東京寄席さんぽ八月上席

 企画も何もない平日の夜席、トリに上がったお気に入りの真打ちが、マクラなしですっと本題に入った。今日は大ネタだ、とわかったときの、ぞくぞくっと、身震いするような感じは、寄席通いのひそかな悦楽である。

 だから、というわけではないが、今回、僕はもう、新宿末広亭の前に立っているのだ。さんぽのついで、ではなく、仕事の帰り道。新宿三丁目まで来ると、ついつい末広通りに入ってしまう。一か月余続いた「水回りの修理」がやっと終わったようで、いつの間にか見慣れてしまった正面の青いシートが取り払われているではないか。すっかりきれいになった末広亭の玄関を通り・・・・・、とととと、どこがきれいになったのだろう。久々に姿を現した末広亭の正面は、依然とぜんぜん変わっていない様な気がする。使用前使用後のびみょーーーーーーーーーーーーーーな差異がわかるのは、よほどの末広亭マニアなのだろう。

 せっかくとっとと「さんぽ」を始めようと思ったのに、玄関で意外な時間を食ってしまった。はやいとこ中に入るためには、テケツで入場券を購入しなければならない。ととととととと、どうしたことか、テケツのおじさんの首が前にぐらりと傾いたままなのだ!こ、これは、もしかして末広亭殺人事件のプロローグなのかっ!と、思うヤツはまずいないな。よーくみると、傾いた首がこっくりこっくり前後に揺れている。よろしかったら、はい、みなさんもご一緒に。ただいま時刻は午後の八時十五分、もうそろそろ木戸を閉めて片づけ始めようかという時間ではあるけれど、れっきとした営業時間中なのだ。・・・・・、よっぽど暇なのかなー。おこっていいのか、あきれていいのか、はたまた同情すべきなのか。テケツを通り越して、モギリの所までいくと、末広亭のおかみさんが、こちらはぱっちりとした目を見開いているのだった。

 「あのー、テケツの人が寝てるみたいなんですけど・・・」

 「あ、どーも、いらっしゃい。あなたー、ちょっとー、ながいさんよー」

 あなたと呼ばれて、ぴくっとあげた顔を見れば、なんと当寄席のお席亭、Kシャチョーであったのでした。

 「なんだか、のどかですねえ」

 「うーん、きょうはちょっと入りもなんだか、なんだよねえ」

 席亭と立ち話をしながら、どんどん時間がたっていく。時刻も時刻だし、場内の様子もだいたい想像がつくし、今夜は、このまま帰った方がよさそうな気がする。「それじゃまた」といいかけたところで、「当然、見てくんだろ」と席亭の一声。典型的な「気配りのA型」である僕は、さわやかな声で「もちろんですよー」と答えたのであった。

      ● ▲ ■ ◆

 8月2日(木)<末広亭・夜席>

 のいるこいる:漫才

 文楽:毛の話

 権太楼:芝居の喧嘩

 アサダ二世:奇術

 主任=伯楽:抜け雀

      ● ▲ ■ ◆

 すっと入るつもりが、結局なんやかやで、入場するまでに、えらい時間を使ってしまった。で、中の状況であるが、・・・・・・・・・思った通りだった。一年間の「定点観測」で鍛えた、客数計算能力はだてではない。ざっと見渡して四十人弱。その七割が前方三分の一の客席に身を寄せ合い、あとの三割は、「あっちに一人、こっちに一人」と、ゆめじうたじの漫才ネタのような分布図を描いている。末広亭の春夏秋冬の中で、最も活気のない状態が、今そこにあるののだ。

 「これはトリが終わるまで、帰るわけにはいかない」

 のいる・こいるの「へーへー、ホーホー」がやたらに反響する客席の最後尾に腰を落ち着けながら、僕は自分に言い聞かせた。

 「寄席はいっぱい入ればいいってわけじゃない。じゃ、どのくらいがやりいいかというとい、今日ぐらいが一番いいというわけで・・」

 文楽のお愛想も、さすがに今夜は厳しそうだ。こういうときこそ、昔の寄席を描いた文章などを読んでいると、「雨のしとしとふる、入りの悪い平日の夜などに、ふだんめったにかからない珍品が」なんて情景によく出くわすが、それは寄席好きの夢というものである。少なくとも、現代の寄席では、そんな幸運にはまず巡り合うことはない。わかっているのだが、いざ自分がそういう状況に置かれると、淡い期待を抱いてしまうのが、かなしい。

 「今はね、若い子に粗っていっても、わかんない。肩の下を押さえて『ここの骨じゃない?』って、そこは鎖骨だ・・」

 いつものマクラのあとは、・・・いつもの漫談だった。「毛」へのこだわり、養毛剤の功罪の、あのネタだ。あーあ、こんなんじゃ、やってる方だってつまんないんじゃないのかなーと思いながら、ぼんやり文楽を見送った。

 入れかわりに登場したのは権太楼。「あたしたちの方で一番えらいのは、柳家小さんです。人間国宝ですよ。トキと同じです。もう繁殖能力もないんです」なんていいながら、客席の状態に気がついたようだ。

 「寄席はね、題が出ないでしょ。今日何やるか、わかんないんです。気取ってるんじゃなくて、ほんとにわかんない。根多帳ってのがあるんですよ。今日一日やったネタは、もうできません。同系統の落語ができないんです。『子ほめ』が出たら『道灌』はできない。『寿限無』が出てたら、『たらちね』や『金明竹』はできない。だから最後(に出てくる噺家)は大変ですよ。トリをとるためには、ネタ数がなくちゃいけないんです。誰とは言いませんが、一人だけですよ、同じネタでトリとってるのは。根多帳、見せましょうか?(楽屋に向かって)おーい」

 前座のあろーが根多帳を持ってくるころには、客の大半が身を乗り出している。

 「(根多帳を広げながら)『鰻屋』、『無精床』、南喬『あわびのし』・・・。ネタ数が少ないトリの時は、我々が遠慮するんですよ。名前は言えません。『火焔太鼓』、『道具屋』、『無精床』なんてやるの」。おいおい。

 「もうひとつね、噺はオチが大切です。『じょーだん言っちゃいけない』なんて、途中で終わっちゃうのは、やなもんじゃないですか。野球でもそうですよ。・・・・・・、木挽町の小村座は、いっぱいの人出。(客席を見渡して)夢のような話ですね」と、いきなり入った本題は「芝居の喧嘩」。満員の芝居小屋で起こった、幡随院長兵衛と水野十郎左右衛門、町奴と旗本奴の大げんかの顛末はいかに、という講釈種を、権太楼独特の押しの強さでぐいぐい引っ張っていく。

 「すごいねえ、長兵衛だよ」

 「だれ?」

 「江戸で長兵衛といったら、幡随院に決まってんだろ!」

 「そんなことないよ、本所だるま横丁で左官やってる長兵衛さんってのがいますよ」

 ぎゃはははは。江戸の芝居小屋にも、落語マニアがいるんだなと拍手をしてたら、今度は満杯の客席を、道具箱を持った「たがや」が強引に通り抜けようとしたりして・・。たっぷり楽しんだラストは「これからが面白いんだけど・・・、サヨウナラ」。

 権太楼が客席をひっかきまわっしたから、アサダ二世もやりやいのだろう。

 「暑いときはやりたくないなー。汗かいちゃうと、トランプはあたらねーは、 ハンカチはくっついちゃうは」とぼやきながら、楽しそうにいつもの手品を演じた。

 さて、ネタ数の多さが要求されるトリは、金原亭伯楽。先代馬生の一番弟子のネタ数は、もちろん半端ではない。

 「魔の木曜日・・・。この不景気のさなかに寄席においでになる皆様は、もうエリート中のエリート。よほど生活に余裕がおありになる。皆様方の裕福なご尊顔を拝察しますと、お身なりなどは、ごく庶民的ではありますけど、それはこの夜を忍ぶ仮の姿、お宅へ帰れば、女中さんの七、八人も傅くような生活を・・・」

 ほんとにしてりゃあ、来やしないだろうけど、って、何十年も聞いてるから、もう空でいえるもんねー。そらみたことか。

 「あたしも最近は海外なんぞに行きまして。二月、六月、十一月・・、安いときだけですけどね。江戸時代の旅は、歩いていく。ちょいと疲れたら、籠でも乗ろうか」と来たら、「抜け雀」だろう。志ん生ネタというか、志ん朝ネタというか、古今亭・金原亭一門のトレードマークみたいな話である。

 絵に描いた雀が抜け出るーー。甚五郎物にも通じる名人物語だが、甚五郎ものより笑いが多い。ぱっと明るい、伯楽の芸風にはよくあった噺だと思っていたが、久しぶりに聞いたら、今ひとつはずまない。重要人物である「二階の一文無し」が実におやじクサイのである。放蕩が過ぎて勘当になった狩野派の絵師というからには、のびのびとした若さがほしいではないか。「絵かきというのは力を入れて墨をすると、あとで手がふるえていかん。お前がするんだ」と、宿の亭主と一文無しの立場が逆転していくくだり、絵師の様子にひと味、稚気のようなものが加われば、さらに話に膨らみがでるのだがなあと、好きな噺

だけに注文が多くなった。ラスト近く、父親とおぼしき老人が自分の絵の手抜かりを補ってくれたと聞きつけた絵師が、「その老人の右の目の下にほくろがなかったか」と宿の主人を問いつめる、このいい場面に「柳家小せん」の顔を思い描いてしまうオレって、ちょっと病気かも。

 数日後、ちょっと問い合わせがあって、権太楼の自宅に電話をした。

 「おお、ながいちゃん、こないだは新宿、ごくろーさん」

 「あれれ、よくわかりましたねー。僕の座ってたの、一番後ろの席ですよ」

 「わかるよー、あんだけ客がすくなけりゃ」

 「でも頑張ってましたね」

 「ふふふ」

 末広亭で寝てなくてよかったー。

     ● ▲ ■ ◆

  昨年末に出した「定点観測」の単行本が、いまだに動いているようで、ちらほらではあるが、メールや葉書で感想をいただくことがある。その中で、「どうしてあなたは喜多八を取り上げなかったのか」というのが、何通かあった。本をひっくり返して調べてみると、番組一覧表の中には確かに「柳家喜多八」の名前はあり、本文にも出てくるのだが、その高座については何の記述もなかった。はて、どうしてだろう。第一に、喜多八のトリがなかった、という事実がある。「定点観測」は、だらだら寄席体験記ではあるが、毎回、トリの高座だけは、できるだけきちんと、その芸について書いたつもりだ。残念なことに、「観測」中、喜多八のトリに出会うことはなかったのだ。トリ以外の出番の時、本文中に取り上げるかどうかは・・・・、うーん、これはその時の気分次第としかいいようがない。人気実力とも昇り調子の喜多八が、気にならないはずがない。取り上げなかったのは、本当に「たまたま」なのである。しかし、今回のことで僕と喜多八の来し方行く末(?)をあらためて振り返ってみると、意外や、喜多八の高座との縁が薄いのだ。昔の手帳を見てみると、「○月○日 喜多八の会」なんて記述が結構ある。ところが、そのほとんどに、バッテンとか横線が引いてあるのだ。つまり、今度は行こう、次には行こうと思い続けているのに、喜多八の会が近くなると、必ず何か予定が入って、キャンセルやむなしとういう事態に陥ってしまっていたのである。だから今まで、一度も喜多八の独演会に行ったことがない。ああ、僕と喜多八って、こういう運命(さだめ、と読んでね)なのね。前世の因縁なのかしら、なんていってても事態は改善されないだろうから、またまた「とにかく喜多八の会の会場までたどり着く」計画を立ててみた。今回は珍しいことに当日まで、何の急変もなかった。よしよし、これで初めて喜多八独演会に行くことが出来るぞと思うまもなくトンネルの闇を通って広野原ではない慶応大学東門横の春日神社にたどり着いたのは、開演直前の午後六時五十分。ここまですんなり来たと思ったら、当日の夕方になって突如怒濤の雑用地獄がやってきてしまい、結局ぎりぎりで飛び込むことになったのであった。

     ● ▲ ■ ◆

 8月3日(金)<喜多八の会>(三田・春日神社)

 鯉奴:肥瓶

 喜多八:近日息子

 喜多八:天災

  仲入

 喜多八:一つ穴

     ● ▲ ■ ◆

  小さな神社の、ひじょーに変わりにくい通路を通って、何とか会場にたどり着くと、場内はもう満員である。ざっと見渡したところ、年配の男性客年配の男性客年配の男性客年配の男性客年配の女性客といった感じである。その中に、知ってる顔が一つあっ。もちろん年配の男性である、ってしつこいよね。落語研究家のY本さんである。演芸の世界では高名な先生なのだが、権威筋の会だけでなく、まめに若手の勉強会などにも足を運び、威張らず騒がず、きちんと見ている。この人を見るたび、背筋が伸びる気がするのだが、しばらくすると伸びた背筋が丸まってしまう。なんとか少しでもあやかりたいんだけど。いやほんとに。

 さて、初めての喜多八独演会だが、会場の雰囲気が実にいい。なにより、喜多八が好きっ!というお客さんばかりなのだ。独演会だから当たり前といえば当たり前なのだが、実際にこのような「わしらは全員が喜多八の大ファンなんじゃー、文句あるかー」という会場は、そんなにはないよ。こういうとこでやれる喜多八は幸せもんじゃ。じいもうれしいぞ。

 開口一番は、春風亭鯉奴。「これで『こいぬ』と読みます。鯉の奴隷だから、出囃子は奥村チヨにしようかと」と説明すると、年齢層もばっちりな客席から、あははと軽い笑いが起こった。だが、この時点で、この男のネタが、この日一番の爆笑を記録するなどと予想したものは、いないだろう。ネタは「肥瓶」。懐具合が悪い町内の若い衆が、兄貴分の新築祝いに「水がめ」と偽って「肥瓶」を持っていく、いささかきたない滑稽噺。喬太郎の遠い親せきという噂を聞いたことがあるが、意外にしっかりした口調で、師匠の春風亭鯉昇譲りの「ひく芸」の面白さも生かしながら、トントンと噺を進める。あと少しでサゲという、いわゆるひとつのクライマックスで、その事件は起こった。

 「あにい、もうしわけありませんが、この湯気の立ってるおまんま、どこの水で冷やしたんで?あ、あわわわわ」

 どっしぇー。おまんまは冷やさないよー。それまで「ふんふん、よくできた前座だ」と感心していた客が一斉にずっこけて、あとは爆笑につぎ爆笑である。大慌ての鯉奴が事態を立て直そうとしても、笑いが大きすぎて、言葉を継ぐことが出来ないのだ。いつ止まるとも知れない満場の大笑いの中、真っ赤な顔でぼう然とする前座のおかしさ。いやはや、今思い出しても笑いがこみ上げてくるー。

 前座にこれだけ笑いをさらわれては、メーンの喜多八もやりづらかっただろう。それでも、一席目「近日息子」は軽快に。あの元気のない高座の出は、寄席だけではなく、独演会でも健在(?)であった。もちろん、元気のない「ふり」なのだが、さすがに常連ファンの多い会場だけに、いつまでもそういうポーズはしていない。怒っても持ち上げても糠に釘のバカ息子にふりまわされる、きまじめな親父が生き生きしている。僕が思うに、喜多八の落語の中で、最も魅力的なのは「親父が怒る」という場面ではないだろうか。「かんしゃく」「小言幸兵衛」「に、今夜の「近日息子」。目をむき、こめかみに青筋を立て、それでも必死に爆発を押さえる頑固親父は、漫画チックで滑稽でちょっと哀れなのだ。

 二席目の前にちょいと休憩があって、さっきの鯉奴が本日のプレゼント「落語協会の浴衣地」をもって再登場だ。

 「ごはんを冷やす鯉奴ですー。アタシはこういうのが多くて、こないだ末広亭で、与太郎が酒粕食べて酔っぱらうネタをやろうとして、いきなり『こんあ大きなので酒を二杯飲んじゃった』とやって、噺が続かなくなったんですー」

 さっきの爆笑が、拍手を連れて戻ってきた。鯉奴君、「災い転じて福」にしましょうね。

 で、再び喜多八の登場で、マクラの代わりに、今後の予定発表である。

 「えーと、今度また会をやるんですがね、これはですね、来月、あたしの直接の弟弟子が二人、真打ちになるんですよ。直接の下ですからね、あたしも兄弟子として何かしてやりたいじゃないですか。でも、それには先立つものが、ね?ですから、会をやって、それで何とかという・・。だから今度はゲストも一門の三之助だけだしね。ま、お客様にはいつも同じネタというわけにはいかないから、『牡丹灯籠』を覚えてますけど」。新真打ちの小のり、助平は、いい兄貴を持った、といっていいのだろうか。「天災」、「一つ穴」と後半も快調。「一つ穴」とはまた珍しいネタだが、「あんまり好きな噺じゃないんですけど、会のネタも困ってきたし、せっかく覚えてからやります」ということ。やる気のないわりには、熱演だったような。確かに噺事態はつまんないんだけど。

 帰りはY本先生に誘ってもらって、ドトールコーヒーでカフェラテを飲みながら落語談議。会の途中、細かい字でびっしり書き込んでいたY本メモを見せてもらおうと思ったが、「年取ると物忘れが激しいんで、気がついたことを書いてるだけ。たいしたもんじゃないよ」といって見せてくれない。しかたがない、今夜は鯉奴に免じて見逃してやるかって、なにえらそうなこと言ってんだか、鯉奴も関係ないし。

     ● ▲ ■ ◆

  唐突だが、小三治は寄席に限る、というのが僕の持論である。こういうふうに書くと、なんかこう、確固とした信念があるように聞こえるだろうが、なに、そんなに難しいことを僕が考えてるはずはない。ぶっちゃけた話が、独演会の切符が入手難なので、寄席で捕まえるしかないんだもーんというのが、最も大きな理由だった。持論は持論だが、やむなくの選択。実際、チケット取るのが面倒くさいホール系を一切無視すると決めてしまえば、かえってさっぱりするというものだ。そのかわりに小三治トリの寄席定席は出来るだけ通う。そんなスタンスをしばらく続けていたら、何のことはない。結果論だが、これが正解ではないかと、思い始めた。小三治の魅力の第一は、本寸法の柳家の芸、というようなことではない。何よりもまず、あの風の吹くまま気の向くまま、といった、飄々とした自由気まま(わがまま、といってもいいが)キャラクターを体感することだ。今日は、あの長い長いマクラをやってくれるのか、はたまた大ネタ長講か、それとも気が向かないから「子ほめ」でおしまいか、小三治というキャラクターの高座ドキュメントを堪能するのは、あらかじめ演題を出すこともなく、持ち時間もあいまいな寄席のトリで聴くのが一番いいのである。

 それはまあ、ああいう人であるからして、いつもいつもすっごい高座を見られるわけではない。サイコー!もあれば、フツーもある、ごくまれには「なんじゃこりゃ」な高座にも出くわすのである。でも、不思議なことに、どんな小三治にあたっても、それはそれで面白い。熱烈なファンというわけではない僕がそうなのだから、小三治さま命の人たちにとっては、たまらないんだろうなあ。

      ● ▲ ■ ◆

 八月五日(日)<池袋演芸場・昼席>

 さん坊:真田小僧

 三之助:金明竹

 京二・笑子:漫才

 福治:町内の若い衆

 喜多八:竹の子

 〆治:お菊の皿

 亀太郎:俗曲(元九郎の代演)

 扇橋:化け物使い

  仲入

 小のり:憶病源兵衛

 文朝:寄合酒

 小雪:太神楽

 主任=小三治:馬の田楽

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 寄席の小三治は極力見る、と啖呵を切っても、昼席はさすがにつらい。昨日は締め切り日、今日も会議、なーんて言ってるうちに八上も中日を過ぎた。池袋の昼席にたどり着いたのは、すでに六日目の日曜日である。遅れた分、開口一番からみっちり聴くことにした。

 入門当初、兄弟子の喬太郎らに「へなちょこ」とからかわれていた、さん坊も、さん市、さん角という弟分が出来て、多少の自覚が生まれたのだろう。久々に聴く「真田小僧」の印象は、・・・・・やっぱしちょっと、へなちょこだった。父親を手玉に取るこまっしゃくれた子供が、可愛すぎるのである。子供が可愛いぶん、父親も弱腰だったりして、どうにもしゃきっとしないが、ほのぼのとした個性は、意外や後味がよい。いっそのこと、「へなちょこ落語」(そんなものがあるのか?)を売り物にするという手もあるか。

 三之助を前に聴いたのは、まだ小ざるといっていた前座時代だったと思う。正直言って、なんの印象もないのだが、今回の「金明竹」で、ちょっと見直した。隅々まで目が行き届いた、しっかりした噺に仕上がっているのだ。たとえば、関西弁の使いの者が口上を述べる中盤、早口の上方なまりが店番の与太郎に通じず、往生していると、奥から女性が出てくる。これがこの店のおかみさんだと確認して、「わてなあ、加賀橋の加賀屋佐吉方から・・」とゆっくり語りだした口上が、一転、猛スピードになる。目をぱちくりするおかみさんを見ながら、自分の言葉が通じないもどかしさに、使いの者が口上を言いながら次第に起こりだすという変化が、きっちり押さえられているのである。色白で柔和な顔立ち、いかにものんきそうな風情の陰に、細かな計算、演出を隠している。面白い若手である。

 京二・笑子の漫才が、前半、もっとも笑いを取った。貫録(?)たっぷりの笑子の演歌に圧されながらも、さりげなく反撃を試みる京二のふわふわした感じが、とても楽しい。

 京二「おーい、歌う時に、急になまらないでよ。体がなまってるんだから」

 笑子「(威圧するように)何よ、体がなまってるって」

 京二「・・・・・んもう。(笑子のロングドレスを上から下まで眺めて)着やせして・・・」

 

 笑子「あたしのこと、ちゃんと紹介してよ!」

 京二「音楽学校を出まして、歌手にならずに、カスになった。(くすくすという笑い声に)いいですか?ここ、気に入ってるんですよ」

 

 京二「歌を歌う前に、ヨーレイヒーとやると声が出るよ」

 笑子「それ、ヨーデルじゃないの?」

 京二「うん、声がヨーデル」

 ベタ(ベターじゃないよ)で、レトロで、でもあったかくて、ちょっといい。

 二時過ぎに出てきた〆治が開口一番、「あたくしで、ひとまず弟子の部はおしまいです」。プログラムを見てみると、それまでの落語の出演者は、前座のさん坊を除けば、すべて小三治門下なのだった。ちなみに、後半の出演者まで見渡せば、この日出演の噺家は、小三治の弟子五人、小三治とは「三人ばなし」で盟友の扇橋、文朝、それにトリの小三治本人。がっちり小三治ファミリーで固められているというのも、あからさま。仲入前、扇橋の「化け物使い」でも、人使いのチョー荒い隠居にこき使われる使用人が手紙を持っていく先が、品川の「郡山剛蔵」(だれかさんの本名)だったりして。ほんとに小三治だらけである。

 さてさて、トリの小三治だ。今日はマクラが長いか本題が長講か?息を詰め、耳をそばだてて集中したが、マクラもトリもほどほどの長さで、なんだか肩すかしを食らったようである。

 「ええとね、こないだ張り切りすぎて、夜の部に食い込んで、前座に怒られちゃった。で次の日は、短くやった。そしたら昨日、また長くなっちゃって、夜の前座が開口一番に上がったのが五時十五分過ぎ(夜の部は五時開演、前座はその前に高座に上がっているはずなのだ)ですよ。だから今日はね、短い番なの」

 そういうことでしたか。たしかに「馬の田楽」は短かったが、十二分に楽しめた。小三治が、フツーの常識からちょっと離れた市井の人を演じると、とてつもなく可笑しい。「馬の田楽」のような、のんびりし過ぎて、浮世離れした人々が活躍する噺はもう、おかしくておかしくて・・・。味噌つけた馬、とっても食べてみたくなった。

       ● ▲ ■ ◆

 八月六日(月)<末広亭・昼席>

 金馬:おしの釣り

  仲入

 喬太郎:諜報員メアリー

 笑組:漫才

 小せん:町内の若い衆

 一朝:小言念仏

 元九郎

 主任=花緑:ちりとてちん

       ● ▲ ■ ◆

  昼席づいた、というわけではないが、これも小三治同様注目していた、花緑の昼トリを見に、新宿へ飛んだ。「丸々ドキュメント」がお目当ての小三治とは違って、花緑に目を付けたのは、大ネタをかけてくれそうな予感がするからである。花緑の良さは、いつも一所懸命なところだ。昼の部だろうが、夜トリだろうが、浅草だろうが、池袋だろうが、北千住(ここには寄席はなかったか)だろうが、一切手を抜くことがない。平日の昼トリで、どんな力演を見せてくれるのか、一度言ってみようと思ったので、仕事がとぎれた午後二時半、迷わず末広亭に駆けつけたのだ。

 高座はすでに仲入前。「おしの釣り」は、金馬のレパートリーの中でも、好きなネタである。殺生禁断の不忍池で鯉を釣ってもうけようというでこぼこコンビの失敗(成功か?)物語。のんびりした釣りの風情と、意外にスピーディーな展開が、程良いバランスを醸しだす。一応犯罪物なのだが、罪のない金馬の話しぶりで、後味よく楽しめた。

 食いつきの喬太郎は、こんなの、フツーの客の前でやっていいの???という不思議なネタ「諜報員メアリー」。未明の歌舞伎町「つぼ八」から始まるシュールなスパイストーリーに、客席の善男善女がとまどっている。エキセントリックな登場人物が次々と奇行を披露し、この先どうなるかと身を乗り出すと、「壁に耳あり障子にメアリー」というベタベタ駄洒落ではい、おしまい。おいおい、「壁に耳あり」なら「常磐線に亀有」だろー?え、そういう問題じゃないか。

 楽しみにしていた花緑は、「ちりとてちん」。読売夕刊で連載中の祖父・柳家小さん聞き書き」で、目白の御大が、このネタに登場する二人の客、あいそのいい金さんと、ひねくれ者のとらさんについて、「愛想のいいのは信用できねえ。後の方が、実は相手のことまで気配りをしている」と従来の解釈と正反対の意見を表明し、花緑がぼう然としていた、と聴いたことがある。そんな花緑の「ちりとてちん」がどう変わったかと、がぜん注目したが・・・・・・、聴いてみると、依然と全然違っていない。いかに偉大なおじいちゃんとはいえ、この「ちりとてちん」の解釈は、ついていけなかったか。ネタそのものも、長講というわけでもなく、やや拍子抜けのまま、末広亭を出た。ただいま午後四字四十分。今日は、このあと、急性心筋梗塞を起こして療養していた、「江戸・網」大家のあほまろ氏の快気祝いである。そっこーで帰社して仕事を片づけ、本所吾妻橋の「キッチンイナバ」に向かわなければ。いかに本人の希望とはいえ、心臓病患者に洋食を食べさせるのはいかがなものか。料理はオムライスに空揚げに、カツサンドもつけようか。特に参加者を募ったわけではないから何人集まることやら、てなことを考えながら、じっとりと暑い地下道を、丸の内線のホームまで一気に下っていった。

     ● ▲ ■ ◆

 この芝居は、昼席が面白い。池袋の小三治、新宿の花緑を見た後は、浅草演芸ホールの昼の部見物である。お目当てはトリの噺家バンド、にゅうおいらんずのライブである。小遊三の音頭で数年前に結成された草ディキシーランド。最近は腕を上げて、地方営業までやるようになったと聞く。そういうことなら、お手並み拝見といこうではないか。

 週中の昼下がり。浅草には、どうしてこんなに人があふれているのだろう。若いカップル、家族連れ、背広を片手に汗をふくリーマンに、えたいの知れない人たち・・・。ま、こんな時間に紺ブレにピンクのフレームの眼鏡をかけて六区をうろついている僕も、どういう風にみられているかは・・・・、考えたくないが。

 ホールの木戸を開けて驚いた。一階に空席がないのである。某新聞社の無料チケットが乱舞する下席でもあるまいし、どうしてこの時期、昼席が満員なのか。しばらくぼう然としていたが、このままではらちがあかない。世間はもう夏休みなんだなあとぼやきながら、二階席へ回った。こちらもけっこうな入りだったが、なんとか真ん中辺にスペースを見つけてもぐずりこんだ。仲入前の小遊三が、こちらの方を眺めて「どうしちゃったんですか?二階まで満員だ。オレの後頭部、丸見えじゃねーか」と短髪をなでていた。米丸、新山真理、小遊三と漫談ばかし(柳昇の時は寝てたので、よくわからない)、ええかげんにしろ、である。特に小遊三の「笑点裏話」は聞き飽きた。でも、ちょっと笑ったりしてしまうのが、しゃくにさわるぜ。

      ● ▲ ■ ◆

 八月九日(木)<浅草・昼席>

 米丸:漫談

 新山真理:漫談

 柳昇:カラオケ病院

 小遊三:漫談

  仲入

 にゅうおいらんず:線路は続くよ、慈しみ深き、ユーアーマイサンシャイン、 月光値千金、ワシントン広場、ハロードーリー、聖者の行進

     ● ▲ ■ ◆

 お目当てのにゅうおいらんず。仲入が終わって、幕が開くと、舞台狭しとスタンドマイクや楽器、バンドの機材が置かれていた。バンジョーの右紋、キーボードの桂伸之介、ドラムスの神田北陽、クラリネットの円雀、小遊三のトランペット、昇太のトロンボーンと、芸協職員ベン片岡がベースだったような・・。

 ディキシーというわりにはポピュラー過ぎる選曲なのは、「メンバー全員が知ってて、楽譜が読めなくてもできそうな曲」という基準があるかららしい。多少のゆらつきはご愛きょうだkamiが、これがけっこうバンドらしいのである。

 途中、メンバーの休憩タイムには、小遊三、昇太のトークが入る。これが、それぞれの出身地自慢(小遊三=山梨、昇太=静岡だ)という、実にわかりやすいネタなのだが、二人のノリがいいので、ウケるウケる。

 「じょーだんじゃねーよな。みんな休憩ってひっこんじゃったけど、右紋のバンジョーなんて楽なもんじゃねーか。一番大変なのはおれたち金管なんだよ。もう、上唇が鼻にくっついちゃって、舌で裏側をぺろぺろしてると、気持ちがいーの」

 「はははは。ところで僕は静岡の清水の出身ですが、静岡と言ったら、富士山ですよね。朝日が当たって、霊峰富士が浮かび上がって、美しいんです。で、その裏側の、日陰のところが山梨県」

 「じょーだんじゃねーよ。静岡出身の有名人、今川義元だって。あんなおでこの上の方に、チョンチョンとまゆ毛つけた男のどこがえらい!」

 「山梨は、武田信玄に頼りすぎですよ。土産は信玄餅だし、どこの温泉も『信玄のかくし湯』なんだから」

 てな具合で、つっこむつっこむ。

 続いて、観客に、出演者の手ぬぐいプレゼント。

 「今日はだれにあげようかな。そいじゃ、東大出た人!」

 「(小遊三)師匠、無理言っちゃいけませんよ」

 「そうか、それでは、あたくしの故郷、山梨県出身の方!」

 「はーい!」

 「そこの人、どこですか」

 「千葉」

 「ハイ、差し上げます。千葉と山梨、目と鼻の先ですよねー」

 このアバウトさが、小遊三の真骨頂である。

 後半は、スペシャルゲストが登場するという。だれかと思ったら、タキシード姿もりりしい春風亭柳昇である。

 「えーっ、このたび芸協で、にゅうおいらんずができたんですが、あたしをいれてくれません。しょうがないから、ゲストで出てきました。トロンボーンは何年でしたっけ、十六歳の時から四年間、一所懸命やりました。そして二十歳の時、ぜひにとお願いされて戦争へ行き、四年間一生懸命やりました。しかし、戦争って○○ですね、○○、○○を○○○てもいいんですから。皆さんの中に、○○○○をもう一度作ろうという人、いませんかねえ(この部分、恐くてとてもそのままかけないので、こんな書き方にしました。詳しく聞かないよーに)」

 柳昇はやるきまんまんで、進軍ラッパをひととおり披露した後、昇太との二枚トロンボーンで「聖者の行進」を熱演だ。

 右紋の誘導で、一人一人ソロをやって、そのまま袖に消えていく。最後に右紋と北陽の二人が残ったが、「バンジョーは三遊亭右紋でした」と、右紋がさっさと引っ込んでしまい、一人残された北陽がうろたえて・・・、愉快な演出もばっちり決まって、堂々の音楽大喜利だった。あー疲れた。

 翌十日、今度は新宿末広亭の昼席へ。さすがに連投の根性はなく、この日は正楽さんの原稿を取りに行っただけ。昼の部の終わるのを見計らって行ったつもりが、五時近くになって、まだトリの花緑が終わっていないようだ。木戸に張り付いてみたら、「たちきり」の若旦那が、芸者の位牌を前に嘆いているところだった。

 

つづく


お戻り


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