東京寄席さんぽ十月上席

 たしか、大学四年の夏前のことだったと思う。そのころどんな服を着て、どのくらい髪を伸ばし、何を食って、どんな連中とテニスやマージャンで遊んだか、まったく思い出せないほど昔のことになってしまったが、ただ一つ、落語を聴いていたことだけは覚えている。今と違って寄席にはほとんど行かなかった。当時はホール落語の全盛期。円生、正蔵、小さん、馬生を追いかけて、東横落語会、落語研究会、紀伊国屋寄席へ。アルバイト収入のかなりの部分を費やして、ホール落語に通っていた。

そんな中、まだ就職のめどもたっていない夏休み前、落語研究会で、志ん朝の「付き馬」を聴いた。大看板がそろった当時のホール落語では、当時「四天王」と言われていた談志、円楽、志ん朝らはレギュラーではなく、「力試し」的な感じで、たまに出演する程度だった。だが、その日の「付き馬」は最高だった。

「付き馬」のストーリーを細かく説明するのは、ただでさえ長い「さんぽ」をさらに間延びさせるだけである。吉原で豪遊した遊び人のお兄さんが、「馬」に来た若い衆をだまして、まんまと逃げおおせる。ようやくすれば、それだけの噺。主人公がぱあぱあ言って若い衆を煙に巻く、そのぱあぱあぶりが、この噺の最大の聴きどころ、聴かせどころである。志ん朝のぱあぱあは、「語り」ではなく、とびきり威勢がよく、とびきり粋な「歌」なのだった。「謡い口調の噺家」という言い方は、けっしてほめ言葉ではない。耳に心地よいのは確かだが、その口調に頼って、ついつい噺の掘り下げがおろそかになる。ちょっと見はいいが、噺が上滑りになってしまいがちなのだというのである。誰とは言わないが、たしかにそういう人もいる。しかし、志ん朝の「歌」は、本物である。こんなに美しく、こんなに爽快で、こんなにうきうきする歌を聴かせてくれるなら、噺なんてどうでもいい。演出がどうとか、人間の業がなんたらとか、日ごろ偉そうに話している落語論が、ふっとんでしまうのである。もちろん噺もすごいのだが。

その年の十一月、新聞社の筆記試験を奇跡的にクリアし、論文課題に挑んだとき、このときの志ん朝の「付き馬」がアタマに浮かんだ。出題テーマは「大学で学んだこと」というものであった。なにぃ?だいがくでまなんだことぉ?仮にもマスコミの論文課題だぜ、福祉とか、軍縮とか、社会制度とか、元号とか、もっとそれらしい課題があるだろうがー(事実、この年のA新聞社の論文テーマは「元号」だったのである)。こんなつまんないテーマで、就職が決まってしまうのかと思うと、なんだか力が抜けてしまった。それになにより、「大学で学んだことは何か?」と聞かれても、アルバイトとマージャンと映画・寄席通いに明け暮れて、ろくにキャンパスに行ってない僕には、答えようがないのであった。ええい、しかたがない。テーマなんて無視して、最近一番心がときめいたことを書いてしまおう。

古今亭志ん朝の「付き馬」について

原稿用紙の一行目に、タイトルを書いたら、なんだか気分がすっきりした。子供のころから作文が大の苦手だった(そんならなんで新聞社なんか受けたんだと言わないでね、もう志望理由も忘れちゃった)この僕が、アッという間に論文らしきものをでっち上げたのだ。

数日後、本社で重役面接があった。これが通れば、はれて入社がかなう。この年、どういうわけか、主だったマスコミの入社試験日が重なって、これが落ちたら、後はどうなるか、考えたくもなかった。名前が呼ばれ、中に入った。銀座の三越のバーゲンで買った紺のスーツが借り物のようだ。

「君かね、論文で落語書いたの!」

ずらりならんだ誰が言ったか覚えてないが、これが敵の第一声だった。

「君は『付き馬』と書いているが、これは『付け馬』じゃないかね?」

「いえ、『付け馬』という言い方があるかどうか知りませんが、落語の演題としては『付き馬』ですよ」

「志ん朝は面白いかね?志ん生と比べてどうかな?」

「はあ、志ん朝は最高です。志ん生とは芸質が違うので、比べる意味はないかと。それに、志ん生はよく知りません」

こんな調子でしばらく落語に関するやりとりが続いていたが、そういうことにあまり興味のなさそうな面接官(今振り返れば、現在のトップではないかと思うのだが)が、割り込んできた。

「キミは、女、いるかね?」

「・・・・・・、そういうことには答えたくありません」

若かったというか、青かったというか、当時の僕にはこういう質問に笑顔で答える余裕はなかった。

面接はこれで終わった。家に帰って冷静に考えたが、これで合格だとはとうてい思えなかった。しかたなく、一つ残っていた某スポーツ新聞社の試験を受けた。論文課題は、なんと「長嶋茂雄」。巨人ファンでも何でもない僕は、長嶋野球に対して書くべき事がどうしても見つからず、やぶれかぶれで、当時長嶋氏が出演していた「サンヨーコート」と「バンホーデンココア」のCMについて、あることないことを書きなぐった。このヤケクソ試験がどういうわけか受かってしまい、最終面接に出掛けようとした朝、初めに受けた一般新聞社からの合格通知が届いた。

冷たい雨の降る10月1日の昼過ぎ。志ん朝死去のニュースの処理が終わってデスクでコーヒーを飲みながら、遠い昔のことを思い出した。

      ▲ ■ ◆

10月3日(水)

<講談かぶら矢会>(国立演芸場)

 貞山:天野屋利平

 琴星:湯水の行水

  仲入

 琴柳:安倍川の血煙

 琴桜:平塚らいてう伝

      ▲ ■ ◆

このところ、新聞各紙の「志ん朝」関連記事を読みまくっている。続けて読んでいると、印象が散漫になってきて、だれがどこに何を書いたか、こんがらがってくる。その中でにのこったのは、スポニチの矢野誠一氏の追悼文。志ん朝と笑福亭松鶴を父親のように慕っていたのではないかという考察は、初めてである。「おしい」「かなしい」「江戸落語の灯が消えた」等々、やりきれない思いを反すうさせてくれる記事、「志ん生、文楽との関連で見る志ん朝落語」というような、こんな時に読みたくもない論文風の記事・・・。気持ちがどんどん沈む中で、日経文化面の橘家円蔵の「志ん朝さんとの思い出」(正確な見出しは忘れた)の温かさが、救いになった。円蔵の家のある平井から新宿まで、愛車アルファ・ロメオにのって、なんと都電の線路の上を時速キロでかっ飛ばした若き日の武勇伝。志ん朝はその後、円蔵に会うたび、「あん時、死んでたかもしれないね」と言った。修業仲間、遊び仲間でなくては書けない、鮮やかな文章だった。同僚の演劇記者は、「追悼記事は、父親志ん生との関連ばかり。本人が最も傾倒していた、三木のり平とのことを書かなければ、志ん朝の全体像を捕らえたとは言えない」という。なるほどとは思うが、落語ファン、芝居ファン、単なる朝さまファンなど、各人各様の胸の中に、いろんな志ん朝像がある。全体像なんかいらない、オレにとっては「寄席の、トリの志ん朝」がすべてだというのも正論ではないかと思うのは、偏った志ん朝像しかもてない者の自己弁護に過ぎないのだろうか。

仕事の合間、帰り道の駅のホーム。ふと我に返る時間があると、喪失感とでもいうのだろうか、心のどこかに穴が空いたような感覚が襲ってくる。こんな時は寄席定席でバカ笑いが一番なのだが、家ですら落語のテープを聴く気にんじゃらなのに、ナマ落語というのは腰が引ける。講談ならいいかと、ビギナー一名様を強引に誘って、国立をのぞいた。

 少し遅刻して貞山から聴き始めた。この人、心筋梗塞仲間なので、妙なシンキン感があるのだが、この日の「天野屋利平」はいただけない。貞山の重々しい口調は、時代物にはどっしりとした安定感がでるが、世話場では話を陰々滅々にするばかり。桂枝雀ではないが、話芸には緊張と緩和が必要である。重い口調を生かすには、時にからりとした軽さも見せてほしいものだ。

 その貞山にはない、天性の軽さが、次の出番の琴星の持ち味だったりするから面白い。隣同士に住む武士の意地っ張り合戦を軽妙に読んでいるが、この話には逆に、重さがほしい。意地の張り合いの支えである両者の「プライド」をびしっと描くことで、そのプライドがどんどん空回りしていく本編のオカシサが浮かび上がってくると思うのだが。うるさい客だな、おれも。

 貞山、琴星の「もうちょっとなんだけどなー」という心の便秘が、仲入後の琴柳で、一気に解消された。してみると琴柳は、早めのボラギノール、じゃなかった、コーラックか。

 腕の立つ博徒の兄弟分が、故郷の親のために堅気になろうと決心する。世話になった親分がはなむけにと開いてくれた花会で、メンツをつぶされた札付きが「百両よこせ」とすごんでくる。親分のため、親のためと耐えて耐えて耐え抜いた二人が、最後の最後に怒りを爆発させる。「さあ、これからが面白いのでありますけれど」はないじゃないか、琴柳さーん。時間の都合で派手な立ち回りまでは行かなかったが、切れの良い啖呵は十分に堪能できた。

 「ふざけんじゃねえ、この野郎!」

 一回、言ってみてえなあ、ねえさん(って、だれに行ってるんだ)。

 宝井馬琴一門を中心とする腕っこき中堅どころの勉強会「かぶら矢会」はこの夜が二十回記念だそうで、トリの琴桜は、ライフワークの女性活動家物「平塚らいてう伝」を出してきた。十数回連続という大長編の中から、序盤のいいところ「青鞜の創刊」前後を、かろやかに読んだ。一言一言諭すような、優しくわかりやすい読み口は、従来の講談口調にはないものだが、この説得力はどうだろう。女流講談の一つの完成形といったら、他の女流が怒るかしら?女性が聴けばまず納得の一席、男の僕が聴いてもほれぼれする。琴桜さん、いいよお~。

 帰りは半蔵門の「とんがらし」で手羽先をつまむ。手づかみでガシガシ食うのがうまいのだが、何度手を洗ってもにおいが消えず、スパイシーな手を、まだ温かい夜の風にさらしながら帰った。

     ● ▲ ■ ◆

10月4日

<池袋・夜席>

 菊春:かわり目

 正楽:紙切り

 円蔵:鰻の幇間

  仲入

 喬太郎:出来心

 歌之介:お父さんのハンディ

 小円歌:三味線漫談

 主任=さん生(歌武蔵代演):お見立て

      ▲ ■ ◆

 昨夜の国立、張り扇のパパンパンという響きで、少し元気が出たので、久々に落語を聴く気になった。目指すは池袋、好漢・歌武蔵のトリである。相撲仕込みの張り手でバチンとやってもらえば、多少目が覚めるかもしれないな。ここで一言ことわっておくが、張り手云々はココロの問題を言ってるんだからね。体重百四十キロの相撲上がりにホントにやられたら、目が覚めるどころか、永久に眠り続けることになりかねないもの。

 社を出ようとすると仕事の電話がかかってくる。マーフィーの法則(ちょっとなつかしー)に敬意を表しているうちに、到着時間が遅れるのもいつものことだ。

 独特の早口がオカシイことも、イライラすることもある菊春から。焦って入ってすぐ早口に出会った本日の感想は「おじさん、ちょっと落ち着いて~」である。

紙切りの出囃子「琉球節(りきゅうぶし、と読むらしい)」を聴きながら、モギリでもらった番組表を確認していたら、とんでもない事実が判明した。本日の主任、歌武蔵がお休みで、柳家さん生が代演に入っているではないか!

がーーーーーーーーーーーーーーん。ちっとも知らなかった。

どうしてそんなに音引きが長いのかといわれたって、今夜は、歌武蔵のトリだけを目当てに来たんだもの。どーすればいいの、ぼくちゃん。テケツの上に掲げてある番組には、「主任=さん生」の字があったのだろうが、ぜんぜん見ていなかった~。

ぼう然としていると、連れが遅れて入ってきたので、無言で番組表の最後を指さした。

「がーーーーーーーーーん。ちっとも知らなかった」

誰の反応も同じである。同好の士のみなさま、池袋入場の際は、テケツの前で番組表の指さし確認をお忘れなきよう。

僕らの狼狽を知って知らずかおそらく知らんのだろうが、両手のひらを目の前でひらひらさせながら、正楽が漂うように歩いてきた。さして多くもない池袋の客席のあちこちから注文が飛ぶ。

「月見草!」「はい(と気軽に受けて切りながら)ほんとは、どんなんだか知りません」

「寿司屋風景」「もしかして、お寿司屋さん?」「はあ、そうです」

「紅葉してる山」「紅葉・・・、先代正楽は露天風呂で、裸の女性を切ってましたね」

池袋らしいというか何というか、一癖ありげな注文が続く。次は、中央前から三番目ぐらいにいたおばさまの注文だ。

「101匹わんちゃん大行進っ!」

きたかー。よく二楽がツカミで「こないだ『101匹わんちゃん』って注文があって、『もっと少ないのにしてください』っていったら、今度は『アリババと四十人の盗賊』だって」って、いってるけど、ほんとに『101匹わんちゃん』の注文があるなんて、いやあ初めてみたよ。さて、正楽はどうするのだろう?

「初代正楽んときは、『ねずみ千匹』ってのがよく出ましてね、そういうときはどうするかというと、ビンのふた、つまり栓の部分にひもをつけて、それをネズミが引っ張ってるところを切って『ねずみ栓引き』って。だからね・・・」

そんなことをグダグダいいながら、正楽は数字の「101」を犬が引っ張っている絵を切った。お見事。満場(といっても二十人足らずだが)の拍手の中、正楽が注文した客に紙を渡そうとすると、客が一言、

「ブチがないんですけど・・・」

うわあ。「101匹わんちゃん」はダルメシアンだから、白に黒ブチなのでした。しかし、ここまで切らせといて、よく言うよなあ。だがしかし、正楽は「席でお待ちください。(下座に向かって)おはやし、おねがいしまーす」というや、平然とした顔でブチを切り出した。

「どうしてこんなことをやるかというと・・・・・、事情があるんですよ」

さては誰かが遅刻したか何かで、時間があるらしい。注文が終わっても正楽はまだ高座をおりない。

「では最後に人の顔を。ふつう、こういうときに切るのは人間国宝の顔なんですが、今日は違う人ね」

四角いアタマに大きな眼鏡、おおっ、次の出番の橘家円蔵ではないか。切り絵が完成すると、当の円蔵がもう高座に現れた。

「(出来上がった似顔絵を見ながら)しろーとにしちゃ、うまいじゃないの。あ、いいよいいよ、片づけなくていいから」

で、このまま自分で座布団をひっくり返して、高座が始まってしまった。

正楽に用があったので、あわててロビーへ向かう。

楽屋の前のソファーには、着物姿(この人はいつも着物だ)のさん生が、ちょこなんと座っていた。そして、片方の隅には、雑誌編集者の、というよりは「飲み会の後に牛どん屋に行く大食王」H氏がおにぎりをパクついている。うーむ、何という風景だろう。

まもなく着替えを終えた正楽がロビーに出てきた。

「ながいさん、新聞で志ん朝師匠のこと、書くんでしょ」

「うん、ちょっと時間を置いてから書くつもりなんですけど」

「それじゃ、カットは志ん朝師の似顔にしようか」

「うーん。正楽さん、うまいからなあ。あんまりリアルな志ん朝師を切ってもらうと、読む方が思い出してつらくなるでしょ。僕としては、直接似顔絵じゃなくて、何かそれっぽいイメージの風景がいいなあ」

「そう、わかった。んじゃ、志ん朝師の似顔は○○○○にまわそっと」

そんな話をしながらモニターに目をやると、円蔵師のネタは「鰻の幇間」である。うわっ、そんなちゃんとしたのやってくれるんなら、聴きたかったなあ。

休憩を挟んで、後半の一番手は喬太郎だ。

「落ち着こう。久々の古典だからなあ。今日は押してるし・・・」って言いながら始めたのは「出来心」。ここんとこ、こればっかし聴いてるような気がする。

「今日は言い間違いが多いなー、あきらめよう」と不調を訴えながらも、主要登場人物の「さいごべえ」さんの名字を、H田さん(先ほどロビーでおにぎり食ってたあの人である)にしちゃうという遊びは、ちゃんとやってる」。趣味の噺家、キョンキョン健在である。

「仲入前は下駄とられる噺、今のは下駄もってく噺。続くときは続きますねー。そんならいっそのこと、『湯屋番』でもやろうかなと思いましたが」といいつつ、歌之介はいつもの「お父さんのハンディ」を。

ひざの小円歌は、「二上がり相撲甚句」と「見せ物小屋」を、これまたいつものように、まゆ毛をピクピク上げ下げしながら熱演した。

トリのさん生。もうしわけない。口開けの一言、「ども」しか覚えていない。

お目当てのトリが休みの寄席。そういうときはガックリせずに、それにかわる「お楽しみ」を見つければいい。だが、それが見つからない今夜は・・・・、いい天気だった。

      ▲ ■ ◆

 金曜は志ん朝の通夜。翌日の告別式は、落語友達の結婚式と重なっているので、「今夜、ちゃんとお別れしよう」と護国寺へ行った。遺影の志ん朝は、帽子をかぶり、頬に手を当てて静かにほほ笑んでいた。噺家の写真とは思えない、かっこよさ。JRの雑誌「トランヴェール」で村松友視と対談したときの写真で、本人はお気に入りだったという。

 お焼香をして、そのまま帰ろうとしたら、顔見知りの噺家に「お清めだから」と呼び止められた。和室は、見た顔知った顔でいっぱいだった。落語関係はにぎやかで、芝居関係はしんみりしている。隅の方に腰を下ろしたら、隣に新真打の文左衛門がいる。そういえば、彼は先月師匠を亡くしたばかりだった。

 「こんなとこで言うのはナンだけど、文蔵師匠は残念でしたね」

 「あ、どーも。みんな悲しそうだけど、オレは先月、一足先に悲しい思いをしてるんで、今日はけっこう平気ですよ」

 向かいでは、浅草演芸ホールのエライ人が、若い噺家に囲まれている。

 「住吉踊り、来年はどうなるんです?」

 「そりゃあ、やるに決まってるよ。一周忌の追悼公演だもの」

 「じゃあ、だれが柱になるんですが」

 「うーん、それなんだよなあ」

 向こうの方では、円歌会長を囲んで、上野、新宿、浅草の席亭がしきりに何か話している。人事の話だろうか?

 一時間ほど、ぼーっとしていた。弔問客が一息ついたのだろう、焼香の場所で働いていた古今亭、金原亭の人たちが戻ってきたのをシオに、席を立った。門前には、かなりの数のカメラがならんでいる。顔見知りの記者に「多いんじゃないの?」と聴くと、「うん、モリシゲさんとか、大物が来るって話が出てるんだ」という。すぐ目の前の護国寺駅まで、上を向いて歩いたのだが、星が出ていたかどうか、どうしても思い出せない。

      ▲ ■ ◆

10月7日(日)

<末広亭・夜席>

 和楽社中

 昼主任=こん平

 (夜の部)

あろー:酒の粕

 三之助:転失気

 亀太郎(笑組代演)

 喬太郎:夜の慣用句

 円蔵:鰻の幇間

 アサダ二世

 伯楽:志ん朝の思い出

 扇橋:ろくろ首

 にゃん子金魚(小円歌代演)

 円窓

 馬風

 とし松(仙三郎代演)

 円菊:風呂敷

 仲入

口上:扇橋・円窓・禽太夫・小三治・馬風・円菊

順子ひろし

円丈:ノート

小三治

正楽:勧進帳・新内流し

主任=禽太夫:くしゃみ講釈

● ▲ ■ ◆

十上は、のっけから色々あって、気持ちが揺れた。だがしかし、何があろうと、寄席の

興行は、十人真打の披露目が続いているのだった。九月下席で、駿菊、三太楼、白鳥を見たまま、今月の末広亭には足が遠のいている。週末の護国寺を区切りとして、ようや新真打を祝おうという気になったのが日曜である。いざ末広亭へ。今日の主役は禽太夫だ。

 休日の披露目がどれだけ混んでいるかわからないので、少し早めに出て、昼の部のひざの太神楽をから、桟敷席で見物である。

 昼トリのこん平が終わって、かなりの客が帰ってしまう。あららら?前の方の座席が空いたので、そちらに移動。長丁場なら、畳桟敷よりイス席の方がつらくないのである。

 なんだ、披露目なのにこんなもんかと思っていたら、夜の部の開始と共にどんどん新しい客が入ってくる。喬太郎が「さくら水産」を舞台に繰り広げられる「座右の銘宴会」で、「禽太夫ししょー、かんぱーい」なんてやってる間も客は増殖し続け、ついに円蔵の出番の時に二階が開いた。ヤッホー!

 んでもって、羽織も着ないで出てきた円蔵のネタは、先日の池袋で聴き逃した「鰻の幇間」。ラッキー、である。浅い出番の割に大きなネタという感じがするが、なに円蔵は八代目文楽直伝の「寝床」を十数分でやっちゃう人である。「オレの場合、どんなネタでも、やってるうちにどんどん短くなっちゃうんだよなー」と本人もほうぼうで言っているではないか。この日の「鰻」も例に漏れずコンパクトというか、かなり急ぎ足の感じだったが、中身は円蔵流のクスグリがたっぷり詰まっていて、なんともにぎやかな噺に仕上がっている。

 「師匠にあっちゃあ、かなわねえなあ。じゃあ、鰻でも食いに行くか」

 「うなぎぃ?伊豆栄ですか、宮川ですか?歌川、魚政?」

 「コノヤロ、借りのある店、ずらっと並べやがって」

 

「天丼も食いたいなあ。ああ、葵○進!あそこの天丼いいよねー、食ったら後で太田胃酸のみゃあいいんだから(笑)。これ、浅草じゃできないギャグだよね」

 

「なんだこの座敷は!畳がザラザラ。海の家で飲んでんじゃねえや」

 

「きみ、昨日今日入ったんだろ?えっ、十七年いますぅ?法事なら四回やってるよ」

 

円タクが闊歩し、省線が走る、懐かしい街の風景も巧みに描き出し、にぎやかで楽しい一編になった。円蔵、久々のヒットである。

座布団にすわるなり、伯楽がしんみりと語りだした。

「志ん朝が、いっちまいました。今日は矢来町の初七日だからねえ、噺する気にならないや。今日は志ん朝のエピソードを少しばかり」

ぱちぱちぱちと拍手が起こった。なんだよー、また思い出しちゃうじゃないかー。

「なにしろスターでしたからねえ。芸能界は、この人ならと目を付けた人をスカウトしたりするんですが、噺家の方はというと、とりあえずなりたいヤツをとるだけ。そん中で、志ん朝は、初めからスターだったんです」と話し出したが、途中から、なんともきたない話に脱線、「酔っぱらうとウンコ漏らすんだよー」だからなー。こんな噺で追悼になるんだろうか?」

やたらとテンションが高い「にゃん子と金魚」。もしかして、この二人、客が多いと単純にうれしいんではないだろうか。特に金魚は、休む間もなく舞台を走り回って、息も乱れないのだ。

「松田聖子ちゃんの名前を入れ替えると、セ・コ・イ・ツ・マ・ダ」

「あ、ひっどーい」

「まだあるよ。郷ひろみは、ゴ・ミ・ヒ・ロ・ウ!」

「では今度はお客さんの名前でいきましょう。そこのお兄さん、お名前は?え、鈴木ひとし。じゃ、金魚ちゃん、お願い」

「えーっ、鈴木ひとしぃ?うーんうーん、あ、わかった!イ・イ・オ・ト・コ」

「失礼しましたー」

ぶはははは。

仲入前の円菊は、久々に「男女同権とは・・・、旦那さんが埼玉県で、奥さんも埼玉県」のマクラを振って、「風呂敷」に入った。「百年前のトカゲのような」というクスグリはいかがなものか。これ、ほんとは「百万年前」だよなあ。円菊はいっつも「百年前」なんだけど。

仲入休憩はすぐに終わって、披露目の口上だ。司会役は、あちこちどこへ飛ぶかわからないハラハラドキドキの口上で人気急上昇の扇橋おじさんである。

 扇橋「ええ、この禽太夫は、三年前にも昇進の話があって、でもその時、もじもじして断ったんですな。んー、この人のお父さんは台湾で金を捜しているという・・。だいたい小三治のとこはうるさいというか、厳しいというか、十七人ぐらい弟子がいたのに、ほとんどくびになって、今何してるかわかんない人もいて・・。ええ、その、この禽太夫が、将来名人といわれるようになるか、それともナンにもいわれないか・・・」

いやはy、なんちゅー口上だ。

円窓「小三治の芸風は、基本にしにくいですな」

馬風「ええ、禽太夫は元は暴走族で。それより、扇橋は島倉ちーちゃんとイタメシ屋でデートしたそうでして。勘定はどっちが持ったんだ?」

扇橋「えっ?そりゃあ、あっちが・・・」

円菊「禽太夫が、小三治さんに入門したのは、マッカーサーが飛行場に下りた年で」

小三治「そんなに古くねーよ」

扇橋「今度の披露目でマッカーサーが出たのは初めてです」

小三治「噺家は不器用な方がいいんです。こいつは、一番心配してたんです。強情でねえ・・。小さんに憧れて、小さんのようになるって頑張ったんですが、面白くない。三年前に(真打昇進を)断ったときは、これでもうだめかと思いました。でもね、三年経って、がらりと変わりました。こんな変わり方を見たのは、初めてです」

最後は、いつもの馬風型。三本締めの音頭をとりたがる馬風の隙を見て、円菊が「いよーっ」と先に音頭をとってしまうのだが、この「いよーっ」のタイミングが悪く、どうも最後が決まらない。おまけに、幕をしめるとき、小三治のアタマを叩こうとした馬風の扇子が客席まで飛んでしまうハプニングまであった。落ちた扇子は、最前列にのっとっていたKじいさんが拾って、幕内に入れてやっている。ああいうのは、もらっちゃえばいいのにー。

いつも若々しい順子ひろし。

「ぼくたち、二人で百五十歳なんですよ」

「そうそう、アタシが五十で、この人が百」

「おことわりしてますが、私は真打です」という円丈の着物にはワッペンがいっぱい。今日は各頁に一つずつネタを書いたノートを持参し、客に好きなぺーじをいってもらい、そこに書かれたネタをしゃべるというもの、寄席でよくやってるが、どのネタもかなりショボい。ま、円丈がやると、そういうショボさがたまんないんだけど。

小三治は、噺はやらずに、得意(?)の「ま・く・ら」である。

「アタシの(披露目の)口上は、昭和四十四年ですよ。志ん生師は倒れてたけど、文楽、円生、正蔵、小さんといったところが口上に並んでくれました。人形町末広の最後の披露目だったんですかねえ。今とは大きな隔たりがありましたねえ。第一、あんまり笑わせなかった。世の中の移り変わりなんでしょうねえ。(馬風の口上みたいなものは)昔なら石投げられてましたよ。で、アタシの披露目のあくる年の春、さん八が扇橋になった。二人で旅に行って、そこで、あたし一人で扇橋の口上をやったんです。全部、円生師の物まねで。でもそのあと、円生が抜けなくなっちゃって、円生そっくりの「真田小僧」をやっちゃった」

「口上、くたびれますねー。二十分はありました」といいながら、禽太夫は、得意の「くしゃみ講釈」を出した。恋路の邪魔をした講釈師に仕返しをしようと考えた若い衆が、「兄貴分に「胡椒の粉でくしゃみをさせる」と教わって八百屋に行くが、物忘れがひどくて買い物を思い出せない。「小姓の吉三」から「胡椒」を思いだそうと、のぞきからくりの「八百屋お七」を一段丸ごと語ってしまうーー。いたずら気分にあふれた楽しい仕上がりだが、肝心の「からくり」を語る段が淡泊だ。前段でものすごい物忘れぶりを演じているのだから、「八百屋お七」もくどくていいのでは。あまりクサくなるのを嫌ったのかもしれないが、せっかくの骨太の芸風をもっと生かしてほしいな。全体的には、いい出来なのだけれど。

      ▲ ■ ◆

10月9日(火)

<末広亭・夜席>

 馬風

  仲入

 口上:扇橋・円窓・馬風・文左衛門・円歌・円菊

 にゃん子と金魚

 雲助(権太楼代演):ざるや

 円歌

 正楽:宝船・イチロー

 主任=文左衛門:のめる 

      ▲ ■ ◆

矢来町の通夜でぐいぐい酒を飲んでいた文左衛門が、妙に印象に残っていて、披露目に行ってみる気になった。

 入りは・・・・・・、ううむ、もうひとつ芳しくない。平日の夜。文左衛門の性格から見て、まめに客を呼ぶ努力をしているとは思えない。加えて、三太楼における権太楼のような、後押ししてくれる師匠もいない。しかたがないんだろうなあ。

 幹部五人が並んだ口上は、なかなかのものだが、文左衛門の横に、師匠である橘家文蔵の姿が見えないのがかなしい。本来は一番上手にいるべき円歌会長が、師匠の位置に座っている。おやがわり、ということなのだろう。

 幹部連は、披露目の直前に師匠を失った文左衛門をもり立てようしている。いまや「口上ディレクター」の感がある馬風も、いつも以上に張り切って、声高に「楽屋に来る女性は、この馬風にまわすよーに」とかなんとかやってるのだが、真ん中で中途半端にアタマを下げている文左衛門は、ほとんど反応がない。

「今日の打ち上げが楽しみで。へへへっ、文左衛門、今日はどこ行くんだ?」

「(しばらく間があって、ぶっきらぼうに)中華です」

「あっそ」

披露目の直前に最大の後ろ盾である師匠文蔵を失った文左衛門。しかもその文蔵は、やんちゃ坊主の文左衛門(文吾)をかばい、引き立て、愛していた。多少演芸界に詳しいファンなら、その程度の事情は知っている。だから、どうしても、文左衛門を見る目が「かわいそう」「頑張ってね」と同情的になってしまう。だが、本来客を笑わせるべき芸人が、客に同情されてはいけないのだ。文左衛門のぶっきらぼうな振る舞いを見ていると、案外彼は腹をくくっているのかも知れないなと思えてきた。きっと「オレはひとりぼっち、これからは腕一本で生きて行くんだ」という静かな闘志を燃やしているんだろう。いいよいいよ。勝手にやんな。いい高座を見せてくれれば、また聴きに来るからさ。

ひざがわりの正楽に、一番前にいた小学生ぐらいの男の子から、「イチロー」と注文が飛んだ。正楽が切った「振り子打法」をもらおうと立ち上がった男の子の、Tシャツの背中に「51」の数字が見えた。

トリの文左衛門。深々とアタマを下げた後、居心地の悪そうに何度も座り直し、マクラもどうもぎこちない。緊張しているのかと見ていると、

「いやどうも、目の前で自分の子が見ているってのは、やりにくいよね。(さきほどの「51」の男の子に向かって)、おい、手に持ってるの、それ(正楽に)切ってもらったのか?あちゃー、しょうがねえなあ」

なんだ、そうだったのかあ。親子の珍妙なやりとりに、客席は爆笑の渦だ。

さて、時間はたっぷり。文左衛門には、主人公が本人であるとしか思えない「らくだ」という大ネタがある。これは、と期待したのだが、この夜のネタは「のめる」だった。勢いもあり、若者同士の意地の張り合いに何ともいえない稚気がある。楽しい噺ではあったが、末広の披露目のトリに「のめる」はいかにも軽い。もったいないなあと思いつつ小屋を出ると、文左衛門ファンとおぼしき若い男女が出待ちをしている。顔を上気させ、スーツ姿の文左衛門が出てくるや、あのイチロー息子を羽交い締めにした。

「らくだ、やればよかったのに」

「うん、今日はやんない。らくだは、池袋だ」

「らくだ」は池袋。おそらく彼なりの思い入れがあるのだろう。じゃれ合う親子の背に、「がんばれ、文左衛門」と心の中でつぶやいて、帰路についた。

      ▲ ■ ◆

10月10日(水)

<末広亭・夜席>

 ぺぺ桜井

 馬風:歌

 仲入

口上:扇橋・円窓・馬風・三太楼・権太楼・小三治・円菊・円歌

順子ひろし

権太楼:町内の若い衆

小三治:道灌

正楽:紅葉狩り・乙女の祈り

主任=三太楼:宿屋の富 <り>豪雨

      ▲ ■ ◆

 とにかく、ひどい雨である。傘も役に立たないほどの豪雨。今日は末広亭の披露目の千秋楽、大急ぎで仕事を片づけて、七時半過ぎ、うひゃーぬれたぬれた、と末広亭に入るや、「お二階へごあんな~い」。えええっ、二階開いてんのー?

 履物をもって、二階の最前列上手側の隅っこに横座りに潜り込んだ。下を見ると、桟敷もイスも満員である。

 「みなさん、来週月曜日のNHKの『ひるどき日本列島』、みてくださいね。あたしも見てますから」と笑わせて、ぺぺ桜井が高座を下りた。入れ替わりに出てきたのが、元柳家かゑる今鈴々舎馬風である。背中には、三太楼の母校「日本福祉大学落語研究会」から贈られたカエルの後ろ幕が。

 「孫」「九段の母」「ひばりメドレー」・・・。だれかとめてくれー。

 仲入休憩になったので、階下をのぞきにいったが、大混雑でいる場所がない。すごすごと二階に戻ると、もう口上のはじまりである。

 幕が開くと、客席が「おおおおおっ」とどよめいた。だって、高座に八人も並んでるんだもん。そのうえ、外ではゴロゴロと雷までなっている。いやはや、アヤシイ披露目である。

 扇橋「真打になったからって、安心してちゃいけません。人が寝てる時でも三時、四時まで稽古して、人が働いているときに昼寝して・・・」

 馬風「暑さ寒さも彼岸まで。さわやかな秋を迎え、スポーツのシーズン到来です。キューちゃんの世界記録が一週間で破られ、一方、残念なことに魁皇が十一月場所も休場するそうで・・。大リーグではイチローが首位打者と盗塁王のタイトルをとりました。あらためて、ご苦労さまと申し上げます。一方、日本のプロ野球では、ジャイアンツが今シーズンは二位に甘んじ、原が新しい監督に就任しました。ジャイアンツを最後までご支援賜るよう・・・」

 権太楼「(ひざだちになって)おじさん、おじさんっ!」

 馬風「大変ご無礼を申し上げました。ついでに、口上を申し上げます。三太楼んとこは、師弟そろって間抜けな顔ですな。三太楼は二ツ目のころから気前が良くて、先輩にご馳走するという・・。終わったら、どっか行くんだろ?(うんうんとうなづく三太楼)こいつはこれでも、女性にはもてるんですが、女房の田舎とまだうまくいってないの。ま、おつな年増はおおそれながらと円歌にさしだしたほうがいい。でも円歌、すでに中はよれよれ。向島の福住のオンナと切れ、アテントのおむつをしている始末だからね。円菊は熱演型で、体がだんだんはすっかいになって、すでに腸捻転を患っている。小三治は腰痛にイボ痔。円窓はすでに糖尿で、バイアグラも効かない。扇橋はもう、どうにもならない。広小路のドリームのオンナと切れて、島倉千代子一筋。ま、色キチガイですな。ま、三太楼は、これからも修業を重ね、ゆくゆくは馬風を追い越す、などという邪心は捨ててー、ひたすら努力して、末は一枚看板になれますよう、(バンバンとツケが入って)あ、隅から隅まで、ずずずーいと」

小三治「ええ、三太楼はその、師匠の権太楼の下で、十数・・・(三太楼に)何年?コホン、二ツ目のうちに人気者になりました。語り口よし、愛嬌あり、妙な色気もある。人にないものがある、というのが噺家の武器です。三太楼のために、わざわざ大勢さまが来られている。ま、中には、たまたま、の人もいるかと思いますが、これも一つの縁です」

円菊「えー(ひときわ大きなボディアクションに、小三治がびびっている)、六人の幹部が並ぶというのは、前代未聞。ほんとに珍しいことです。それだけ、三太楼さんの将来を見込んでという・・」

円歌「披露目というのは、こういう席に、こういう落語家ができましたと、お見せすることです。一段一段、階段を上がっていく。後ろから押すのはお客様です。我々に、良きライバルが出来ました。手をとって、ともに登らん、花の山。三太楼を、どうぞよろしくお願い申し上げます」

権太楼「あたしくも十数年前、ここで披露目をやってもらいました。自分のために、これだけの人が口上をしてくれる・・・。三太楼は、これからです。これからのやつです」

扇橋「口上の時に雷が鳴る・・・。秋雷、というのは歳時記に出ているんです。(小三治がウケている)そーゆーわけで三本締めを・・」

馬風「本来ですと、会長円歌が音頭をとるべきなのですが、大きな声を出しておもらししては大変です。僭越ですが、ご指名でございますので・・」

あとはいわゆる馬風型で締めくくり。長い長い口上だった。

順子ひろしの漫才。ひろしのいじられぶりが最高である。

「この人、モーニング男。って、言われてるんです。朝三時に起きるんです」

トリの三太楼への心配りだろう、権太楼は「町内」をサラリとやって下りたが、次の小三治が、またまた長いのー。

「披露目のたびに、そうだっけなと思い出すんですが、昭和三十四年の初高座、その時は川崎演芸場でした。パチンコ屋の奥に突然演芸場があって、パチンコやってる人の背中をすり抜けて行くしかない。それがフィルターになってて、客が来ないんです。前座で出たら、客が一人だった。七、八、九時となると、さすがに客が増えてきた。増えた客の前でやるには、何年やればいいのかなーと思いました。真打というのは、最後に上がって、今日の満足を満たして終わるのが役目です。一番終いに出るというのは、どういうことか。昼からずっとネタ帳見て、そこに出てるネタをよけてやれなきゃダメ。今の権太楼までで、二十四出てるんです。だから、少なくとも二十五は噺を知ってないといけない。だたし、似たような噺でもダメだから、与太郎噺ばかり二十五知っててもダメ。お客様が噺家を引っ張っていくとうより、後ろから押し上げてやってほしいんです。こんちわー。おや、八っつぁんじゃないか」

ありゃりゃ、いつの間にか「道灌」に入ってるー。

正楽に、またまたヘンな注文が。

「紅葉狩り!」

「時間かかります。正直言って、いつできるかわかりません」

「乙女の祈り」

「どうやってきっていいか、まったくわかりません。乙女が祈ってるんです」

と、途中でトイレにたつ客が・・。

「高座では今、紙を切っておりますっ!」

さてさて、ようやくトリの出番である。このときだけ、弟弟子のごん白が、メクリのために出てきた。

「ごん白っ!」

いいタイミングで声がかかる。この声は、鈴本の時と同じような・・。K藤さんか?

メクリが返ってから、三太楼が座布団に座るまで、ずっと拍手がなりやまない。

「録音とっておきたいなー。今度トリとった時、陰で流したりして。円菊師匠、鈴本の披露目の時も、アタシのこと、権太楼さん権太楼さんって、言ってました。山手線、とまったそうです。今の瞬間から、ここは避難小屋ですね。動くまで、やらしていただきます」と、「宿屋の富」へ。

「なけなしの一分、とられちゃったー」と泣き出す客が、いかにも三太楼落語の登場人物らしい。いいひとばかりが出てくる、気持ちの良い落語。宿屋の主人が当たりくじをみつけるくだり、「子の千三百六十六番」じゃ、前後賞だよ~。

怒濤のような十日間を、雨が流していく。なんだかヤケクソで新宿に通っているうち、落語を見よう、寄席に行こうという気分になってきた。また、くるぞー。

 

つづく

 


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