『今朝の浅草』
浅草の「東京時代祭」は来月3日の文化の日です。でも、本場の「時代祭」といえば京都が有名ですね。延暦13(794)年、桓武天皇が長岡京から山背国葛城郡宇太村の新京に移り「平安京」と命名されてから1100年を記念し、明治28(1895)年に創建された平安神宮の例祭なのです。今日がその「時代祭」の日、今年で開催112年となるのです。京都三大祭りの一つとして有名なこの「時代祭」「葵祭」「祇園祭」の時期は、京都市内のホテルはどこも満室、あほまろは大阪に宿をとって見物に行ったことがありました。
京都のイベントにはいつでも行けるようになったらどんなに楽しいだろう・・・。あほまろはそんな安易な気持で、ちょうど平安遷都1200年の年に京都に別荘を持ったのでしたが、持ってしまうとこれがまたうまくはいかないもの、結局12年間で「祇園祭」を一度だけ楽しんだだけで、他の祭は一度も見ることも無く、今月手放してしまったのでした。
朝のニュースで「時代祭」のことが報じられています。このお祭りは、明治維新から延暦時代へさかのぼって、順次風俗、文物の変遷を仮装行列で再現する行事で、現在の参加者は18列、2000人に達し行列の長さは2キロにも及び、浅草の「時代祭」とは比較にならないほどの規模で開催されるのです。
もし、京都に別荘が有ったとしたら、今から新幹線に飛び乗っても「時代祭」の行列には間に合うんだけどな・・・、なんて、今更夢のようなことを考えても時既に遅し。「いつまでも有ると思うな親と金」、なんて良く言ったものですね。
行列といえば、昨日の浅草では国際反戦デーの一環として、東京大空襲や原爆に遭った民間の戦争被害者が国家補償を求める「浅草ウオーク」が開催されました。今年の「浅草ウオーク」には、中国残留孤児訴訟原告団や、日本軍が中国・重慶で行った爆撃の補償を求める訴訟の支援者も参加し、「残留孤児に対する賠償を今度の国会で法律にしたい」「日本の空襲につながった重慶爆撃という加害の歴史を知って」などを訴えながら行進をしていたのです。
あほまろがちょうど行列とすれ違った時、カメラを持っていなかったのでその様子を撮ることができませんでしたが、参加された方は僅か100名ほど、それでも長崎原爆「ファットボーイ」の実物大模型を曳きながら沿道に反戦と世界平和を呼びかけておりましたよ。
「浅草ウオーク」の資料によると、戦後補償のゆがみとして以下の内容が記されていました。
「日本の戦後補償の柱になっているのは、戦傷病者戦没者遺族等救護法(1952年制定)と軍人恩給です。これらの制度は、補償の対象を「日本国籍を持つ軍人・軍属」の本人や遺族に限っています。このため、原爆や空襲、沖縄戦、中国残留孤児など「一般市民」の被害者や、旧植民地出身の「外国人」の戦争被害者は、補償を受けることができません。また、戦後に結ばれた講和条約などの不備から、日本がアジア諸国に行った国際法違反の行為の責任、アメリカが日本に行った無差別爆撃の責任なども十分問われていません。
わたしたちは、こうした戦後補償の「ゆがみ」を修正し、誰もが被害の実情に応じて、安心して国からの救済を受けられるような社会の実現をめざしています。」
せっかくの国際反戦デー、政治色を無くした「浅草ウオーク」だとしたら、もっと大勢の方々が参加されたのでしょうね。これだって、近代史を飾る「時代祭」のようなものなのですから。
『今朝の雷門』
最近は携帯電話でもナビケーションが出来るのですね。今朝、雷門前でお逢いした方々が携帯電話のナビを見ながら、すし屋通りの位置を巡ってあっちだこっちだと言い合ってました。ナビが有っても東西南北が解らないのが原因だったようです。そういえば、車のナビは常時走っている方法を示しているのですが、携帯電話は上が北を示しているだけで、自分の居る場所の方向までは示してくれないんですよね。そんな物に頼るより、誰かに聞いた方が便利なんですけどね。
しし屋通りは、これを真っ直ぐ行って大きな通り2つ目ですよ。“あ〜、それじゃこっちが西ね”、ここに及んでもまだナビを頼ろうとしているし・・・。

『今朝の宝蔵門』

『今朝の浅草寺』

『本堂から宝蔵門』
『本堂から宝蔵門の大提灯』
『今朝の二天門』
『今朝の境内』
今日も青空ですが、昨日の写真のように真っ青にはなってません。いったい昨日の空は何だったのでしょうね。
昨日から「秩父34観音」の総出開帳が行われています。出開帳といっても、どこのお寺も本尊ではなく、いわゆるお前立の観音様ですよ。
「菊花展」の会場です。
ほとんどの菊はまだこのような状態です。
「大懸崖」はまだ咲く気配無し。
『今朝の浅草神社』
浅草神社です。以上。
『今朝の一写』
公会堂前の通りでは、夜中中道路工事が行われていました。このような工事現場には、必ず交通整理をするガードマンが立っています。数年前の早朝、あほまろの知り合いがこの仕事で立っていました。最初は気付かなかったのですが、目が合った瞬間に顔を反らしたのを不思議に思って見直したことで彼と知ったのです。
大手電機メーカの社長をされていた方で、とある事情で退職金はもとより自宅までも手放してしまったと嘆いてました。“でも、命までとられた訳じゃ無いので・・・、いちいち弁解するのが面倒なので、知り合いに見付からないように夜間だけ勤務しているんだよ”、カリスマ経営者として業界にその名を馳せた人間だったのですけどね・・・。あれ以来、早朝の工事現場に遭遇すると、無意識に彼を捜してしまうのですが、二度と浅草の現場には来ないんでしょうね。
『浅草な人』
浅草寺境内には、ワンちゃんだけじゃ無く赤ちゃんとの散歩で訪れる「浅草な人」も多いのです。ようやく歩けるようになったお子さんを安心して歩かせられる場所だからなのでしょうね。
『今朝のワンちゃん』
今朝の雷門前には、さつきちゃんと、
バビちゃんが遊んでました。
ちょっと仲見世を歩くと悠々と自転車に乗ったメイちゃん。今朝は機嫌が良いようでしたよ。
うその後ろから、ナナちゃんとタッ君です。
今朝はお兄ちゃんが起きてくれないのか、ランディ君だけがお散歩ですね。
チワワのコメサク君3才半、前足を飛ぶように上げて走る姿は、まるで幅跳びの選手みたいなのです。
今朝はチコちゃんですね。“昨日のシロ君の写真、家族で大受け”っていってました。
チコちゃんが興味を示しているこのワンちゃん。お名前聞くのを忘れてしまいました。
チコちゃん、人前で変な滑降するんじゃ無いの。
チョロちゃんはモモちゃんの方を見てくれているのに、チャコちゃんは反対を向いたままなんです。伝法院のお庭の猫が気になって“早く行こうよ”っていってるそうでした。
ようやく名前を覚えたチョロちゃんです。
それにしても、この時間に境内を散歩させるワンちゃん、多い時で40匹以上になります。だいたいのワンちゃんのお名前はお聞きしているのですが、通りすがりに名前が出て来ない方が多いのですよ。このワンちゃんたちは、ポンタにゴンタ?じゃ無かったよね・・・、あ〜あほまろは頭悪いですね。
格好良いアックス君にモモちゃんもぞっこんかな・・・。
毎日一緒に寝ているんですって。モモちゃんはあほまろの書斎で、一人で寝るのが好きなんですよ。
4月に亡くなった我が家のハニーちゃんもいつも舌を出してましたが、ハニーちゃんは奥歯が総て無くなってしまったので飛び出していたのですが、このリリーちゃんはまだ若くて歯もしっかりしているのですが、舌が極端に長いので、飛び出しているそうです。
こちらがポンタにゴンタでした。
モモちゃんが自ら近づいて行くなんて珍しいのです。
居ました。ココアちゃんです。今日はおとうさんの当番ですね。
おすましポーズを狙ったのですが、なかなか上手に撮れないのです。でも、ココアちゃんのこんな横顔も可愛いですよね。
浅草神社をお詣りするおかあさんを待っているチワワのナナちゃんです。
他のチワワと違って、とっても小さい子なのでいつも子供に見られるといってました。これでも、もう5才なんですけどね。
ムサシのお父さんもやって来ました。
ムサシは、もう7才になったんですよね。赤ちゃんの時から知っているワンちゃんなのです。
老犬仲間がやってきました。サスケ君は13才なので、いつもモモちゃんとのんびりとご挨拶。お互いにもう少し頑張りましょうね。
 |