2002年4月25日 木曜日       

今朝の写真 
CANON EOS-D60
CANON ZOOM 17-35 F2.8
撮影枚数34枚

元気になろう!
 浅草が元気になった!と、いっても昨夜だけだ
が・・・。浅草がんばる会が主催する”浅草だ!
文句があるか!!”と題したイベントが行われた
。六区が、国際劇場が賑わった浅草の良き時代を
もう一度取り戻そうとの決起集会のようなものだ
。北野武を始め、大勢の芸能人が駆けつけて盛り
上がったこのイベント。確かに浅草が元気なった
ようにも見えたのだが、それもこの一瞬だけのよ
うだ。本当に元気を取り戻そうとするなら、昔の
ような劇場や芝居小屋などの誘致活動を、官民一
体となって行わなければいけないのだろう。今朝
、散歩で歩く六区一体は、相も変わらず、空き家
ともとられる建物や、間に合わせで開業した芝居
小屋、客が入ってるのかと疑うような映画館等々
が、惨めに佇んでいる。歩く人も少なく、目の前
を段ボールを積んだリヤカーがよたよた通過する
のを見ていると、更に惨めさを演出しているのだ
った。二年後にはJRの常磐線が入って来るこの
一帯。昨夜のパーテーで、北野武が命名した駅名
は”浅草六区駅”。”それを機会に浅草に元気を
取り戻そう”と盛り上がるが、開通まで待ってか
ら考えたんじゃ遅すぎるような気もしませんか。
 三社祭の準備は着々と進む。あほまろの住むマ
ンションの前に、有名な提灯屋さんがの駐車場を
改造した臨時の倉庫を設けたようだ。中に祭り提
灯がいっぱい詰まっている。この提灯、浅草中の
家の軒先に下げる。その数は、5万個を越えると
いう。提灯屋さんにとっては、今が稼ぎ時。一年
の売り上げのほとんどを占めるらしい。この提灯
屋さんは、昔から三社祭が続く限り”元気”なの
だね。いっそのこと、浅草の街路灯をすべて提灯
に変え、浅草はいつもお祭りのように賑わってい
る雰囲気でも作ってみたら、提灯で餅をつけるか
もしれないね。               
 浅草の花柳界が賑わったのは、江戸末期から明
治初期、猿若町に芝居小屋が賑わっていた頃がピ
ークで、今では衰退の一路を辿っているらしい。
折りからの不景気で、「粋なおとなの遊び」を気
どる旦那衆が少なくなったというだけでは無いだ
ろう。この不景気の中でも、儲かっている飲食店
も多いようだ。銀座の高級クラブを始め、外国人
パブ、ピンクサロン、など飲食店の多様化で、お
金を出すとそれなりに楽しませてくれる場所や、
安くても楽しめる場所等々も「粋なおとなの遊び
」として定着してしまったのかもしれない。昔風
の花柳界も、今様の変化に対応していかなければ
いけないのではないだろうか。浅草には若い連中
でも楽しめる花柳界風の団体もあり、和服で白塗
りをしたコンパニオンが、手軽な値段で呼べるら
しい。”振袖さん”といって、若い連中にもうけ
ているという。若い連中は、花柳界と花柳界風の
どこが違うのかも判らないのだ。先日とある宴席
で若い連中にその違いを問うたことがある。答え
は単刀直入、”女性の年令が違う”。これほど明
快な答えは無いだろう。頑なに伝統を守り通すの
も良いが、本来の花柳界を知っている連中もどん
どん少なくなってきた現在。若者にうける方が、
絶対に長続きするのでは無いだろうか。若者の目
には、何処かの江戸村のイベントでも見ているよ
うにも思うらしい。             
 浅草を元気にしよう!と芸人達が盛り上がって
いる今、花柳界も同調して”浅草だ!文句がある
か!!”と、改革を推進しなければいけないので
す。文化を守る継承者として努力しても、若者か
らは、たんなる”提灯持ち”にしか見えてないの
かもしれない。”浅草花柳界を元気にしよう!”
浅草が元気になったら、そんな旦那衆も出てくる
のでしょうね。