2003年10月4日 土曜日


今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数35枚

サクラになった日

 浅草寺宝蔵門の「小舟町」の大提灯が
、帰ってきました。
 今年の8月3日、雷門の大提灯と引き
換えに京都の提灯屋さんに持っていかれ
てしまってからちょうど2月で戻ってき
たのです。雷門の提灯は3月以上もかか
ったのですが、ちょっと早めの完成です
ね。これも、今、行われている「大浅草
まつり」に賑わせを添えるために急がし
たのでしょうかね。
 この2月の間、寂しかった参道でした
が、これでようやく元の雰囲気に戻った
のです。真新しい大提灯の鮮やかな朱色
がとっても眩しく感じましたよ。次は、
傷みが激しくなった本堂前の大提灯「志
ん橋」ですが、これは平成六年に造くら
れたので、もうすこし、このままで我慢
をしなければいけないのでしょうね。
 旧暦の九月九日は、重陽の節句です。
奈良時代より宮中で観菊の宴が催された
ことによって、別名菊の節句とも呼ばれ
、江戸時代には、五節句の中で最も公的
な性格の強い節句だったようです。この
時期は、ちょうど田畑の収穫も行われる
頃、農山村や庶民の間では栗の節句とも
呼ばれて栗ご飯などで節句を祝ったとい
うことですが、旧暦から新暦にこよみが
移ってしまい、新暦の9月9日には、ま
だ収穫の時期ではなくなってしまったこ
とで、すっかり忘れ去られてしまった節
句でもあります。
  1月7日、七草粥で新年を祝う「人日
(じんじつ)の節句」
  3月3日、ひなまつりとして有名な「
上巳(じょうみ・じょうし)の節句」
  5月5日、男の子の成長を祝う、こど
もの日「端午(たんご)の節句」
  7月7日、おり姫、ひこ星の物語で有
名な「七夕(たなばた)の節句」
  9月9日、菊花の香りの酒で月をめで
る「重陽(ちょうよう)の節句」
 五節句それぞれは、宗教行事として、
地域のおまつりとして、また子供たちの
成長を祝う祝日として、様々な形で私た
ちの暮らしの中にいきづいていますね。
日本人の生活のリズムを風流に適合させ
た節句。
 清らかに薫る菊の花に永遠の命を見た
昔の人々以来、9月9日の節句には、さ
まざまな形で菊を用いて不老長寿が願わ
れるのです。
 平成中村座に行ってきました。桜席っ
てところで、役者衆の頭頂、うなじ、背
中、書割の裏、もちろん幕内、そして客
席の様子までもじっくりと拝見すること
が出来たのです。今回の席は、女房が左
桜席の3番で、あほまろが4番でした。
このたった1番違いですが、この桜席は
大きく違うのです。例えば、「本朝二十
四考」の狐火の段では、天井から3番と
4番の間に桜の花が垂れ下がり、また、
書き割りの塀も同じ位置に出てきます。
そんなわけで、3番は、書割の裏の向こ
うに役者の背中があり、4番は、普通通
りに役者の後ろに書割が見えている格好
になるんですよ。これが、もっと奧の1
番2番になると、もうすっかり舞台の裏
から観ているようになってしまうんです
ね。また、手前の6番の席は、ちょうど
定式幕の境目の辺り。ここは坐ったまま
で幕外・幕内が同時に見れる席なのです
よ。
 舞台の幕間がまた楽しいのです。裏の
テントを開けるとすぐ外なのです。外の
テントに入れられた大道具を、まるで、
パズルの正解を披露しているかのように
手際よく造りあげていくのです。こんな
様子は、テレビでも観ることが出来ない
でしょうね。いつもなら退屈な歌舞伎の
休憩時間ですが、昨夜は退屈ところか、
あっという間に終わってしまったって感
じでした。
 こうなったら、いったいどの席が良い
のかはお好みですが、あたしゃ、1番の
席が羨ましかったかもね、舞台の真裏か
ら歌舞伎を観るなんてこと、絶対に無い
んですから・・・。
 芝居が終わり、役者さん達が控え室に
戻るのは、下手側、いわゆる左側なので
す。ほとんどの役者衆が我々の席を見上
げて丁寧な挨拶をして帰っていきます。
これって、背中に金色の屏風を背負った
ひな壇に飾られたような「お大尽席」よ
りも、う〜んと、凄いとこだって、実感
しましたよ。
 平成中村座には、当日券も有ります。
二階の奧の席だけですが、江戸時代の芝
居小屋さながらの雰囲気を充分に楽しめ
ますよ。みなさんもご覧になりませんか
。来年は大阪公演が決まっているそうな
ので、次の東京での公演は、2年後って
ことになるのですから。