平成16年(2004)10月14日 木曜日

- 菊の紋章 -

 ようやく雨の無い朝になりました。ついこの間までの暑さはいったいどこにい
ってしまったのでしょう、とっても寒い朝です。一歩外に出た瞬間、寒さに震え
てくしゃみが止まりません、慌てて家に戻ってコートを着て出直しです。イッキ
に秋になってしまったのですね。寒がるあほまろを余所にモモちゃんはとっても
元気です。
 境内で久しぶりにお逢いしたお友達のお母さんも、モモちゃんの元気な姿を見
てとっても喜んでくれましたよ。最近逢わないのでとっても心配していたそうで
す。そういえば、モモちゃんの退院後は散歩の時間がちょっと早まってしまった
んでしたね。
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 いよいよ明日から浅草寺境内では「菊花展」が始まります。すでに展示スペー
スは完成し、あとは菊を運び込むだけ。境内に大きなトラックが停まっているの
で、きっとこの中で菊たちが飾ってくれる係員を待っているのでしょう。
 これからの一月間、どんどん成長していく菊の花が毎朝の散歩を楽しませてく
れることでしょう。
 「菊」といえば、日本の国花です。それと同時に天皇家の紋章でもあります。
また、第二次世界大戦までは政府の印章でもあったのです。ですから、戦前の切
手やお札には必ず菊の紋章が印刷されています。
 現在、みなさんが普段は滅多にお目にかかれなくなった菊の紋章、実はまだと
っても身近に存在しているのですよ。そう、海外旅行には欠かせない日本のパス
ポートの表紙には、ちゃんと菊の紋章がついているのです。日本の国旗日の丸で
も良さそうなものでしょうけど、明治政府が発行した日本最初のパスポートは、
「日本帝国海外旅券章」と呼ばれ、時の政府の印章であった菊の紋章をつけたの
が始まりです。
 大正時代には「大日本帝国外国旅券」となり、菊の紋章をそのまま継承して、
昭和20年の終戦まで続いたのです。その後連合軍の占領によって、菊の紋章は
天皇家だけの紋章とされ、政府行政機関も使用を禁止されたのでした。
 その後、昭和26年連合軍の占領から解放され、晴れて独立を勝ち取った日本
政府が独自にパスポートを発行出来るようになり、独立のどさくさを良いことに
、占領軍の思惑を無視して再び菊の紋章を用いて発行してしまったのです。
 天皇と国家を切り離したとはいえ、数千年間続いた天皇国家日本の伝統をどこ
かに残しておきたかった当時の外務省の役人達の意地でもあったようです。日本
人と「菊の紋章」は切っても切れない因縁なのでしょうね。あらためてあなたの
パスポートをご覧になってみてください。16弁菊花が光ってますよ。
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 「菊の紋章」の話題になってしまったついでに、日本の国旗についてもおもし
ろい逸話が残っています。日本国旗「日の丸」のいわれは、聖徳太子が遣隋使に
託した、「日出ずる国」からの使者が最初といわれています。赤い日の丸は日の
出の太陽を象徴し、紅白は日本のめでたいものの伝統色。赤は博愛と活力、白は
神聖と純潔を意味するとも言われています。
 旗として正式に採用されたのは、明治3年に制定された太政官布告、第57号
商船規則に基づいて、日本船舶の目印旗として採用されたのが最初でした。これ
が世界中で日本の国旗と思われるようになり、なんとなく国旗としても使われる
ことになってしまったのが始まりなのです。
 1990年には、各地の高校や大学の入学式で日章旗を掲揚するか否かの議論
が高まり、国旗、国家論争の中に必ず話題になった「天皇問題」が騒がれました
が、明治政府が日の丸を日本船舶の目印旗に起用するに関しては、天皇との関わ
りなど全く無かったのですけどね。それに、国旗としても定められていなかった
のです。
 日本の国旗「日の丸」が、正式に日本の国旗と定められたのは、なんと、平成
11年8月、「国旗及び国歌に関する法律」によって正式に国旗と定められたの
ですよ。それまでは、なんとなく国旗だったんですね。
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 この日の丸が売られようとしたことがあります。その変わりに新しい日本の国
旗として旭日旗が考えられたなんて経緯もあるのです。今、あほまろはこの「日
の丸」と「旭日旗」正式名称「十六条旭日旗」の由来に関して調べております。
明治政府の思惑と、戦後日本の意地の結晶ともいえるこれらのお話、いずれ出版
も視野にいれて執筆中なのです。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数16枚
明治期の手彩色絵葉書