令和7年(2025)6月3日(火)旧暦5月8日 赤口
今朝の撮影 Data SONY α1-2 SONY FE 24-240mm/F3.5-6.3 OSS iPhone 16ProMAX 現像 Adobe PhotoshopLightroomCC 撮影枚数595枚
- アジサイとカタツムリの関係 -
今朝は本降りの雨になるとの予報でしたが、外気温は18℃とやや蒸し暑く、とりあえず折り畳み傘をバックに入れてでかけましたが、運よく雨に降られることなく無事に戻ってまいれましたよ。 昨日に比べて気温の変化が大きく、身体が戸惑うような朝でしたので、体調管理には一層の注意が必要ですね。 日中は予報どおり本降りの雨となる見込みですので、外出の際はどうぞお気をつけください。 あほまろは季節の移ろいを感じる瞬間ほど、筆が、いや、キーボードが勝手に走り出してしますのですよ。今朝も浅草寺境内を歩きながら、しっとりと雨に濡れたアジサイの姿は、まるで薄化粧をほどこした和服美人のようにも見えているのですからね。 そして、そうなると、いよいよ梅雨入りも間近ということになります。梅雨。この響きだけで、あほまろの古傷(たぶん、気圧のせいです)がしくしくと疼き出すような気がするのですが、そんな愚痴はさておき、この時期の風景に欠かせない名脇役といえば、やっぱりアジサイとカタツムリ。 そう、傘の上をのんびりと滑るあの殻持ちの紳士。ところが、ですよ。 今朝、犬友のウメちゃんママがぽつりと呟きました。「最近、アジサイのそばでカタツムリって見かけないわねぇ」。あほまろは、そのひと言に妙な引っかかりを覚え、帰宅してから調べてみましたところ、衝撃の事実が明らかになったのです。 なんと、アジサイの葉には毒があるため、カタツムリは寄りつかないのだとか。 えぇっ、あの名コンビが、実は“見かけ倒し”の関係だったとは! あほまろの昭和的な感性は、ここでいったん崩壊の危機を迎えました。いったい、長年にわたって日本人が親しんできた“アジサイにカタツムリ”の梅雨を代表する構図は、誰が描いた幻想だったのでしょうか。 しかしながら、すべての希望が失われたわけではありません。調査を進めていくと、アジサイの“葉”はダメでも、“枝”はカタツムリにとって好物だという情報にたどりつきました。どうやら雨が降ることで枝に炭酸カルシウムが増え、これがカタツムリの大好物らしいのです。 えぇ、カルシウムですよ、カルシウム。まるで彼らが雨の季節にだけ現れる“栄養士”のようで、ちょっと微笑ましくなってしまいましたよ。こちらは、ウメちゃんママと、アジサイ横の自販機で、「オロナインC」でビタミン補給ましたけどね。 とはいえ、アジサイとカタツムリの共演は、現実には稀なようで、私たちが思い描く「梅雨の風物詩」は、どうやら絵本とイラストの中だけの話。 でも、あほまろは思います。たとえ実際にはいなくても、その絵柄を見て「梅雨だな」と思えるのなら、それはもう立派な季節のしるし。 幻想もまた、心を潤す大切な真実なのですからね。 これからしばらくは、傘とアジサイと、そして幻のカタツムリを思い浮かべながら、しっとりとした季節を楽しみたいものです。もっとも、湿気でカメラのレンズが曇るのはいただけませんけどね。 アメリカデイゴの蕾。 今朝の日の出は午前4時26分。 浅草寺参道で、何かの工事が始まったようです。 今朝も、あほまろは定番コースで巡っていると、突如、ビクトリー君が“乱舞”を舞いながらあほまろを追いかけてきましたよ。 まるで舞台の照明が彼の一羽だけを照らしているかのように、くるくる回っては、こちらをじっと見つめ、また舞い回る。いったい何がそんなに楽しいのでしょうね。 ですが、その瞳に映るあほまろを見ていると、まるで自分が舞台の主役であるかのような気分になってしまうのです。 いやいや、彼こそが一流のダンサー。観客はただ一人、あほまろなのですよ。 ふと、そんなビクトリー君の踊りに見とれながら、あほまろは過去の情景を思い出しました。 そう、十数年前までは、本道横に小さなハトのエサ売り小屋が建っていたのですよ。そこには、毎朝、子どもたちや観光客が列をなして、エサを買い求めていたのです。 そして、境内を覆い尽くすかのように、数百羽のハトたちが舞い遊び、まるで「平和の象徴」が実体として存在していたような光景でしたよ。 ところが、時代は残酷です。あの鳥インフルエンザの流行をきっかけに、エサ売り小屋は撤去され、ハトたちは“駆除”されてしまったのでした。 今や、境内に残されたのはわずか二十羽ばかり。あの賑わいは、遠い記憶のなかでしか再生されません。 いったい、どのような“駆除”が行われたのでしょうね? 「管理」や「保健」の名のもとに、ひとつの小さな命が、数として処理されていったとしたら、それはとても悲しいことです。 仏教の根本には、「不殺生戒(ふせっしょうかい)」という大切な戒律があります。生きとし生けるものを、むやみに殺してはならぬ、それが、教えの根っこにあるはずなのにねぇ・・・。 境内という聖なる空間で、祈りの言葉とともに命が軽んじられていたとしたら、それは皮肉を超えて、哀しい矛盾と呼ぶべきでしょう。 それでもなお、ビクトリー君は今日もあほまろの前で、くるくると舞ってくれました。 まるで、過去の記憶をなぞるように。あほまろの心に棲みついた、あのたくさんのハトたちの代弁者のように。 ハトの舞は、命の証し。たとえ少なくなっても、ここに確かに生きている、というメッセージなのかもしれません。 今朝のビクトリー君の舞は、そんな想いを呼び覚ます、静かな抗議のダンスだったのかもしれませんね。 おやおや、今朝はどこか見慣れないお客さんが、ひょっこり境内に舞い降りましたよ。ハトですよ、ハト。いつものメンバーに混じって、そっとあほまろの視界に入ってきたその子は、どこかよそよそしくもありながら、不思議と懐かしい空気をまとっておりましたよ。 よくよく観察してみると、あれれ、背中に、見覚えのある模様があるじゃないですか。なんと、あのビクトリー君とおそろいの「V」の字がくっきりと浮かび上がっているのですよ。これはただの偶然なのか、それとも運命の再会なのか、いずれにしても、ビクトリー君の“分身”あるいは“兄弟”の可能性が大いに浮上してまいりましたね。 こうなってくると、あほまろの想像は止まりません。もしかして、ビクトリー君には、かつて別れた兄弟がいて、それが風に乗って、ようやく浅草の空にたどり着いた、そんなドラマのひと幕すら、ふと頭をよぎってしまいます。いやはや、人もハトも、どこでどう再会するか分からないものですねぇ。 ともあれ、新顔さん。ようこそ浅草へ。ここには、のんびりした仲間たちと、写真機を提げてうろつくあほまろがいますよ。ビクトリー君に負けじと、そのV字模様を誇らしげに見せて、どうかこれからも気ままに舞ってくださいな。歓迎いたしますよ、心から。 おはようございます。今朝は開門2分半前にお友達とやって来た野崎さん。 子育地蔵さま、わが家の子どもたちと猫の安全をお守りください。 日本のナイチンゲール、瓜生岩子像。 初夏の境内をご覧下さい。 ソメイヨシノの葉。 昨年から落ちずに、いまだに枝にしがみついているソメイヨシノの一枚の葉。「がんばれよ」と、声をかけているのですよ。 キンシバイ(金糸梅)は、そろそろ終わりそうでした。 奥山の梅の実。 明日の朝はまたまた雨のようですね。でも、あほまろは頑張ります。 今日も秘密基地でダラダラ過ごしますよ。 ------------------------------------------------------- 夕べの睡眠は80%でした。 おはようヒロちゃん。 今朝の朝の朝食は、崎陽軒の一粒肉まん。 あほまろは、デパ地下を徘徊するのがひそかな楽しみのひとつなのですよ。中でも、いつも立ち寄るのが「維新號(いしんごう)」の肉まん売り場。あのふかふかで、ほんのり甘い皮の中に、じゅわっと肉汁が詰まった本格派だったのです。 昨日、いつものように「今日も肉まん買って帰ろうか」と、足を運んだその場所に、なんと「維新號」の影も形もなくなっていたのですよ。えっ? と思って見回しても、あの赤い看板も、湯気の立ちのぼる蒸籠も消えてしまっている。まるで最初から、そこに存在しなかったかのような雰囲気で。 なんとも言えぬ喪失感に包まれながら、とぼとぼと通路を歩いていると、ふと目に入ったのが「崎陽軒(きようけん)」のコーナー。お馴染みのシウマイ弁当が整列しているその一角に、小さく控えめな存在で「一口肉まん」なるものが並んでいたのです。 おぉ、これはもしや、新たな出会いか? あほまろは期待半分、寂しさ半分で一袋手に取りました。サイズこそ可愛らしいけれど、崎陽軒のキャラクターが記され、その中にはしっかりとした肉の旨味と、どこか懐かしい味わいが詰まっておりました。 この出会いが、新たな定番となるかどうかは、まだ分かりませんが・・・、あほまろは、こうしてまた、ひとつ小さな物語を味わったのでございますよ。 いっぱいあるので、妻のコレクションのマドンナさんとハルちゃんにもお裾分け。 昨日の東京スカイツリー。 しゅと犬くん。 あほまろお帰りなさい。 夕べの夜の夕食の晩ご飯は、お刺身なので、だいぶ自然蒸発してしまった「三岳」を飾っておきました。 妻のコレクションの、ツイギーちゃんとともこちゃんが隠れて呑んで仕舞ったようでした。 Memo iPhone 16 ProMAX