「正露丸」


●「正露丸」本文
正露丸はあまりにも有名な薬である。しかしそのなじみのわりには歴史などはあまり
知られていない。ここではそんないわば謎の部分の多い正露丸についての私の調査し
判明した事実を述べてみることにしよう。
正露丸という文字は本来のものではない、先の大戦後敗戦国となった日本において連
合国側の当時のソビエトにたいしてロシアを征するという意味の「征露丸」は好まし
くないとのことから「正」に直された経緯があったからである。
私が正露丸を研究するようになったきっかけはたまたま店頭で見かけた有名なラッパ
のマークとは違ったデザインのものをみかけたことに端を発する。ではこれから謎に
包まれたこの妙な薬のベールをはがすことにしよう。
●「征露丸」誕生
正露丸は大手のラッパマークの大幸薬品によると明治35年とされているが、私の調
査した結果この時期には征露丸はまだ存在していない。征露丸は明治36年陸軍軍医
学校教官、戸塚機知(とつかみちとも)三等軍医正と二等軍医、白岩六郎によりクレ
オソート丸として戦地出征兵士に配られたのだった。ただその効果となると当時の資
料によると必ずしもよいものではなっかた。(資料は防衛庁戦史資料室、国会図書館
にて収集)
●「征露丸」の神話
日露戦争当時は戦傷者より病気により闘えなくなる兵士のほうが多かった。これは衛
生状態の悪い戦地においては、赤痢、ペスト、腸チフス、脚気、凍傷他がひどく、泥
水を飲むほどの状況もあった。そんな中において征露丸は効き目はともかく神薬とい
われるほどまでに効き目が膨らんでしまったのであった。一粒でニワトリ一羽と交換
したとか、お守りのためフンドシの中に入れておいた等の話がこのころうまれた。
●「なぜ多くの正露丸が発売されているのか」
この疑問に関しての事実がある。昭和49年(1974)の朝日新聞、3月6日によ
ると「正露丸」は普通名詞、苦い争い20年にケリ」と題した記事が紹介されてい
る、内容を要約すると、ラッパのマークの大幸薬品が独占使用権を以前から主張して
いたのに対し、一般普通名詞として自由使用を訴えたきた数社の薬品会社間における
決着が最高裁の判決によりようやくついて、自由使用権が認められたのであった。そ
の結果が私が30個ほども違った会社の正露丸が手元にある理由であった。
●「正露丸界のシーラカンス」
さて現在は征が正となったことはすでに説明したが、実はただ1社のみ現在でも征露
丸の名で発売している会がある。
奈良県にある薬品メーカーで明治42年より頑固にこだわっているという。
●「正露丸」コレクション
ここで色々な種類を紹介します。


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