2003年6月17日 火曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数35枚

お地蔵さん

 仲見世に新緑が咲きました。パーッと
明るくなったような雰囲気です。これか
ら秋の紅葉の飾りまで、この新緑が訪れ
る方々の目を楽しませてくれるんです。
それにしても業者の方々、早朝の雨の中
ご苦労様です。
 時々見かける、腰の曲がったお婆さん
が傘も差さずに仲見世をよたよた歩いて
います。
 “傘にお入り、風邪ひくよ”。良く見
ると、お婆さんは両手いっぱいの荷物に
中に、折り畳みの傘も入っているのです
。“荷物が多いので傘を差せないのさ”
、無理もないですね。それじゃお婆さん
の話でも聞きながら観音様までご一緒し
ましょう。
 お婆さんは57年前まで浅草に住んで
いたそうです。昭和20年3月10日の
東京大空襲の時、息子を連れて非難した
観音様の境内。最初は穏やかだったので
すが、突然五重塔が炎上し非難していた
連中が逃げ場を失ってしまったのです。
私は二尊仏の後ろで火の粉を除けていた
のですが、突然後ろから倒れてきたお地
蔵さん。生後半年の息子はその下敷きに
なって亡くなってしまったのです。きっ
と、泣き叫ぶ息子をかばって、あのまま
境内に居たら私も焼け死んでいたでしょ
う。お地蔵さんに息子を託したことで、
私は助かったのですよ。
 空襲の翌朝、お地蔵さまの所に戻って
みると、あの大火の中で、焼けること無
く、まるで寝ているような顔をした息子
がお地蔵さまに抱かれていたのです。
今、生きているとちょうどあなたくらい
でしょうかねぇ・・・。
 もうすぐ90才。今は松戸に住んでい
ますが、毎月観音縁日の前日には、お地
蔵さんと二尊仏に、お花とお供えを持っ
て来ているそうです。それで、しょっち
ゅう見かけるんですね。
 お婆さんは。お地蔵さんに真新しい前
掛けを着せ、小雨にも関わらず周りの掃
除を始めました。そんな様子の写真を撮
ろうかなと思ったのですが、なぜかモモ
ちゃんが邪魔をするように綱を引っ張る
んです。撮るなとでも言ってるようなの
で、あほまろとモモちゃんは、お地蔵さ
んにお参りをして、お婆さんと別れたの
でした。お地蔵さん、これからも毎日お
参りするね。お婆さんをよろしくね。
 戦後57年が経った今、世代は戦後産
まれが大半を締めています。ましてや、
若い連中には戦前・前後なんて言葉も死
語に近くなってしまいました。しかし、
忘れてはいけないのは、あの大戦中、日
本やドイツの、一般市民への残虐行為は
もちろん有りましたが、その日本やドイ
ツと言えど、東京大空襲に匹敵する程の
一般市民への残虐行為と、原爆による残
虐行為を越えるものでは無いのです。
 浅草寺境内には東京大空襲の爪痕が今
も残っています。それは、当時の五重塔
前の大銀杏と、お婆さんのお地蔵さんの
前の大銀杏。根本の部分に焼け焦げを残
したまま、今でも立派に生きているので
す。ここを訪れる誰もが、それを知る手
段も無く、何事も無かったかのように立
っているのです。これこそ、文化財は行
き過ぎにしても、焼けこげの由来の説明
板くらい欲しいですね。
 浅草神社では、茅輪くぐりが始まりま
した。この茅輪をくぐることによって、
この半年間に自分に付いた罪穢(ざいあ
い:つみやけがれ)を祓い去ることが出
来るとされています。
 あほまろとモモちゃんの茅輪くぐり、
今年で4回目となりますよ。