2002年1月31日 木曜日       

今朝の写真
CANON EOS-D30
CANON ZOOM 17-35 F2.8
撮影枚数31枚

山の手も下町も・・

 江戸時代の末期、江戸御府内には約100万人
の人間が暮らしていた。その中でも、神田から浅
草にかけては70万人以上が暮らしていたらしい
。このあたりが江戸庶民文化の中心地だった。当
時の言葉に”下町”という表現は無い。下町情緒
、下町風情などと使われている”下町”の意味を
広辞苑で調べてみると、「低い所にある市街。商
人・職人などの多く住んでいる町。東京では、台
東区・千代田区・中央区から隅田川以東にわたる
地域をいう」とあるが、その由来などは書かれて
いない。以前江戸風俗に関する座談会でも話題に
なったこの”下町”。実は英語の”ダウンタウン
”から逆輸入された言葉なのだ。英国では、寂れ
た町を意味するこの”ダウンタウン”、アメリカ
では繁華街を意味する言葉とされている。ダウン
タウンに行くとか、シティーに行くとか同じ意味
で使われる。明治以降、鎖国がとけた日本には大
勢の外国人が流入してきた。彼らが江戸の街で、
一番賑わっていた場所を”ダウンタウン”と称す
るようになり、やがてそれが日本語に訳された時
には”下町”と表現されるようになった。明治の
始めに東京市から発行された「東京府史」では、
この一体が、東京都市部とされており、経済の中
心地地でもあった。今、飛ぶ鳥を落とす勢いで活
躍するお笑いの二人組”ダウンタウン”。賑やか
な繁華街との意味付けを知っていたのだろうね。
英語の”ダウンタウン”の反対語は、住宅地・住
居区などの意味で、”レジデンス”と言う。日本
では、「下町」に対して「山の手」。なんか、山
の手の方がハイカラな響きだが、深く意味を考え
ると、田舎っていう意味にも捉えることができる
のだ。                   
 江戸は遠い昔。しかし、今にも流れる春夏秋冬
の文化と風習。下町浅草に住んでいるとその影響
をひしひしと感じる。浅草演芸ホールで明日から
始まる二月上席の高座では、落語芸術協会の実力
者夢丸師匠が、徹底的に江戸を語る特別興行が始
まる。「第一回夢丸新江戸噺し」と銘打って、大
川(隅田川)人情三昧。「小桜」「夢の破片」「
太公望」と、三日おきに演目を変えて演ずるよう
だ。これは、絶対に聞かなくちゃ。あほまろ久し
ぶりの江戸人情三昧を楽しんでしまうのだ。  
 浅草寺境内の仲見世を飾っていた「正月飾」が
取りはらわれてしまった。閑散とした境内が、よ
りいっそう閑散としてしまった。次にここが飾り
で覆われるのは、春の桜の季節。それより、浅草
では、正月が過ぎると、話題は三社祭一色になる
のだ。                   
 昔の仁丹塔の跡にコンビニと居酒屋がオープン
したようだ。この附近浅草に似合わないコンビニ
だらけになってしまったが、どんどん「下町」の
雰囲気が、「山の手」の雰囲気に変えられてしま
うようで、悲しく思うのは、あほまろだけなのだ
ろうか。