2002年12月14日 土曜日     

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数41枚

300年
 ”天気晴朗なれど、寒さ厳し”。昨夜
の天気予報で、今日はこの冬一番の冷え
込みになるといっていました。予報的中
というか、外気温は氷点下のようです。
こんな時に限って、あほまろは昨夜とあ
る集会に参加し、お気に入りの暖かいマ
フラーを会場に忘れてきてしまったので
す。本当にドジなんですよね。
 寒さにもめげず、珍しく早朝の境内は
修学旅行の生徒でいっぱいです。バスガ
イドの人数などによると、3校が11台
のバスでやってきたことを把握すること
ができるのです。毎朝こんな光景を見て
いると、野鳥の会のように双眼鏡が無く
ても、制服や雰囲気から、事態を的確に
把握する特殊能力を備えてしまったんで
すよ。でも、それは何の役にもたちませ
んが、この日記の文字数を埋めるのには
役立っているような・・・。
 赤穂浪士の吉良邸討ち入りから今日で
300年が経つそうです。NHKテレビ
では、連日「忠臣蔵」の特集を組むくら
い。でも、どうして「忠臣蔵」は、人気
があるのでしょうか。この事件が起きる
少し前の時代と、後の時代は、仇討ちを
するすることは武士にとって当然のこと
、ましてや正当な理由がある親や主君の
仇打ちは、武士以外の人間でも、法的に
許された行為だったのです。しかし、こ
の時代だけはちょっと違っていたのです
。当時の将軍綱吉の発布した「生類憐み
の令」という、生き物を傷つけただけで
重罪という、おかしな決まりがあったか
らなのです。ですから、この仇討ちは、
罪となり、結果四十七人の浅野家臣の切
腹ということで決着したのです。
 赤穂家臣が、吉良の首をはねたことは
、不公平な処分を行った幕府への仕返し
という意味もありますが、この「生類憐
みの令」に不満を持っている多くの人々
から、”おまえ達は、よくやった”と、
味方をされたのでしょう。
 この事件は、すぐに歌舞伎となって庶
民の知るところとなりましたが、すぐに
幕府の命令で公演中止。しかし、衰える
ことのない人気は、人物の名前や事件の
場所など、事実とかけ離れた設定で作り
替えられ、浄瑠璃や歌舞伎で演じられた
のです。そして、それらの作品には、浅
野家臣を引き立てるため、実際の事件以
外にいろいろな話をつけ加えて、竹田出
雲(たけだいずも)・三好松洛(みよし
しょうらく)・並木千柳(なみきせんり
ゅう)の3人によって、「仮名手本忠臣
蔵」となって今に残るのです。
 蚊を殺して遠島、鰻を食べて死刑なん
てことが大手を振ってまかり通っていた
異様な時代。どっか今の北朝鮮と似てい
るような時代にも思えますね。
 もうすぐ始まる羽子板市。今朝も業者
が集まって場所決めの線引き作業が行わ
れています。この作業、ちょっと昔は、
この地区を仕切るおあにいさん達の仕事
だったのですが、今では、出店業者が自
主的に管理しているそうです。顔見知り
の羽子板屋さんが言ってますよ、”この
ために一年間頑張って作ったんだけど、
今年は平日の開催と、折りからの不況で
、売り上げの予想もたたないよ”、です
って。あほまろの特殊能力によると、今
年は賑わうような気がするんですよ。