東京寄席さんぽ十一月上席

 新宿・末広通りは、メインの明治通り、新宿通りから一本入った、小さな飲み屋街である。だから金曜日の午後三時半などという中途半端な時間に、人通りなどあるはずがない。と、安易に考えたのが間違いだった。業務用のおしぼりを運ぶ小型トラックや、早くも制服姿の飲食店フリーター系従業員と思しき兄ちゃん姉ちゃんオジちゃんオバちゃんたちが、あからさまにこちらを覗き込んでいく。フン、俺なんかなーんにもしてないもんねーとそっぽを向きたいが、実際には目の前のカメラに向けて、こちらもあからさまに不自然な笑顔を向け続けているのだった。

 今日は雑誌「クロワッサン」のインタビュー。といっても、僕が取材するんじゃなくて、取材を受けるのである。いきなりオフィスに電話がかかってきて、昨年十二月に僕が出した『新宿末広亭 春夏秋冬「定点観測」』(フルネームで書いたの、久しぶりだなあ)の著者インタビューを、天下の「クロワッサン」がやってくれるというのだ。何で一年ちかくたった今ごろ、という感じもしないでもないが、取材してくれるんだから異存はないっすーとホイホイでかけていったら、衆人環視の中、写真撮影である。それも、「日が翳ってきたから」と反射板なんか使ったりして、もー本格的なんだから。背景の末広亭の建物を少しでもいっぱいいれようと、女性カメラマンは向かいの洋風居酒屋の壁ぎりぎりに張り付き、僕がミニスカでもはいていたら全部見えちゃうぐらいのローアングルでシャッターをバシバシ押しまくっている(念のため言っておくが、僕はこの日はスカートをはいていない、あ、下着だけ、ということではないぞ)。で、カメラマンは僕に言うのだ。

 「ながいさん、笑顔がかたいよー」

 いっとくけど、僕は普段それほど愛想のいい人間ではない。十秒以上笑顔を続けるなんて経験はまったくといっていいほどないのである。それがさっきからもう五、六分近く愛想笑いを続けているのだ。不自然な顔になってもしかたがないではないか。ありゃりゃ、カメラマンがフィルムを入れ替えている。まだ撮るのかあ。

 「ながいさん、フィルム替えてる時は笑わなくていいですよー」

 わかっているけど、かおがこわばって元に戻らないんだよーだ。

 この後、新宿通りをわたった「追分だんご」でインタビュー。ぜんざいとみつだんごのセットをご馳走してもらって、ようやく僕の顔に自然の笑みが戻ったのであった。「クロワッサン」は十二月二十五日号に掲載されるという。

           ● ★ ■ ▲

 11・04(日)

 <国立・昼席>

 昇七:つる

 スミ・喜楽太神楽社中:寿獅子

 コントD51:漫才

 すみえ:奇術

 寿輔:老人天国

 スミ・ピーチク:即興漫才

  仲入

 口上:痴楽・寿輔・喜楽・スミ・ピーチク・柳昇

 スミ・伊丹秀夫:一本刀土俵入り

 柳昇:雑俳

 痴楽:桃太郎

 スミ:都々逸・松づくし

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  よく晴れた日曜日。国立えんげ以上へ向かう僕の頬が緩んでいる。この間の写真撮影の後、少し練習したおかげでスッキリ笑顔が出来るようになったのである(いまさら遅いんだっちゅーの)。

 今日は玉川スミの芸能生活八十周年記念の寄席興行。先月の浅草余一の昼夜で記念の会をやって休むことなく十日間の寄席興行。八十を肥えて、いやいや超えて、おスミねえさんはますます元気である。

 昇七のどこかたどたどしい「つる」に続いて、もうスミねえさんの登場だ。翁家喜楽社中と組んでの獅子舞。フツーのよりも激しいと言われる太神楽の獅子を、切れのいい動きで舞う。

 次の出番は仲入前。今度は晴乃ピーチクを相手に即興漫才だ。相方はかつてピーチク・パーチクで売れた腕っこきである。ピーチクの軽妙なネタふりをうけて、おスミさんが気持ちよさそうに突っ込んでいる。見ているとスミさんよりも、ピーチクのほうがうれしそうだ。相方をなくして以来、漫才ができずに悩み、結局似顔絵漫談に転向した苦労人だが、漫才のいきは本物である。

 痴楽を司会に、ベテランどころが並ぶ口上。型どおりに、主役のスミさんが何もいわないのをいいことに、ピーチクが言いたい放題である。

 「おスミねえさんは、何でも出来るけど、男運がよくない。こんどいい人を紹介しようと思っているんだけど、スミねんさんより年上と考えると、島田正吾か森繁ぐらいしかいないんですよねー」

 なるほどー。

 後半は、本職の伊丹秀夫を曲師に迎えて、浪曲「一本刀土俵入り」の口演である。さすがに高音の伸びが今ひとつだが、メリハリの効いた堂々たる浪花節だと思う。語尾があいまいになっているのは、満員の会場の暖かい空気で、ちょっとウトウトしてしまったからだ。スミさんゴメン、ぶたないでね。

 さて、トリももちろん玉川スミ。大ネタの「松尽くし」が控えているだけに、満場の拍手が一段と大きくなった。

 「人生わずか五十年というころに生まれて、まさか八十周年ができるとは・・。浪曲は、声、疲れちゃった。これが終わって、元気でいたら、また一年生から勉強し直して、五年後にまた、新しいことをやってみたいなという根性でおりますので」

 そういえば、僕が末広亭の定点観測をやっているころ、玉川スミは高座に上がるたびに「二年後に八十周年やるからね。もう浅草演芸ホールの十月三十一日を抑えてあるんだ。松尽くしやるから、こないとぶつよ!」と繰り返していた。それから二年、ほんとにやっちゃうんだもんなあ。おれなんか、病気で元気なくしてる場合じゃないよなあと、思わず目頭が熱くなってくる。僕の勝手な感傷を、いつもの威勢のいい(艶っぽいというより、威勢がいいのだ)都々逸が吹き飛ばした。

 「ひさしぶりだね、お前の三味で~。前の方、気を使って手たたいてくれて、ありがとー。後ろは何やってる!(あわてたような拍手があって)遅いよ、もう。それが手遅れってもんだ。そこの白髪のおとっつぁん、見とれてる場合じゃないよ。これだけの芸者、二千円じゃ呼べないよー」

 「この袖で ぶってやりたい もしとどくなら 今宵の二人にゃ 邪魔な月~。いっちゃあなんだけど、アタシも娘のころはイロっぽくてね、頼みもしないのに男が寄ってきて、この膝で寝てくれましたよ。今じゃ、この膝が邪魔でしょうがない」

 芸の切ればで、つっと立ち上がり、さあさあ、お目当て「松づくし」だ。

 「松尽くしは、江戸時代に出雲の阿国と一緒に芝居をしていた初代市川牡丹が作って、一世を風靡したんですよ。その牡丹の弟の歌舞伎の一座に、アタシは二十七円で売られた。だから、子供のころに見てるんだね。三十何年前、NHKの明治百年祭の仕事で、松尽くしを思い出してやったの。五十本までは一人でやれた。しまいに百二十本まで増やして、芸術祭優秀賞をいただいたのよ。今日は九十五本の扇子を使います。盆栽の松の形に見えましたら、おなぐさみ~」

 ひとことひとこと、噛みしめるような口上。一本、二本と扇子を増やし、しまいには小さな玉川スミの体が松に隠れて見えなくなる。ため息と歓声が拍手に混じった。

      ★ ■ ▲

 11・06(火)

 <木馬亭浪曲定席>

 琴嶺:朝起き五十両

 福太郎:清水次郎長伝・お蝶の最期

 主任=浦太郎:首護送

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   浅草は昼の町だ。平日だろうが休日だろうが、雷門から、田原町からわらわらと、老若男女いろんな人々が楽しげに歩いている。みんな、仕事、ないのかなあ。これが夜八時を過ぎると一転し、ゴーストタウンのようになるのが不思議でならないなあ、などと考えながら六区興行街から、観音脇の五重塔通りへ。あらー、人通りは相変わらずだが、ほとんどの人が黒尽くめなのだ。だれかの、有力者のお葬式があったのだろうか。黒い人たちの間を縫って、木馬亭の木戸を入った。

 「おかみさん、こんちはー」

 「あら、ひさしぶりじゃない。本、まだ売れてる?」

 「いやいや。あ、そういえばこないだ、クロワッサンのNさんという人に取材されちゃって」

 「あら、Nさん?浪曲好きなのよねー。確か自分で落語もやって、あっち亭こっちとか何とかいうんじゃなかったかなあ」

 そういう人だったのか。

 場内から、国本武春のうなる声が聞こえてくる。今日のお目当てなんだがなあと思うのだが、おかみさんとが僕の病気のその後とか心配して聞いてくれるので、話の切ればが見つからない。それじゃあ、と中に入ったときには、武春が終わったところで、追っかけと思われる女性三人組が、そそくさと席を立った。残りの客は二十人ちょい。平日の木馬としては、まあまあの数である。

 次は講談の琴嶺のはずだが、高座は浪曲で使うテーブル掛けがそのままだったりして。どうしたのかなとみているうちに、女優のI原E子そっくりな琴嶺が出てきて、講談が始まってしまった。めずらしや、立ち高座の講談である。

 酔いつぶれて寝ていた魚屋の源さんが、かみさんに無理やり起こされて、早朝のう魚河岸へ。ところが時間が早すぎて河岸が開いておらず、って、こりゃ落語の「芝浜」じゃないの。講談でもやるんだねー。

 ちょうど、二回の芝居小屋「木馬館」がショータイムに入ったようで、演歌のメロディーが聞こえてきた。浪曲の時は三味線があるから目立たないが、講談のときに演歌をやられるのはちとツライ。人情ばなしに演歌のBGMがつくと、なんだかヘンテコなのである。

 いわゆる世話物だからか、琴嶺は張り扇を使わず、ゆったりした口調で、丁寧に読んでいく。魚屋のかみさんの口調が、ややオバサンくさいので、説教くささがでてしまったのは失敗だろう。

 「よそう、また夢になるといけねえ」

 落語のサゲをやったあと、「講談のこれでは終わりません」。その五魚屋は、「仕出し御料理」で成功し、家が太って、男の子が産まれる。魚源の店が代々繁盛するという、「講談『朝起き五十両』の一席でした」と締めくくった。

 ラスト二席は、これからの浪曲界の中心的存在とならなければいけない玉川福太郎、東家浦太郎の競演である。

 まずは福太郎の「次郎長伝」。「三日ほど前に焼肉を食いまして、頭が狂牛病で」とは、無粋なマクラじゃないか。

 「安政四年正月元旦~」で始まる、恋女房お蝶の最期の一席。何より石松がいい。まっすぐで、バカ正直。

 「(ものすごい大音声で)おめー、清水一家の石松じゃねえか!」

 「(一転、弱弱しい声で)大きな声を出すねえ。話は後だ。……まず、メシに会わせてくれ」

 本音で生きているから、聞いていて気持ちがいいのだ。懐かしくて泥臭い、福太郎の節と啖呵が、幕末の侠客たちの生き様を確実に描き出している。

 「二十九日から、天王洲アイルのアートスフィアで、小椋佳さんと競演するんですよ。アタシは勘定奉行の役。澤(孝子)さんも出てて、やり手のお鷹がぴったしの役でねえ」

 なんだか浪曲のマクラの感じがしないな。トリの浦太郎は、得意の「首護送」だ。

 「万延元年三月四日の夜ふけすぎ~、小網町の河岸にたたずむ武士二人~」

 桜田門外の変の裏側を描いた、幕末もの。「次郎長伝」と時代は重なるが、こちらは、ぴんと張り詰めた空気が流れて、また異なる味わいである。

 火曜日の午後の浅草、木馬亭。僕もまた、「あいつ、仕事してるんだろうか?」と思われているに違いない。仕事はしてるぞ、一応。

           ● ★ ■ ▲

 11・09(金)

 <春団治落語会>(イイノホール)

 一蝶:ん回し

 梅団治:餅屋問答

 春之輔:四段目

  仲入

 春若:有馬小便

 春団治:お玉牛

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 久々の上方落語。それも、米朝系と違って、なかなか東下りをしてくれない春団治一門の会とあっては、行くしかない。金曜午後の締切ラッシュをかいくぐって、サラ口から聴いた。

 一蝶の「ん回し」。わいわいがやがや、若い衆の和気藹々の雰囲気が伝わってきて、絶妙の露払いである。

 「じゃんけんぽん!」

 「わしがチーで、お前がパーやから、わしの勝ち~」

 「何いうてるねん。五本と二本で、五本の勝ちや」

 これ、どこかで使おうっと。

 梅団治の「餅屋問答」は、東京でいう「こんにゃく問答」だな。

 「博多の雑煮の餅にはアンコが入ってる」というが、ほんとかぁ?

 ひざかくしを片付けて、春之輔の登場。ぶっきらぼうで、ちょっとロレツがまわらないような口調に、妙なおかしさがある。

 「志ん朝師、残念でしたなあ。ワシ、志ん朝師に習った落語、ありまんねん。それ今日やらしてもらおと思ってたんですが、準備不足で…。とにかくまあ、上等の噺家は、早よ死にまんねんな。あ、楽屋に(春団治)師匠いるんや!」

 「道頓堀の浪花座、知ってますか?大阪の人間もよう知らんのですわ。こないだ楽屋に親友がたずねてきましてな、『ちょっとまってて、これからどっか行こ』ゆうたら、『悪いけどな、ワシらこれから吉本行くねん』やて。みなさん、吉本のしょーもない人間見て、へらへら笑ってる場合やありません!吉本には年収一億の芸人が十一人おる。松竹は鶴瓶だけ。そのかわり十人生活保護うけてます」

 もったりしたマクラの後、急に口調を変えて、「浪花座も昔は芝居小屋。道頓堀に五座があったころのおはなしで」と「蔵丁稚」に入った。そうそう、志ん朝も、よくやってたよね、このネタ。

 仲入をはさんで、春若が登場したが、名前の印象ほど若くもないか。

 「噺家は大阪に百八十七人、見習の黒田君や大石君なんかを含めると、二百人はいます。でも、そんなに大勢いる職業やないですわな。噺家なんて五人もいればいいし、五人だけなら確実に儲かりますね」

 マクラは血液型のおはなし。

 「噺家の場合、O型が成功率高いですね。松鶴、米朝、ざこば、三枝、仁鶴、鶴光、鶴瓶…。A型もまあまあで、春団治、文枝。B型はあかんのですが、時々すごいのが出る。枝雀とか…。ちなみにワタシはA型です。トイレで手を洗う時、Aは石鹸つけて、水できれいに洗ってハンカチで拭く。Oは、水だけで洗い、手はふるだけ。Bは、使った手だけ洗う。ABは、あわらん」

 ネタは、バレがかった「有馬小便」。「大阪から一番近い温泉場が、有馬温泉。東京で言うと、登別温泉かな。(笑いがあって)今日はこれさえ言えばいいんです」。

 さてお久しぶりの春団治。藤色の羽織を、すぐにはらっと脱いで、これもバレがかった「お玉牛」だ。「あばばの茂平」「うんか、鎌か、うんかまか?」「牛め、いつもに似合わず、上等なおふとんなので上機嫌で」。決して調子を張り上げたりしないのに、よく通るやわらかい声。オンナと間違えて、牛のふとんに夜這いに行く。しょーもないといえばしょーもない噺だが、しぐさと、その間に入る短いセリフだけで聞かせる春団治の芸は、格調すら感じてしまう。こういうひとがいると思うと、大阪に行って、腹いっぱい聴いてきたくなる。うーん今年は、もういけないかなあと思いつつ、怒涛の十一月中席になだれ込んでいくのであった。次は多いぞー。

 

つづく

 

 


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