2003年12月5日 金曜日


今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数26枚

旅の想い出

 新幹線と近鉄特急でひとっ飛び、往復
で1月以上もかかった弥次喜多道中とは
似て非なるお手軽旅行でしたが、無事お
伊勢詣りから帰ってまいりました。
 伊勢詣でのお土産は昔から「赤福餅」
と相場が決まっているようなので、ご相
伴に預かり、友人と家族のお土産に買っ
てきたのは良いのですが、これが名古屋
駅でも東京駅でも売っているじゃありま
せんか。わざわざ伊勢から担いでくるよ
うな代物では無かったようですね。おま
けに、女房はどこでも買える夕食の食材
まで抱えて帰ってきたのでした。
 三日ぶりの浅草ですが、出かける日と
変わったことといえば、更に寒くなった
ことと、仲見世の正月飾りが完成したこ
とくらいでしょうか。それよりモモちゃ
んの嬉しそうなこと、歩きながらあほま
ろの顔を確かめるように、何度も後ろを
振り返えりながら歩いているのでした。
僅か三日間でしたが、モモちゃんにとっ
ては長い時間だったのでしょうね。我が
家の犬たちへのお土産も、何処でも売っ
ている焼き鳥でしたが、名古屋コーチン
の焼き鳥はちょっと贅沢だったでしょう
かね。
 昨日は、松坂市に寄って江戸中期の国
学者「本居宣長」の博物館を見学してま
いりました。伊勢商人の息子として産ま
れながら、商売を捨て京に上って医学修
業のかたわら、源氏物語などの研究。後
に賀茂真淵に入門して古道研究を志し、
三十余年を費やして大著「古事記伝」を
完成した人です。
 以前から彼の功績は知っていたのです
が、博物館の年表によると、賀茂真淵と
は、松坂の旅籠でたった一度逢っただけ
だったようです。それでも、入門といえ
るのでしょうか。良くあることですが、
有名人とお会いして一言二言お話をした
としたことで旧知の仲と、世間に言いふ
らしているような・・・。感じかな?
 何はともあれ、「古事記伝」の完成を
みた曉には、世間では賀茂真淵よりも有
名な国学者さま。どっちかというと、僅
か一度の出会いを、賀茂真淵が自分の弟
子で有ったと言いふらしていたのかも知
れませんね。膨大な資料を読みながら、
そんな歴史のロマンも感じ取れる博物館
でした。
 松坂市立歴史民俗資料館において、「
なつかしの看板」展を開催中との案内を
発見、さっそく行ってきました。江戸時
代から昭和にかけてポピュラーな広告媒
体として各地で見られた、置き看板、板
看板、琺瑯看板など92点を展示し、今
回の企画展の中心は、津市在住の浜口博
司さんが収集したコレクションの一部を
借り受けたものだそうです。
 それも、ここに展示されている琺瑯看
板は総て超一級の珍品揃い。コレクター
のあほまろとしては垂涎の的。これだけ
集められた浜口博司さんとはいったどん
な方なのでしょうね。こんなの見せられ
たら、今回の旅行の主旨までも失われて
しまったようなショックを覚えたのでし
た。
 企画展「なつかしの看板」は、来年1
月28日まで、松坂市立歴史民俗資料館
に於いて開催されております。明治〜大
正期の仁丹系の看板がとっても充実して
おりますよ。
 色々と解説をしていただいた学芸員の
方と鈴木館長にはとってもお世話になり
ました。機会が有ったらもう一度訪ねて
みたい資料館です。(写真中央)
 浅草寺裏広場では、注連縄市の小屋懸
けの準備が行われております。注連縄飾
りは普通は松の内が過ぎればはずすのが
一般的ですが、伊勢の注連飾りは、一年
間かけたままで過ごす風習があるそうで
す。
 それも、注連飾りの中央に「蘇民将来
子孫家門」あるいは「笑門」「千客萬来
」などと墨書きした木札が付き、左右に
シデやウラジロなどを飾った太い注連縄
なのです。
 それは、「その昔、この地を訪れたス
サノオノミコトに、貧しいながらも慈悲
深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコ
トは旅立つ時、今後は門符を門口にかけ
ておけば、子孫代々疫病から免れると言
い残した」という伝説があるからだそう
で、蘇民の子孫である証拠として門符を
掲げ、無病息災を願うようになったそう
です。つまり、家内安全の祈りを込めた
「厄除け」の門符なのでしょうね。
 ちなみに「笑門」とは、後に「蘇民将
来子孫家門」を縮めた「将門」で、平家
の落武者が住むこの一帯なので、これが
平将門に通じるのを嫌って「笑門」にな
ったと言われているようですが、本当は
落武者で有っても堂々と平将門様を飾っ
ておけるこということが、このような風
習を生んだのかも知れませんね。
 何か、伊勢の話ばっかりになってしま
いましたが、久しぶりの旅行でまた一つ
ウンチクが増えた喜びなのですよ。