あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年3月7日 (火) 旧暦2月8日先負

- 桜の予感 -

日記


『今朝の浅草』
 南風がとっても強く吹き荒れています。春一番はとっくに過ぎてしまったので、今朝の風はいったい何番目の風になるのでしょうね。風が強いといっても北風と違って寒くは無いのですが、ちょっと強めに吹き付けるとモモちゃんの尻尾が風に流されるのです。ちょっと迷惑そうな顔をして辺りを見渡していましたよ。
 影向堂のお庭にある「めぐみ地蔵尊」に千羽鶴が供えられました。いったいどんな「めぐみ」を求める方が供えたのでしょう。このお地蔵さんの周辺には、「出世地蔵尊」「商徳地蔵尊」「子育地蔵尊」と、御利益別のお地蔵さんが並んでお堂に入っています。毎朝参詣に来る方を見ていると、それらの中でも特に信心しているお地蔵さんに手を合わせていらっしゃるようです。あほまろが信心しているのがこの「めぐみ地蔵尊」です。昨年までは、お地蔵産の縁日には必ずお線香をあげていたのですが、最近はモモちゃんの通い袋の中のお線香が尽きてしまったまま。いつか買わなくっちゃとは思いつつ、この数ヶ月はお賽銭だけでお詣りをしているのです。
 この「めぐみ地蔵尊」は、全国に存在していますね。以前、テレビのロケで岐阜の瑞穂市の姫街道として有名な美江寺宿に行った時、偶然見付けた「めぐみ地蔵尊」を背景に使わせて頂いたことがありました。その日泊まった宿のご主人から、そのお地蔵さんの由来をお聞きしたのが、うろ覚えですがいつも頭に残っているのです。
 江戸中期の享保時代に、大阪の商人が大垣まで
水路を使ってお地蔵さんを運んでいた途中に泊まった田舎の宿で、“この土地に住みたい”と、お地蔵さんが、運んで来た全員の夢枕に立ったそうです。そのことを村の長に相談をしたところ、大垣からの注文の倍の金額で買い受けてくれ、一宇を建立して村の守り神として現在に至っているそうです。
 でもね・・・。これって、体裁の良い押し売り商法に思えませんか。信仰心を逆手にとった「霊感商法」となんら変わることが無いような・・・。路上でサクラを使った「泣き売」とかとも一緒かな。何はともあれ、それ以来三百年以上も村人に信仰をもたらしているのですから、それはそれとして・・・。
 浅草寺の「めぐみ地蔵尊」とは関係の無い話ですが、あほまろは毎朝、その時のことを思い出しながらお詣りをしているってわけです。

 今年も「示現会」の時期がやって来ました。この行事は、推古36年(628)年の3月18日の早朝に、檜前浜成と武成の兄弟が隅田川で聖観世音菩薩の像を感得した、3月18日に示現御縁日法要が実施されるのです。「示現会」の見所は、浅草神社の本社御神輿三基が氏子衆によって、浅草寺本堂外陣へ堂上げされ、一晩本堂内に安置された御神輿は、翌19日の朝、本堂より浅草寺境内に堂下げされ、宝蔵門前に飾られる行事なのです。

 三社祭で有名な1トン以上もある本社御神輿が、松明に照らされた浅草寺本堂のを昇るさまは力強く荘厳で、無事本堂内に上げられると、集まった大勢の観客から拍手が沸き起こるのです。これも浅草に住む人達にとって大切な氏神さま、古く縁の観音様との再会への感謝の気持ちのようにも聞こえるのです。

   

 今年の「示現会」は、3月18日(土)午後6時25分から本堂への「堂上げ」翌19日(日)午前11時から本堂からの「堂下げ」が行われます。
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『今朝の雷門』
 毎日何の変化も無い雷門ですが、今朝から「示現会」の案内看板が出されました。
   

   
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『今朝の一写』
 まだ何の予兆も無いサクラの枝が五重塔を遮っています。これでサクラが咲き始めると、このアングルの五重塔がとっても映えるのです。サクラが3〜4分咲きの頃にもう一度同じアングルの写真をお見せいたしますね。
  

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『今朝の境内』
 「示現会」の奉納提灯が吊される枠が設置されました。年々数が少なくなっていくようですが、今年は全部埋まるのでしょうかね・・・。確か、提灯一個が一万円でしたっけ。
   
 ご覧ください。これは弁天山のサクラですが、ソメイヨシノでは無く早咲きのサトザクラです。このサクラが浅草で一番最初に開花します。ちょっとずつ開いているのがお判りになりますか?
   
 こちらは母子地蔵の後ろの白梅です。今朝、満開になりましたよ。
   
 紅白2色の珍しい梅は8分咲きです。紅といってもちょっと淡いピンク色って感じですね。
   
 
その中で、たった一つ紅白混じった花を見付けました。見付けた瞬間、思わず微笑んでしまいましたよ。可愛いでしょう・・・。こんなの、あほまろとモモちゃんだけの秘密にしておきたかったのですけど、公開してしまいました。
   
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 今朝の「めぐみ地蔵尊」の話題で思い出したのですが、近年「姫街道」
と名付けられた中山道は、大名行列などの往来が多かった東海道に対しての裏街道。交通量も少なく、滞ることを嫌う婚礼などの通行に好まれたそうです。姫宮たちが都を離れ東国に落ちていく寂しさや悲しみ、期待と不安を運んだこの中山道。観光誘致の一貫として「姫街道」といわれるようにし向けたのが成功し、今では観光ガイドブックや一部の歴史書にもその名前が出てくるようになりました。歴史というのは、総てが史実に基づいているって訳じゃ無い、決定的な証拠のように思いませんか。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5他
撮影枚数44枚