2002年5月24日 金曜日       

今朝の写真
Nikon CoolPix 5000
撮影枚数129枚

突然アメリカです

 約9時間の飛行で、日本はまだ夜中の3時。ロ
スは午前11時。あほまろは空港から市内のコン
ベンションセンターまで直行しなければならない
。飛行機の中で結構眠ったのだが、まだ意識は朦
朧として、回りで喋る異国語を聞き取る余裕もな
い。今回のショーはE3といって、エレクトロニ
クス・エンターテイメント・エグゼビション。い
わゆるコンピュータゲームショーなのだ。マイク
ロソフトのXーボックスがはばを利かせている会
場では、相変わらず日本のゲーム機器に人気が集
中している。それらほとんどのゲームは秋葉原な
どですでにリリースされている物なので、特に興
味はないが、アメリカのこの手のショーでは、日
本では考えられない奇抜な企画が来場者の人気を
博している。中でも、綺麗処を用意してサイン会
などを行っている会社には黒山の人だかりが出来
ているのだ。あほまろもご相伴に預かり、ロスア
ンジェルス・レィカーズのチアガールちゃんのサ
インなんか貰って鼻の下を長くしてしまった。ア
メリカでは、一時のポケモン人気は姿を消してし
まい、今は「遊戯王」がものすごい人気なのらし
い。ショーの会場でも、「遊戯王」のゲームカー
ドが飾られ、息子のおみやげにしたい親ばかたち
が挙ってパンフレットに群がっていた。この「遊
戯王」も、日本では人気は下降気味なのだが、ア
メリカでは最近テレビアニメが始まって子供たち
の話題になっているらしい。日本発のキャラクタ
ーがまた一つアメリカの制してしまうのも時間の
問題なのだね。また、会場で特に目立ったのは、
液晶やプラズマ・ディスプレーの目立つこと。ほ
とんどのブースで使用されている。これもみんな
日本製で、テレビゲームを始めとして電化製品は
、日本のお家芸って印象を強く持たされるのだっ
た。                    
 あほまろが初めてアメリカに来た1970年代
の初頭には、テレビの人気コメディアンが、黒縁
のめがねをかけ、カメラを提げてジャパニーズサ
ラリーマンのまねごとで笑いをさらっていた。そ
の頃は、確かに安かろう悪かろう日本製品が氾濫
していた時代だったのだが、あれから30年。そ
んなイメージはまったく姿を消してしまい、今で
は中国製品が同様の憂き目をたどっている。そん
な中国製品の30年後を考えると、今も笑って済
まされる問題じゃないのだろうね。      
 この日記で、あまり専門的な事を述べてもしょ
うがないので、綺麗処の写真でも眺めて一緒に鼻
の下を長くしてください。名誉の為にいっておき
ますが、あほまろは決してこんな女性が目当てで
わざわざロスに来ているわけじゃ無いのですから
ね。ちゃんと仕事をしに来ているのですから。 
 今日のお宿は、あの有名な
「The Beverly Hills Hotel」、五つ星のホテル
なのだ。
 今夜はこのホテルで、往年の名車が勢揃いする
パーティが行われた。1941年製のキャデラッ
ク始め、クラシックキャデラックが数十台を一堂
にした光景は、壮観というか表現のしようも無い
。その中で、一番気取っていた1941年製のキ
ャデラックのオーナーのご厚意で、運転席で記念
写真まで撮らせてもたっらのだ。彼ら曰く、キャ
デラックは自動車では無く、キャデラックなのだ
との誇りを大切にしているのだとか。アメリカが
いつまでも強い国であるとの誇りと、今日ショー
の会場でかいま見た日本製品の台頭と、中国製品
の周辺機器。そんなギャップを感じさせられた二
年ぶりのアメリカ訪問の一日だった。