平成16年(2004)8月17日 火曜日

- 昭和8年 -

 どんどん涼しくなってきました。表を歩いている人の中には長袖のシャツや、
薄いカーディガンを着た人もいるのですよ。そうですね、ちょっと涼しくなって
も室内は猛暑の時と同様にエアコンギンギンですからね。あほまろ家では、昨夜
からクーラー無しでも快適な睡眠を得ることができたのですよ。
 昨日のネットニュースで、関東を中心に猛暑となった7月20日、足立区江北
では最高気温が42.7度に達していたことが、都環境科学研究所の調査結果で
分かったそうです。気象庁の発表では、東京都内は39.5度と発表されたので
すが、このデーターは正規観測とは条件が異なるため、参考値として記録してお
くそうです。過去の国内最高記録は、昭和8年7月25日、山形市の40.8度
でしたが、今回はそれを更に上回ったのですね。足立区と台東区は隣同士、あの
日のことを思い出すと、またまた熱がでそう・・・。
 「都心ほどヒートアイランド現象が顕著にみられる。昼と夜では高温域も異な
り、ビルや車の排熱、土地利用形態の影響などを調べていきたい」ですって。
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 昭和8年といえば、浅草においても様々な出来事があった年です。当時、東京
の歌劇団といえば、浅草国際劇場を舞台にその名が知れ渡った東京松竹楽劇部が
松竹少女歌劇団と改称し、東京・有楽町の数寄屋橋のたもとに完成した日本劇場
(日劇)にその活動を移した年なのです。
 また、東京松竹楽劇部で水の江滝子を委員長にして待遇改善要求のストライキ
が実施され、湯河原温泉の旅館に立てこもった事件なんてのもあったようです。
この時の首謀者は水の江滝子さんだったそうですよ。謹慎処分を受けたとか。
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 また、昭和8年の浅草は東京都恩師公園整備の予算によって、大規模な区画整
理が行われた年でもあります。それまで、雑多だった奥山から六区のかけての商
店の路上はみ出しを揃えられ、沿道にはお揃いの街灯が取り付けられました。
 「丸の内音頭」を東京の盆踊り歌に改作した、ヤクルトの応援歌でおなじみの
「東京音頭」も、この年の7月に発表され、そのお披露目もこの沿道を使って行
われたのです。
 ♪ ハアー 踊り踊るなら チョイト 東京音頭 ヨイヨイ ♪
 歌詞の中にある、“花の都の真ん中で”ってフレーズ。丸の内音頭ではもちろ
ん丸の内だったのですが、当時の花の都の真ん中は、誰もが認める浅草だったの
かも知れませんね。
 そんな名残がまだ残っているってのを知ってますか。ようやく倒産騒ぎから抜
け出して落ち着いた「花やしき」の並びに今も立っているんです。もはや、民家
の一部に取り込まれてしまったかのように佇んでいる街灯の柱ですよ。
 その一本には、当時流行ったアールデコ調の飾り金具も残っていますよ。あれ
から71年、東京大空襲にも絶えてきた街灯です。瓢箪池の周辺を散歩する人々
に安らぎを与えていた街灯には、たぶん当時流行していた「スズラン灯」が付い
ていたのでしょうね。
 このまま民家と共に朽ち果ててしまわないうちに、台東区で保存してはいかが
でしょうか。上野の下町民族資料館なんてのに、ピッタリなんですけどね。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数32枚