2003年3月30日 日曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数57枚

花見酒

 日曜日はモモちゃんとのんびり隅田公
園の散歩です。今朝は吾妻橋を渡り墨田
区側から桜橋を渡ってきました。隅田公
園全体の桜は7〜8分咲きって感じでし
ょうか、夜を待ちきれない連中、こんな
早朝からあちこちで盛り上がっておりま
す。モモちゃんが可愛いと寄ってきて、
一緒に写真を撮った放送系の専門学校の
卒業生達。お礼にと焼き鳥を頂いて大満
足のモモちゃんですが、あほまろには何
もくれなかったよ。でも、朝っぱらから
ビール貰っても飲まないんだけどね。
 この連中は、卒業記念のパーティーを
隅田公園と決めて、嘘か誠か学業に精進
してきたとのこと、これから波瀾万丈の
世間に散っていく仲間達と、花の精気で
人生の成功を誓い合うそうです。言葉は
格好良いのですが、花見酒で犯された態
度を見ていると、花の精も逃げ出してし
まうんじゃないのかな。
 月見酒、雪見酒など古来より伝わる四
季折々の酒宴の中で、今なお盛んなのが
春の花見酒ですね。花見の宴は元来、貴
族や武士の間だけに行われた風流で神聖
な催しだったようです。我が国では、桜
自体を“大自然の生命が形になったもの
”と考え崇拝していたためなにでしょう
。先人は満開の桜の下、花の精霊である
花粉を全身に浴びながら酒を飲み、ハラ
ハラと落ちてくる花びらも共に飲みこむ
事で、自然界の生命力を取りこめるとも
信じられていたのです。
 隅田堤を歩いていると、大きな酒樽を
天秤棒のように担いで宴席に向かう若者
とすれ違いました。こんなでっかい酒樽
をいった何人で飲むんでしょうかね、重
そうに担いで行く二人を見ながら、落語
の“花見酒”を思い出し思わず吹き出し
てしまいました。
『働き者の兄弟が、向島堤の花見客に酒
を売ろうと、酒樽を担いで出かけたとこ
ろ、途中で疲れた弟が先を担ぐ兄に十文
払うから酒を一杯売ってくれと頼んだの
です。兄はこれも商売と割り切り、十文
を受け取って、弟に酒を売りました。し
ばらく行くと今度は兄も疲れ、先ほど弟
から受け取った十文で、弟から酒を買い
ます。またしばらく行くと、弟が十文で
酒を買い、また今度は兄が十文で酒を買
い・・・・と、繰り返しているうちに、
向島に付いた頃には、酒樽はカラッポ。
本日の売上げは締めて十文ってことにな
ったのです。』
 京都生まれの造園家であり桜守でもあ
る、十六代佐野藤右衛門氏の“桜と心通
わすような花見をせなあかん”という文
章によると、
「花見なぁ、あんたらどんな花見してん
の? あれか、誰ぞが朝早うから場所取
りして、青いビニールシート敷いてやる
、あれやろ。あんなもんは花見とちゃう
で、仕事の憂さ晴らししとるだけや。大
きい声でカラオケうとうて、桜が嫌がっ
とるのが解らんのかいな。シートで息出
来へんわ、幹にうるさい振動が伝わって
くるわやな。桜には迷惑千万や。あんな
事してたら、そら、桜も綺麗に咲こ思う
わけがないがな・・・」
 彼の持論では、本来お花見とは一人で
するものなのだとか。「今年も綺麗に咲
いたなあ」と木をなでながら、桜と心通
わすものなのだそうです。
 確かに、名所という名の「宴会場」で
は、桜より人が目立つし、煙もくもくの
バーベキューやへたくそなカラオケは、
花見の情緒というものがぶっ飛んでしま
いますよね。あほまろは、名所や宴会場
じゃない“自分だけの桜の木を見つけて
”モモちゃんと楽しんでいるんですよ。
その場所は秘密・・・。