2003年4月26日 土曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数31枚

新浅草駅

 過去を振り返っちゃいけない。過去を
ばねとして未来を見つめることを怠った
とき、未来の可能性をも失ってしまうの
です。そんな表現がピッタリ当てはまる
浅草の人々は、過去の栄光の再来を期待
してジーッと待っているだけなのです。
そんなの待ってるだけじゃ永遠に繁栄は
やって来ないのです。
 六区興行街からまた一つ映画館が消え
るようです。一つといっても、三種類の
映画館が一つになったビルが閉鎖される
ので、同時に三箇所の映画館が無くなっ
てしまうってことです。老骨化も激しく
、お客も入らない状態での存続を諦めた
のでしょう。今の浅草には、それを止め
る人も居ないのです。これで、残りは二
棟六館となってしまうんですね。
 昭和30年代の浅草六区には、映画館
20件、劇場8件、ストリップ3件の他
に、芝居小屋、寄席など記録に残ってい
ないものまで含めると50件以上の小屋
がひしめき合っていたのです。もちろん
、それを目当てにしたお客さんが居たん
ですよ。
 平成17年秋、浅草には念願の国鉄(
JR)が入ってきます。明治の始め、繁
栄していた浅草に電車の駅を作る話が持
ち上がりましたが、浅草に駅など要らな
いと住民たちの反対運動で、当時寺町だ
った上野地区のお寺を移転して出来たの
が上野駅なのです。当初東北からの線路
を真っ直ぐ浅草、人形町、日本橋を経て
東京駅に繋ぐ計画だったようです。それ
から120年、衰退した浅草に当時の計
画を再現するかのようなコースで常磐新
線がやってくるのです。
 過去の栄光の再来を期待してジーッと
待っていた浅草の人達にとっては、“待
てばカイロの日和あり”ともとられるの
ですが、ただ待っているだけじゃ、単な
る通過駅。いかにお客さんを降ろすか、
魅力を考えなければいけないのではない
でしょうか。
 たとえば、新しい駅のホームが“ヴィ
ーナスフォート”のようだったら、お客
さんが降りてくれるでしょう。それも、
昭和30年代の華やかな浅草六区の雰囲
気だったら・・・。
 浅草に降りたお客さんが、粋な街“浅
草”の、路地や横丁、棟割長屋などの横
を通って外に出るのです。そこには本当
の浅草が・・・。
 そんな提案をする人たちが頑張ってい
ます。今回の区議会議員選挙においても
、この問題を真っ正面から取り上げてい
る候補が話題にもなっております。
 横浜を象徴する超高層ビルの横浜ラン
ドマークタワーの12階に、昭和30年
代の町並みが出現したことが報じられて
おります。駄菓子屋やほうろうの看板、
ブリキのおもちゃなど、懐かしい品々を
並べた8畳間の和室には、食器が載った
ちゃぶ台が置かれ、古めかしいテレビか
らは当時のニュースが白黒映像で流れる
凝りようです。
 新聞の解説によると、“会場は、家族
の独立を重んじる新型2世帯住宅の展示
場。顔を合わせないようトイレや台所ま
で二つある。昭和の「いつも一緒」の家
族のあり方にも思いをはせて”。
 どこも同じように、家族の独立を求め
る若者たちであっても、三社祭を中心に
今も生きる“下町おせっかい文化”も根
強く残る浅草にこそ、地域に密着した、
新しい駅を軸とした“レトロ博物館”が
必要ではないでしょうか。
 多くの博物館や資料館のように、見せ
るだけじゃなく、参加できるような「文
化」と「日常」とが解け合う未来の浅草
も見えてくるのです。