2002年2月13日 水曜日       

今朝の写真
CANON EOS-D30
CANON ZOOM 17-35 F2.8
撮影枚数21枚

テレビ

 六区に懐かしい看板が戻ってきた。「浅草フラ
ンス座」の大きな看板を見ていると、2年前寄席
に衣替えしたヌード劇場が戻ってきたような雰囲
気なのだが、これは昨日から撮影が行われている
テレビドラマのセットなのだ。なにやら浅草ヌー
ド全盛時代の良き姿を描いたドラマなのだとか。
誰が主演なのか解らないが、良くテレビで見る脇
役数人が石油の空き缶を利用した灰皿の前で、車
座になってタバコを吸っている。こんな光景こそ
レトロでなんとなく作り物の看板よりリアルに見
えたのだった。渥美清、ビートたけしといった芸
人たちが巣立っていった、「浅草フランス座」は
、幕間のコントが有名だった。女性を見るよりコ
ントを楽しみに来ている客も多かったという。作
家・井上ひさしさんが、大学へ通うかたわら、浅
草フランス座・文芸部員として活躍された時の経
験を元に書かれた、処女小説が『モッキンポット
師の後始末』(1971)にその頃の様子が克明
に書かれている。浅草には「浅草フランス座」を
はじめ、「ロック座」「浅草美人座」、浅草大勝
館地下の「カジノ座」など、それぞれ趣向を凝ら
した出し物で観客を楽しませてくれた。また、永
井荷風で有名な「カジノ座」は、只一件だけ今も
続いている。あほまろが学生時代には、上野にも
「上野フランス座」ってのが有ったような記憶が
ある。遊びが多様化してきた現在、若者は見るだ
けのヌードショーより、もっと楽しめる所を知っ
てしまったようだ。             
 「浅草フランス座」の一階、寄席の「浅草演芸
ホール」では、初代金原亭馬の助二十七回忌追善
興行が行われている。昭和51年に49歳という
若さで亡くなられ馬の助師は、芝居噺を得意にし
ていたと記憶している。初代は昭和47年頃人形
町で一度見た事があったが、あまり記憶に無い。
当代馬の助師は、あっさりと軽目の高座が多く、
まだまだ先代の粋には達していないようだ。落語
界も歌舞伎界と同様に追善興行なんてのを行うよ
うになったのは、小朝師が落語協会理事に就任し
てから、古い体質改善の第一歩なのだとか。この
ように、色々な企画でもっともっと寄席の人気を
高めて欲しいが、あほまろはもっとテレビがらみ
の仕込みも考えて欲しいと思っているよ。今は、
落語の番組というと”笑点”しか無いもんね。先
日も浅草演芸ホールで、あほまろの横で柳家権太
楼師の火焔太鼓を聞いていたオッサンが、”う〜
ん、上手い!テレビに出られる実力だ!”って頷
いていた。テレビに出ている人が上手い人って勘
違いしてるんだね、きっと。