令和8年(2026)2月15日(日) 旧暦12月28日 先負
今朝の撮影 Data SONY α1 II Sigma 20-200mm F3.5-6.3 DG iPhone 17ProMAX 現像 Adobe PhotoshopLightroomCC 撮影枚数●枚
- 泣く者の 中で泣かぬもまた仏 猫は無常を先に知りけり -
今朝の外気温は7℃。セータを着ずにでかけても冬の名残を感じさせず、とても暖かな朝になりました。 今日は高気圧に覆われ、西日本から東北南部にかけて広い範囲で穏やかな日差しが届く見込みとのことです。東京の最高気温は18℃前後と、まるで4月を思わせる陽気になり、場所によっては20℃近くまで上昇するところもあるようですよ。 この暖かさに誘われて、境内の草木たちも一気に春の装いへと歩みを早めることでしょう。あほまろの早朝散歩も、ようやく凍える指先を気にせず楽しめる季節が近づいてきたようでございます。 一方で、雪の多い地域では、この急激な気温上昇により雪解けが一気に進むため、屋根からの落雪や雪崩などへの注意が呼びかけられております。春の訪れは嬉しいものですが、自然は時に思いがけぬ表情を見せます。どうか皆さまも安全にお気をつけてお過ごしくださいね。 寒さの名残と春の気配が交差するこの季節――、空気の柔らかさに、確かな季節の移ろいを感じる朝でございました。 今日は二月十五日――仏教における三大法会のひとつ、「涅槃会(ねはんえ)」です。これは、仏教の開祖であるお釈迦さまが、八十年の生涯を終え、静かに涅槃へと入られた日。 つまり、この世の苦しみから完全に解き放たれた、いわば“究極の安息の日”なのであります。 あほまろは今朝も、まだ夜の名残を抱いた浅草寺の境内を歩きながら、この特別な日の意味を噛みしめておりました。冬の冷気はまだ頬を刺しますが、その奥にはどこか柔らかな気配があり、まるで「終わり」と「始まり」が同時に息づいているような、不思議な空気に包まれていたのでございます。 浅草寺本堂では、この日にあわせて、お釈迦さまの最期の様子を描いた「涅槃図」が掲げられております。 その絵の中では、北を枕に横たわるお釈迦さまを中心に、沙羅双樹のもと、菩薩や羅漢、さらには象や虎、麒麟や玄武といった実在と想像の境を越えた生き物たちまでもが集まり、深い悲しみに沈んでいるのです。 ――しかし、でございます。 あほまろは以前から、この涅槃図を見るたびに、どうしても気になっていたことがあるのです。それは、あれほど多くの生き物が描かれているにもかかわらず、「猫」の姿がどこにも見当たらないことでございます。 猫好きのあほまろにとって、これは由々しき問題でありますよ。 あの自由奔放で、哲学者のような目をした生き物が、この世の最大の別れの場に立ち会わなかったなどとは、どうしても信じがたいのであります。 調べてみますと、いくつかの説が伝えられておりました。 ひとつは、「薬袋を邪魔した説」。 お釈迦さまが入滅される際、天上の母・摩耶夫人が、命を救う薬を袋に入れて投げられました。ところが、その袋は沙羅双樹の枝に引っかかってしまったのです。ネズミが健気にも木に登り、薬を取ろうとしましたが――そこへ猫が現れ、ネズミを追い払ってしまった。 その結果、薬は届かず、猫は“救いを妨げた存在”として、涅槃図から外されたというのであります。 もうひとつは、さらに猫らしい説でございます。 すべての生き物が泣き悲しむ中、猫だけは涙を流さず、どこか達観したように静かに座っていた――あるいは、薄く微笑んでいた、とも言われております。それは不敬だったのか、それとも真理を悟っていたのか。 猫は悲しみの中にあっても、感情に溺れず、ただ“あるがまま”を受け入れていたのかもしれませんね。 あほまろは思うのであります。 もしかすると猫は、誰よりも深く「無常」を理解していたのではないか――と。泣き叫ぶことだけが悲しみではなく、静かに見守ることもまた、ひとつの祈りの形であったのではないでしょうか。 江戸時代には、あえて猫を描き込んだ「猫入り涅槃図」も存在するそうですよ。きっと、その絵師もまた猫好きで、猫の沈黙の中にある真実を感じ取っていたのでしょうね。 ここ浅草寺の五重塔最上層には、「聖仏舎利」――お釈迦さまのご遺骨が、今も静かに奉安されております。その内部に入って参拝できるのは、「涅槃会」「花まつり」「成道会」という三聖日だけ。 もっとも、檀家以外には開放されておりませんよ。でも、あほまろ家は、ご位牌を安置しているので、参拝ができますけどね。 人はいつか、この世を去ります。 あほまろの写真も、日記も、やがては誰の目にも触れなくなるのです。それでも、こうして記し、見つめ、感じること――それこそが、生きている証なのでしょうね。 今朝の浅草寺の空は、暖かくどこまでも静かでございました。まるで、お釈迦さまが今もなお、この世を優しく見守っておられるかのように。 「泣く者の 中で泣かぬもまた仏 猫は無常を先に知りけり」(阿呆人也) あほまろが毎朝歩く、浅草寺の裏広場。そこには観光客の喧騒も届かず、ただ静かな空気が流れております。 ここはあほまろが好きな、とっておきの場所でございますよ。今朝もまた、その片隅で、人知れず「時間の重なり」をそっと見せてくれておりました。 新しい葉が芽吹き始めても、枝先にはなお昨年の実を手放さず残しているハナカイドウの実。 季節が一歩先へ進もうとするその傍らで、過ぎた時を静かに抱え続ける姿に、あほまろは毎朝そっとエールを送っております。 今朝の日の出は午前6時28分。 国民的大女優・有村架純妃ご本人のお手植えとして、浅草寺に奉納された由緒ある桜が、今朝も次々と花を開かせておりましたよ。 あほまろはこれまで、この桜をずっと「シダレザクラ」だと思い込んでおりました。枝ぶりの優雅さと、早咲きの気配から、すっかりそう信じて疑わなかったのであります。しかし、改めて確認してみますと――なんと、この桜は「河津桜」だったのでございました。 ボケの花。 満開になった河津桜です。 あほまろは決めました。思い切って、明後日は河津へ行ってみようと思いますよ。 「満ちて咲く桜に呼ばれ旅支度 春は待たずに人を動かす」 水仙も元気に花を増やしておりました。 シキザクラ。 まだ満開を保っている、母子地蔵さま背後の白梅。 夜明けの気配が境内に静かに広がり始めるころ、あほまろの大切な友――ビクトリー君が、今朝も律儀に姿を見せてくれましたよ。 まだ空は薄青く、昼の賑わいにはほど遠い静寂の中で、彼はまるで「あほまろ、今日も来たよ」とでも語りかけるかのように、少し首を傾げながらこちらを見つめておりました。その仕草は、何度見ても愛らしく、そしてどこか誇らしげでもあります。 しかし、無情にも開門の時間は刻一刻と迫っておりました。境内はやがて人々の祈りと足音に満ちていきます。そうなれば、あほまろもまた、いつもの役目に戻らねばなりません。 ビクトリー君は、それを知ってか知らずか、もう少し近くへ歩み寄り、「今日は遊べるのかい?」とでも言いたげな様子で佇んでおりました。 「すまないね、ビクトリー君。もう少し明るくなってから、またゆっくり遊ぼうじゃないか」と、そっと語りかけたのでございます。 言葉は通じずとも、想いは通じている――あほまろは、そう信じておりますよ。 中村さん、おはようございます。 おはようございます。今朝は開門2分前にやってきた、山本さん、五味さん、野崎さん。 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。 春の境内をご覧下さい。 まだ寂しいイロハモミジ。 こちらも寂しいソメイヨシノ 「散る時を忘れたふりの四つの葉よ あほまろよりも粘り強しや」(阿呆人也) 枯れ始めた淡島堂の梅の花。 奥山の梅の木やサルスベリの木など、総て伐採され、石像は観音裏に移動する作業が続いております。 あほまろは今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。 ------------------------------------------------------- 夕べの睡眠は98%でした。 おはようヒロちゃん。 今朝の朝の朝食は、野菜とタマゴとハムにパン。デザートはいちごとデコポン。 今朝もいただいたバレンタインのプレゼントと、妻のコレクションの早苗さんとツイギーちゃん。 昨日の東京スカイツリー。 あほまろお帰りなさい。 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、久しぶりに近所の寿司屋さんから出前一丁。 妻のコレクションは、チリちゃんと、瘋癲のリリーさん。 Memo iPhone 16 ProMAX