平成16年(2004)5月26日 水曜日
- 火消し装束 -

 東京は梅雨に入ってしまったのでしょうか、今朝はとっても湿気が多く、そう
熱くはないのですが歩いていると身体全体が汗ばむようです。こんな日はモモち
ゃんも歩くのが嫌なようで、いつもの場所で用を済ませると、もう帰ろうと我が
家の方に引っ張るのです。でも、そうはいかないですよ、こっちはこっちで毎朝
の日記ネタを探しに観音境内を散策しなければいけないのですから。
 後ろを振り返りながらいやいや着いてくるモモちゃん、なにか急に老いが進ん
でしまったような様子にも見えてくるんです。なんだか、歩くのもかったるそう
ですよ。いつものように、“かわゆ〜ぃ”なんて黄色い声をかけてくる女子高生
達にも見向きもしないのです。おかげで、お話も出来ないじゃないですか。
 今月の行事も一通り終わった観音様の境内はひっそりとしているのですが、園
芸業者がサツキ売りの準備を行っておりました。毎年この時期になると時々この
ような園芸市が開催されています。そう、来月はいよいよ四万六千日のホオヅキ
市ですね。これから夏に向けて色とりどりの花が殺風景な境内を賑わせてくれる
のですよ。
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 あほまろは火消し装束フェチとでもいいましょうか、半天にもも引き姿の江戸
消防記念会スタイルにたまらない魅力を持っています。お祭りや祝い事で集まる
鳶頭達を見ると、鳥肌が立つほど興奮してしまうのですよ。そんな訳で鳶頭の友
人も多く、親しくなると半纏を寄贈してしまうほどの凝りようなのです。現実、
あほまろがあげた半纏で仕事を仕切っている鳶頭の姿に、何物にも代え難い喜び
を感じるのです。
 あほまろは江戸風俗を研究しており、鳶頭達との友好のおかげで江戸火消しに
ついてはちょっと語れるほどのノウハウを積んでおります。江戸時代、実際にこ
の様な格好で火消しを行っていたかは別として、錦絵や絵草子に描かれた火消し
の格好は半纏の上に刺し子といわれる厚手のキルティングを着て、現場に入る前
にはバケツ一杯の水をかぶって刺し子を濡らして飛び込むのです。
 現在の格好は、そんな現場には向かない儀式用。そのため、みなさんが着てい
る半纏はすべて羽二重で出来た高級品。こんなの火事現場に着ていったら一瞬に
して解けてしまいそうですね。
 徳川八代将軍吉宗の時代、時の町奉行・大岡越前守忠相の唱導で江戸市中に、
「いろは48組」(イロハ仮名47の内「へ」、「ひ」、「ら」が無い変わりに
、「本組」、「百組」、「千組」、「万組」の4組を加えた48組)の町火消し
が誕生した時に作られたこの装束、位によって色やマークが違います。
 各組の長を「組頭」とし、「副組頭」、「小頭」と続きます。ここまでが火消
し三役と称され、肩に赤筋が入った半纏を身につけることができるのです。また
、背中には江戸文字で描かれた組番だけでした。これら三役は火事場で現場に入
ることも無く、安全な場所で的確な指示を与えるのです。
 それに続く現場係にも当然位があります。現場の長は「筒先(つつさき)」と
呼ばれ、背中のマークにも役職が書かれております。ここまでがいわゆる鳶頭(
かしら)と称される存在。次に続く現場者として、「纏(まとい)」、「梯(は
しご)」、「刺又(さしまた)」、「平人(へいにん)」と続くのですが、現在
では刺又以下の序列は有りません。
 火消し装束が大勢集まっているところでは、半纏の印でも江戸時代を偲ぶこと
ができるのです。これも、魅力の一つですね。
 江戸時代から紛糾した事態を解決することを「火消し」といわれておりました
。鳶頭たちは、単に火事の際の消火に当たるだけでなく、町内で揉め事が起きた
場合の仲裁役も務めていたのです。また、現在もそうですが、祭りの仕切や祝儀
不祝儀の手配など町役の上の立場でもあったのです。
 「火消し」のことを「鳶(とび)の者」と称するようになったのは、消火時に
使う鳶口(とびぐち)から来ているのです。
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 昨日の「弥生祭」の様子は、撮影総数446枚と膨大な量になってしまいまし
たが、その中から90枚を選んで公開中です。 勇壮な纏の演技と梯子乗りを、「
あほまろ写真館」でご堪能ください。

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数18枚
昨日の弥生祭
Canon EOS-1Ds
撮影枚数446枚