2002年2月11日 月曜日       

今朝の写真
CANON EOS-D30
CANON ZOOM 17-35 F2.8
撮影枚数21枚

紀元節

 「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことを
趣旨とする今日は「建国の日」。日本書紀の神武
天皇紀で「辛酉年の春正月正月庚辰の朔天皇帝位
につく」とされているのを、太陽暦に換算すると
2月11日になり、この日を「紀元節」とするこ
とを明治5年12月に制定された。戦後は日本国
憲法の精神に反するという事で廃止されたのだが
、昭和26年頃から復活論が台頭、昭和41年に
「建国記念の日」を制定された。もっとも、2月
11日という日取りは神話に基づいたもので、歴
史的根拠に乏しいという主張も強い。また、戦前
は政治的に利用され、明治21年の大日本帝国憲
法の発布や、明治29年の金鵄勲章勲章の制定、
また大正15年からは在郷軍人会や青年団・在校
生を中心とする建国祭の祝賀行事が各地で催され
るなど、日本の軍国主義の高揚に大いに役割を果
たした記念日でもある。昨年は、ちょうどこの日
は「皇紀2660年」となり、「紀元節」を祝う
行事が全国で行われたが、歴史的には真実でない
ことを、まるで歴史的事実でもあるかのように、
また天皇を中心にした日本は素晴らしい神の国で
もあるかのように、祝う人達を見ると悲しくもな
る。また、政府文部科学省の方針は、「子どもた
ちが、日本という国家を素晴らしい歴史を持つ国
だなので、愛国心を持つように教育したい」と、
考えているようだ。             
 戦前までは、四大節といって、四方拝、紀元節
、明治節、天長節の四つの主な祭日が有った。当
時の文部省が定めた後述の国民学校令施行規則に
よれば、「紀元節、天長節、明治節及一月一日ニ
於テハ、職員及児童学校ニ参集シテ以下ノ式ヲ行
フベシ。」とされ、祝日と制定されていても、式
日には児童も先生も晴れ着を着て登校し、君が代
を斉唱し、校長先生が読む教育勅語を聞き、式歌
を歌い、紅白のまんじゅう、あるいは菊の模様の
落雁を貰い、喜んで下校したという。子供達には
お菓子が貰える楽しい日だったのかもしれないが
、真の祝日の意味をなしてはいなかった。   
 世界の大多数の国は、植民地支配からの独立の
日、すなわち、主権者たる国民が主権を奪い返し
た日を「国の誕生日」と捉え国民の祝日としてい
る。我が国の「建国記念の日」は、「紀元節」で
ある。今、各地でこの「建国記念の日」のあり方
が問題となっている。様々な立場や考えがあると
思うが、私的にはこの日を祝日にすることには反
対だ。この日は、「けんこくきねんび」ではなく
て、「建国記念の日」。「の」が入ると入らない
では、大きく意味が違うのだ。「けんこくきねん
び」では、この日が、建国の日となってしまって
、「2661年の歴史を誇る日本という国家」が
建国された日となってしまう。一応現在の名称の
「建国記念の日」なら、この日が建国の日ではな
いかもしれないが、建国を記念する日との意味付
けは、戦前の「紀元節」と、なんら変わるところ
は無い。             
 祝日は仲見世に日の丸が掲げられる。そんな中
、中国圏や韓国から観光に来た連中には、この日
の意味をどう見るのであろう。今朝有った韓国か
ら戦後始めて観光で日本にやってきたという老人
は、”「紀元節」の儀式はまだ続けられていらっ
しゃるのですね。わたくしはまだ、式歌を覚えて
おりますよ。”と、今の日本人は忘れてしまった
ような、バカ丁寧な日本語で話し、建国の歌を口
ずさんでくれた。その老人と日の丸の旗をだぶら
せて見ると、まだ戦争の傷跡は存在するんだって
事実を実感させられた「建国記念の日」散歩だっ
た。