東京寄席さんぽ十二月下席
めでたく終了

 今年の一月初席から書き始めた「寄席さんぽ」も三十六回目になった。……………………。しばし感慨にふけってみたが、考えてみれば、そんな悠長なことをしている場合ではなかった。だいたいこの原稿を書いているのが○月○日の午後五時半なんだからシャレにならないのである、なんという楽屋話をしている暇も惜しい。さあ、のこり十日間、いくぞ怒涛の落語生活!

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 十二月二十一日(金)

 <読売GINZA落語会>(ルテアトル銀座)

 三太楼:反対車

 志ん輔:尻餅

 喬太郎:鍼医堀田とケンちゃんの石

  仲入

 小遊三:千早ふる

 ざこば:漫談

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 今日は年に何回の予定だったか忘れたが、とにかく今年始まった「読売GINZA落語会」の第三回目である。いつまで続くかは誰も知らない。とにかく意欲的な会なのであるから、みんなお金を払って見に来てちゃうだいね。一応関係者の一人である僕はお金を払ってはいないが、そのぶん皆様より早く会場に来て、関係者招待者の応対窓口をやらなければならない。別に難しい仕事ではないのだが、招待者の先生方はそんなに早く来ないというかたいてい遅れていらっしゃるのは自分が招待者になった時を思い出してもその通りなので開演しちゃってもしばらく受付デスクを離れられなかったりして結局はじめの二つぐらいを見逃してしまうことになるのだしかし句読点がないと読みにくいだろうな途中から気がついたんだけどもう後戻りしたくないしみんなごめんごめん。

 というわけで(どんなわけじゃ!)、今回も六時半開演なのに五時過ぎに現場じゃなかった、会場のルテアトルに到着である。受付だけならそんなに早くくることはないのだ招待客はおそいのだから(しつこい)。いつもより早くきたのは「寄席かるた」のチラシを挟み込まねばならないのと、それから、喜ばしいことにA新聞社の東京版が「寄席かるた」の取材をしてくれることになているのだ。

 奥野かるた店特製の「寄席かるた」チラシ五百枚を挟み込み、エキゾチックな面立ちのY記者にインタビューのようなものを受け、いつものようにエレベーター前の受付で、「あ、Y本先生どーも」「Y川先生ごぶさたでーす」なんてやってたら、三太楼の高座が終わってしまい、客席に滑り込んだのは、志ん輔が長屋のカミサンの尻で餅をつく真似をはじめたころであった。

 本日の呼び物は、喬太郎のネタおろし新作と、普段なかなか聴けないざこばの上方落語だ。喬太郎の登場に、客が身を乗り出す気配がした。もちろん僕も、妙に座りごこちの良いルテアトルのイスの上で姿勢を正した。

 状況から言えば、力が入って当然のはずの喬太郎だが、意外にもテンションは低い。淡々と語りだすストーリーは、彼の新作には珍しい、下町人情ものの雰囲気をたたえていた。池袋北口のソープランド、売れないソープ嬢たちの控え室、近所の洋食屋のケンちゃんが出前を持ってきての雑談。乱暴な会話の中に、温かい交流が垣間見えるが、ケンちゃんの体が突然痛み出し、この洋食屋のマスターが「移動性結石」という奇病におかされていることがわかる……。

 落語好き、新作好きは、いつもの喬太郎落語とは肌合いの違う物語に驚き、いわゆる「ルテアトルの客」は場末のソープランドという設定にとまどう。高座と客席に不思議な空気が流れる中、物語が進んでいき、後半唐突に現れる鍼医者の堀田三郎が、ケンちゃんの結石を体外に出すことに成功する。この当たりから、勘の良い客がクスクス、クスクスっと笑いだしたが、正直、僕はまだ喬太郎のとんでもない企みに気がついていなかった。ケンちゃんの全快、結婚を認めなかった息子のフィアンセとの和解、そしてケンちゃんの店で和やかに行われるソープ嬢たちのクリスマスパーティー。ケンちゃんの難病を治した堀田三郎の名声は全国に広まりというあたりでやっと気がついたが、もうその直後に喬太郎はサゲの言葉を言うのだった。

 「鍼医堀田とケンちゃんの石という一席でございました」

 映画と小説で大人気のSFファンタジー「ハリー・ポッター」の第一作目の「題名だけ」のパロディー。いやいや、なんというか。抑制の利いた語り口は、この仕掛けを隠すためのものだったのだろうか。仕掛けの面白さは、いうまでもないが、いわゆる「今風」のカップルも、エキセントリックな脇役も出ない地味な物語展開は、明らかに従来の喬太郎落語とは一線を画している。「鍼医堀田」に第二次喬太郎落語の兆しを見た、といったら大げさであろうか。

 軽快な小遊三の長屋物をはさんで、トリのざこばである。並々ならぬ噺家魂の持ち主であり、テクニックよりも情に訴えてくる高座はインパクトが強い。放送やCDで聴いただけでも、そのぐらいはわかる。おそらく初めての生ざこばに、期待は高まる。加えて、今日のネタである「首提灯」は、いわずと知れた三遊亭円生の十八番である。上方落語ではそういう型があるのか、鳴り物は使うのかなど、見所聴き所はたくさんあるのだ。わくわくして聴いていたが、いつまでたってもマクラが終わらない。

 志ん朝師との思い出、よく松鶴の弟子に間違えられるという話、ではなぜ松鶴でなく米朝なのかという分析……。面白い。本音を隠せぬストレートな気性が伝わってきて、落語好きにはたまらない。おそらく楽屋にいる東京落語家も楽しんでいるに違いない。盛り上がったマクラの半ばで、ざこばが言った。

 「今日は、(ネタ)はいいやろ。時間ものうなってるし、ワシこれから新幹線のらんとアカンのですわ。ネタはまた今度、どっかでやるわ。このまま話、続けましょ」

 これはないだろう。通常の寄席興行のゲストならいざ知らず、大きなホール落語で、その日の演題を発表していて、しかもトリである。しかも、さこばは関西圏で活躍している噺家である。今日ざこばの上方落語を聞き逃した客は、この次いつどこで聴けと言うのか。自分の感情のなすまま、本音で動くざこばは、現代では貴重な噺家らしい噺家だろう。しかし、落語会での自分の位置と役割を理解していない、あるいは知っていて無視したのかもしれないが、今日のざこばの料簡はいただけない。今日の会の関係者だからではなく、一人の落語好きとして、これだけは明記しておきたい。

 終演後、近所の読売ホールで「談志の会」を見ていた連中と合流、銀座の裏通りのA社御用達(?)の居酒屋でおだを上げる。いろんなものを見た夜であった。

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 十二月二十四日(月)

 <北陽ひとり会>(紀伊国屋ホール)

 北陽:森の石松

 昇太:力士の春

  仲入

 北陽:左甚五郎・サンタクロースと鼠小僧特別篇

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  今年のクリスマスは北陽を聴く、と理由もなくずいぶん前から決めていた。新宿通りを西へ。クリスマスだから当たり前だが、表通りはラブラブなカップルがちんたらちんたら歩いていて大渋滞である。やっとのことで紀伊国屋の四階に辿り着いたら、あららららー、超満員ではないか!

 七時をまわると、前座も前説も何もなし、いきなり北陽の登場である。

 「私の会はオンタイムでやることになってまして。ここは十分過ぎると追加料金を取られるんで、あわてて出てきたんですよ。ところでみなさん、今日がクリスマスイブだということをご存知ですか?『しまった、今日だったのか!』という人はいないでしょうね。そうそう、うちのオヤジ、十二月二十四日が誕生日なんですよ」

 聴いていて、実は僕の父親もイブの日が誕生日だということを思い出した。すっかり忘れていたので、プレゼントも買ってないし、電話もしていない。だいたい最近実家に寄り付かないもんな。年内に一回ぐらい顔出さなきゃ、などと考えていくうちに、北陽のマクラはあの激しい張り扇に乗って、ぐんぐん加速していた。

 「キリストは三十五歳で死んだといわれているんですが、そうだとしたら今の僕と同い年なんですよ。浅野内匠頭も三十五で切腹したんです。だからどうだというわけではないのですが、そんな気持ちでひとつ話を作ってみました」

 都鳥一家のだまし討ちにあって閻魔堂で死んだ森の石松が、昭和四十年に生まれた赤ん坊に転生した。前世の記憶が消えないうちに、次郎長親分が自分の敵討ちをしたかどうかの顛末を知ろうと、学生に抱かれて上野本牧亭に入り、講釈師に「次郎長伝」を注文するーー。

 うーむ。物語としては、未消化な部分が多いなあ。昭和四十二年という半端な年代設定が、もう一つ物語の根幹とからんでこない気もするし。しかし、北陽の新作は、多少の難はあっても気合で聞けちゃうのはどういうことだろう。この辺が落語と講談の違うところで、講談は「語り口」そのものが芸なのである。だから、修羅場の意味なんてまるっきりわからなくても、上手い人ので聴けばとってもいい気持ちになる。北陽の語りにも、その強さがあるということだろう。この素晴らしい語り口に見合う新作を作るのが、真打・新山陽の第一歩になるのだろう。

 今日のゲストは、北陽の遊び仲間というか同棲相手と言うか、とにかく仲の良い昇太である。高座に登場するや、いきなり張り扇をパパンとたたいて「メリークリスマス」とご挨拶だ。「北陽の子供、下がアトピーで、上がうそつきなんですよー」なんていってる後ろを、高田文夫が横切っていく。

 「拍手なんかしなくていいですよ。また出てくるから」

 ほんとにまた出て来た。

 「電報です」

 「(昇太がメモをあけてみると)チビでヘタ……」

 なにやってんだか。

 「ここ何年か、誕生日とクリスマスには、部屋に必ず北陽がいるんです。そうじゃなければ清水宏。昨日もいたんですよ、北陽が。僕のうちの二階で新作書いてたの。この間、北陽がね、『二十四日、兄さんの昼間の会に出してください』っていうんですよ。『いいよ』っていったら、『じゃ(夜は昇太が北陽の会にでるのだから)ギャラは相殺ですね』だって。『オレは真打、お前は二ツ目じゃないかー』って文句言ったら、『僕は山陽ですよ。兄さんはずっと昇太じゃないですか』なんていって、もう」

 仲入をはさんで、またまた北陽があわただしく登場である。来年夏に、師・神田山陽の名前を継ぐことに対して、ちらり本音を。

 「僕ら芸人にとって、一番嬉しいのはですねー、真打の披露口上に、自分の師匠が並んでくれることなんです。名前を継ぐのは、それに比べたら、どうってことないんですよ。今日の新作は、昇太兄さんちの二階で作りました。ここなら東京で一番寂しい気持ちになれるだろうと思って」

 トリネタは、自作の左甚五郎の出世前のエピソード。十八番「鼠小僧とサンタクロース」の短縮版をおまけにつけて、この物語と甚五郎を結びつけてしまう荒業には仰天した。輪廻転生、合縁奇縁、流転の人生を描く北陽の二席。クリスマスに聴く意義は……、うーん、とくにないけど面白いからいいか。

 会がハネたあと、小じゃれた店はクリスマスで混んでいるだろうからと、南口あたりのわき道に入って、「単なる居酒屋」という風情がすがしい「浪漫房」へ。グラスワインとアボガドか何かのサラダで、クリスマスとオヤジの誕生日に乾杯をした。

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 十二月二十六日(水)

 <正楽のラストクリスマス>(池袋演芸場)

 仙一・仙三:プロジェクトX仙之助物語

 正楽

 ○○助:懐かしのヒーロー

 仙三郎:サンタの曲芸

  仲入

 正楽

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 正楽の独演会は毎年二十五日にやっているのだが、今年は二ツ目勉強会に日を譲って、二十六日の開催である。毎年、会が近づくと本人に「何やるんですか」と聞くのだが、「んー、まだ何も考えてない」とはぐらかされる。一説によると、ほんとに土壇場までなんにも考えていないらしいという…。

 露払いは、太神楽連中の出演。さきごろ亡くなった鏡味仙之助の生涯を、NHKの人気番組のスタイルを借りて振り返っていく。あの独特の語りで、ありし日の仙之助仙三郎コンビのパネル写真を見せ、仙一・仙三コンビのコント風太神楽でつなぐアイデアはいいが、いかんせん、あきらかに準備不足。グラスに水を入れたものを楽器がわりに演奏するのなんて、もうちょっと稽古すれば楽しい芸になったのにね。やっぱし今年もぶっつけなのか?

 もう一人のゲストは、本来、池袋演芸場には出られない芸人さん。したがって、名前はふせます。ヒントは、かつて正楽、右朝、世之介らと芸人バンドを組んでた人ね。それ以前に、ネタでわかっちゃうかもしれないけど。ウケてましたよ、この日は。

 仙三郎は、サンタの衣装と付け髭で奮闘したが、見てていかにも暑そうだった。だって、真っ赤な帽子の下から、だらだらだらだら汗が流れ出して来るんだもん。

 正楽はいつもの芸をたっぷり目に。後半は、OHPを使った話題のパノラマ紙切り。正楽襲名披露興行で観客を泣かせまくった「ひばりメドレー」に加え、今回初披露は「ビバルディの四季」。「『菊輔の会』用に注文を受けたのだがまだ未完成」という楽屋情報だが、雑木林の風景の上に、細かく切った木の葉を何枚も置いていき、ふっと一息で葉を飛ばす工夫は、はっとする美しさなのである。この人の紙切り、いつか寄席の枠を飛び出していくような気がしてならない。この先、どういう風に芸が広がっていくのか。来年も見守っていきたいなあと思った。

 仲入時に、モギリの脇のカウンターで、正楽サイン付「寄席かるた」を販売。終演後は、演芸場裏の「南国」で打ち上げだ。仙三郎さんと初めて話たが、ひじょーにまっすぐな人で、色物として芸人として、プライドを持って仕事をしているという、考えてみれば当たり前の生き方に、ちょっと感動してしまった。仙一に、「ながいさん、かるたの在庫、何でプレイステーションの袋に入れて持ちあるいてるんですか?」と聞かれた。ふーんだ、教えてあげないよー。

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 十二月二十九日(土)

 <さん喬権太楼の会>(新宿末広亭)

 さん太:一目上がり

  太助 :金明竹

 喬之助:持参金

 権太楼:試し酒

 ゆめじうたじ

 さん喬:らくだ

  仲入

 さん喬:笠碁

 東京ボーイズ

 権太楼:茶の湯

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  前日やっとこ本業が片付いて竹橋のホテルで大忘年会をやり、ついでに神田外語学院前の「歌広」で一時過ぎまでカラオケをがなった後遺症で、昼前まで爆睡。今日は年末恒例、いまや落語ファンの聴き収めイベントとして定着した「さん喬権太楼の会」である。今日も今日とて、会に来たお客さんに「寄席かるた」の販売をさせてもらうので、新宿三丁目交差点近くの「追分だんご」でだんごをみつくろってから、午後四時前に末広亭へ。

 と、いきなり、席亭、落語協会Y氏、K之助の「ながいさん、おそいよー」の大合唱である。夜の部の客はすでに長い行列を作り、テケツの横には予約名簿のチェックのため落語協会のカウンターが出ている。このカウンターに「寄席かるた」を置かせてもらう事になっていたのだが、みんなが準備しているのに僕だけ遅いのはちょっとまずかったか。ごめんごめん。

 並んでいる人たちに「かるた」のチラシを配っているうちに、はや昼の部「二朝会」の終演である。今回は「右朝をしのぶ会」という特別バージョンだった事もあって、いつにもましての大盛況。出る人とこれから入る人で末広亭前は、なんだこりゃの大混雑である。これでは「かるた」をうるどころではないなあと呆然としていたら、昼の部に出ていた正楽がぬぬぬっと登場。「かるた」を買ってくれた人に握手などし始めたら、「かるた」カウンターにも人が群がってきた。もう、誰が帰って誰が入場して誰がスタッフで誰が芸人で誰が通りがかりだか、まーったくわからん状態の中で、末広亭にストックしてあった「寄席かるた」約五十個が売切れてしまった。「もっと仕入れとけば、売れたなあ」と席亭があせっても後の祭りである。あわてて奥野かるた店に追加発注をしたが、もう間に合わないでしょう。開演時間間際に売り子から解放され、正楽私設秘書(?)のおたまちゃんに確保してもらっていた席につこうとしたが、立ち見のお客さんがいたるところにいて、なかなか辿り着けない。こういう状況なら、僕が座るべきではないのかもしれませんね。すみませんすみませんと頭を下げつつ、席について小さくなっていた。今日は謝ってばかりだな。

 喬之助の「持参金」は、故・右朝の直伝。今日は昼の部が「右朝をしのぶ会」だったこともあり、右朝追悼の意味も込めて演じたと、終演後に本人から聞いた。そういう特別の意味があって演じたネタだったのだが、権太楼は、「この噺がきらいだ」と話し始めた。

 「喬之助がキライだというわけじゃないけど、『持参金』は嫌いです。番頭がテメエで処理しろ。おなべと所帯を持てっつーの。あと、『文違い』のえーと、誰だっけ(客席から「音次郎!」)そう、音次郎も嫌い。いい男ぶりやがって。商売女から金取るんじゃねえ!やる人の根性がわかるよね。さん喬さんはやってます…。(爆笑)『一人酒盛』も嫌いですね。なんでこーゆーのやるの?アタシ、来年やりますけどね。(笑)『品川心中』のおそめも嫌い。金蔵がかわいそうだもん。自分がそういう人間なんですかね?だからそう思っちゃうのかな。

 「試し酒」。久蔵が五升の酒を飲むところ、権太楼が飲む、一杯ずつの所要時間を測ってみた。一杯目四十六秒、二杯目は休み休みで四十五秒、三杯目も四十五秒なのである。やっぱり計算しているんだなあ。

 ゲストは権太楼好みのうめじうたじ。

 「われわれ漫才の場合、お客さん三人は必要なんですよ」

 「早い話が、我々以上にはいてほしいということ」

 「二人来て、二人で並んで聴いてくれればいいけど、他人様どうしでね、あっちに一人、こっちに一人。これじゃ、どこ見てしゃべっていいかわかんない」

 「それにしても、今日はなんでこんなにいるんだい?」

 「知らねえ」

 「普段もでてるのに…」

 「普段来りゃあいいのに」

  さん喬は、「らくだ」に入る前に、いつもの末広亭専用マクラをふった。末広亭に出るときはたいてい、これ。一年の総決算の会だけに、マクラも総決算なのだろう。

 「都内には四つの寄席があります。ここ末広亭は、床の間に、戸襖まである。戸襖、まかります?よくお芝居で死骸を運んでるじゃないですか。後ろの額には、墨痕鮮やかに……、よくきたねって書いてある。ほんとは『和気満堂』と読むんですか?(上手を向いて)向こうは楽屋。障子の向こうには、お三味線の、今日はおけいさんですね。青学出て、お囃子やってる。びっくりするような美人です。お見せしてもいいんですけど、(拍手が鳴って)ほんとにみせちゃおう(と、障子を開けに行く。中でおけいさんが会釈をしている)。今のは円蔵風のくすぐりでした。(上を見上げて)提灯がありますね。木造平屋、火をつければすぐ燃える。今年一年、こういうマクラを振ってたんですが、こんなに笑ってもらって…。いかに普段来てないかがわかりますねー」

 久々に演じるという「らくだ」は、さん喬らしく、兄貴分の啖呵も、屑屋の酔っ払いぶりも、実にきれいな形なのだ。まさに芝居の一こま。兄貴分が「どぶろくのマサ」、屑屋が「トメさん」、隠忘が「ヤス」。初めて聞く名前ばかりだが、これはさん喬の命名なのかな?

 仲入をはさんで、さん喬「笠碁」は、碁の待った待てないで喧嘩する二人の旦那の品がよく、かなりの大きな店の感じがする。ディープな長講の多いさん喬としては、長編だが軽くやわらかい。こういうの、寄席のトリでバンバンやればいいのに。

 今年は、権太楼がトリの当番。得意の「茶の湯」だけに、マクラから余分な力が抜けて好調である。「本物の阪神ファンはねえ、開幕三試合で、『来年がんばろう!』と決意するんですよ」なんてバカ話から、すーっと本題に入ると、場面はいきなり漫画チックになる。ニセ茶の湯に使った椋の皮の泡が部屋中に広がったり、幽霊のような手つきで茶碗を三度ぐるぐる回すしぐさなど、権太楼ならではの爆笑落語に仕上がっているが、これを真剣に茶の湯をやってる人たちに聞かせたら、大笑いするのだろうか、それとも起こるのかな?

開演から息もつかせず四時間半。聴いたぞーという充実感と、あーつかれたという疲労感。もう何年も前から、僕はこんな落語の聞き納めを繰り返しているのだった。

 これで、二十一世紀の最初の一年の僕の落語日記も大団円である。新しい時代の幕開けに、なんて紋切り型の言葉が、落語の世界、寄席の世界では、志ん朝師をはじめとする何人かの逝去で、本当にリアリティを持ってしまった。何年か、あるいは何十年か先に振り返れば、きっとあの年が節目だったんだよと思うような一年なのではないかという気がする。そんな重要な年ではあるが、僕はあいも変わらず寄席と会社と食い物屋行き来しているだけだった。この一年の、僕のしょーもない日常を、落語鑑賞を中心に、なるべく率直に正直に書いてきた。僕の文章に嘘偽りがないのは、読む人が読めば分かってもらえるはずである。来年もいいものを見聞きし、上手いものを食って、今年よりもほんのちょっとましな文章を書くことが出来れば、それでいい。もしも僕の落語の見方、接し方に、共感を持っていただける方がいたら、上野や新宿や浅草や池袋で、気軽に声を掛けてください。ではまた、寄席で会いましょう。

 

おしまい

 


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