれます。本当の春は、こうして静かに増えていく水仙の数を、自分の目で確かめたときに、初めて心の中に訪れるのですよね。 「人知れず 数を増やして春を呼ぶ 水仙こそが季節の使者か」(阿呆人也) 一方で、境内の片隅では、春の終わりを静かに告げるシキザクラが、名残惜しそうにその花を保っておりました。 思えば、この花は寒さの厳しい冬の最中から、誰よりも早く咲き始め、冷たい風にも雪にも耐えながら、長い時間をかけて境内を見守り続けてきたのでございます。 花は決して、自らの終わりを嘆きません。ただ咲き、ただ散り、そしてまた巡る時の中へと還ってゆくだけなのですよ。 誰にも気づかれぬまま役目を終えようとするシキザクラに、あほまろは心の中でそっと声をかけました。 「長い間、本当にご苦労さまでした」 「人知れず 終わりを告げるシキザクラ 拍手もなくて春へ譲りぬ」(阿呆人也) 季節はゆっくりと春へ歩みを進めておりますが、この白梅だけは、まるで「まだここにおりますよ」と語りかけるかのように、変わらぬ姿で境内を見守り続けているのでございます。 今日の日の出を迎えるころ、空には淡く儚い朝焼けが広がり始めておりました。夜の名残を静かに押しのけるように、東の空がわずかに紅を帯び、その移ろいゆく色合いを眺めていると、まるで新しい一日が息を吹き返す瞬間に立ち会っているような気持ちになるのですよ。 朝焼けの気配を誰よりも早く察したのでしょうか。ビクトリー君が、いつものようにあほまろのもとへ姿を見せてくれましたよ。 ビクトリー君は、「今日も来たよ」と、あほまろの近くで羽を広げて見せてくれました。その仕草には、言葉はなくとも確かな信頼が感じられ、あほまろの心も自然と和らぎましたよ。 人と鳥――言葉は通じずとも、こうして毎朝同じ時を共有することで、目には見えない絆が育まれてゆくのでしょうね。 明日はもう少し、ゆっくりと遊べるとよいのですが。そう願いながら、あほまろは名残惜しくも、朝焼けの境内を後にしたのでございました。 おはよう益美さん。 おはようございます。今朝は開門2分前に高橋さんとやって来た野崎さん。 高橋さんは、風と花粉症でしばらく休養していたようでした。 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。 「日本のナイチンゲール」と称される瓜生岩子像は撤去されてしまいました。 春の境内をご覧下さい。 まだ寂しいイロハモミジ。 こちらも寂しいソメイヨシノ 昨年から落ちずに、いまだに枝にしがみついているソメイヨシノの四枚の葉。思わず「まだまだがんばれよ」と、毎朝、声をかけているのですよ。 「落ちぬまま 四葉しがみて冬の枝 まだやる気かと声かける朝」(阿呆人也) 淡島堂の紅梅の花は、そろそろ終わりそうです。 境内の木々はすべて伐採され、現在は一帯が平らに整地される工事の最中です。かつての木立の面影はなく、広々とした空だけが静かに広がるのでしょうね。 あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。 ------------------------------------------------------- 夕べは寝ながらオリンピックを観ていたので、睡眠は71%でした。 おはようヒロちゃん。 今朝の朝の朝食は、野菜とお肉と笹かまぼことタマゴにおにぎり、チョコ入りワンプレート。デザートはイチゴとデコポン。 妻のコレクションは、ユキさんとジョルジャさん。 昨日は、親しい友人ご夫婦が浅草を訪ねてくださったので、浅草寺をご案内しました。 ちょうど昨日は観音縁日であり、さらにお釈迦さまのご入滅を偲ぶ「涅槃会」にもあたっておりましたので、境内はいつにも増して厳かな空気に包まれておりましたよ。 普段は立ち入ることのできない五重塔の最上階も、この日ばかりは特別に参拝が許され、仏舎利を拝するという、たいへん貴重な機会に恵まれたのでございます。 友人ご夫婦も、その神聖な空間に身を置きながら、静かに手を合わせておられました。 毎朝訪れている浅草寺ではございますが、こうして年三回だけの特別な日に、大切な方々とともに参拝できることは、また格別の意味を持つものでございますね。 あほまろにとっても、浅草の魅力を改めて感じる、心温まるひとときとなったのでございました。 昨日の東京スカイツリー。 あほまろお帰りなさい。 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、パンとチーズに生ハムだけで簡単に済ませました。デザートはイチゴとミカン。 妻のコレクションは、早苗さんとキミさん。 Memo iPhone 16 ProMAX