あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年1月14日 (土) 旧暦12月15日友引

- この看板が目に入らぬか -

日記


『今朝の浅草』
 夜半から雨になったようで路面が濡れています。おかげでとっても暖かい朝になりました。古来から「冬の雨が降ると、猫の目も緩む」といわれているように、この時期の雨は気温を上げてくれる効果が有るのでしょう。いつものようにマフラーを巻いて散歩をしていると、首筋がほんのりと汗ばんでくるような。そんな陽気の朝でした。
 江戸の街並みがすっかり定着してきた伝法院通り、砂利のような舗装をされた上を歩く気分は最高です。六区通りの芸能人を見ながら、江戸の街へと続くこの一角、早朝はまだ通行人も少なく、まるでテーマパークのオープン前のようです。この調子で、他の通りにも何かのテーマで飾り付けたとしたら、浅草の街全体が歴史のテーマパークとして親しまれるでしょうね。
 ただ一つ浅草で問題なのは、狭い路地にも車が平気で入って来るってことかな。おまけに路上駐車をする車のおかげで、せっかくの街並みも台無しってことも有るのです。車両通行禁止の看板を取り付けるだけでは効果がありません。今朝も、モモちゃんと写真を撮っている最中にも、後ろからクラクションが鳴らされます。“この看板が目に入らぬか”って言ってやりたいのですが、あくまでも法的には意味を成さない民間設置の看板。この際、警察とも協力をして、決められた時間以外は自動車の進入を許さない法的処置を施しても良いのでは無いでしょうかね・・・。
 昨年12月17日の伝法院通りのオープニングの日から、シャッター絵師の土橋さんの姿を見かけません。靴屋さんのシャッターもあの日で止まったままです。体調を崩していなければ良いのですがね・・・。
 今日の出来事を見ると、「タロとジロ」の日、そんなのがあります。
 南極の昭和基地に置き去りにされたカラフト犬の「タロ」、「ジロ」の生存が1959年(昭和34年)のこの日確認された。「愛と希望と勇気の日」ともよばれる。
 生きていたから喜んだ。それを聞いた日本人が犬達を讃えた。あほまろが子供の頃の出来事、まだしっかりと記憶に残っています。確か、タロとジロのカルタなんてのも買って貰ったことがありました。

 でもね。タロとジロを含む数十匹の犬は、前年の越冬隊員が見捨てて帰ったんですよ。エサも与えず自然死を覚悟でね。それが二匹だけ生存していたからって、「愛と希望と勇気の日」なんて言えるのか・・・。それに、「タロ」、「ジロ」名前、後から名付けたんですって。考えてみたら、美談が好きな日本人向きの逸話でしたね。「タロ」、「ジロ」にとっては、捨てられたり誉められたり、えらい迷惑だったってこと。今でも剥製になってどっかに残っているそうです。
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『今朝の雷門』

 雨が上がった朝、毎日大勢の人が歩く雷門前の石畳は、泥や埃にまみれているのですが、昨夜の雨でそれらも奇麗に洗い流されたようです。台東区の資料によると、毎年台東区を訪れる観光客の総数は3000万人、その半数以上の方がこの雷門を通るのでしょう。一人一人の重量は知れていますが、それが限りなく続くことによって、本堂に続く仲見世の敷石も徐々に磨り減っていくようです。所々新しく取り替えた石畳も、時間と共にどんどん角が丸くなって行く、そんな様子を観察しながら歩くのも、モモちゃんとの散歩の楽しみなのでしょうね。
 昨年暮れから、人に踏まれながらその色合いを薄めている、はとバスのシールが石畳の上に貼り付いています。これって、いつまで貼られているのかな・・・。何の話題も無い朝、あほまろだけが見付けた小さな話題も楽しいですよ。
   

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『今朝の一写』
  新仲見世通りには、お正月飾りと共に往年の芸能人の写真が飾られています。あほまろの散歩が終わる午前8時頃に毎朝この通りを通って帰宅しているのです。この時間はご覧の通りひっそりとして歩く人も少ないのですが、これより1時間前は想像を絶する状態なのです。両側にずらっと並んだ段ボールと青テント、ご存じ世捨て人の寝室と化しているのです。新仲見世商店街と暗黙の了解が有るのでしょう、7時を過ぎると一斉に退去、ゴミ一つ残さない見事な連携プレー。こんなのもちゃんと仕切っている親分みたいな世捨て人が居るのでしょうね。
   
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『昨日の境内』
 毎月18日の観音縁日が近付くと境内に露天が並びます。早朝から設置作業が行われ、宝蔵門前のお店はすでに営業を開始しているのです。ここに出店する露店商は、年間通して自分の場所が決められているので、数年前の写真を見比べても、全く同じ配列なのが楽しいですよ。
   
   
 また茶店の建設が始まりました。もう春の準備を始めるのでしょうか。この場所には、秋は「菊茶屋」、春は「桜茶屋」と風流な茶店と伝統工芸を実演するお店が並ぶのです。
   
   
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 浅草に直接関係の無いお話。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 新春浅草歌舞伎の公園が行われている浅草公会堂前の「オレンジ通り」。道路の舗装がオレンジ色なので、そう単純に名付けられた通りです。舗装をする前は、「区役所通り」と呼ばれていました。昭和21年に、旧下谷区と旧浅草区が合併して台東区となる前までは、公会堂の場所が昔の浅草区役所だったからです。その後も変わることなく「区役所通り」で親しまれていたのですが、浅草公会堂が出来た時から勝手に名前を変えられてしまったってわけです。
 “浅草でなんでオレンジなの”、しょっちゅう聞かれます。これも行政の命名なのでしょうかね。せっかく歴史の深い浅草、せめてもっと風流な「朱色通」とか「渋茶通」など和風の名前でも良かったんじゃないのかな、ちょっと譲って「レンガ通り」とかね。
   


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5
撮影枚数42枚