『今朝の浅草』
たった一日だけ浅草を留守にしたのですが、今朝のモモちゃんは上機嫌です。まるで、何日も逢えなかったかのように、歩きながらもあほまろにしがみついて来るのです。犬は人間の約7倍の速さで成長し老いていくことを「ドッグイヤー」という言葉で示されているように、一週間も逢えなかったとの想いで喜んでいるんでしょうね。寒いのを我慢しながらも、元気に歩いてましたよ。
今年の締めくくりとして観音さまのご加護に御礼の意味が込められた観音縁日「納めの観音」の朝を迎えました。この日に合わせ、ここ浅草寺では昔から「歳の市」として「羽子板市」が開催されます。羽子板で使う羽根が害虫を食べてくれるトンボに似ている事から「女性に悪い虫がつかない」、また、「悪い虫を追い払ってくれる」などの縁起を担ぎ、江戸後期頃より女子いる家へ正月に「羽子板」を贈る習慣があり、それを求めるのなら、観音さまの御利益にあずかれる、今日の「羽子板市」で求めるのが恒例となって賑わいを見せているのです。
「羽子板市」は昨日から始まっているのですが、ご存じのように、あほまろ昨日は所用のため京都に行っていたために、まだ今年の「羽子板市」は準備段階しか見ていないのです。新聞によると、「ハニカミ王子」や「おしりかじり虫」の変わり羽子板が飾られているようなので、日記を書き終えたら再び浅草寺境内に出向くつもりでおります。もちろん、写真もいっぱい撮って来られなかった方のためにも「羽子板市」の全貌をご覧にいれますね。
昨日、京都での仕事が午前中に終え、以前から気になっていた嵐山嵯峨野の「祇王寺」を訪れてみました。何が気になっていたのかというと、あほまろが集めている明治の絵はがきに数多く登場している、当時は奔放に生きた新橋芸者「照葉」さんが、出家を、後にこの「祇王寺」の庵主だったとのことに興味を持っていたからなのです。
この祇王寺は、平家物語にも登場する平清盛と祗王祗女の二人の女性の哀れな物語に由来し、昔から女性たちの信仰が深いとされているお寺なのです。明治二十八年、元の京都府知事北垣国道氏が、祗王の話に感銘を受け、嵯峨にある別荘の一棟を寄付さて場所を現在の地に移し、大覚寺の塔頭となったのです。
新橋の売れっ子芸者「照葉」は、明治41年、12歳の時に大阪の花柳界に売られ、宗右衛門町の置屋で舞や鼓などの修行を経て、舞妓「千代葉」としてお披露目をしたのは、わずか13歳でした。その後上京し、日本一の花柳界といわれた新橋の花柳界に「照葉」の名で、身を沈めることになったのです。やがて、彼女の美貌と名声は絶頂期を迎えることになっていったのです。贔屓客の顔ぶれも、西園寺公望、桂太郎、高橋是清等々と、政財界の大物ばかり。当時の彼女の「祗王寺日記」には、
「芸事よりも私は学問をしたい。芸妓は無学やと、人に言われるのが口惜しい。こんな、色街なんぞというものが世の中から無くなったら・・・、奇麗な着物は着られるけど、心から楽しい日は無い。強くなろう、大人の自由にされてはたまらない。親だろうが、強く出てくりゃ、こちらも強く出てやる。」
芸鼓としてだけではなく、一人の人間として成長したいという強い願いが書かれているのです。その後、24才で当時新興産業として登場した映画会社の経営者小田末蔵と結婚し、夫と共にアメリカで生活は、お酒と同性愛におぼれ、1年近いすさんだ生活の末に帰国。
「愛欲に身をゆだね、酒におぼれる荒んだ傲慢な生活。自分の歩んできた過去を振り返ると、慚愧と自己嫌悪の念にとらわれました。このまま死んではならない…、古いものを捨てない限り、新しいものは生まれない…」
5年余りの修行を経た昭和9年、39歳で高岡智照として仏門に入ったのでした。そして、今は誰も住まない寺「祇王寺」を終の棲家と決心し、寺の再興を合わせて見て人生の再出発をしたのでした。やがて、尼僧として最高の称号を与えられ「智照尼」となった88才の米寿に、愚かだった自分の過去を洗いざらい告白するために、日記を公開し周囲を驚かせたのでした。
新橋芸者だった頃の「照葉」。
「祇王寺」の庭はすでに散ってしまった紅葉が絨毯のように敷き詰められていました。

「祇王寺」の小さな本堂です。
比丘尼「智照」のお墓。
いずれ、「祇王寺」と「照葉」に関しての随想を記したいと思います。
『今朝の雷門』
浅草名物の観光用人力車が通行の妨げになっているとして、規制がかかるようです。浅草警察署は、雷門前の区道の一部約20メートルを専用の駐車帯に指定。駐車禁止の対象から人力車のみを除外する補助標識を設置することにしたそうです。
あほまろもこのままでは全面的に禁止されることを懸念し、 商店連合会の回遊性研究会で、人力車のナンバープレート案を議題に出し、人力車の秩序を保とうと議論をしていたことが功を奏したのかも知れませんね。これによって、浅草の観光人力車にも正式な待機場所が確保され、より便利な観光名物となってくれることでしょう。

『今朝の宝蔵門』

『今朝の本堂』
『本堂から宝蔵門』
『本堂から宝蔵門の大提灯』

『今朝の二天門』
『今朝の境内』
まだ日が完全に上り切っていないので、今朝の境内はとっても寒く感じました。
浅草寺本堂には、「観音縁日」の赤い提灯と、「縁起のし羽根進呈所」の看板が出されています。

「羽子板市」のお店はまだどこも開いていません。
いつもの三地蔵さん。暖かそうな着物を着せてもらいましたね。
浅草神社横では、園芸市も開催されています。
今朝の龍ちゃん、ご機嫌が良いようでちゃんとカメラに向いてくれましたよ。いつもと違う態度にモモちゃんも驚いているのかもね。
「ガサ市」会場です。
ご覧ください。大量の注連縄。これが28日の最終日までに、全部売れてしまうそうですよ。
プーさん、儲かってホクホクなのかな。でも、寒いのでこれからますます大変ですよね。
『今朝の浅草神社』
浅草神社です
『今朝の一写』
納めの観音では、毎年羽子板に並んでこのような園芸市も開催されているのです。
『浅草な人』
早朝から唯一開いているお見せは、お馴染み「浅草な人」安○さんのお店ですね。むくろじで出来た羽子板の羽根を商っているのです。
『今朝のワンちゃん』
バビちゃんのおかあさん、寒くなったので散歩の時間がどんどん遅くなってしまったといってました。おかげで、バビちゃんの写真も撮れますね。

ボビちゃんのおばあちゃんはいつも同じ時間の散歩です。でも、寒さが厳しくなってきたので、あまり無理をされない方がよいですね。なんたって、92才ですからね。

シロちゃんだったかな。
ココアちゃんも元気に歩いています。今年の年賀状には、あほまろが撮った写真も使わせてもらいましたと、印刷が上がった年賀状を頂いてしまいました。あほまろもモモちゃんの写真で年賀状を創るつもりです。元旦の消印でお送りしますね。
「ガサ市」に出勤途中にお逢いしたプーさん。ワンちゃんの扱いが慣れてますね。
ランディ君です。
モナカちゃんです。
女の子同士は優しくご挨拶。
でも、ランディ君がやって来ると、
そこは戦いの場と化すのです。
ペコちゃんもやって来ましたね。
こちらはチャコちゃん。いつもをカメラを向いてくれないんです。
リリーちゃんのおとうさんはまだ海外旅行だそうですよ。
おとうさんが帰って来たらきっとリリーちゃんは、モモちゃんみたいに飛びついて喜ぶのでしょうね。
アックス君もお詣りにやってきました。通りかかったお姉さんも大きなワンちゃんが大好きなようで、一緒に遊んでもらってましたよ。
はい、それではお詣りに行きましょう。
みんなが去ったところにグンちゃん。
そして、雷門から帰って来たバビちゃんのおばあちゃん。まだ、お姉さんがワンちゃんを求めて残っているのでした。
メグちゃんもお詣りを済ませて降りてきましたよ。
え〜と、格好良いドーベルマンは、ゼロ君でしたよね。
ボブちゃんです。
チャコちゃんの散歩、寒いので遅くなったかな。
なんともひょうきんなお顔のチャコちゃんですね。寒い境内でも、みんな元気で幸せな納めの観音さまでした。
『心ふれあう憩いの広場―下町と銭湯の物語』
江戸時代から現代まで、銭湯は町内の情報交換の場として、
また、親子、隣人たちとの世代を超えたコミュニケーションの場として 大変効果的な役割を担ってきましたが、最近はお客さまの銭湯離れにより
廃業する銭湯の数は少なくありません。
今回の展示では、銭湯の魅力を掘り起こし、 銭湯を知らない方々にも銭湯の魅力を知っていただくために、 銭湯の形を見える形でご紹介します。 昭和40年代のなつかしい銭湯や町空間を思い起こさせる品々の展示です。
あほまろコレクションは、置き薬の箱とホーロー看板です。このように並べてみると迫力ありますね。
展示内容
・江戸時代の「湯屋」の模型展示
・現代の銭湯の模型展示
・台東区内「銭湯めぐり」写真展
・銭湯の歴史・地図で見る銭湯数の変遷・入浴料金の変遷 等
開催期間 平成19年11月14日(水)〜平成20年1月30日(水)
※休館日を除く
今回の展示会にも、あほまろのコレクションがいっぱい展示されますよ。ポスターをクリックすると大きな画面でご覧になれます。
|