平成16年(2004)8月18日 水曜日

- おかあさん -

 一雨ごとに暑さが緩んできますね。浅草では昨夜の雨も上がり爽やかな観音縁
日を迎えております。今朝は訳あっていつもより早い6時過ぎの散歩です。この
時間は、境内に読経が響きわたっております。ドンドンドンと太鼓の音色を聞い
ていると、何故かいつも、子供の頃母に手を曳かれてお寺にお参りした記憶が蘇
ってくるのです。
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 浅草寺境内奥山に、日本のナイチンゲールといわれた瓜生岩子女史の銅像があ
るのをご存じですか。明治の始めの戊辰戦争の戦乱で傷ついた兵士や子供たちを
敵味方の区別なく救助し、戦乱終結後は教育も受けられずにいる会津藩士の子弟
たちの為に私費を投じて幼年学校を設立し、習字・珠算などの教育を行い、日本
で本格的な慈善事業を始めたのでした。
 また、有力者たちの援助もあり、會津若松に済生病院を設けて、無料で医療を
行い、婦女子に教育も施しのでしたのです。あの、野口英世の母も岩子の協力で
産婆の資格を取得したそうですよ。そんな混乱期の社会福祉運動の先駆ととして
有名な方なのです。
 なぜ、今更瓜生岩子女史を紹介するかというと、この銅像を見ていると、遠く
離れた札幌で長い間病床についているあほまろの母親の姿を彷彿させるからなの
です。そんな訳で、毎朝モモちゃんと一緒に母親に“おかあさんおはよう”と挨
拶しているのです。
 あほまろの母親は、瓜生岩子女史のように立派な人じゃありません。母親の父
は、材木問屋の次男坊で床屋の技術を身に付けて北海道に渡り北海道の女性と結
婚、そこで母を産んだのでしたが、産後の肥立ちが悪く母親の命と引き換えにこ
の世を去ったそうです。きっと子供に親の夢を託して去っていったのでしょう。
 その後、当時警察官だった父親と結婚して幸せな家庭を創り、かわいいあほま
ろが生まれたのでした。そうして、ある意味では親が子供の将来を考えて、しつ
けを厳しくされる毎日、厳しくすればするほど正直、親を嫌いになった時期もあ
りました。
 そんな思い出も今となっては懐かしい思い出です。どんな親でも自分の子ども
のしあわせを考えない親はいません。親が子供のしあわせを考えて、一生懸命努
力しているのに親はなぜ子どもに恨まれなければならないのでしょうか。
 ここに親子間の価値感の相違があったのでしょう。それは自分が親になってよ
うやく判ることなのかも知れません。親は親としての立場で子どもの幸せを考え
るであろうし、子供は子供で自分なりに幸せを考え、世代間の考え方のずれがあ
るからでしょう。
 でも、両親の基本的な考え方は、「子供に自分のしたいことをさせる」という
考えかただったような・・・。そのために、“したいこと”が、“わがまま”に
ならないように厳しく導いてくれていたのでしょう。けして、見せかけのいい子
にだけはしたくなかった。それが今のあほまろ・・・。
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 今朝5時。あほまろの母親は、8年間の病床生活を無事終了。ようやく退院す
ることができたのです。そして、何年ぶりでしょう、久しぶりに最愛の夫との再
会をも果たしたようです。
 そのうち、あほまろも天国で再会するのでしょうが、きっとその時もまだ、子
供のままで扱われてしまうんだろうな。
 おかあさん・・・。(合掌)

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数20枚