平成17年3月10日 旧暦2月1日友引

- あれから60年 -


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 あれから60年、今日はアメリカ空軍による東京大空からちょうど60周年を
迎えます。東京都では、この日を忘れずにと、都民ひとりひとりが平和について
考える記念日として、東京都平和の日条例により制定された「東京都平和の日」
です。
 一言に60年といっても、あほまろだってまだこの世に生を成していなかった
時代、当時生まれたた方もすでに60才になられるのですから、あの忌々しい空
襲の記憶もだんだんとこ薄れているのです。
 昨日、60年前の東京大空襲の惨劇の記憶を後世に伝えようと、エッセイスト
で、林家こぶ平らの母でもある海老名香葉子さん(71)が、建立に取り組んで
きた記念碑が上野の山に完成しました。
 上野の山と浅草の隅田公園は、あの日の犠牲者の遺体が仮埋葬された場所でも
あり、海老名さんの提案で母子像「時忘れじの塔」が寄贈されたのです。この母
子像は高さ約3メートル30センチ。女の子が母親のワンピースのすそを握りし
めた姿の石像で、時計も付いているようです。アニメーション作家の有原誠治さ
んがデザインし、幼い日の海老名さんと母がモチーフで制作されたのだとか。
 浅草寺の境内に有る母子地蔵も漫画家のちばてつや氏がデザインをしており、
最近では神々しい偶像よりもより人間味が溢れる漫画的な偶像が好まれるようで
すね。これも、今の平和な時代を反映しているからなのでしょう。
 さっそく見に行こう・・・と、思ったのですが、この母子像の周辺は今月末ま
で、公園整備工事が行われているため、一般の人の立ち入りができないのです。
来月の初めころには公園整備工事も終わるのでそれからかな。
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 浅草言問橋の袂には東京大空襲40周年を記念して、昭和61年の3月に建立
された「戦災により亡くなられた方々の碑」というのがあります。60周年のお
参りに訪れてみました。普段は詣でる人も無く、雑然と枯れ葉に覆われている碑
なのですが、さすが今日の記念日だけは綺麗に片づけられ、お花やお線香も供え
られておりますよ。
 この碑の側に立っている解説には、「戦後40年、この不幸な出来事や忌まわ
しい記憶も、年毎に薄れ、平和な繁栄のもとに忘れ去られようとしている・・」
そうですね、戦後40年ですでに忘れ去られようとしていたのですから、それか
ら20年後の今、もっともっと人々の記憶から消えつつあるのも事実なのです。
 あほまろがモモちゃんと毎朝通っている西参道のお蕎麦屋さんのおばちゃん、
ちょうど疎開から帰ってきたその日の夜に東京大空襲に遭遇したのだそうです。
何一つ持ち出すことも出来ず、家族全員で根岸の知り合いの家に避難して助かっ
たそうですが、翌朝、自宅は思い出と共に総てが消え失せ、おまけに自分の家が
いったい何処に有ったのかすらも分からないほどの状況だった・・・、60年前
の、それも13才の出来事ですが、今も鮮明に脳裏に焼き付いているのです。
 今日はこの日を記念して、浅草公会堂で記念イベントや海老名香葉子さんを囲
んだ記念講演会が行われます。海老名さんは当時11才でしたが、おばちゃん同
様に、当時の記憶は確かなのでしょうね。
 この夏、海老名さんの原作で「うしろの正面だあれ」の続編になるアニメ映画
「あした元気にな〜れ! 〜半分のさつまいも〜」(中田新一総監督)が公開さ
れます。主人公「かよ子」が東京大空襲で兄と二人だけになり、それでも生きて
いく姿、その総てが海老名さんの記憶から蘇った真実なのだとか。どんな形であ
れ、あの忌々しい鬼畜米の仕業を後世に伝え残すことが重要なのです。
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 浅草寺境内には未だに幹に焼けこげが残る銀杏の大木が立っています。戦後6
0周年を迎えたいまこそ、あの「焼けこげ銀杏」を後世に伝えるため、せめて能
書きを書いた立て札でも立て、浅草を訪れる方々にも「過去に戦争が有った」と
いう事実を再認識してもらいたいですね。
 戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます(合掌)

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数50枚
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