吾輩はハトである。名前はまだない。
しかし、背に刻まれたV字模様、それが証となり、あほまろに「ビクトリー君」と名付けられているようだ。まことに光栄……と見せかけて、実のところ吾輩にとって名などどうでもよい。人間は勝手に呼びやすい音をつけて悦に入る生き物だからな。

毎朝、あほまろは妙な黒い箱を抱えて境内を徘徊している。人間社会では、それを写真機というらしい。
ふむ、老いてなお、吾輩の舞を記録せずにはいられぬらしいぞ。写真機の音は拍手のごとく心地よい。
吾輩が舞えば、あほまろは息を呑み、犬友たちは目を丸くする。つまり、ここは浅草寺。朝の境内こそ吾輩の劇場であり、この舞台の主役は言うまでもなく吾輩なのである。

犬どもも面白い。毛むくじゃらの小さな獣を抱きかかえて現れる人間たち、彼らは「一緒に」と笑いながら近寄ってくる。棚に佇む吾輩と愛犬を並べて写真を撮りたがるのだ。よろしい、写真ぐらいは撮らせてやろう。
笑うことでしか存在を誇示できぬらしいからな。だが忘れるな──犬は添え物、吾輩こそが中央に据わる存在である。
むしろ吾輩以外はボケても構わぬのだ。それが、あほまろの性格なのか、それとも犬より吾輩を好んでいるのかは定かではない。
時に吾輩は考える。
なぜ人間は空を飛べぬのに、ここまで偉そうに振る舞うのかと。飛ぶことこそ自由、舞うことこそ勝利。地に足を縛られた彼らが羨望の眼差しを送る先、それがこの翼であることを、吾輩はよく知っている。

そして今日もまた、あほまろがやって来る。
境内の朝を切り裂き、吾輩は翼をひろげて灰をかく、これは一種の照れ隠しなのだ。

「待たせたな、あほまろ。今日も我が舞を心して撮るがよい。」

その一瞬、犬も人も、すべての視線は空の吾輩に注がれる。
──これぞ勝利、これぞビクトリー。

第二章 境内の記憶に続く。

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