2003年5月23日 金曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数41枚

浅草の色

 そろそろやって来る梅雨に向けて仲見
世に屋根が付きました。毎年六月から十
月までの雨の日と、夏の陽射しが強い日
には電動で覆いができるのです。この屋
根が付くと全体に暗いイメージになって
しまうのですが、およそ140メートル
の沿道が、観光客にとって快適な空間に
なるのです。これによる経済効果っての
も大きいのでしょうね。
 そういえば、仲見世にまだ屋根が取り
付けられていない大雨の休日には、常設
の屋根が有る新仲見世通りに人が溢れて
いるのが頷けますね。次のイベントは、
来月18日のほうづき市。梅雨を避けた
人達で賑わうのでしょう。
 浅草の色を好んで自身の作品舞台の背
景にとりいれた探偵小説作家、江戸川乱
歩。彼の描いた大正末期から昭和初期の
リアルな浅草は、“夜の闇”それも、闇
の無い夜と表現した方が正しいのかもし
れません。夜になっても闇が無いほど賑
わっていた繁華街浅草をあえて、ダーク
なイメージでとらえた“夜の闇”は彼の
小説の舞台に屡々登場するのです。
 今では、“夜の闇”は更に暗い闇にな
ってしまい、彼の描いた世界は、もはや
幻想世界のひとこまとなってしまいまし
た。それでは、今の浅草に色を求めると
すれば、いったどんな色なのでしょう。
 まず、観光客が口を揃えて“提灯の赤
”って答えるのでしょうね。そう、今は
取り外されてますが、雷門を始めとする
四個の大提灯が与えるイメージってのは
とっても大きいでしょう。海外のメディ
アもこぞって日本のランドマークとして
使っているのですからね。
 しかし、ここに住んでいる者にとって
の色ってのも有るのです。そう、先日の
お祭りで街中を塗りつぶした半纏の色な
のです。それは紺色。
 紺色とは、赤みを含んだ濃い青色で、
普通に使われる色名ですが、古くから庶
民大衆に最も親しまれた色なのです。昔
は紺屋(こうや)といえば染屋のことを
いっており、今でも学校や企業の制服と
しても一般的に使われるポピュラーな色
なのです。どこでも見られるポピュラー
な色であっても、ここ浅草の紺色は他と
一線を引く拘りがあるようです。
 三社氏子、44ヶ町それぞれ数種類存
在する祭りの半纏。どれもみんな同じよ
うにも見えるのですが、良く見ると微妙
な色の違いが楽しめるのです。祭り同好
会の派手な原色の半纏とは違い、これら
の半纏は本染めで、一枚2万円前後。結
構お高いのです。端では判らないこの微
妙な色合いが町会の仲間意識を盛り上げ
、無意識のうちに紺色を見分ける浅草人
になっているようにも思えるのです。
 日本全国、どこにいっても同じコンク
リートとアスファルトで形取られた街。
都市という単一の色合いに染められつつ
ある浅草の中で、古来から庶民の着物の
色として伝え続けられた紺色の微妙な色
彩の変化が、浅草の人の心の中に生き続
けているのかもしれません。
 弁天山で、一寸法師のふところから、
紺繻子の風呂敷に包まれた、一尺ばかり
の細長い品物が転がり落ちてきた・・・
・。一寸法師をはじめとする悪い奴等や
浮浪者が闇に隠れて跳梁する暗黒の世界
が描かれた乱歩の世界、浅草に根付いた
微妙な紺色が暗闇の中でも判別できるほ
ど鮮やかに描かれています。
 これから何百年も、浅草の色を大切に
守っていけるようにしたいですね。