2003年8月14日 木曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数22枚
M24

あの頃の・・

 今は、夏ですよね。そんな事を疑いた
くなるような、肌寒い雨の朝を向かえて
しまいました。ベッドの中で外を眺めな
がら、早く小降りにならないかな・・、
雨は一向に止む気配なんてありません。
仕方がない、出かけるとするか。
 いつもより1時間近くも遅い出発とな
ってしまいました。夏休みとあって、境
内には親子連れが多く、モモちゃんが可
愛いと近寄ってくる子や、モモちゃんを
怖がって、泣き出す子供もいました。子
供の一人が。モモちゃんと一緒に写真を
撮りたいと、あほまろにカメラをを差し
出すと、他の子供達も一斉に近寄って来
ました。
 旧盂蘭盆会の祭壇が飾られている本堂
は、時ならぬモモちゃんと一緒の撮影会
となってしまいましたよ。なんと、行列
が出来てしまったんです。モモちゃんも
慣れたもので、ちゃんとお座りをして、
子供達と一緒に写真に収まっているので
した。
 昨日、娘と二人で、新宿の小田急百貨
店で開催されている、「近くて懐かしい
昭和展」を見学に行ってきました。“角
を曲がると、あの頃の自分がいます。”
そんなサブタイトルで開催されているこ
のイベント、ちょうどあほまろが育った
昭和30年代を中心にした町並みや室内
が再現された懐かしい会場には、当時を
懐かしむあほまろと同年代の方が大半を
締めているのですが、なぜか若い女性も
多いのです。それもそのはず、娘に感想
を聞いてみても、未知の世界で有りなが
ら、何か日本人としての懐かしさを感じ
るとのことでした。
 そういえば、あほまろが若い頃にも、
戦前の町並みや生活を展示した同様の祭
事を見学した時、親の時代としての哀愁
を感じたのと一緒なのでしょう。
 希望にあふれた日々の昭和30年代。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器と
いわれて、人々が手のとどく夢にむかっ
て働いた時代でもあります。作り物の町
並みと知りつつも、子供時代にタイムス
リップしたような気分に、胸が熱くなる
のでした。
 懐かしい等身大の空間。お金も無いの
に、青山のベルコモンズに通った想い出
のVANのブティック。力道山や、美空
ひばりや、萬屋錦之介に逢いたい方は、
今月18日まで開催しておりますよ。
 会場であほまろは、懐かしいカレーの
宣伝だった、首振りの「オリエンタルカ
レー人形」に、4800円も出してしま
いました。この会社まだ存在していたん
ですね。レトルトカレーシリーズも売っ
てましたよ。
 懐かしいといえば、二代目新幹線の1
00系が、来月で東海道から姿を消すこ
とになったそうです。100系が誕生し
たのは、1985年10月。国鉄がJR
7社として生まれ変わる1年半前でした
。ひかり号16両編成の8、9両目に組
み込んだ2階建て車両。眺めの良い2階
に食堂やグリーン席。1階には個室など
を設け、シートごとに回転できるように
なった・・・。客室ドアの上に電光案内
表示板の設置もこの100系からでした
ね。
 その後、1992年に最高時速270
キロの「300系」が登場し、100系
で3時間前後の東京−新大阪間が、2時
間半となり、その後も新型の高速車両が
相次いで開発され、100系は主に「こ
だま」での運行で余生を過ごしていたの
ですが、東京−新大阪間はすべての車両
を最高時速270キロにするために、ま
だ現役で有りながら、引退を余儀なくさ
れたようです。
 “狭い日本、そんなに急いで何処行く
の・・・”、きっと、50年後、100
年後には、交通博物館にでも展示されて
いるのでしょうね。
 すし屋通りに、昨日から豪華な七夕飾
りが飾られました。時期遅れっていうか
、季節外れっていうか、どっかで飾って
たお下がりなんでしょうかね。
(注:この下の数字は毎日確実に減って
いきますが、他意はありません。単なる
メモと思ってください。)