2003年3月25日 火曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数43枚

常磐新線

 ようやく桜が開きかけてきたっていう
のに、今朝は雨になってしまいました。
でも、気温が高いので浅草神社境内の桜
は今にも開きそうな勢いです。気象庁の
予想によると、明日が開花とされており
、ここの桜もきっと開いてくれるのでし
ょう。隅田川の辺の桜並木の一部はすで
に花を見せてくれる木も有り、浅草の週
末は花見客の第一弾が押し寄せるのでし
ょうね。
 来月の統一地方選挙に向けて各候補が
鎬を削っています。昨夜、あほまろの友
人の区議会議員が開催するパーテーに参
加してきました。来年は浅草にもようや
く明治以来の念願だったJRが乗り入れ
ます。といっても、東京駅までの常磐新
線の通過駅の一つなのです。浅草に如何
に客を降ろすかは、魅力有る駅創りをし
なければなりません。そのため、電車が
ホームに滑り込んできた瞬間から良き時
代の浅草を演出しようとの発想を持って
いる彼は、その構想をビジュアルにして
出席者に見せてくれました。単に通過の
為だけで利用する客にも、一度降りてみ
たくなる駅なのです。そんな素晴らしい
構想を実現するためには、区と近隣商店
街の協力が不可欠。また、多くの仲間を
増やさなければ実現は不可能なのです。
 行政の議員として、JRを始め民間の
協力を取り付ける作業は、今後大変な労
力が必要となるのでしょう。
 しかし、このご時世、久しぶりに現実
可能な”夢”を、真剣に語る彼の熱意に
感動して帰ってきました。
 明治政府最初の大事業として全国を貫
く鉄道網の整備。もちろん新東京の中心
地として栄えていた浅草を、北の玄関口
とする構想で勧められていたのですが、
当時は、鉄道の恩恵を受けなくても大い
に繁栄していた浅草。住民達の猛反対に
よって断念せざるを得なく、上野の社寺
地を移転させて現在の上野駅が完成した
のです。
 鉄道が開通後、それまで社寺と数軒の
民家しかなかった上野の繁栄はいうまで
もありません。大正末期に、地下鉄の構
想が持ち上がった時、浅草の商店街と住
民達は過去を反省し、日本橋ー人形町な
ど、強力なライバルを相手に、積極的な
誘致活動を展開したのでした。
 その結果、昭和2年日本最初の地下鉄
として、上野ー浅草間が開通したのです
。鉄道の恩恵に肖ることで、人々は過去
の思い上がりを大いに反省したことが、
台東区史などにも記されております。
 当時の鉄道省は日本国有鉄道に変わり
、そして新しく民営化されたJR東日本
に引き継がれた”国鉄”。120年の歳
月を経て平成17年には、ようやく浅草
に”国鉄”が乗り入れるのです。
 常磐新線の乗り入れにあたり、新たに
沿線となる住民が組織した、”筑波サミ
ット”なる会議も開催されるようになり
、今の浅草、最大の話題にもなっている
のですよ。