あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年8月16日 (水) 旧暦7月23日大安

- 帰ってきました。 -

日記


 ネットワークの無い3日間の生活からようやく開放されました。この日記の本来の目的は、モモちゃんと一緒に毎朝浅草を歩いて勝手なことを書くのが目的、それで浅草に居ない時にはお休みしても良いのでは、とか勝手に思ってしまうのですが、毎日欠かさず続けていて、突然更新が無くなったら、いつぞやの入院の時のように読者のみなさんが不安になられるとけないので、地方に出かけた時にも更新するように心がけているのです。

 でもね、今回は助手の古麻呂と重たいカメラ機材の他に、この日記を更新するためにだけパソコン一式も持っていったってわけで、まさかそれがネットに繋がらないなんてのは夢にも思っていなかったのですよ。今回2泊した天龍村の民宿にはネットワークはもちろん、PHSも繋がらないのです。おまけに、携帯電話も場所を選ばなければ圏外。ここの住む人達にはそんなのどうでも良いことなのでしょうけど、ネットで仕事をしているあほまろにとっては、この三日間は当たり前が当たり前で無い社会を経験したったことでしょうね。

 昨日は、村の公民館にお願いをしてネットワークを借りることが出来たのですが、余所の場所で、その上知らない人がうろちょろしている事務所で、いつものようにのんびりと日記を書くわけにもいかず。とりあえず用意した写真を掲載しただけで失礼しました。
 今朝も、朝の散歩を済ませ、日記用の写真は加工したのですが、ネットを借りる場所が無くて、東京に帰ってから(午後9時)のアップとなってしまいました。
   
 お盆の最中とあって、今回の旅行で下伊那地方に伝わる伝統のお盆行事を堪能したのでした。
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『今朝の一写』
 国土交通省が推進する「残したい自然景観」に指定された阿南町和合日吉地区の集落の原風景、踏み分け道を自動車道に変えただけで、僅か20個余りの集落が江戸時代から変わらない景観を保っているので指定されたはずですが・・・。
 現在、くねくねと曲がりくねった自動車道が危険との理由で、沢を大きく切り開き真っ直ぐな道路に改良する工事が行われているのです。その工事が完成すると、この石碑の場所も道路の一部になってしまうのです。その時は、「残したい自然景観」は指定を外されてしまうのでしょうね・・・。
 まったく横の繋がりの無いお役所の仕事は・・・、おや、この指定は国土交通省で、道路を造るのも国土交通省、ってことは・・・、縦割りどころか、横割りの連携もとれていないのでしょうね・・・。とっても雄大で、素朴な景観、これが見納めでしょうね。
  
 今回は、お盆の成人式の取材だったのです。長野県の山間部では、雪深い冬の成人式よりも、みんが必ず集まるお盆の方が出席率が多いとのことで、お盆の成人式が一般的となったようです。今回、天龍村にお邪魔し、成人式とそれをお手伝いをするボランティアの学生達の活躍を追ってきたのです。
 このボランティア団体は、「天龍村 アートプロジェクト」と称し、長野県で一番の過疎地である天龍村にて、村の歴史を学び(フィールドワーク)、感じ(ホームステイ)、得たものを自分の得意な表現形式(映画・音楽・演劇・美術・写真・建築・アートマネージメント)で表現するために早稲田大学生を中心に結成されたプロジェクトで今年で二年目になるのです。
 参加者は、2週間という限られた時間の中で、村民や新たに出会う表現者同士が協力し合い、作品の完成を目指す。自分の才能を試してみたい方、同年代の人たちと出会い、夏のひととき、共同で作品を創り上げよう。そんな呼びかけで集まった40名の方々なのです。
 その仕事の一環として、今回の成人式の演出も入っているのです。 総面積109平方メートルという広大な敷地に世帯数928、人口1990名の天龍村は今年が誕生50周年記念という記念すべき年の成人式を思いで深いものにしようという狙いもあったのでしょう。
   
 今年の新成人は16名、そのうち仕事で参加できなかった1名を除く15名が参加しました。新成人みなさんが壇上に上がって、現在の状況と村に対する思いを語ってもらったのでした。
 長野一の過疎の村の子ども達、故郷にいったいどんな思いを持っているのかとっても興味があったのです。でも、みんさんの発言は・・・。
 
 “久しぶりに帰って来て驚いたのが、隣の南信濃村が飯田市になっていた。ああ飯田が近くなったなって感じた”(よそ事)。なんてのは良い方で、“いつもでも自然豊かな故郷天龍村で有り続けてくれることをみんさんにお願いします”(身勝手)。そんな発言が多いのに驚きました。“それは、あんた達がやることだろうが”、高校を卒業し、村のためになって欲しい若い人材総てが村を出ていってしまう。それでいて、いつまでも故郷を守って欲しい、お願いします、だけじゃどうにもならないよ。“俺が、私が、村を守ってやる”って馬力の良い新成人の発言も聞きたかったよ。
 現状じゃ、いくら町長や村議会議員さんにお願いしたとしても、減る一方の若者と産業は止まらないでしょうね。“自分の故郷、もっと大切にしてよね”新成人さん。
     
 成人式の余興として、兄弟フォーク歌手の「キセル」のライブが開催されました。過疎の村に、中央から芸能人を呼ぶのも「天龍村 アートプロジェクト」の仕事なのです。
   
 結婚しお子さんを連れてきた新成人もいらっしゃいました。この土地に残っているのは、今のところ彼女一人のようです。
   

 成人式とは関係の無いお盆のお話

 昨日の日記で紹介をした国の選択無形民俗文化財の「和合の念仏踊り」、今日は、和合集落の背景を知りたくてまたまたタクシーを借りて追加取材をしてきました。
   
 毎年、旧盆の13日から16にかけて行われるこの「和合の念仏踊り」は、熊野社〜大家(旧庄屋)〜林松寺と巡って行われる、およそ350年前から伝わるお盆の伝統行事なのです。
   
 こちらが
熊野社です。回りを檜と杉で覆われた社は厳かな雰囲気を醸し出していましたよ。それよりも水舎にあふれ出る湧き水の冷たかったこと、炎天下を歩いたのでそっちの方が御利益あったのかも(不謹慎ですね)。
   
 こちらが大家さん。江戸時代中期、村の庄屋が村の年貢の減免を願い出るため、江戸へ出向いた帰りに川中島で習い、村へ伝えたとされ、今でも感謝の気持ちを伝えているのです。家主は宮下家、ん十代目の子孫が家を守っているそうですが、現在は常駐しているわけじゃ無いといってましたよ。ここのお庭にも冷たい湧き水があふれていました。
   
 念仏踊りとは関係の無い話題も・・・。
 かつては日本の重要な産業だった養蚕業、お蚕さん。この産業が途絶えた原因が知りたくて、江戸時代から養蚕業を営んでいた家にもお邪魔してみました。
   
 昭和25〜6年まで養蚕業を営んでいたのですが、生糸価格の下落によって転業を余儀なくされたのです。きちんと整頓された棚には、今でもすぐに始められるかのように当時の道具が整理されて置かれていました。古いのは江戸時代からのものも有るそうです。

     
 というわけで、今回の取材の旅を簡単に説明しておきますね。
次回は、天龍川の上流も歩いてみたくなりました。


今朝の写真
CANON EOS-1DsMK2,CANON ZOOM 各種
撮影枚数569枚
昨日の写真
撮影枚数950枚