東京寄席さんぽ八月中席

 盆と正月は、昔から寄席のかきいれ時と決まっている。普段は寄席に来ない堅気な善良なファミリーなコンサバな人々が「わんさ」、というほどではないが、「かなりたくさん」寄席にわしわしとやってくるのである。そのうえというか、「混んでるし、疲れるし、変な客はいるしなー」などとクールなことを言っているマニアな人々(僕もそーだ)も、結局は騒ぎにつられて「ちょっといってみるか」と出かけてしまう。高座の噺家たちは「なんで一どきにくるかねー。毎月これくらい来てくれれば」なんていってるけど、フツーの客は、特別な日だからこそ来るんだもんねー。僕みたいに、フツーの日だけよって来る人ばかりでは、わが国の将来は暗雲が垂れ込めちゃうのである。居心地はよさそうだけどね。

 ただ、盆と正月、賑わいは同じでも、番組内容はそうとう違う。正月は、もー、何をかいわんやである。よくいえば、人気者総出演のオールスター興行だが、一つの番組みにン十組も出て、一組三分だ五分だ、トリの小三治は毎日「小言念仏」だ、二之席だって志ん朝はネタやらずに「男の勲章」だーーって、何を見てどこを楽しめばいいんじゃ、いったい。しょうがいないから、満員の末広亭の、開け放した二階席の、埃っぽい空気を吸い込んで、「寄席の正月の空気を体感した」と自己に言い聞かせるしかないではないかっ!

 そこへ行くと、お盆はいいんだよなあ、最近。まず、今や夏の風物詩になった古今亭志ん朝率いる「住吉踊り」が浅草演芸ホールの昼にあるでしょー。それから、鈴本の夜がこれまた最高っ!寄席の人気者、さん喬・権太楼の中心とした特別興行というか、「さん喬権太楼二人会」の前半に若手・中堅オールスターをくっつけた豪華番組で、正月とは違ってネタもちゃーんとやってくれるわけだな、これが。んでもって、国立、池袋もけっこうゴーカ。で、さらにさらに新宿末広亭の昼は、芸協のハワイアンバンド、アロハ・マンダラーズのライブ(!)というありがたくもトホホな企画まであるのだよ。このところ寄席応援団みたいな感じになってる僕としては、各寄席が意欲的な催しをしてくれるのはほんとーにうれしいのではあるが、よーく考えてほしい。中席は十日間しかないのである。お盆休みといったって、十日間ぜーんぶお休みなんて幸福な人は、ホームレスにだって少ないに違いない。

 「いったい、いつ、どこに行けばいい思いができるんだ~~~~~~!」

 というわけで、僕の本業の方の中席スケジュールはいかに?ここ三年ばかり愛用している文芸春秋社の「文藝手帖」を開いて確認してみるか。えーと、えーと、十六日までは暦どおりで土日お休み。十七日から五日間の夏休み。じゃーん、そんなら中席の間、休みは六日もあるではないかっ!なんだかやたら<!>が多いな、今回の「さんぽ」は。

 だがしかし、である。今年の夏休みは、ふらふらと遊んでいるわけにはいかないのであった!(←また!だ)本業以外の原稿がたまりにたまっているのである、えへん、って何威張ってんだ俺。えーっとね、「T京人」の落語特集の原稿が、なんだかんだで原稿用紙十五枚ぐらいあるでしょ、それから「正楽寄席かるた」の解説書三十二ページ分も書かなくちゃならない。さすがに会社のデスクで書いてるわけにはいかないから、こういうまとまった休みに書くしかないのだ。締め切りもヒジョーに近いしね。

 しかたがない。こうなったら、中席は絞りに絞って、少数精鋭でいくしかない!「住吉踊り」一回、「さん喬権太楼」二回、以上報告オワリ!である。ほんとはこの二倍はいけるはずなのにぃ~~~~~~とセコイことを言ってる間にも原稿の締め切りはひたひたと迫ってくる。はたして、質量ともにそろった原稿を期日までにW編集者に渡すことが出来るのか?はたまた落としまくって、アンタには二度と原稿なんか発注しない関東ところ払いよっとののしられるのか?いやー、他人事なら面白いんだけどなー。はははは、あせあせ。

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 八月十三日(月) 浅草演芸ホール・昼の部

 初花:小町

 り助:金明竹

 佐助:初天神

 金時:強情灸

 紫文:鬼平

 吉窓:動物園

 歌る多

  仲入その1

 菊春:権助芝居

 馬生:手紙無筆

 正楽:住吉踊り・武蔵

 助六:酒のマクラ

  仲入その2

 にゃん子と金魚

 文楽:毛の話

 駒三:勘定板

 美智・美登

 南喬:あわびのし

 馬風

  仲入その3

 小円歌:両国

 小せん:漫談

 円弥:目薬

 順子ひろし

 金馬:ちりとてちん

  仲入その4

 志ん橋:のめる

 和楽社中

 志ん朝:男の勲章

 大喜利=風流住吉踊り

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 番数も取り進みまして、といっても、まだ一つ目か。とにかく、いきなり今席の真打登場である。ジャーン、泣く子も笑う「住吉踊り」の見物だーい。

 僕がはじめてこの住吉踊りを見たのは、たしか東宝名人会の大喜利だったから、もう二十年近く前のことでしょう。出演者もまた十人ぐらいで、ほんとに寄席の大喜利レベルだったけど、今や寄席に入りきれないほどバージョンアップしてしまいましたな。客も多いが出演者も多い。実際、上演中にロビーに出ると、楽屋に入りきれない出演者がうじゃうじゃたむろしていたりする。とにかくもう信じられないほど混みまくり、開演時間に行って席があったらラッキーなくらい。なんとか席を確保できたとしても、超満員なので、いきぐるしいし、客の出入りはめまぐるしいし、おばちゃんはぺちゃくちゃしゃべり通しだし、弁当の匂いが充満するしで、居心地悪いったらありゃしない。そのうえ、劇場側が設けたい一心で「今入れば座れますよー」って大嘘ついて、さらにどんどん客を入れちゃうんだから、途中トイレにでも行こうものなら、行きに二席、帰りに三席ぐらいの高座は犠牲にしなくてはならないのである。

 であるからして、住吉踊りの見物には、心の準備というものが必要なのだ。まず、連れを確保する事。あの惨状の中(?)、一人ではとても大喜利まで辛抱できません。ともに戦う同胞がほしいのである。あとは食い物の確保。とにかく、中に入っちゃったら、売店に行くのも大変なんですからー。腹が減っては戦は出来ぬ。弁当とおやつと飲み物はぜーったい必要なのだ。ただし、女の人はあんまし飲み物を飲まないほうがいいと思うが。あとは、途中で居眠りをすることかな?ま、ざっくばらんに言えば、我々は住吉踊りさえ見れればそれでいいので、それまでの膨大な高座は長い長いつけたしなのである。そんなところで、貴重な体力気力を浪費しては、せっかくの志ん朝金馬円弥順子ひろしの熱演怪演を堪能できなければ意味がないのだ。だから、「あ、これはいいな」と思ったら、寝る。どーせ周りのおばちゃんたちも食べたりしゃべったりに忙しいのだから、「あんないい席にいるのに眠ってる~」なんて非難の目が来るわけはないので、しっかり寝て体力温存がキホンなのである。

 そんなとこでいいか。いささか長くなったが、午前十時、東武浅草駅前の空はカラリ晴れていた。松屋の一階、案内のおねーさんがいるあたりで、月曜日の真っ只中に休みをとって付き合ってくれるという貴重な同志(ありがとう、あなたのおかげで心強かったっす、ほんとーに)と待ち合わせ。それから、地下食品売り場で買出しである。お弁当は何にするか。うむむ、おにぎり専門店のしゃけは異様に高いぞ。おおっ、大黒屋の天丼弁当があるのはさすがに浅草だなあ。しかし、あんましボリュームがあってももたれるよ。なんていってるうちにも開演時間が迫っている。さっさと決めなきゃというわけで、二人で侃侃諤諤の協議のうえ選んだのは、わさびいなり四百円とカツサンド七百円。カツのほうは何軒かあったのだが名前で選んで「喜多八」のやつにした。和洋折衷の見事なバランスである。

 一階に戻ると、和洋菓子売り場があったので、ついでにお菓子も物色する。帯に短したすきに短し、そこそこの値段で、二人でちょこちょこっとつまめるものって、なかなかないのねー。もういいかっと思い始めたころに見つけたのが、「洋菓子のナガシマ」のカスタードケーキみたいなやつ。「雷むーん」という名前がちょっと気に入ったので二個購入だ。一個百二十円かあ。「おまけしとくわね」とおばさんが言うのだが請求額は二百四十円。あ、そーか、おまけというのは消費税分だったのか。

 お茶も買って、準備万端整った。いざ突撃である。すでにけっこう人通りのある新仲見世から、すし屋通りに出て、六区興行街へ。まだ開演一時間前のはずだが、劇場前に列はない。もう客を入れているようだ。テケツでチケットを買っていたら、横に当席の社長、会長が立っている。

 「おはよーございます。いつもいつもすみませーん」

 えらく大きな声と、満面の笑みで迎えられたが、そのお愛想の分だけ割引でもしてもらうと嬉しいんだけど。浅草は八月いっぱい、五百円値上げして、特別料金の三千円なんだもんなあ。

 「今なら一階にお席がありますよー」という社長の声に送られて客席に入ったが、うそばっかし。二つ並んだ空席なんてどこにもないじゃん。たしかにまだ立ち見は出てないけど、時間の問題だ。文句いってないで、早く席を確保しなきゃと二階へ上がったら、おおっ、幸いな事に、まだ六割程度の入りである。座席の周りにやたらに物を置いてるおじさんおばさんの横をとっととすり抜けて、一番前の上手寄りに二席をゲットした。

 よかったーと胸をなでおろす間もなく、前座が登場する。ありゃりゃ、まだ開演時間には三十分以上あるのに。ま、こんだけ客が入ってんだから、とーぜんか。

 ふだんサラ口から見ることが少ないので、前座の顔はあんまり覚えていない。これはだれかなーと考えていたら「花緑の弟子のしょっぱなです」と連れが教えてくれた。いろいろお世話掛けます。ういういしい高座の後は、また前座。今日は前座の二連発かあ。こんどは老けてるけど、これは知ってます。四十過ぎの入門で話題になったり助だよね。り助と初花、同じ前座だが、年齢差は二十ぐらいありそうだ。若くてもじじいでも、面白きゃ文句はありません。どっちも、はつらつとしてて、いい高座だよ。

 さて、お目当てまでどのぐらいあるのだろう。ひいふうみいと数えたら、あと二十四組もあるじゃないの。先は長いから、一気に行くぞー。

 佐助の「初天神」、金時の「強情灸」、ともに明るいのはいいが、笑いどころの多い噺のなのにいまひとつもりあがらないのは、間の取り方に問題ありか。紫文の音曲小噺(?)「鬼平」はオオウケである。やはりこういう満員の寄席では色物が強いのね。「その時火付盗賊改の長谷川平蔵が両国橋のたもとを通りかかると、一日の商売を終えた蕎麦屋が、水商売風の女とすれ違いざま、ゆらりと前のめりに倒れた。『蕎麦屋さん、大丈夫かえ?』『おまえは…、おつゆ』」こんなのを四つ、五つ。あまりにウケまくってしまい、うろたえ気味の紫文がおかしい。吉窓が「動物園」を丁寧にやったかと思うと、次の歌る多はほんの二、三分の高座。出番が多く持ち時間が少ないので、誰かが長くやったら、すぐに調整しなければならない。油断大敵なのである。

 と、ここで、もう仲入である。後ろを振り向くと、すでに満員状態。立ち見もいる。通路のど真ん中にダンボールのようなものをしいて座り込むおじさんがいて、これが通行の邪魔なのだが、本人はフンと威張っている。客の大半が熟年カップルあるいはおばちゃん三人連れだが、中に金髪の若いカップルがいる。黒、グレー、ごま塩の中の金髪。これは異様に目立つんだよねー。しばらく目で追っていたら、二階席の最上段に座り込み、どこで買ってきたのか、パックの焼きそばをぱくつきだした。はたして大喜利の「住吉」までいていくれるかどうかはわからないが、こういう連中が寄席に来てくれるのは、ちょっとうれしかったりして。

 おっと、もう幕が開いた。菊春の「権助芝居」は早口かつ口調に癖があるので、ざわざわした会場では聴き取りにくい。次の正楽は、パンフに名前が載っていない。こういう代演は嬉しいなあ。「線香花火」を切って、後は注文で二枚ほど。もしやと思って体を伸ばし、階下の客席を覗いて見たら、前のほうの壁際に、正楽追っかけねえさんの「たまちゃん」の姿があった。代演まで追いかけるとは見上げたものだ。今僕は見下ろしているのだが。芸協の助六は、酒の小噺のみか。この人はもう、なんでもいいの。後の「住吉」の、「あやつり踊り」がお目当てなんだから。助六の後は二度目の仲入。後二回は仲入がありそうだなとは思ったが、腹が減ってきたので、食料の包みを開ける。くーっ、おいなりさんの中の、わさび入りの酢飯がきくじゃないの。カツサンドもしっかりしてるなー。

 和んでる場合ではないな。再び幕が上がって、にゃん子と金魚が、これまた何やってもウケてウケて。その後の文楽が割を食った形だが、駒三の「勘定板」で再び客席が盛り上がる。色物と下ネタ、高座も客席も宴会ノリの時は、そういうネタがうけるんだよなー。松旭斎美智・美登の「お客さん参加マジック」の後、南喬が登場するなり、あの大声で「あーんだ、客なんて、その気になれば来られるんじゃねーの」。はははは。そーだよなー。

 三度目の仲入があって、小円歌が「両国風景」一曲で下りて、小せん、円弥。このあたりで気が付いたのだが、今日はここまで一度も寝ていない!連れと食料とそこそこの席、という好条件に恵まれたこともあるが、俺もなかなか忍耐力があるじゃん。それとも、病気から一年半、よいやく体力が戻ってきたのかなと思っていたら、次の金馬で熟睡した。「ちりとてちん」をやったのは知っているのに、どんな「ちりとてちん」だったかはまったく覚えていない。ま、寝るのはしゃーねーやな。

 仮眠をとったせいか、四度目の仲入以降はゼッコーチョーである。久々の志ん朝、どうせ「毛と歯とどっちをとる」という、あの噺にきまっているけど、志ん朝が出るというだけでわくわくしてしまう。もう何度聞いたかしれない「老松」の出囃子。あ、あれ?志ん朝の顔色が……悪いんじゃないの?思い出すのは去年の「住吉」、やせたというか、しぼんだ、という感じの志ん朝に愕然とした。その後、体もかなり戻って、この春の池袋で「三枚起請」を聴いてちょっと安心したりしていた。それが、このやせ方と顔色は…。声も出ていないし、そういう状態で「男の勲章」をやられると、笑っていいのか戸惑ってしまう。去年もそう思ったが、今年が最後の「住吉」ではありませんように、と祈らずにはいられない。

 さて、気分を変えて、えんえんえんえんえんえん待ちかねた「住吉踊り」である。伊勢音頭で幕を開け、奴さん、字あまり都々逸、それに志ん朝、円弥のゴールデンコンビによる「綱上」の熱演。今年はしっかり踊りを見せるということなのかと思ったら、やっぱりありましたよ、ひろし先生のワンマンショーが。あいかわらず、段取りも何も覚えない(これはネタではなく、ほんとのことらしい)を、責任者の志ん朝が手取り足取り世話を焼き、最後は順子が乱入して投げ飛ばす、といういつものコントがたっぷり。さらに今回は、志ん朝、金馬のからみもあり、志ん朝出ずっぱりなのである。大丈夫なのだろうか、と心配しているうちに、「深川」が終わり、揃いの浴衣が三十人近く並ぶ「かっぽれ」総踊りでクライマックスを迎えた。笑って食って寝て心配して拍手して、夏の寄席見物の白眉は、あっという間に終わった。

 「住吉」の余韻を噛みしめながら、六区、五重塔通り、浅草寺、隅田公園と歩き、アサヒビールの最上階でピザを食べた。高層ビルの窓から見る浅草の風景は、優しく懐かしい。ゆっくりと暮れ行く街を眺めながら、来年も「住吉」を見に来ようと、素直に思った。

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 八月十四日(火) 鈴本・夜の部

 喬太郎:漫談(池袋)

 のいるこいる

 志ん輔:宮戸川

  仲入

 すみえ:奇術

 こぶ平:狸の札

 権太楼:大山まいり

 小菊&小春&権太楼&さん喬:奴さん

 小菊:両国風景

 主任=さん喬:芝浜

      ★ ■

 浅草で遊んだ翌日、鈴本の夜席に行った。住吉踊り→会社で仕事→さん喬権太楼競演。うーん、こうやってみると、ディープかつハードな三十六時間だよなあ。しかし、田舎もないし、お盆の行事もないのに妙に忙しい今年のお盆、選択の余地はない。喬太郎の新作ではないが、ほんとのこというと、鈴本の両雄激突十日間は毎日でも行きたいのだ。とにかく、多少は時間的余裕のある今日行っておかないと、この先行けるかどうかわからにのである。ぐずぐずいわずに、とっとといこう。

 大手町から千代田線に乗って湯島駅へ。そこから「大勝」の前を通って、仲通り。「マッサージ、イカガデスカ」「ノミホウダイ、ゴセンエンヨ」という外国ナマリのお誘いをサイドステップでかわしながら繁華街を抜け出せば、酒悦の隣が鈴本だ。時間はえーと、七時チョイと前だ。鈴本のおっそいエレベーターにいらいらしながら場内に入ると、おおおおおっ九割ほどの入りか。空席を探すのがつらいじゃんとキョロキョロしていたら、喬太郎が終わってしまった。今日は漫談だけだったみたい。

 のいるこいるの漫才で、ようやく尻が落ち着いた。仲入は志ん輔。若い落語好きの間では、あまり話題に上らないが、この人、若いころはよかったんだよなー。ぱっと明るく、口調もテンポがよくて、ちょいといなせな風情が、いかにも上り調子の若手らしかった。もう若者というには年をとってしまったが、中堅というほどには腰が落ち着いていない。中途半端な今を抜けだせば、一皮向けた志ん輔が見られるはずだ。

 今夜のネタは得意の「宮戸川」。とんとんと調子よく運んで、いよいよラストの濡れ場(?)。霊岸島のおじさんの家の二階で、一つの布団に背中あわせのお花半七。雷に驚いたお花が半七に飛びつくと、思わず半七もお花を抱き返す。お花の体が崩れて、燃え立つような緋ちりめんの長じゅばんから、雪のような白い足が…。半七がぎゅっと抱きしめると、お花が「あっ」と言って……、(ここでおもむろに楽屋の方を見て)お時間でございます、と頭をさげた。最後の「あっ」が微妙に色っぽくて、惜しい切れ場だなあ。

 仲入後は、鈴本の夏興行には必ず登場する松旭斎すみえだ。

 「あたくしね、お盆になると出てくるんです。(ぎゃははという笑い声の方に、ちょっと首をかしげながら)いつも(鈴本に)出ているわけじゃないのに、この時期になると、支配人から『中席の夜、出てくださいね』って、電話がかかってくるの。富田支配人っていって、奥様がきれいなんです」

 若いころは美人だったと(本人が)いう、すみえ。奇術協会の会長となった今は、美貌よりも、とぼけた味のトークが売り物なのだ。色とりどりのヒモを取り出して、「あたくしね、ヒモの手品、うまいの。ヒモでくろうしてるから」。いいなあ、すみえ先生。

 こぶ平が愛嬌たっぷりに「狸の札」を演じた後は、さん喬・権太楼の時間である。考えてみると、この二人、ほんとによく競演している。末広亭の年末余一会はもうすっかりおなじみだが、その他に、池袋秋の「注文の多い落語会」があって、この鈴本の夏興行である。さらに、東京以外でも、あちこちの地域寄席で共演しているらい。互いに寄席の人気者、共通するネタも多いのだが、文藝派のさん喬に、爆笑系の権太楼と、二人の持ち味はまるで違う。互いが互いを生かすことのできる、現在の落語会では最強タッグと言っていいのではにだろうか。同じ寄席番組での競演とはいいながら、上野と池袋ではかなり内容に違いがある。マニアの客が多い池袋はネタも企画も実験的なものが多いが、老舗の上野では、ネタは完成品でなければならない。斬新な面白さこそないが、質の高い競演がみられるのである。

 「金毘羅船船」におくられて、さっそうと登場したのは、権太楼だ。

 「『夏の夜噺、冬模様』と、我々が勝手に言ってるんですけどね、この後は『大山まいり』と『芝浜』ですから、こりゃあまさしく『夏の夜噺冬模様』ですよ。これから長いですからね。覚悟してくださいよ。(笑い)『大山まいり』はどう短くやっても五十分、『芝浜』は一時間……。うそです。(爆笑)そんなに長くはやりませんから」

 で、「大山まいり」。どんな噺でも一度解体して、独自の工夫を入れなければ気がすまないという権太楼には珍しく、教科書通りといってもいい演出である。暴れ者の熊をもてあます先達の吉兵衛が、何かと理由をつけて、大山まいりの講中からはずそうとする導入から、宿での喧嘩の顛末、一明けた熊の慌てぶり、一足先に長屋についた熊がかみさん連中相手に打つひと芝居と、じっくししっかり描いて三十分。笑わせどころをはずさぬ、権太楼としては楷書の芸で。「代書屋」や「辻」のような、めくるめくような爆笑はないが、権太楼の力量を知る、格好のネタといえるだろう。

 膝代わりというか、この場合は、両雄の間の、箸休めのような役割を受け持つのは、粋曲の柳家小菊である。さあ、いきな「両国」で休ませてもらおうかと思ったら、ととと、小菊と弟子の小春が、高座の下手にちんまりすわってしまった。これじゃ真ん中が空っぽ、何か趣向があるのかと見ていると、あったんですねえ、趣向が。今高座を下りたばかりの権太楼が、再び高座に上がって、「奴さん」を踊りだしたではないか。陽気に踊って、拍手拍手。ああよかった、楽しかったと思ったら、あらら、入れ替わりにトリのさん喬が登場し、「あねさん」を踊りだしたのである。さん喬の踊りはさすがに色っぽいが、なんだか「あねさん」のふりが小さいような…。そんなことにはおかまいなく、場内は思わぬ趣向に大喜び。やんやの喝采である。小菊がはからずも客席の気持ちを代弁してくれた。

 「すっごいサービスですねえ」

 楽しい「ひざ」の後は、さん喬の「芝浜」だ。今夜と明日、二日続けて二人が「芝浜」を演じるという、面白い番組なのだが、それを知ってて明日来られそうもないのが残念無念である。さて、さん喬の「芝浜」だ。ライバル権太楼の「芝浜」との最も大きな違いは、魚勝のおかみさんの描き方だろう。権太楼のかみさん(実際のオカミサンじゃないよ)が、気が強くてしっかり者で亭主と対等に渡り合う(だから最後に亭主に殴られたりするのだが)のに対して、さん喬のおかみさんは、折り紙付きの「いいひと」である。いいひとすぎて、時に「ぐず」に見えるときがあるほどなのだ。亭主のことを思い、必死で亭主に尽くすのだが、亭主をうまく操縦する事が出来ず、逆境になるとおろおろするばかり。そんな女房が、魚勝を立ち直らせることが出来るかという考えもあるのだが、逆に、そんな女房だからこそ、守ってやりたいと亭主が思うのかもしれないではないか。とにかく、さん喬の「芝浜」は、いいひとだらけ。だから、甘ったるい。だけれども、その甘さがまた気持ちよいのである。もうちょっと練りこめば、細部を引き締めれば、完成度は上がると確信できるのだが、そうなると、この心地よい甘さがなくなってしまうんだよなー。名作落語の誉れ高い「芝浜」、さん喬版にはまだ改良の余地がありそうだが、今のところはこれでいい、いや、これが聴きたいのである。

 終演後、テケツのところで、仲間と感想などを話していたら、さん喬一門が出てきて、「一緒にどーお?」と誘ってくれた。広小路の前を秋葉原方向にまっすぐ歩いた右側の、ビビンパ屋の上にある小さな中華料理屋に入ったのは、十人ちょっとか。

 さっそく特別サービスの「奴さん、あねさん」について聞いてみた。

 「ああ、あれはねー、権太楼が急に言い出したんだよ。『権ちゃん、あねさん踊りなよ』っていったら、『いや、あねさんは、兄さんでなきゃ。色っぽいし』っていうからさー。でもね、しばらくやってなかったから、『あねさん』のフリ、忘れちゃって…。高座に上がって、最初のフリをやったら、あと出てこないんだよねー。だからあれ、ほとんど即興なの。なんかヘンだったでしょー」

 なーんだ、そういうことだったのか。和気藹々の一門をまじえて、バカ話をしながら、餃子とか、白身魚の揚げたのとかを食い散らかしたのだが、ここんちの料理はみんなうまい!要チェックの店なのだが、あああ、名前が出てこない。

 近くの席に、たまちゃんがいた。あの有名な、「正楽おっかけねーさん」である。そういえば、製作中の「正楽寄席かるた」、正楽さんの紙切り絵が、いっこうに上がってこない。今週中には、かるた屋さんに収めたいのに、どうなっているんだろうと、はらはらしていたのだった。たまちゃんなら知っているかもしれないので、思い切って聞いてみようっと。

 「あー、あのかるたですね。アタシも気になっていたんで、師匠に『どれぐらいできたんですか?』と聞いてみたんだけど、……とてもながいさんには言えないような枚数でした」

 がーーーーーーーーーーん。とてもぼくにはいえない枚数って、一体何枚なのー。いやいや今日は楽しい寄席帰り。そんな事を気にしていては心臓に悪い。ここは「聞かなかったこと」にして、うまい中華を楽しもうではないか。しかし、僕にはいえない枚数って…。

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 八月十六日(木) 鈴本・夜の部

 喬太郎:ほんとのこというと

 のいるこいる

 志ん輔:かわり目

  仲入

 すみえ:奇術

 こぶ平:孝行糖

 権太楼:鰻の幇間

 紫朝・紫文:俗曲

 主任=さん喬:雪の瀬川

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 楽しい鈴本の夜から一日置いた木曜日の朝、正楽さんから電話があった。

 「おっはよーございます、正楽です」

という挨拶の後、正楽さんは何もいわない。沈黙に耐えられず、僕が口を開いた。

 「あのー、師匠、正直に言ってください。たまちゃんから、ちょっと聞いていますが、かるた四十七枚中、何枚できたんですか?」

 「……二十三枚」

 「えっ、二十三枚――(思わず絶句した後)今週中にできるんですか?」

 「できまでん。来週中なら、なんとか……」

 「うーん、じゃ、先方にはなんとか言い訳しますから、言い訳しやすいように、土曜日までに三十枚切ってください。あ、かるたのパッケージの表紙絵もお願いしますよ」

 ま、予想はついていたが、これは厳しい。僕の夏休みがまた削られていく……。

 気を取り直して、その日の夜に、この芝居二度目の鈴本へ。ほんとはそんな精神的な余裕はないのだが、後半の五日間のうち、どうしても聞いて置きたい人がいるのだ。粋曲の柳家紫朝である。ずいぶん前に大病をしてから、寄席の高座に上がっていないが、「この新内語りを、この芝居に引きずり出そうと思っているんだ」と権太楼から聞いたのは、今年の春、「権太楼祭り」の打ち合わせをしていたときのことだ。歩けないなら、板付きにすればいい。新内流しの雰囲気を出したいなら、弟子の紫文に客席を歩かせればいい。鈴本のお客に、紫朝さんの新内を聞かせたいんだと、その時権太楼は目を輝かせていた。そして、プログラムを見ると、後半の膝代わりが、紫朝・紫文の師弟コンビの名前があるのだ。これはいかにゃあなるまい、である。

 お盆なのに忙しいのは毎日の事。今夜も鈴本に着いたのは、喬太郎の高座のときであった。でも、今夜のネタはちゃんと聞くことが出来た。「ほんとのこというと」が、比較的年齢層の高い客にわんわんウケている。喬太郎の新作は、もう寄席ではなんの違和感もなくなった感じである。「棄て犬」はどうかわからんが。

 志ん輔の「かわり目」。まくらの字が書けない夫婦の小噺がいい。旅に出た亭主へと、江戸に残った女房が、亭主の友人に手紙を託す。「字がかけないのに」と訝りながらも、友人は亭主に手紙を届けた。亭主が封を開けると、小石が二つ入っている。それを見て、亭主が涙ぐんでいるではないか。友人が「おい、どうした。どういうことなんだ」と尋ねると、「いや、女房がかわいくて。こいしい、こいしいって」。

 仲入の後、さん喬・権太楼の露払いを務める、こぶ平が健闘している。

 「僕ねえ、毎日ネタを変えてるんですよ。今日で六日目。実は今日でネタが尽きるんですよ、ほんとに」

 最後(?)のネタは、「孝行糖」。与太郎の飴やに「買っておくれよ~」と迫られた江戸っ子のセリフがオカシイ。「おれはなー、菓子は買わねーんだ。買うとしても、二木の菓子だけなんでえ」。

 権太楼の「鰻の幇間」。この噺の主役は、陸釣りの野だいこでも、浴衣の旦那でもなく、鰻屋のよしおちゃんではないだろうか。客が上がってきても、二階の座敷で平気な顔でメンコをやってるよしおちゃん。床の間の掛け軸に、自分の習字の作品を張っているよしおちゃん。本人は噺の中に一度も登場しないのだが、何度聴いても一番印象にのこるのは、この鰻屋のバカ息子、いや、おぼっちゃんなのである。

 さて、お次は、お目当ての紫朝である。仲入の時、客席の後ろで、権太楼と紫文がなにやら打ち合わせをしていた。おそらく、紫文が客席で新内流しをする、その経路の確認なのだろう。いったん幕が下りて、再び幕が上がると、高座の真ん中に縁台が出ていて、三味線を抱えた紫朝が、ちょこんと座っている。「では都々逸を二つ、三つ」。力を抜いた、軽い歌い方なのに、高音に艶があって、そこはかとない色気が漂う。いい声なのである。一息ついて、「おーい」と袖から紫文を呼ぶ。二丁で「蘭蝶」。はじめは、紫文の連れ弾きが少しゆれていたが、次第に呼吸が合って、思わず聞き惚れた。いい高座だったなと思ったが、考えてみると、新内流しをやっていないではないか。そういえば、紫文とのやり取りの中で、立ち上がろうとした紫文を、紫朝が引き止めるようなそぶりを見せた。今日はこのまま行こうということか。それとも、自身が新内流しをやろうとしても出来ない苛立ちか。残念ながら「流し」はなかったが、それでも、久しぶりの紫朝の声は冴えていた。もう一度聴きたいが、やっぱり、この芝居、もう来るのは無理だなあ。

 トリのさん喬、「雪の瀬川」は鈴本のお席亭のリクエストなのだそうだ。この企画のネタ出しをしているとき、「ぜひ、あの、花魁が吉原を逃げてきて、若旦那と結ばれる噺を」と言われたと、さん喬本人からずいぶん前に聞いた。

 しかし、「雪の瀬川」。さん喬にぴったりの噺ではないか。あでやかに美しい花魁、ひたむきな純愛を貫く若旦那、どこまでも誠実に主人に尽くす元使用人、そして雪の夜のめぐり合い。さん喬が好んで描く人物、道具立てがそろっていて、どこを切っても、さん喬の顔が出てくるような噺なのである。この夜は、後半を一時間弱にまとめたが、実は主人公二人の馴れ初めを描く地味な前半もいいのである。寄席の制限時間ではとても出来ないが、二日通しでもなんでもいいから、もう一度、いや二度も三度も聴きたい噺である。

 いつものように鈴本の前でがやがややっていると、出番を終えたさん喬が出てきた。だれかが「幾代餅と瀬川、どっちが好きですか」と聞くと、さん喬は即座に「そりゃあ、幾代餅だよ」と答えていた。

 「おとついと同じ見せだけど、どーお」と誘われ、またあのビビンパ屋の二階の中華屋にいったが、やっぱし名前が覚えられない。さん喬の常連客、ひいき客に混じって、ぐだぐだ飲み食いをした。そろそろ終電が気になったので、割り前を払おうとすると、ぬあんと、千円札が二枚しか入ってない!これでは、割り前どころか、無事に家にたどり着けるかどうかあやしい金額なのだ。こまっていると、前の席のI田夫妻が助け舟を出してくれた。大枚四千五百円の借金である。それ以来、I田夫妻に会えないので、実は今も金をかえしていないのである。おーい、I田さーん、どこにいるんだよー。

 それから二日後の土曜日、夏休みにもかかわらず、正楽さんの「絵」を受け取りに会社まで出かけた。富山に旅に行く正楽さんは、会社の受付に作品を預けていた。枚数を確認すると、二十五枚のかるた絵と表紙が入っていた。

 

つづく

 


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