あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年4月17日 (月) 旧暦3月20日仏滅

- 富士山が隠れてしまった -

日記


『今朝の浅草』
 とっても良いお天気の朝になりました。こんな日は我が家から富士山が望める?。おやっ、いつも富士山を遮っているマンションに足場が架かってしまい、富士山の頂上が隠れてしまったよ・・・。それでなくてもいつも裾野が隠されているっていうのに、たぶん外壁の補修か塗装工事と思われるのですが、残念ながら足場が無くなるまで暫く富士山はお預けになってしまいました。
 あほまろの日記で時々我が家から見える富士山を載せているのですが、これに関して、「絶対に見える訳無い」とか、「ウソだろ?」等々とのメールをもらうことがあります。実際に見えているから掲載しているのに、ウソは無いですね。本当に見えることを確かめたいのなら、西の空が晴れている日の午前中(が良い)に、浅草松屋の屋上に行ってみてはいかがですか。そこから見える富士山は、ちょうど我が家から見えるのと同じく、ビルに挟まれる格好で見ることができるのです。松屋だけじゃ無く、この辺の高いビルのどこからでも望むことが出来るようです。
 富士山といえば、浮世絵でも有名ですね。江戸時代には東京の至るところから富士山を見ることができたのです。その代表作に葛飾北斎の「北斎漫画」や、安藤広重の「名所江戸百景」などにも、東京から見えていた富士山が描かれています。
 高い建物がなかった江戸時代、小高い丘の上から江戸湾や富士山を望むことができたのです。 庶民はこれらの景観を好んで、高台や坂にその名前を付けました。現在でも富士山を望むことができる地に「富士見(富士見坂)」、東京湾を望む地に「潮見(汐見坂)」などの町名が残っているのです。
 昨日、墨田区業平の柳嶋妙見山法性寺で「葛飾北斎碑」「近松門左衛門碑」の除幕開眼式が行われたようです。法性寺は、芸術家、芸能人に縁のある寺で、歌舞伎の「お染久松」の舞台の一景としても使われているのでも有名なお寺です。北斎はこの付近に住んでいたことがり、法性寺を描いた作品も存在します。
 昨日のあほまろ、早慶レガッタを見にすぐ近所まで行っていたのに、このことを知ったのは残念ながら今朝の朝刊だったんですよ。今度、石碑の写真を撮っておかなくっちゃ。
------○------
『今朝の雷門』
 青空でコントラストがきつくなってしまいましたね。表と裏を並べてみると、同じ朝の空だというにの、色が全く違ってしまうのは日光の関係なのです。裏の写真も、表のように同じ空で撮ることは可能ですが、そうしたら雷門が真っ黒になってしまうのです。
 同じ朝の数十秒の違いですが、とっても暖かそうな雷門と、まだ寒そうな雷門、二つの顔が面白いですね。これからも、表裏共に記録することにしましょう。
   
   
------○------
『今朝の一写』
 浅草のサンバは有名ですが、サンバカーニバルが始まるず〜っと以前から浅草にはサンバが有ったのをご存じですか。奥山の真ん中のお庭に置かれた巨石が「山波(さんば)石」なのです。
 群馬県多野鬼石町で産出された天然記念物で、昭和39年、今次ダム建設の時に水底に沈むのを見かねた住民が、群馬県知事の許諾を得て運び出したものなのです。
 この石の学名は「三波石変成岩」といい、鉱物が地下深くで高い圧力や熱の働きによって再結晶し、一定方向に配列しているため「三波川結晶片岩」とも呼ばれる珍しい石で、古来から形のよいものは景石・石橋・飾り石や飛び石・組石などに用いられ、日本庭園には欠かすことのできない素材なのです。とはいえ、国の天然記念物、滅多やたらに獲って来るわけにもいかない貴重な石なので、現在取引されている石は総て、過去に採取された物との曰く付きで取引されているようですが、そのほとんどが盗掘されたものらしいのです。
 毎朝、この石を見ながら、あほまろの知り合いがお庭を造る時、とある造園業者がそんなこと言ってたのを思い出すのです。
  
------○------

『今朝の境内』
 「宝蔵門」、そろそろ修復作業にとりかかるのでしょうね。それにしても、年々その数を少なくしていく春の奉納提灯、今年は過去最低だったようです。あほまろが浅草に住んだ最初の春、2000年の写真を見ると、両側4段びっしりに埋まっていたのですよ。
   
 毎朝「定点観測」をしていた枝も、すっかり緑一色になってしまいました。
   
   
 まだ一輪だけ残っていますね。しっかり五枚の花びらのまま。ど根性桜ですね。
   
 二天門に修復を始めたい意向の看板が掲げられました。とはいえ、具体的な日時は示されておりません。あくまでも国の重要文化財なので、公費の助成を期待しているだけのようです。かなり傷みが激しいようなので、早めの修復が望まれます。
   
   
------○------

『昨日の行事』

 時折小雨が降るお天気にもかかわらず、第75回早慶レガッタが行なわれました。
   
  2連覇中の慶応義塾大学、3年ぶりに王座奪還を目指す早稲田大学とが、白熱したレースを見せてくれました。
   
 早慶の応援団が陣取った台東会場では、両校のチアガールが一緒に応援をしているのです。過去に行きすぎた応援で怪我人も出たと言われる両校でしたが、和気藹々とした応援光景って微笑ましいですね。
   
   
 第2エイトの競技では、序盤、慶応義塾大学がリードしていましたが、駒形橋を抜けた中盤以降徐々にその差を詰めた早稲田大学が一気に慶應大学を1艇身半の差を付けて逆転。3年ぶりに王座奪還を果たのでした。
 写真は言問橋を抜けようとする終盤にさしかかる両エイト。その後ろに観光船ヒミコが見えてますね。
   
 どんどん離して行く早稲田。
   
 ゴール手前では、ご覧の通り1艇身半の差が着いていました。

   
 勝利に喜ぶ早稲田の応援団のみなさんです。
   
------○------
 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 ひさご通りと国際通りの間にカップの憩いの場でもある街並みが有ります。ここの入口には、未だに街娼注意の看板が掲げらているのをご覧になった方も多いでしょう。ここは、関東大震災前までは十二階下と称された私娼屈として有名だったのですが、現在は普通のビジネスホテルやカプセルホテルに変わってしました。
 この通りのことは、当時の文学の中にも多く残っています。 
   
 「十二階の下には、銘酒屋が軒をつらねていた。今の千束のひさご通りから入った一角である。表通りは商店が立ち並び、一歩狭い横町を入れば、向き合って銘酒屋が密集していた。ただ魔窟とか、私娼窟とか、銘酒屋とかよんだのではすさんで陰気臭く聞こえるところから、一般に十二階下と言って親しまれていた。
 表向きはどこも同じで、二階建ての長屋を思わせる。家のつくりは、右手に狭い土間があり、ここから上がって二階へ通される。土間の左手には三畳敷きほどの小間があり、路地に向かって小さな窓がついていた。この覗き窓から道行く人を誘っていた。小さな窓の内側から、遊んでちょうだいとか、あがってちょうだいとかさかんに呼びかけ、男の気をひいている。時たま口笛のようにチュツチュツと鳴らして客を誘う。泣き声が鼠に似ているところから一名鼠鳴きとも言っていた。
一瀬直行「浅草走馬燈」)


今朝の写真
CANON EOS-30D,CANON ZOOM EFS10-22 F3.5-4.5 / EFS17-85 F4/5.6 IS
撮影枚数39枚