平成16年(2004)12月15日 水曜日

- 本堂の大提灯 -

 日記の掲載が遅れてしまいました。実は、今朝浅草寺本堂前の新調された大提
灯が取り付けられたのです。10月30日に取り外されてから一月半、天井から
保護用の網だけがぶら下がっていた惨めな状態でしたが、今日からようやく元の
佇まいを見せてくれるのです。
 いつも通りにモモちゃんと散歩で浅草寺境内を訪れると、本堂の前で足場を組
む工事が行われています。いったい何が有ったのだろうと様子を眺めているとこ
ろに新門の鳶頭が、“大提灯を取り付けるので写真を撮ってくれ”と声をかけて
きたのです。おや、もう取り付けるの、確か18日って聞いていたのだけど・・
・。“その前に取り付けなければいけないだろ、ほらそこに届いているよ”、本
堂の横では、昨夜京都から浅草に運ばれてきた大提灯の手直しが行われているで
はありませんか。こんな大きな提灯を間近に見られるなんて感激ですよ。よく見
ると前のものとは違う文字になっているんですね。とある有名な書家が書いた文
字なのだそうですが、見慣れた文字と違ってちょっと違和感を感じてしまうので
す。
 この大提灯は、京都の老舗「高橋提灯」が請け負って、鳥取県の手すき和紙と
、京都府丹波地方の竹を使って造られたそうです。大きさは直径3.5メートル
、高さ4.5メートル、重さ約600キロの超怒級。ちょっと移動するにも半端
じゃ無く大変なんですよ。
 旅の途中で剥がれた塗装を直し、クレーンで本堂前に組まれた足場まで移動す
るのにおよそ一時間を要し、それから足場を組み直して懸架が終わるのは11時
を過ぎるかもしれないとのこと。それまで、新門の連中は作業を中断して一休み
をするとのことなので、日記のことが気になって我々もここで一旦引き上げてき
ました。
 こんなに寒い朝だっていうのに、モモちゃんと一緒に境内に二時間以上も居る
と心身共に冷え込んでしまいましたよ。この日記を書き終えてからもう一度新し
い提灯を撮影に行ってきますね。
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 浅草凌雲閣ってご存じですか。明治、大正時代の浅草のシンボルとして「十二
階」の愛称で親しまれた日本初の高層建築です。しかし、大正十二年の関東大震
災に」よって倒壊してしまい今では当時の絵葉書などでしかその勇姿を見ること
ができません。また、その跡地を示すものが何にもなく、浅草の歴史を調べる人
達からも良く跡地を訪ねられるのです。
 由緒ある歴史的建造物は無くなっても、それが有った場所を示す何かを残そう
と、地元の浅草西地区商店街協議会が跡地に新しい建物ができたのを機に、所有
者らが銅板に説明文を記した記念碑をつくることになり、今日、その除幕式が行
われることになりました。
 凌雲閣は明治二十三年、東京の上水道設計者でもある英国人ウイリアム・K・
バートンの設計で、赤レンガ三百三十万個を使って建てられた高層建築で、高さ
約六十メートル、日本で最初の高層建築物なのです。建物は八角形十二階で、日
本最初のエレベーターが取り付けられたことでも有名です。当時の文学もこぞっ
てここを訪れ、数々の作品にもその名前が登場しております。特に有名なのが江
戸川乱歩の少年探偵団シリーズですね。
 この場所をパチンコ店「ロイヤル開発」が土地を取得、新しい建物にした機会
にと浅草二丁目町会や六区ブロードウェイ商店街に提案に提案して実現したのだ
そうです。でも、本当に建っていた場所はそのちょっと裏の焼き肉「幸楽」の場
所なのですけど、僅か20〜30メートルは誤差としても良いのかも。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数122枚