東京寄席さんぽ十一月下席

 僕という人間は、よそサマからどのように見られているのだろうか。

 そんなこと、今まであまり考えた事がなかった。考えないようにしてきたという方が正しいかもしれない。どこからどうみても、あまり人様に自慢できるようなことはしてないからなあ。

 「定点観測」が出版されて以来、どことなく、ノーブルで清潔で知的で少し翳りのある、なんてことは全然ない僕のこのフツーの顔が、楽屋や客席で少しは知られるようになってきた。よーするに、面が割れてしまったのである。僕は知らないのに、相手が僕の事を知っているというのは、考えてみれば、あまり気持ちのよいことではないよね。

 どう思われているかは、だいたい見当が付く。

 「あ、あいつ、また寝てる」「安そうな弁当食ってるなあ」「あの連れはだれだろう」「こせこせこメモ取るんじゃねーよ」「お、トリまで見ないで帰るのか」

 こんなところだろうか。あ、大事なのを忘れてた。

 「あいつ、あれで、いつ仕事してるのかね」

 ほーら、今読んでるあなたも「そうそう」と思ったでしょ。まあ、だからどうだということもないのだが、単なる凡人である僕もさすがに人の目は気になる。最低限、居眠りはやめようとか、弁当は見栄えの良いものを用意しようとか、考えたりしたこともあったが、すぐに嫌になった。ニンに合わないことは、本当に長続きしない。

 どんなに飾っても、どんなにへりくだっても、僕は僕であり、それ以下でも以上でもない。他人に迷惑をかけない範囲で、好きなことを好きなふうにやるだけだ。寄席で笑い文楽で泣き歌舞伎で足腰を鍛錬し(三階席はつらいからね)下町洋食屋でよだれをくりDVDショップでカルトなソフトを漁りサッカー&ラグビーのテレビ観戦に胸躍らせ時たま会社で仕事をし密かに次の本の執筆をしていれば、月日はまったりと過ぎていくばかりである。世間は十一月の末。年の瀬が近づいてきた。

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 11・21(水)

 <末広亭・夜席>

 京太・ゆめ子(今丸代演)

 柳昇:結婚式風景

  仲入

 遊之介:真田小僧

 ひでや・やすこ

 鶴光:犬の目

 桃太郎:漫談

 キャンデーブラザーズ

 主任=小柳枝:井戸の茶碗

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 今年はさん喬・権太楼系ばかり見ているせいか、夏以降、芸協の興行へ登板回数が激減している。「定点観測」のころは、協会・芸協を半々に見てたのにって、当たり前だよね「定点観測」なんだから。「よし、芸協を見よう」「見るんだ」「見なければ」と、三段階増毛法のように己を鼓舞しつつ、末広亭の木戸をくぐった。

 夜七時十五分で、八十人弱。入りは悪くないが、客の主体は団体さんである。途中で帰られちゃうと寂しいんだよねー、これが。

 高座では、バリバリの栃木ボーイ、東京太が、ゆめ子相手に栃木弁なまりで何か薀蓄をたれている。

 「ファッションのことを僕が話してもサマにならないかもしれないけど」

 「(即座に)三頭身だもんねー」

 「何いってんだ。これからはアイビーが流行るんですよ。襟巻きをね…」

 「マフラーっていいなさいよ」

 「その襟巻きの先っちょに重しをつけて、前のめりになるの。おばーちゃんたちは腰が曲がってるから、首が絞まらないでしょ。腰曲がってる人用のファッションなの。で、うんしょ、うんしょと歩く。いずれ若い人もやるようになるよ、エイビールック」

 「何それ、アイビーじゃないの」

 「アンタ、なまってるんだ。腰が曲がってるから、エービーなの!」

 うーむ、あまりにベタで笑えない。ぼーっと聴いていた僕は、二十代半ばを宇都宮&今市で地方(痴呆じゃねーぞ)記者としてすごした僕は、地元天狗連の会で聴いた尻り上がりの江戸弁を思い出していた。

 「アタシはこう見えても、栃木の少年歌手だったんですよ。北島三郎が同期なの」

 「で、あんたは息ギレ」

 うーむ。次、行こうか…。

 後半一番手、食いつきの遊之介は、どうも肌に合わない。童顔で舌足らずという特徴が、ぶっきらぼうな口調と合わず、なんだか聴いてて落ち着かないのである。ところが、今日のマクラは面白かった。

 「こないだ仲間と居酒屋に入ったんですよ。噺家仲間だから、いい店なんて入りゃしません。で、メニューを見たら、牡蠣鍋が八百円もする!そんな高いの食べるわけないでしょ!脇を見たら、『湯豆腐 四百円』。こりゃいいってんで、一人前、ペロッと平らげたら、鍋と汁しか残ってない。またメニューを見たら、『冷奴 百五十円』があるじゃないですか。これをどんどんおかわりして、鍋に入れて食べたんですよ。んで、その次その店にきたら、

メニューから冷奴がなくなっていた…」

 ネタはマクラとぜーんぜん関係ない「真田小僧」。マクラはぶっきらぼうな口調で貧乏ばなし、ネタは童顔を生かした子供のはなし。遊之介の二つの個性が別々にに機能したために、お互い邪魔しあうことなく、楽しい高座になっているじゃん。しかし、マクラとネタ、こんなにバラバラでいいのだろうか。

 「お前ね、おれを誰だと思ってるんだ」

 「ほーら、みなさん、もう自分の名前もわかんなくなって」

 亭主のツッコミを笑顔でいなす新山やすこは、どこへ出してもおかしくない茨城弁のネイティブである。ダンナのひでやは栃木県。前半に出た東京太も栃木。そのほか、漫談のローカル岡が茨城だし、芸協の色物は、北関東が主力だったりして。

 鶴光が東下りをして芸協に加わってから、もう何年たつのだろうか。浅い深いの出番に関わらず、どこに入っても確実に笑いを取れる、貴重なユーティリティー・プレーヤーだ。マスコミの仕事をしながら、鶴光がこれだけ寄席に出られるのだから、米助、夢之助あたり、もうちょっと考えてもらえないかなあ。もっとも、東京暮らしが長くなった鶴光にも、いろいろ悩みはあるらしい。

 「今、単身赴任してまんにゃわ。この間、一か月ぶりに我が家に帰ったら、誰もおれへん。仕方がないので、勝手に冷蔵庫を開けてビールのんでました。で、しばらくすると息子が帰ってきたかと思うと、わしの顔見て『おかーちゃんは?』やて。こっちが聞きたいわ。で、ようやくカミサンが帰ってきたら、『子供達は?』。ふと殺意を感じるのは、こういう時でんなあ」

 ネタの「犬の目」は、あくまでも軽く。マンガチックな噺なので、くどくやれば、鶴光クラスならいくらでも笑いが取れそうな気がするが、さらっとやってクスクス、なのである。上方の江戸っ子、なのかもしれない。

 続く出番は、江戸っ子とはあまり縁がなさそうな長野県出身の桃太郎。この人が「たがや」や「大工調べ」をやるのは、まず想像できないな。ぼそっとつぶやくような啖呵なんて面白いに違いないと思うのは、マニアだけだろうか。

 「松坂が…、十八歳で五億円稼ぐんですね。私だって五億あったら、今日ここに来ませんよ。(はきすてるように)誰がくるもんですかっ!(やや声を落として)五万円でも考えますね」

 「井の頭公演で…、デートしますとね、そのカップルは別れるというんですね。これでいいのかしら?って考えるらしいです」

 「永井荷風が…、見直されているんですってね。フランス座行って、踊り子可愛がってね、結婚したら、家風(荷風)に合わない。(あまりウケないのに落胆した様子で)……これ、意外に気がつかないんですよね」

 松坂も井の頭公園も永井荷風も、桃太郎落語では同じレベル。駄洒落の対象でしかないというのが、愉快愉快である。

 キャンデーブラザースが、傘の上で駅鈴をカラカラカラと鳴らす。いやあ涼やかな風情だなと振り返ると、団体客が引き上げた空席に、うそ寒い風が吹いているばかりである。

 トリの小柳枝は、客席の寂しさなどお構いなしに、とんとんと軽快に売り声のマクラをふっていく。

 「麻布の谷町に屑屋の清兵衛さんという…」

 十八番の「井戸の茶碗」だが、この夜は、売り物の流麗な口調がやや上滑り。間が微妙に詰まって、落ち着きが悪い。それでも、この人の紡ぎ出す江戸の風景は懐かしく嬉しい。

 仏像から出てきた五十両の金のおっつけっこ。武士どうしの意地の張り合いに辟易した屑屋の清兵衛が金を置いて帰ろうとするのを吹き矢で脅かすギャグが、弟弟子の昇太と同じというのが、ちょっとうれしい。

 江戸っ子の噺の後だからというわけではないが、新宿三丁目の角のビルの地下で安い寿司をつまんだら、意外にうまいくて、またうれしかった。

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  11・25(日)

 <権太楼日曜朝のおさらい会>(池袋演芸場)

 さん太:一目上がり

 権太楼:文七元結

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  権太楼が池袋で隔月に開いている「おさらい会」は、たいして宣伝もしないのに、毎回大盛況。もともと常連が多い上に、初回の客がきちんと裏を返すものだから、人数は増えるばかりである。十一時半の開演時間に行ったら、まず入れない。開場時間でも、いい席を確保するのは難しい。寄席の前に行列が出来る時間はどんどん早くなり、行列自体も長くなる。ところが、肝心のスタッフ(つまり権太楼一門ね)の到着はかなり遅い。朝の遅い噺家さんに十時台に来いといっても無理かなとは思うが、飲み屋とカラオケ屋ばかりの池袋西口の朝の行列は、かなり異様なものである。通りがかりの、あまりカタギとは思えない(?)の人々の、怪しいものをみるような目つきが痛いんだよね。ほんとは僕達のほうがカタギなのにーと反論したいが、「ほんとか」と自問する、もう一人の自分がいたりする。だから早く木戸をあけろっていうのにー。

 とはいえ、開場時間ぴったしに中に入ると、開演までの三十分、実にどうも間が持たないのだ。ま、客席を見渡せば、顔見知りの一人や二人や三人や五人や七人ぐらいはいるのだが、何せキャパ九十いくつの狭いところにギッシリ詰め込まれている。これまた狭いロビーに行くのもうざったいのである。しかたなく「かわら版」の読み残しの記事に目を通したり、遠くの席の知人とマニアックな一問一答をしたりして、過ごすのである。だから早く前座出て来いっていうのにー。

 三太の「一目あがり」。前座としてはまあまあと思ったが、権太楼は気にくわないようで、マクラ代わりの「公開反省会」である。

 「だれに教わったんだ」

 「三太楼兄さんに…」

 「さんたろぅ?ふーん。とにかく、お前のは押すだけ。それじゃだめだ。『だれだと思ったらガラか』『なんだい、今日は八がないのかい』、このセリフも一度引かなきゃだめだ」

 てな感じで、具体的な指摘が飛び交い、僕らも興味津々で聴いてしまう。ところどころで笑いが漏れたり、公開稽古が見事に芸になってしまうのは、権太楼が客にも弟子にもこびることなく、まっすぐ芸に立ち向かっているからだろう。

 「プログラムには『文七元結・通し』と出てるけど、あれは間違い。『文七』に、通しも上下もないもの。でもね、このごろアタシとさん喬さんで会をやることが多いんだけど、そのときよく『文七』をリレーでやるんですよ。なぜかというと、あの人(さん喬)、長いでしょ。そういうネタばかしだしてくるんですよ。で、アタシが短いとなんだか手抜いているように思えちゃうでしょ。だからつい、こっちも大ネタ出して、長くなっちゃうの。その点、『文七』を上下に分けてやると、時間はわかってるし、一席分時間が助かるのよ。そんなこんなで、前半、後半なんてのばかりやってるから、一席丸ごとやろうかと…」

 なるほど、そういうわけだったのか。しかし、この「おさらい会」、本来ネタの虫干しのはずだったのに、最近は十八番ネタが出てきたりして、「おさらい会」という名前の独演会のようになってる感じもする。今日の「文七」も、申し分のない出来で、いまさらあそこをどうとかこうとか、会がはねて「三原堂」でそういうディテール話が出来ないのが物足りないのである。

 「三原堂」の雑煮の後は、渋谷に遠征して「たばこと塩の博物館」で、煙草入れや根付の展示を見る。渋谷に来るといつも「久しぶりだなあ」と思うのは、ここに寄席がないからに決まっているが、遊び場所が上野浅草池袋西口に新宿三丁目というのは、いかがなものだろうか。

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 11・26(月)

 <鈴本・夜席>

 さん喬:そば清

  仲入

 正楽:鶴の舞・お酉様・フラダンス

 文楽:掛け取り(たい平と出番交換)

 権太楼:ぜんざい公社

 小雪(のいこい代演)

 主任=三太楼:くしゃみ講釈

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 真打昇進後の初めてのトリ。芸人も本人も注目するイベントが、三太楼の場合、ずいぶん早くきた。ついこの間披露目をやったばかりの鈴本で、もう夜の部主任とはたいしたものである。

 およばずながら応援しようと思ったが、片付けねばならない仕事の方は誰も応援してくれない。結局、仲入前のさん喬に滑り込むという、僕の寄席見物で最も多いパターンを踏襲することになってしまった。ああ。

 さん喬「そば清」は、今年何度聴いたかな。この人にはもうひとつ「時そば」というそばネタがあるのだが、そっちはなかなか当たらない。「そば清」ばっかしなの。おかげで「どーも」という清さんの声を、さん喬以外で聴くと、違和感があるんだよね、まったく。

 食いつきは、揺れる正楽。この人の、「すべては客の注文次第」という肩の力の抜けた高座を見ていると、「天災」の「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」という柳の心持を思い出してしまう。

 「ご注文は?」「鶴の舞!」「いい注文です。鶴の舞…。鶴が舞っているんです」って、何も考えてないだろー。

 「毛の話」以外のネタ、久しぶりに聞いたぞ文楽の。喧嘩で掛取りを追い出すくだり、難癖のつけ方が堂にいってるじゃないか、って褒めてるんだからね。

 権太楼「ぜんざい公社」は、いつものことながら全力投球だ。 「ゆーせー三事業だって民営化しようという世の中に、ぜんざい公社とは」

 「鈴木宗男、三十八歳、会社員、ヒラ」

 「尊敬する人は?」

 「(さっき出た)桂文楽師匠」

 「ヨイショですね」

 「あなたは今まで、ぜんざい食べて狂牛病になったことがありますか」

 「あるわけないでしょー!」

 しかしまあ、大人気なく、どっかんどっかん笑わせちゃったりして。あのさー、若い真打がはじめてトリとるんだからさー、少し遠慮した方がいいんじゃないのー。

 小雪の一つ鞠をはさんで、さあ、バカ、じゃなくて若武者三太楼の登場だあ。ネタは「くしゃみ講釈」。このネタ、最近若手がよくやるよね。今回の十人真打だけでも、禽太夫、一琴で聞いたことあるぞ。きわめて大雑把に言えば、間抜け男の復讐談ではあるが、この噺の場合、主人公のマヌケ度が高いほど面白い。そういう点では、三太楼にはぴったりの噺かもしれないって、これも褒めてるんだからねー。

 しかしここんとこ寒い日が続く。家に帰る前に、ちょいと立ち飲みでグイッ。と、いけばいいのだが、下戸の僕はどっこいそうはいかないのね。仲通りのわき道にある「更科」で、さん喬オススメのあんかけそばをズルズルやる。三太楼ののーてんきな笑顔と、ショウガの利いたのあんかけで、だいぶあったまったかな。

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 11・29(木)

 <落語ジャンクション>(なかの芸能小劇場)

 ◎白鳥作品集◎

 北陽:砂漠のバー「とまり木」

 彦いち:おっかけ魂

  仲入

 喬太郎:コロコロ

 白鳥:死神

           ● ★ ■ ▲

  三太楼を聴いたら、次は新潟改め白鳥だろう。新作きくなら「なかの芸能小劇場」。ここでジャンクションの常連達が、白鳥作品を手がけちゃうと聞いて出かけたのだが、ワタクシの住む埼玉県三郷市からは、中野はもっとも遠い落語会場の一つなのである。がんがんきいて、とっとと帰ろうーっと。

 と、張り切って出かけたが、いつもの通り開演時間に間に合わずー。入り口のドアをあけたら、ひえー、満員じゃないか。

 しかたなく最後尾のわずかな隙間にもぐずりこんで立ち見である。しかし、今週は仕事がハードで疲れてるんだよ値。立ち見、つらいなー。

 北陽のマクラは、白鳥のエピソード集なのだが、白鳥に対して何か含むところがあるのか、舌鋒がかなり鋭い。

 「初めて会ったのは、いつのことだったか。気がついたらまわりにいたんですよね」

 「文朝師匠に『噺家は古典をやんなくちゃ』といわれて、白鳥は『僕は古典なんかやるつもりはないっ!』って言ったんですよ」

 「国立で歌丸師匠に『便所はどこ?』って聞いたんですよ。楽屋仲間が『あれ歌丸師匠だよ』って教えられて、下足番のおじさんに『どうもすいません』って謝ってんの。『違うよ』って注意したら、『だって同じ菜っ葉服着てるんだもん』だって」

 「白鳥さんはいちおう先輩ですからね、『お子さんは商店街の会長さんぐらいにはなりますよね』って、まあ、愛想にもならない愛想を言ったんですが、虫の居所が悪かったのか、いきなり『お前の子供なんか、ツララに刺さって死ねばいいんだ』って言われた」

 「ある食堂で、アタシが箸を落としちゃって、店の人に『すみません、箸落としちゃったんですけどー』と言ったら、『ひろって使って』って言われましてね、あ、新潟に似ていると思いました」

 「(舞台のそでにいる白鳥を見ながら)うれしいですか?自分の悪口言われてうれしいですか?そんな聞こえるように笑わないでください!」

 そんなことばかり言ってるので、持ち時間がなくなって「稽古してね

って、うちにMDないのに、MDで送ってきた」という「砂漠のバー」がテキトーになってしまったようだ。

 「こんな砂漠にバーがあるなんて」

 「お酒、なんにしますか?なんでもありますよ」

 「…じゃあ、秩父錦の二級ね」

 「はい、一升五百五十円のね」

 「あるんですかっ!」

 「僕は、けいこちゃんとフォーリンラブになって」

 「何言ってるんですか、けいこちゃん、先輩が告白したら、先輩にホッケぶつけて逃げていったじゃないですか」

 しかし、このネタ、面白いなー。「ホッケの魚言葉(!)」って、なんだろう?

 立ち見一席でかなり消耗したので、もうしわけないが、彦いちのところで、地べたに座り込む。これでは顔が見えないが、いいや、声が聞こえるから(ごめんねー)。

 「白鳥は友達少ないですからね、僕が一番近いんじゃないですか。一緒にポナペ島(どこなんだ)でヒッチハイクしたことがあるんです。ロスの空港に着いたら、『おーっ、アメリカナイズされてるじゃないか』って」

 「(白鳥は)和式トイレに反対に座ってるらしいんですよ。(亡くなった)三亀松先生がねドアあけちゃって、バタンと閉めてから、『あれ、違うんじゃないのか?俺がまちがってるのかなあ』って、悩んじゃって」

 後半は、喬太郎が、色っぽい(?)長じゅばん姿になって、高座をコロコロコロコロコロコロコロコロと、そのぐらい回りまくる、鬼気迫る熱演。

 白鳥の「死神」は、現代劇というだけでフツーじゃないのに、ローソクが消えるサゲのあとに、壮大なアダムとイブの物語がついてる、ものすごい噺。意欲的な新作というより壮大なバカ話といった味わいである。ううむ。すごい。

 帰りがけ、本日のチラシを初めて見たが、これ、単なるチラシじゃなくて、白鳥のネタがずらずらずらーっと列記されているではないか!今までけっこう聴いたと思っていたが、知らないネタがガシガシある。白鳥ワールドの広さに圧倒されつつ、「悪霊」「一富士二鷹三のりピー」「セイタカアワダチソウ無宿」「天使がバスで降りた寄席」なんて、題名聞いただけでも、むむむむむである。

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 11・30(金)

 <権太楼独演会>(鈴本三十日会)

 権太楼:提灯屋・せんきの虫・志ん朝師の思い出

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 今日は締切日、正楽さんの原稿を取りに鈴本へ向かった。原稿回収したら、とっとと帰って出稿しないとなーと考えつつ、木戸の前に立つと、ぬあんと今夜は権太楼独演会なのであった。楽屋に行ったら、当然権太楼御大がいるのね。

 「ながいちゃん、聴いてくよね」

 「はあ、じゃちょっとだけ」

 客席は立ち見が出る盛況なので、高座のソデで一席目の「提灯屋」だけ聴かせてもらうことにした。

 「『提灯屋』、こないだ池袋でウケたんで、大丈夫だと思ったんですけど、三越で蹴られました。もうやりません。商売にならない。こういう自分の会とか、一門会は別にして、いわゆる落語会ではやらないでしょう」

 そんなことをいいながらの「提灯屋」だが、そこそこのセンはいってると思うんだけどなあ。

 と、そんなことを思っていたら、一席終わってもソデに下がらず、そのまま「疝気の虫」に入ってしまった。ありゃりゃりゃ、ひとつ聞いて師匠に挨拶して会社に帰ろうと思っていたのに。これじゃあ帰れないなあと思う間に、爆笑の「虫」が終わって、さらに三席目の「志ん朝師の思い出」へ。ああ締め切りが締め切りが。

 「アタシはね、これから、志ん朝師匠のために生きようと思っていたんですよ」に始まる、志ん朝賛歌は、そのまま権太楼の落語へのラブレターなのである。細かいことは書かない。志ん朝のことは、もう書きたくないのだ。一席やって「思い出」、それから「虫」という段取りを、権太楼がまったく無視してしまったので、ソデでやきもきしながら聞いていたはずの、前座のさん太の目に涙が光っていたとだけ言っておこう。トリの「井戸の茶碗」に心を残しながら、仲通りを湯島の駅に向かった。

 

つづく

 


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