2002年11月7日 木曜日       

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数50枚

地口再び
 この秋最低・・、なんて報道も無くなってしま
った。もう冷え切って大変なのだ。歩いていると
手の感覚が無くなってしまうほど。モモちゃんの
お友達に声をかけらけて、振り返った瞬間、看板
の角にちょっと触っただけなのに、指から血が出
てきた。傷みも感じなかったのに・・・・。まっ
たく感覚が麻痺してしまうほど冷え切ってるんだ
ね。昔、信州のスキー場で軒先のつららをなめて
舌の先の皮を剥いてしまったのを思い出したよ。
そこまで寒くはないんだけどね。東京もいよいよ
冬に入ってきたんですよ。   
 昨日の日記で紹介した、伝法院通りの地口行灯
(じぐちあんどん)が総て新しく入れ替わったの
です。全部で9枚のうち、1枚だけは何故か前回
と同じ文句のまま。でも、5年も風雨に晒され、
色あせて目立たなくなっていたこの通りも、急に
鮮やかになった感じもするんですよ。     
 まずは、新しくなった地口を紹介しましょう。
 ○ はだかで田っぽれゝゝ 
  (裸でかっぽれゝゝ)
 ○ 目刺は物をおこらざりけり 
  (昔はものを おもわざりけり)
 ○ 大竹のみ 
  (大酒のみ)         
 ○ おやゝうずばっかり 
  (おやおや うそばっかり)
 ○ えんましたの力持ち 
  (縁の下の力持)
 ○ ねたものふうふ 
  (にたもの夫婦) 
 ○ 玉あげ かんほどき 
  (玉あげ がんもどき)
 ○ 唐人につりがね 
  (提灯につり鐘)
 ○ はねがはたきの世の中じゃ 
  (金がかたきの世の中)
  これだけが、前回と同じ文句。   
 てな具合です。この中で、あほまろが一番気に
入ったのは、なんといっても”ねたものふうふ”
あえて、ひらがなで表現しているところが、粋で
オシャレ。意味深な絵も良いですねぇ・・・。 
 昔豊川稲荷で見た地口行灯の中に、”苦あれば
楽あり”をもじった、素晴らしい文句がありまし
た。”九億有れば楽になり”。とっても現代的で
、現実的で素晴らしいと思ったんですよ。でも、
九億なんてのは贅沢ですね。あほまろだったら、
1億いや、百万円で楽になるんですけどね。  
 あほまろが毎月通っている、歌舞伎座のお稲荷
さんにも、二月の初めの午の日、初午が近くなる
と地口行灯が祀られます。場所が場所だけに、当
然”地口”も芝居にまつわるものが多いのです。
「熊谷物がたり」、「燕雀何ぞ大鵬の心をしらん
」、「伊勢へ七度熊野へ三度」、「桔梗刈萱女郎
花」等々、これって結構解読に難儀するんですよ
ね。                    
 歌舞伎の世界では、立役(男役)の役者の内い
ちばん下の人たちを”稲荷町”と呼んでるのです
。そんな連中にとっても、お稲荷さんの祝い日、
特に初午には、みんなからご祝儀を頂けるそうで
すよ。                
 「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」と江戸
に多いものの一つに数えられているように、江戸
にはいたるところにお稲荷さんがありました。王
子稲荷や嬬恋稲荷、芝の烏森稲荷や日比谷稲荷な
どは江戸屈指の稲荷社で、初午祭りも当然盛大に
行われ、それ以外にも、旗本・大名などの武家屋
敷には必ずといっていいほど稲荷祠があり、町家
の裏庭や長屋にも守り神として祠があるのが常で
した。そんなわけで初午の日には、江戸中に初午
祭りの染幟が立ち並び、武者絵の大行灯や地口画
を描いた地口行灯(田楽燈篭ともいう)がこぞっ
て飾られたそうですよ。さぞ、壮観だったでしょ
うね。戯作者山東京伝も、洒落が好きで地口行灯
作者でもあったそうです。          
 菊花の定点観測:昨日、お偉い人達が集まって
ワイワイやってた結果が出たようです。あほまろ
が毎朝観測していた菊棚は、みごと”優等二席”
に輝きました。おめでとうございます!って言っ
ても、何の感動も無いんですよ・・。江戸時代の
本に、菊で賞を頂くと、お店が繁昌するってこと
を読んだことがあります。きっとこの方のお仕事
が繁昌するんでしょうね。          
「勘定あつて銭たらず」をもじって、「はんじや
う買て銭とらず」って地口も有りましたよ。