あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年3月17日 (金) 旧暦2月18日先勝

- 記録と記憶 -

日記


『今朝の浅草』
 春の嵐が去った朝、いつもの散歩道には倒れた放置自転車が目立っています。これらの自転車は、雨が強かったので置いて帰ったのか、それともどこかで盗んで乗り捨てられたのか。雷門通り沿いの歩道には昼夜構わず放置自転車が並んでいるのです。春の嵐で将棋倒しとなってしまった自転車、いったい誰が片付けるのでしょうね・・・。
 昨夜の強風が嘘のように暖かい朝になりなした。天気予報のお姉さんが、朝6時半現在で都心部の気温は既に10度を超えていると笑顔で語っています。毎朝見ている天気予報のお姉さん。寒い朝は寒そうに、暖かい朝は楽しそうに。天気予報であっても、その時の気分を態度で伝えるための演出が行われているのでしょうかね・・・。
 実は、このお姉さん根本美緒さんといって、朝のイメージにふさわしい可愛らしく爽やかな笑顔と清純で知的なムードで、サラリーマンを中心に絶大な人気を誇っており、最近イメージDVDも発売したそうですよ。あほまろは買いたいとは思わないけどね。
 ベッドの中で、胡散臭いミノ虫なんて見たくないのですけど、このお姉さんの笑顔が見たくて、毎朝チャンネルを6にしてしまうのです。テレビを付けた瞬間に、お天気お姉さんが出てきた日、とってハッピーな一日になるような・・・。
 明日はいよいよ浅草神社の三基の御神輿が浅草寺本堂の中で一晩過ごす示現会が始まります。浅草の観音様が御出現した記念日なので、この時だけは神仏混合の行事が行われるってわけです。

3月18日(土)「堂上げ」
 午後6時05分 浅草神社 神官神霊入れの儀 斎行
 午後6時50分 神社発進、浅草寺本堂前に移御
 午後6時55分 本社神輿三基 浅草寺本堂前に到着 本堂御扉開扉
 午後7時00分 「堂上げ」開始
 午後7時30分 浅草寺一山式衆読経後、手締めにて解散
3月19日(日)「堂下げ」
 午前10時40分 浅草神社神官祝詞奏上、浅草寺一山式衆読経
 午前11時00分 「堂下げ」開始
 午前11時15分 堂下げ終了後
        本堂西側を廻りー浅草神社鳥居前ー宝蔵門に安置
 午後 3時00分  浅草寺宝蔵門から浅草神社鳥居前に移御
 午後 4時00分  本社神輿三基 浅草神社へ還御し、神霊返しの儀 斎行
 (浅草神社ホームページより)


 重さ一トン以上もある一之宮、二之宮、三之宮が本堂階段を昇る様は荘厳かつ優美で、迫力満点ですよ。明日はぜひ浅草寺で実際にご覧になりませんか。

 ようやく
宝蔵門前の奉納提灯も取り付けられましたが、まだ上部から二段だけです。昨年はようやく三段目の一部が埋まっただけで終わってしまったのですが、今年はいったい何段まで飾ることができるのでしょう。これだって、バブルの頃には奉納を断るほど希望企業が多くて賑わっていたのです。
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『今朝の雷門』
 安房の国の太守・平公雅(たいらのきんまさ)が、浅草寺参詣の折に、武蔵の国への配置転換を祈願したことにより、わずか1年にしてその願いが通じたため、天慶(てんぎょう)5年(942)、堂塔伽藍を寄進したのが「雷門」の始まりといわれています。その後、江戸時代に3度焼失、慶應元年(1865)の火事以降、昭和35年(1960)に再建されるまでの約100年間、亡失のままだった。と、歴史に刻まれているのですが、実は昭和6年頃に再建された「雷門」と、昭和10年頃の「雷門」の写真が残っているのです。
   
 昭和6年頃の「雷門」です。この時の大提灯には「松坂屋」と書かれていました。昭和6年11月1日に浅草駅ビルが完成し、浅草松屋が誕生しました。たぶんそのことで危機感を感じた上野松坂屋が奉納したのでしょう。しかし、当時の記録を調べてみても、この「雷門」の詳細を知ることができません。建立されて数年後に消失してしまったのかも知れませんね。でも、千社札が多く貼られているのを見ると少なくても数年間は建っていたと推察されます。
   
 こちらは昭和10年頃の「雷門」です。上の写真に比べるとかなり貧弱になってしまいました。大提灯の文字が鮮明じゃ無く判読は出来ないのですが、浅草の飾り文字が書かれていたようです。この「雷門」も記録はありません。
 このように、歴史とは権威者が記した書物だけが真実とされ、昭和33年までの約100年間、「雷門」が無かったということが真実であると語り継がれているのです。あほまろが以前に何度か雑誌等にこのこと書いたことがあります。昨日、「浅草で生まれ育った訳でも無いのに、偉そうなことを書くな」とのご意見が届いたもので・・・。浅草で生まれ育った方こそ、真実を残す努力をした方が・・・。
   
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『今朝の一写』
 影向堂の横の「六角堂」前のシダレザクラです。今朝は急に暖かくなったので真っ赤な芽が飛び出してきました。例年ならばソメイヨシノが咲いた後に咲くのですが、今年はこっちの方が早まるのかもね。
  
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『今朝の境内』
 弁天山のご本尊は白髪なので、「老女弁天」とも呼ばれています。ここは12日に一度の「巳の日」にご開帳されるのです。この日だけは境内に入ってお詣りすることができるのですが、弁天さんは嫉妬深い女性なので、夫婦や恋人と一緒にお詣りするのは止した方が良いですよ。特にここは「関東三弁天」として霊名が高い弁天様なので・・・。
   

 二尊仏の後ろの銀杏です。これも東京大空襲で被害を被ったのですが、その痕跡も消えて元気で頑張っています。この木は、あほまろが所有する明治中期の二尊仏の写真にも写っており、枝振りは当時のままってのが嬉しいですね。
   
 弁天山のサトザクラです。
   
 浅草神社境内の「定点観測」ソメイヨシノ。この暖かさで、先端がちょっと開いてきましたよ。
   
   
 残念ながら「思いのまま」はどんどんその姿が哀れになっていきますね。
   
      
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 浅草の古写真を整理していると、“あれ、今も同じような・・・”
、そんな時は実際に出かけて行って現場合わせをすることがあります。この写真も何の説明も無かったのですが、ご覧の通り六区の中央部で撮ったものです。看板や周りから推測すると、戦争直後の写真です。戦争で焼け付くされてしまった浅草のあの頃でも、六区は大勢の人で賑わっていたのですね。
   
   


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5他
撮影枚数44枚