あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年5月9日 (火) 旧暦4月12日先負

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日記


『今朝の浅草』
 雨が降り続いています。それも、昨日の朝と同じく霧雨。こんなのがカメラには一番嫌な雨なのです。レンズを下に向けておいても風に舞う霧状の雨が容赦無しにレンズを濡らしてしまうのですよ。
 だいたい雨の日にわざわざ写真なんて撮る人は少ないでしょうね。でも、あほまろは「毎朝」という使命感を持って撮り続けているのです。特に、誰も撮らない雨の日でこそ、普段とは違った街の表情を見られるかも知れない、そんなことを思ってしまったりしてね。この程度の雨は序の口、台風直撃の最中だって撮って歩いているのですから。
 ちょっと足を延ばして隅田公園を歩いてみました。桜の木は新緑に覆われ、時期を過ぎて枯れかかっているツツジの間で小さな蕾が開花を待っているサツキ。公園を管理している事務所では、季節の節目ごとに花を咲かせ、年中花が咲く公園を目指し、区民からの提案を受けて、台東区では、アジサイ約一万株を植えるため、寄付金も募集しております。募集は一株二千円なので、あほまろは五株メッセージ付きで一万円を寄付するつもりでおります。
 どうして五株?そりゃ当然でしょう。我が家に五匹の犬が居るのですから、あほまろが寄付するアジサイは犬の名前が付けられるのです。
 今日で4日目のナナちゃん。すっかり我が家に慣れてきたのは良いのですが、昨夜から夜泣きをするようになりました。でも、可愛そうだからといって連れて来たりすると、癖になるので4〜5ヶ月は我慢させることにします。どの犬も最初はそうだったのですから。
 ナナちゃんの写真を見ていると、どことなく昨年NHKで話題になった砥部動物公園の「白クマ・ピース」に似ているように見えるのです。太い首、太い手足、もしかしたら、ナナちゃんは柴犬と思って買わされたけれど、実は白クマだったりして・・・。なんて思うほど、手足が太いんです。既にモモちゃんの足と同じくらいもあるのですよ。
 モモちゃんはよく「豆柴」に間違われるほど小柄な柴犬なのですが、今度のナナちゃん、きっと、いわゆるフルサイズの柴犬になってしまうのかもね。大きな犬に振り回されるのは嫌だといっている女房は、ナナちゃんが大きくなったら散歩を嫌うのかな。
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『今朝の雷門』
 霧雨は、ひじょうに細かい多数の水滴(直径0.5mm未満)が一様にふる現象をいうそうです
。この雨は、低い層の層雲から降るので降水量は少なく、降る時間も短く小刻みだそうです。ってことは、今日これから降り止むのかもね。
 今朝、仲見世を通って通勤や通学をする方々の7〜8割の方が傘を差していません。こんな時に傘を差して歩いている自分を恥ずかしく感じてしまうの、後ろめたいことやっている時とどこか似ているのかも。出来ることなら、「カメラが濡れないように傘を差しております」なんて貼り紙を出しておきたい気分でしたよ。
 霧雨は雨と言うより、空気の中に小粒な水滴が混じって舞っている状態なのですよ。
   
   
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『今朝の一写』
 隅田公園の河川敷、それも水上バス乗り場付近から青テントが消えてしましました。奥の方には見えていますね。何かの規制があったのでしょう。この河川敷が出来た頃には、青テントも無く、愛犬家みんなの散歩道だったことも有ったのですよ。
  
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『今朝の境内』
 浅草神社では、祭の準備が着々と行われています。狛犬の折が完成し、危険を表すテープも取り付けられました。桟敷席の骨組みが完成し、あとは屋根と床を張ると出来上がりです。
 おや、よく見るとまだ鯉のぼりが下がったままですよ。神社の子供の日は旧暦まで行われるのでしょうかね・・・。
   
 天水桶もがっちり縛られました。ずれると危険ですからね。
   
 境内に入ると、雨が激しくなってしまいました。この状態での傘は何の問題も無いのですけど・・・。
   
 観音裏広場には、三社祭のバリケードがどんどん運び込まれて来ます。お祭りもこれさえ無ければ平和なんですけどね。
   
 新緑と言うか、深緑といった方が良い季節の到来ですね。今年は梅雨が早まるとのこと、この数日はすでに入梅をしているかのようなお天気です。予報では、この調子で降ったり止んだりのお天気、三社祭過ぎまで続くようです。今年の三社祭も雨の宮出しになるのでしょうね・・・。
   
 東西めぐりんが開通し、雷門通りも通るようになりました。以前の南北めぐりんは、空気を運んでいるのを良く見かけましたが、この路線、朝からちゃんと人間を運んでいるのです。今までと違って上野と浅草の繁華街を結んでいるからなのでしょう。欲をいえば、同じ道を一方通行で循環するだけじゃ無く、相互通行で結んで欲しい。そんな希望も多いようです。今までの南北めぐりんからでも相互通行にしてみては如何でしょうかね。
 とはいっても、空気を元に戻すだけじゃ困りますけどね。
   
 うんこビルはお隣の墨田区なのです。めぐりんも台東区だけに拘らず、橋を渡る勇気も必要じゃないのでしょうか。同じ東京都なのですから・・・。
   
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 明治23年(1890)11月、日本最初の高層建築、凌雲閣(通称・浅草十二階)が建てられました。高さ52mの八角形の塔で、12階のうち8階まではこれまた日本最初のエレベーターが設置されていたのです。しかし、大正12年(1923)9月1日関東大震災によって倒壊してしまったのです。日本最初の高層建築が浅草を訪れる人に親しまれたのは、僅か33年ではありましたが、その勇姿は今も多くの写真に留めているのです。
 今朝の新聞によると、これを設計したことで知られる英国人技師ウィリアム・キニンモンド・バートン(過去の日本語表記では「バルトン」)の生誕150周年を記念し、故国ではあまり知られていないバートンの偉業を英国人にも広く知ってもらおうと、出身地の英国エジンバラに記念碑建立を計画しているそうです。
 現在の浅草には、元浅草東映(現パチンコ屋)の真ん前に凌雲閣が存在していた跡地の碑は有るのですが、実際の場所から50メートルほど離れた位置です。明治40年頃の当地図と現在の地図を重ねてみると、公楽苑という焼肉屋さんの場所だったようです。現に、この焼肉屋さんを建てる工事で、赤煉瓦の瓦礫がいっぱい出てきたそうです。
 設計をしたウィリアム・キニンモンド・バートンの偉業を英国人にも知ってもらうのも良いのですが、肝心の浅草にだって、彼の功績を讃える何かが有っても良いのじゃないのでしょうか。
   
 凌雲閣と瓢箪池の間に建っていた広告が有名ですね。この広告は倒壊まで4回架け替えられたのです。
 最初は、明治33年に建てられた勧進帳の弁慶を模した「オールド」。その翌年には、どうした訳か、勧進帳の弁慶全体を黒く塗りつぶして「展示会のお知らせ」に変わっています。その後、明治37年日露戦争勝利を祝うかのように建てられたのが「中将湯」でうが、僅か一年余りで「仁丹」に変わってしまいました。この後、大正に入ると周りに国技館などの高層建築が建ち並び、この位置の看板が目立たなくなったため、姿を消していくのでした。
 この写真で、十二階から下がっている垂れ幕には、「日露戦争戦況ジオラマ・大日本名所観光写真展」と書かれています。このように凌雲閣では、様々な展示会が開始されていたのでした。入場料は大人8銭、子供4銭です。煙草が普通5銭〜上等8銭、絵葉書が1枚3銭の時代でした。
   


今朝の写真
CANON EOS-30D,CANON ZOOM EFS10-22 F3.5-4.5 / EFS17-85 F4/5.6 IS
撮影枚数77枚