平成16年(2004)1月18日 日曜日
- 火の用心 -

 昨夜は雪になるとの予報でしたが、浅草では、夕方になって霧状の雪がほんの
少し舞っただけで、期待したような雪にはならなかったようです。期待なんてい
うと不謹慎かもしれませんが、毎日同じ景色を眺めて暮らしていると、ちょっと
は変わった光景でこの日記の写真を飾ってみたい、ただそれだけですけどね。
 昨日取り付け作業を行っていた、節分の奉納提灯が完成しました。節分は、い
つもの顔ぶれとはちょっと違って、役者や有名人の名前も多く見られます。これ
って、本当に有名人たちが一万円を払って奉納したのでしょうか、そんな訳ない
でしょうね。きっと、有名人以外の奉納者は、この分も含めた金額を払っている
のでしょう。節分は有名人の名前で人を集めるってのは、どこの神社仏閣でも行
っているようです。昔は年男じゃなければ参加出来なかったこの浅草寺の節分会
も、最近では、お金を払うと誰もが参加することが出来るようです。もっとも、
お金を払ってまで自分の名前を売りたい人種は、政治家先生だけでしょう。今年
も、とある、落選元大臣も名を連ねるのでしょうね。落語家と並んで・・・。
 四月から消費税の表示が変わるようですね。仲見世に貼られているポスターを
見ると、客がいくら払ったら良いかが解るように、正札や広告には、税金を含ん
だ金額を明記することが義務付けられるようです。「¥100+税」なんてのは
だめで、「¥105(税込)」との表示を徹底させるのが狙いのようです。それ
じゃ、今流行の「100円ショップ」は、「105円ショップ」と名前も変えな
ければいけないのでしょうかね。すべて、内税表示が徹底してから、おもむろに
消費税の引き上げ・・・、そんな企ても見え隠れしている今回の財務省通達でも
あるようです。
 寒くなると火を使うことも多く、年間を通して火災が多くなる時期でもありま
す。今朝も散歩中に、けたたましいサイレンを鳴らしながら消防車が数台走って
いきました。
 そういえば、今日1月18日は、江戸最大の火災「振り袖火事」が起こった日
ですね。本郷円山の本法寺にて、恋に狂った16歳の少女の棺桶に掛けられた振
り袖の怨念を払おうと、住職はお経を上げながら、ほかの供養物と一緒に振袖を
燃やしたところ、燃え残った振袖の切れ端が、火の粉に混じって勢いよく舞い上
がり、寺の本堂に本堂に燃え移り、この火が江戸中に燃え広がったのが、明暦の
大火、いわゆる「振り袖火事」になったのだと伝えられております。
 これは、長年伝えられてきた明暦の大火の出火原因とされるいわゆる“お話”
。この火事の真相は、同じく本郷円山の老中の阿部忠秋宅で、侍女が転んだとき
に持っていた手燭から燃え広がったものだといわれております。ただ当時の幕府
も、老中宅からの出火とあっては幕府の沽券に関わるということで、本妙寺が承
知の上で火元の濡れ衣をかぶったそうです。
 本郷円山本妙寺付近から出火した火は、三日間も燃え続け、小石川伝通院や、
江戸城の本丸も含め、江戸の町の六割以上が焼土と化し、十万人以上の尊い人命
がうばわれた、わが国の火災史上最悪の火事となったのでした。
 幕府は火災で亡くなった方々の亡骸を手あつく葬るようにと、隅田川の東岸に
土地をあたえ、「万人塚」という墳墓をもうけました。そして、徳川家の菩提寺
増上寺の二十三世・遵誉上人が「回向院」を建て冥福を祈ったのでした。
 この火事を機に、幕府は江戸消防いろは四十七組を組織したのでした。その時
に組織されたいろは四十七組は、「江戸消防記念会」として存続しており、毎年
出初め式やお祭りの赤筋の半纏でおなじみですね。でも、現在は消防の働きは無
いようです。あほまろの友人にも鳶頭がおり、近所で火事が起こった時に、刺し
子を着て飛んでいったのですが、消防隊員にじゃまだと追い出されてしまったそ
うです。“どうせ、追い出されるのなら、纏を持って駆けつけてやれば良かった
ぜ”、そんな冗談も。何はともあれ火の元にはご注意あれ。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数30枚