今にも雨が降り出しそうな母の日の朝です。あほまろの母は病床に着いたまま
、7年の歳月が流れました。今まで何度か危篤の通達で慌てる兄弟家族の心配を
乗りきりながらまだ生きています。何の言葉も態度も反応も無くても、チューブ
で注ぎ込まれる栄養だけで、弱々しく息をする母の姿を見ているだけでも子供達
としては安心なのです。どんな姿に成ろうともお母さんなのですからね。
あほまろが始めて母の日のプレゼントを贈ったのは、東京に出てきた年の初め
てのアルバイトのお金で買った鎌倉彫の下駄でした。先月北海道で暮らす妹から
母の危篤を知らされ女房と駆けつけたのですが、我々の気を感じ取ったのかその
翌日から危篤状態を抜け出して、今も弱々しい息をしております。
久しぶりに実家に泊まり、母の部屋に仕舞われている一度も使われず、二度と
母に履かれることのない鎌倉彫の下駄を見ていると、不思議と36年間の時の流
れなど全く感じず、このままあの世にまで持って行かせたくもなりました。
浅草寺をお参りする元気な老人たち。わいわい大きな声でおしゃべりしながら
記念写真を撮っています。“息子にもらったんだけど、使い方が良く解らない”
ちょうど母親と同じ年頃のおばさん、デジカメを振ったり叩いたりしているので
す。あほまろは慌ててそれを止めさせ、見てあげるとメモリーがいっぱいになっ
ているだけ。でも、ちゃんと予備のメモリーもストラップの袋に入れてありまし
たよ。福島県で電気屋を経営している息子が、母の日のプレゼントと送ってくれ
たそうです。旅行から帰ったらプリントしてあげるので、そのまま持っておいで
と言われたそうです。
そういえば、あほまろの母が元気なころ、旅行に持たせたカメラを母はどこか
に忘れてきたってことがあったっけ。たしか、あれも母の日のプレゼントだった
ような・・・。
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三社祭の準備が着々と行われております。今朝は、あほまろの町会の神酒所の
寄付掲示板と、お囃子の屋台造りが始まりました。こんなのを見るだけで、すで
に頭の中では、祭囃子が鳴り響いているのです。祭りは僅か3日間ですが、この
お囃子の快適なリズムは、終わってから暫くの間、頭の中で鳴り響いているのと
一緒なのでしょう。
お祭りに間に合わせるように注文しておいた提灯が出来上がってきました。雷
門の提灯を造っている京都の高橋提灯屋が、雷門の大提灯新調の記念に同じ素材
で制作するミニチュアを売り出すというので、さっそく注文をしておいたのでし
た。本来は後ろの文字は「風来神門」と書かれるのですが、特注で「亜寳麿裕寳
」と名前を入れてもらいました。
全長約60センチ、本物の1/5でのミニチュアですが、なんたって本物の素
材の余りで造られた提灯です。その雰囲気と迫力に圧倒されますよ。今後あほま
ろが主催するイベント等でお披露目しますね。
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昨日、台東区生涯学習センターで、美しい東京をつくる都民の会が主催するシ
ンポジュームが開催されました。江戸東京博物館の館長竹内誠氏の基調講演で、
今年は「江戸開府四百元年」を唱えられ、これからが本当に江戸からの文化を現
代生活との融合を謀らなければならないのですと、3つの提案をなされました。
1、旧丁目の復活
何々町、“まち”それとも、“ちょう”。地域住民が勝手な呼び名を付けてし
まった町名の何の根拠も無い呼称を正し、みんながわかりやすい呼び名に改め、
伝統と文化を有した地域の旧町名を復活させたいという運動です。現在台東区に
おいても、動きは有るのですがそれを具体的推し進めるそうです。
2,日本橋に空を
日本橋は日本の中心であり、道路原票をも有する場所。そんな大切な橋がまる
でトンネルの様になってしまった現状を打破し、空が見える日本橋にしたい。こ
の問題は、国土交通省とも協議を進めているのだが、大臣が代わってしまって、
宙に浮いている。なんとかもう一度真剣に考えて貰えるように政府に働きかける
とのことでした。
3,千代田城の再建
これは夢物語ですが、明暦の大火で天守閣が消失したのは1657年、その四
百年後の2057年の記念行事として復活したら楽しいでしょうね。そんな夢物
語を現実の物とするように努力していきましょう。
立て前の歴史から本音の歴史を見直していけば、より豊かな生活を創造でしる
ことを楽しく語っていただきました。
その後、浅草観光協会の荒井氏と、あほまろもパネラーに加わって、「江戸の
風景〜下町あれこれ〜」と題したパネルディスカッションが開催されたのです。
あほまろは、毎朝の散歩で感じる町並みの変化について熱く語らせて頂きまし
た。また、古い絵はがきから考察した「雷門」の今昔のパネル展示も行ったので
す。
新調した提灯も持って行きたかったのですが、真面目な講演会なので・・・。
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