2002年7月30日 火曜日       

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数25枚

観光地って?

 水銀柱は31度。また暑さがぶり返してしまっ
た。っていうか夏はこれが当たり前なんだけど暑
いのは嫌だね。今朝の浅草寺境内、この暑さの中
でも大勢の観光客が訪れている。毎朝あまり気に
ならなかったのだが、ここに来る観光客はいった
い何を求めてやって来るんだろう。まさかお詣り
だけが目的で来る訳は無いし、仲見世をぶらつく
のならちょっと早すぎる。修学旅行の学生に聞い
てみると、学校が決めたことに従っているだけと
、明快(?)な答えが返ってくる。また、台湾か
らの団体は、旅行スケジュールの中に組み込まれ
てるので初めて来たと、こちらも明快(?)。 
 観光旅行というのは、選りすぐった名所旧跡を
巡る旅なのは判るが、そこが何であるのかも知ら
ずに連れて来られ、とりあえず記念写真を撮って
帰る。それを見て羨んでいた友人や親戚も、いつ
かは同じ場所を訪れ、いつか見た写真の光景を思
い出しながら同じ場所で記念写真を撮影して帰る
、ってのの繰り返しなんだろうね。有名観光地っ
てのは、ご先祖様も近所の知り合いも、旅行で必
ず訪れた場所ってことにもなるようだね。 
 今朝の修学旅行生はいつもの連中とちょっと変
わっていた。みんながわいわいたかっている場所
を離れ、奥山の誰も見てはくれないような一角で
なにやら写真を撮ったり、メモったり。聞いてみ
ると、東京で活躍した大分県出身の有名人を調べ
るのが目的という。なんで、浅草かとの問いに、
浅草寺横に置かれた彫刻。大分出身の彫刻家、朝
倉文夫の作品なのだ。日暮里駅の北口に有る、朝
倉彫塑館は知っていたが、彼が大分県の出身だっ
たってことは知らなかった。てっきり、台東区生
まれの人だと思っていたんだよ。    
 明治16年、大分県直入郡竹田(今の竹田市)
で生まれ、明治35年、19歳で竹田中学校を中
退。実兄の彫刻家、渡辺長男をたより上京して、
彫塑を学ぶ。明治36年、東京美術学校(今の芸
大)彫刻選科に入学。卒業後は、東京美術学校教
授をしていたらしい。また、昭和23年には文化
勲章を受章し、昭和26年文化功労者となる。昭
和39年81歳にて死去。その功績を讃え、住居
兼アトリエだった建物をそっくり「区立朝倉彫塑
館」として一般に公開されている。      
 そんな関係で、ここ浅草寺境内にも、「慈雲の
泉」って題された彫刻が飾られている。良く意味
が判らないが、7〜8人の猿に似た男達が裸で寄
り添い、同じ方向(南西)を向いているのだ。良
く見ると、髪の毛はちょんまげを結ってるように
も見えるこの連中。いったい誰なのでしょうね。
 また、題名の慈雲を調べてみると、”江戸中期
の真言宗の僧。諱いみなは飲光。号は葛城山人・
百不知童子。大坂の人。正法律を提唱し、悉曇し
つたん学を研究。また、雲伝神道を創唱。著「梵
学津梁」「南海寄帰伝解纜鈔」「十善法語」など
がある”。なるほど、ちょんまげ連中の合点がい
くが、真言宗の僧が観音宗のお寺の庭に、何故置
かれているのかは不明なんだね。       
 ”そうそう大分出身の有名人に、落語家で二ツ
目の三遊亭歌彦ってのも居るよね”。”そんな人
知らない!”。邪魔しないでって感じで無碍にさ
れてしまった。せっかくPRしてあげようと思っ
たのにね、歌彦君・・・・。    
 ようやく浅草サンバカーニバルのポスターが出
来上がったようだ。今年は22回目。英語表記も
、22ndとなって良かった良かった。今年は我々
が提唱している”みんなの自転車”もパレードに
参加する予定ですよ。