平成16年(2004)1月27日 火曜日
- 1947年 -

 あほまろが生まれた年は、戦争が終わって二年目の昭和22年(1947)で
す。学校も社会も競争競争で落ちこぼれる暇も無かった、いわゆる団塊の世代の
ど真ん中を生きてきました。日本中が貧しいながらもたくましく戦後の復興と、
今の経済成長に向かって努力して来たのです。
 今日は初っぱなから何を言いたいと思われたでしょうか。実は、昨日から東京
の上野などJRの主要六駅のコンコースに戦後の焼け野原や孤児、闇市などの記
録写真を展示する「1947 TOKYO」の巨大ポスターが貼られました。こ
のポスターは、来月封切られる映画「この世の外へ、クラブ進駐軍」の宣伝なの
です。
 太平洋戦争が終結し、焦土と化した日本に戦勝国であるアメリカから進駐軍が
やってきて、戦後日本にもたらしたものはいったい何だったのでしょう。戦争直
後の東京を舞台に、音楽を武器に生きぬく若者たちが出した答えがこの映画の中
に描かれているようです。「武器より楽器なんだよ」それぞれ悩みを抱えながら
も自力で立ちあがる5人のジャズメンの物語です。
 「1947年。何もない時代の、何でもありの男たちのストーリー」
 あの貧しかった子供の頃、進駐軍から貰ったチュウインガム、寝るときには、
水を入れた茶碗に入れて何日も何日も楽しんだっけ・・・、そんな思い出が蘇っ
てくるのでした。巨大広告に立ち止まってじっくり見入っているのは、やはりあ
ほまろと同じ境遇で育った団塊の世代の方々です。知らない同士でも妙に意気投
合してしまう雰囲気なのです。
 浅草寺五重塔通りに建設中の山門の六区側の覆いが取れました。こちら側は、
簡単な鉄柱だけのようですが、他方の浅草寺側は結構本格的な門になるようです
。再来年に開通する常磐新線浅草駅で降りる客を迎えるためなのでしょう。この
常磐新線「つくばエクスプレス」は、茨城・つくばと東京・秋葉原を45分で結
ぶ鉄道で、平成17年度の開業を目指して建設中です。国際科学技術都市「つく
ば」と東京都心を直結することにより、首都圏北東部地域の交通体系の整備や常
磐線の混雑緩和を図り、沿線地域の活性化と快適な居住エリアの創出を促進し、
人・物・情報の交流を密接にします。
(ホームページより)
 山門が完成しても、沿道を飾る商店街が乏しいこの一帯、これからそっちの方
も充実しなければお客さんが通ってくれないのでは・・・。
 テレビの全チャンネルで、学歴詐称で話題の議員の涙の訴えが流れています。
自分が卒業したかしないかを確かめにアメリカまで行ってきたようですが、派手
な衣装で祝うアメリカの大学の卒業式で卒業証書を貰ったか貰わなかったかなん
てこと忘れる訳無いじゃないでしょうか。
 街頭演説では、党を離れて政治活動を続ける意向を明らかにし、任期中は議員
報酬を受け取らない・・・。それで、有権者に許して貰いたいとでも言っている
かのように涙ぐみながら発言をしておりました。そして、これから残った単位を
習得して本当の卒業をしたい・・・。でも、本人は良くても選挙公報に卒業と虚
偽の記載をした“罪”を逃れることは出来ないのですよ。
 苦労知らずに育った古賀潤一郎お坊ちゃん。ウソの上塗りに成らないうちに、
ここは素直にごめんなさい退陣をして、団塊の世代を生き抜いて来た先輩たちの
根性を“5人のジャズメンの物語”に見習ってからの再出馬って道。考えた方が
良さそうですよ。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数29枚