東京寄席さんぽ七月中席

 雨男、という言葉と、もう十二年も付き合っている。なんでそんなに半端な数字を覚えているかというと、あれは忘れもしない一九八九年のいつのことだったか(ここで「忘れとるやないか!」という突っ込みが入るのが、名著「恐るべきさぬきうどん」の定番フレーズなのである。←田尾さん、また使わせてもらいました)、定期的にいろんな観光地に出張して旅ルポを書くという仕事が、僕に回ってきたのですよ、これが。新聞の一ページの三分の二を使う大きな記事で、しかも署名入り。そのうえ目的地の選定も、内容も、担当記者まかせという、新聞のお仕事としてはヒジョーに条件がいい。ただひとつ気になるのは、記事だけでなく写真まで自分で撮らなければならないということである。日ごろカメラマンに頼りきりの身にとっては、これはちょっといかがなものかと不安がよぎったが、ま、人生そう都合のよいことばかりあるわけではないものね、と喜んで引き受けたあたりから暗雲が広がっていたのだ。

 そして、忘れもしないその年のいつのことだったか(まだやってる)、僕は初めての旅ルポを書きに、青森県へ飛んだ。目指すは初夏の十和田湖である。まず三沢あたりの温泉に入って、青森県を横に移動し、途中、ドラキュラの里といわれるなんとか町をひやかして、十和田湖へ。連絡船で周遊した後、奥入瀬を歩く。写真スポットもいろいろあるし、初めての旅ルポとしては堅実な行程だろう。この考えが大甘だったのではないかと思い出しのは、三沢行きの機内だった。窓の外は、雨、雨、雨。暗く垂れ込めた雲以外は何も見えないのだ。むつ小川原湖をみて、渋沢栄一ゆかりの古牧温泉を訪問して、ついでにドラキュラの里(思い出した、新郷村だ)まで足を伸ばしたが、雨脚は強くなるばかり。翌日の十和田湖も、奥入瀬歩きも、横殴りの雨の中である。二泊三日して、青森の空に、晴れ間は一度も現れず。東京に帰って、撮った写真をデスクに見せたら、「どうでもいいけど、かさが映ってない写真はないのか」とあきれられた。

 そのあと、毎年、年に数回は旅ルポの仕事で出張するのだが、二泊三日すれば、少なくとも一日は本降りになる。大分県の九重高原に行った時は、現地について助役にインタビューをしている最中に降り出した雨が次第に激しくなり、ついには台風で大分空港が閉鎖になる大騒ぎ。「九重に二泊して、一度も阿蘇が見えなかったのはあんただけだよ」と役場の人に笑われた。海外出張もおんなじで、ソウルに行けば「六十六年ぶりの路面凍結」という異常気象で乗ってたタクシーが追突事故を起こすし、九月の末にカナダのバンフに行ったら季節外れのドカ雪が降って、ホテルのモミの木が一夜にしてクリスマスツリーになった。ベルギーでも一週間いて六日間雨が降った。おかげで一部社内では「「どこに出しても恥ずかしくない雨男」と言われるようになってしまった。

 貴重な行数を使って、なんでこんなことをグダグダ書いているのか。それはねー、今年の夏って、ほんとに暑いでしょ。もう、七月のアタマからずーっと猛暑。今は梅雨じゃなかったのかっ!と怒っても、東京の空には雲ひとつ現れない。今年の夏はもう雨なんかふらねーんじゃねーか、と思っちゃうほどバカ快晴とうだる雲気が続いている。その最中、ワタクシは旅ルポの仕事で出張したのである。それも、梅雨のない、この時期雨雲とは最も縁のないはずの北海道へ。それでも、七月十二日、二十年ぶりに函館の町についてみれば、しょぼしょぼと冷たい雨が降っていたのである。なんでこーなるのか、もう、雨の神様(できれば女神であってほしい)に見込まれたとしか言いようがない。この時期北海道で雨など降るはずがないと思っていても、長年の習慣で、折り畳み傘を持っているのが、何かクヤシイ。市役所の観光セクションで資料をもらい、路面電車で、たそがれた雰囲気の函館駅に戻る。駅を起点に、「イカウニイクラカニ」がてんこもりの朝市を巡り、赤レンガの倉庫群がエキゾチックな港を歩くが。それにしても、傘がじゃまだー。

 たしか、今週の初めから、さん喬師が北海道で仕事をしているはずで、昨日の苫小牧で切り上げて、今日は入れ違いに東京に戻っているはず。さん喬一行の旅の天気ははたしてどうだったのか。今度確かめてみなきゃ。僕の「雨男度」が高まっているのではないか、という漠然とした不安が証明されるかもしれないな。そんなことを考えながら、函館名物のイカ刺し(真イカは今が旬らしい)でも「ウニイクラ丼」でもなく、青龍軒というほんっっっっとにフツーの中華屋さんで、塩ラーメン四百三十円ナリを食す。旅の最初の食事としてはいささか意気があがらないものがあるが、この塩ラーメンがうまいっ!なんでも北海道では「旭川しょうゆ、札幌みそ、函館しお」というラーメン分布図があるということで、函館塩ラーメンは、最近になって横浜ラーメン博物館にも登場するほど、ひそかに注目を集めているのらしい。当地函館でも、最近はこじゃれた塩ラーメンの店が増えて、観光客がいそいそと出かけているらしいが、現地の人々はそういう店にはいかないらしい。理由を聞くと「高いから」だって。「塩ラーメンひとつに七百も八百も払うのは、おかしいよ。ラーメンは五百円までだな」という見解は、「入場料が四千円を超える落語会には行かない」というポリシー(?)を持つ僕には、妙に納得がいってしまうのだ。だから、裏通りの、あまりぱっとしない、でもけっこう繁盛しているふうな店に入ってみた。これが大正解。四百三十円の塩ラーメンは淡い、という言葉が一番しっくり来るアッサリ味で、舌触りも喉ごしも、とっても優しい。本体が淡白なだけに、チャーシューの濃厚さが際立って、とろけるようにウマイ。どっかのラーメン横丁のハードな塩ラーメンの自己主張とは無縁な、さりげない、それでいてきちんと函館の街に溶け込んだ、存在感が嬉しいではないか。でも、外は相変わらずの雨である。

 この間の長崎もそうだが、古い港町の楽しみは、坂歩きである。古い民家や、洋館を改造した店をひやかしながら、てくてくと坂道を登る。振り返ると、眼下に港町の古くて新しい町並みが広がっている。雨に煙っているけどね。面白いのは、数多いみやげ物屋や、飲食店の中で、「GLAY御用達」という店が大きな顔をしている事だ。函館は文化人、芸術家、俳優、タレントなどを多く輩出しているが、最近はもう、GLAYばっかし。あ、ジュディマリのボーカルっつーののも約一名いたな。それでも、なんでもGLAYである。「うちのソフトクリームは、GLAYのなんとかがおいしいっていった」といった元町のみやげ物屋、「うちのチャイニーズ・チキン・バーガーは、GLAYが方々でうまいって言ってくれて人気が出た。感謝状を送ります(って、本当に感謝状を店内に掲示してある)」なんていう現地のハンバーガーチェーン(ここは変わってて、けっこうウマイ)なんてのがあちこちにあるし、タクシーの観光コースに「GLAYゆかりの地を訪ねる」なんてのもあるのだった。ま、GLAYはそのくらいにして、それにしても函館の洋館は独特である。二階家の二階部分は、アーリーアメリカン調というのだろう、下見板に覆われていて、ピンクやグリーンのペンキがおしゃれなのだが、一階部分はなんと和風で、格子窓があったりする。つまり一軒の上下で、和洋ちゃんぽんなのである。そういう函館洋館が、ごくフツーの飲食店だったり、オフィスだったりするから面白い。坂道歩きという、僕にとってはいささかつらい作業も、にわか建築探偵の気分で楽しく歩けた。でも、雨は降り続けているのだ。

 降ったりやんだり降ったりやんだり二日間悩まされた雨は、今日帰るという三日目の昼前には、なんでけろっと晴れるんだー!でも、考えてみると、僕の出張で最も多いのがこのパターンなんだよなー。帰り際に大あわてで「傘の映らない写真」をとりまくって、やっとこ旅ルポのめどがついた。最後の食事は、函館で最も古い洋食屋「五島軒」のカレーライス。ここんちが、カレーの元祖という説もあるほど有名らしいのだが、なんか店構えがとっても偉そうなのだ。堂々たる洋館で、中をのぞいてみると蝶ネクタイで黒いスーツのおじさんたちがサービスをしている。へろへろのジャケットにチノパンツ、資料でパンパンのリュックをしょったオヤジの一人客には、ひじょーに敷居が高いのだった。でもしかし、はいってみると、これが気持ちのよいぐらい、スタッフがびしっとしていて、サービスが行き届いている。気持ちのいい接客に加えて、売り物のカレーも、添え物のサラダも文句のないできだ。これなら、メニューにあるカニコロッケなんかもうまいんだろうなと思ったが、あすは東京・本所吾妻橋の「キッチンイナバ」で洋食宴会があるのだった。ここでカロリーたっぷり洋食を食うわけにもいかんので、今回はカレーライスだけで許してやるとするか。十四日の遅い午後に空港を飛び立ったANAだったかJASだったかの窓から見た函館の町は、見事に晴れてやんの。ばかやろー。

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 翌十五日は、さん喬師の実家である本所吾妻橋「キッチンイナバ」で、真っ昼間の宴会である。函館の雨がうそのように激しく晴れた正午に、宴は始まった。寄席さんぽの読者を中心に総勢二十人の落語&洋食好き。特別出演のさん喬師が「真打の披露目の時に仕込んだ」というナントカブランデーを食前酒として開けてくれた。何でも、小さん師に飲ませたら「こないだ飲んだ小三治のよりうまい」とほめられたそうで、お酒関係ではすでに小三治をしのいだという、さん喬師の今後が注目されるかどうかは定かでない。まあ、ここに二十人集まるまでにはいろいろあったのだが、改めてみると、お店のキャパはやっぱ少ないよなー。テーブルを四つくっつけてもらって、なんとか二十人座れたけど、この人数が好き勝手にいろんなものを注文したら、さん喬師の弟さんである稲葉幸司シェフ一人では対応できないだろうなあ。「予算が余ったら作るかもしれない」と言っていたオードブルはしっかり並んでいるし、「きのこのコンソメにする」といってたスープも、当初からさん喬師が主張していた、手間隙かかる「ポタージュスープ」(これは絶品だった)になっている。締めのミニオムライスも、どう測っても「ミニ」とはいえない普通サイズ。これに「目玉焼き付ハンバーグ、しっぽまでぷりぷりのエビフライ、刻みゆで卵が入ったしっかりカニコロッケ」の定番三種がついて三千五百円は、どう考えても出血大サービスだろう。これだけ優遇措置をしてもらってるんだから、参加者のみなさん、ぜひぜひ裏を返してくださいねーと、平にお願いしておく。

 宴会は、全員空クジなしの福引や、口の重い幸司シェフによる「金物屋―ラーメン屋―洋食屋」というキッチンイナバ変遷史なども交えて、実に四時間近くに渡る長丁場を、和やか、かつにぎやかに過ごすことが出来た。参加者の皆さんが、ひごろ周囲と落語の話ができないという演芸ファン共通の悩みを少しでも解消出来たとしたら、嬉しい事である。

 午後四時に中締めとなって店の外に出たが、日差しはさらに強烈になった感じである。腹は膨れているし、歩くには暑すぎる。とりあえずカラオケでもと思ったが、日曜日の吾妻橋にはカラオケ屋があるのか。イナバのすぐ隣に、「いとこがやってる」というカラオケ屋さんがあり、幸司シェフが様子を見に行ってくれたが、ここもお休みだ。なんとなく残った六人で地下鉄にのり、東武浅草駅前の、他には居酒屋とローン会社しか入ってないビルのカラオケ屋に入った。あーすずしーと、窓の外を見ると、これがまあ、すんごいいい眺め。窓がでかくてカーテンもないから、浅草の町並みがはっきりくっきり見渡せるのだ。

 「健全すぎてカラオケやる雰囲気じゃないねー」なんていいながら雑談をはじめて二時間、途中時間延長をしながら、一曲も歌わずに話しまくってしまった。ま、フツーの喫茶店では、これだけ長居して大声で話してたら顰蹙だろうから、正解だったかもしれないが。イナバ宴会幹事の僕としては、楽しく談笑しながらも、初対面の人が多いから、仲間はずれはでないだろうか、不満やトラブルはないだろうか、とか気になってしまって、心底楽しんだかといわれると、ちょっと首をかしげたくなる。そういうわけで、カラオケ屋の歌なし二次会は、めでたく一次会が終了した事もあって、いやあ、リラックスできました。付き合っていただいたみなさん、特にお土産のオムライスがこの暑さでどうにかならないだろうかと心配しながらついてきてくれた方々、ほんとにありがとうございました。キッチンイナバは、ポタージュスープを飲んだ人はわかると思うけど、ホワイトソース系の料理が得意なようだ。となれば、次のターゲットは、グラタン、ドリアだろう。これに、さん喬師絶賛のオニオングラタンスープも逃せない。ああ、牡蠣フライが出てくるシーズンまで待てない。みなさん、早々に「キッチンイナバ裏返しオフ」、やりましょう。委細面談っす。

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 十二、十三、十四と函館に出張し、日曜日にイナバ宴会。月曜日はさすがに疲れたので家で一日お休み。というわけにはいかないのだよ、日本の会社員は。だるい体を引きずって、新三郷~大手町を一時間チョイかけて出勤である。新聞記者という仕事は、今日はどこ行って誰と会って何するか、自分で勝手に決められるのはいいのだが、まったくの個人仕事なので、たとえば三日間出張したりすると、留守中の三日分の仕事がきても、誰も助けてくれないので、そのままたまってしまう。つまりですねー、今週のルーティンをこなしながら、先週の出張時からたまったままの仕事を片付けなければならない。出張後の数日はかくのごとくヒジョーにつらいだ。この中席、まだ一度も寄席に行ってないのはわかっているのだが、目の前に仕事の山がそびえたっていて、寄席への道をふさいでいるのであった。ぐすん。

 なんとか先週の三日分の遅れを取り戻すめどがついたのが、水曜の午後の事だ。ふと気がつくと、今日は十八日。紙切りの正楽師がアフリカへ出張(?)するのは、たしか十九日からのはずで、それまでに二週間分の紙切り原稿をもらわなければならないのに、出発を明日に控えて、まだ一枚も届いていない。あわてて正楽邸に電話をかけたが、この時間に家にいる人じゃないよなー。ケータイは持ってないし、いったいどこでどうしていることか。いざとなったら、僕が紙を切って…、というわけにもいかんしなあと、本当に不安になってきたその日の夜、「おっはよーございます、正楽です」といつもとまーったくかわらぬ調子の電話がかかってきた。

 「ごめんねー、原稿遅れちゃって。明日の朝、二週分郵送するから、それで間に合うよねー」

 「つかまってよかったー。明日郵送なら十分です。それより、アフリカ、無事に帰ってきてくださいね」

 「ふふふ、わかんないよー。そんじゃね」

 正楽師のケニア行きは二十七日まで。空港の荷物チェックで、紙切り用のハサミは引っかかんないのだろうか。

      ★ ■

 そんなこんなで、中席初めて寄席見物をしたのは、十八日のことだった。いやはや押し詰まってきましたねー。行ったのは五街道雲助がトリを勤める池袋演芸場。持ち時間たっぷりの池袋夜席で、雲助トリ。行きたくて行きたくてしょうがなかったのに、ずっとお預けだったんだから、今日はみちり聴くぞーと誓ったのだが、「遊びに行こうとすると、仕事の電話がかかってくる」というマーフィーの法則(?)が働いたりして、結局間に合ったのは番組半ば、志ん橋の高座からだった。

     ● ★ ■

七月十八日(水)<池袋・夜席>

 志ん橋:だくだく

 静花:マジック

 さん喬:抜け雀

  仲入

 しん平:漫談

 菊丸:宗論

 和楽社中:太神楽

 主任=雲助:もう半分

     ● ★ ■

 中に入って、驚いた。思ったより客が少ないのだ。雲助トリで、他に面白そうな会もない。それが、僕が入った時点でやっとこ「つばなれ」である。さん喬権太楼ほどの集客力をすべての噺家に望むわけにはいかないが、熱烈な雲助ファンはかなりいるはずなんだがなあ。ものは考えようである、このメンバーでこの客数なら、まことに贅沢な寄席見物ではないか。どーだ、うらやましいだろーと言っておこう。

 高座は、志ん橋の「だくだく」で、なーんもない長屋に立派な家具の「絵」が描けたあたりから。ここに近目の泥棒が入って、絵に書いた箪笥からどうやって着物を持ち出すかという話になるのだが、志ん橋のメリハリの効き過ぎた口調は、「鉄瓶がたぎりっぱなしで、金庫の前でずっと(絵に描いた)猫があくびをしている」なんという漫画チックな設定を描写するには最適だ。いやあ、ほんとに面白い噺を聴いたつもり。

 仲入前のさん喬は、こんな会話で噺をはじめた。

 「ちょいとお前さん、おかしいよ」

 「おれがか?」

 「違うよ、二階のお客さんよ。酒ばかり飲んで…、あれは絶対一文無しだよ」

 ありゃりゃ、これは「抜け雀」の冒頭、じゃないよな。始めのほうではあるけれど、してみると、今日は持ち時間に合わせた短縮版の「抜け雀」というわけか。それにしても、さん喬の噺はもともと長いんだから、多少縮めても、聴いてる方はみっちりきけるんだよね。「抜け雀」は、さん喬としては比較的古いネタなのだが、一時全然やらないときがあって、最近また復活してきた模様である。持ちネタでも、時代によって演じる頻度が微妙に変わる。一人の噺家をずっと追いかけていると、いろいろなものが見えてくるはずなのだが、僕は新聞社の地方勤務が四年半あって、その間の空白がある。その間の、さん喬権太楼雲助が何を演じ、どんな夢を見ていたか知らないのが、今となってはちょっとくやしい。

 「抜け雀」も、僕はさん喬では数回しか聴いた事がない。僕にとって「抜け雀」といえば、志ん朝系(正確に言えば「志ん生系」だろうが、残念ながら僕は生「志ん生」では聴いていない)である。「お前のまみえの真ん中にあるのはなんだ?目だろ。見えない目ならくりぬいて銀紙を貼っておけ」という名せりふが、さん喬版にないのが、物足りない。さん喬版の特徴は、一文無しに振り回される宿の亭主の「まぬけ度」が高いことだろう。人がよくて、押しに弱い。だから、かみさんの大声や、一文無しの気合に負けて、いいなりになってしまう。

 「下でパアパアいってるのは何だ?お前のかみさんか?ひどいもんと一緒になってるなあ」

 「……あたしもす思うんだけどね、あんた、そういう立場じゃないと思うけど…」

 

 「類焼はいたしかたないが、転売はならぬぞ。ごめん」

 「ありがとうございました。……一文無しに礼言ったちゃった」

 

 「(雀が抜け出すのを見て、手をひらひらさせながら)あわわわ、おっ、おいおっかあ、雀が抜け出した」

 「バーカ、絵にかいた雀が抜け出すわけないだろ。抜けてんのは、お前の頭だ」

 

 印象に残っているのは、亭主がからむ場面ばかりだ。亭主の善人ぶりが強烈だから、噺全体の印象もすがすがしいものである。いいハナシだなあと思っていきいていたが、ふと気がつくと、籠カキの説明が一切ないまま、あのサゲをやっている。これ、言い忘れ名のだろうか?

 仲入で、スタッフのK村氏と立ち話。

 「昨日、今日と、突然こんな入りなんですよ。雲助師だし、他のカオもまあまあだと思うし、どういうんでしょうね。たまーに、こういう日があるんですよねー」

 「でも、客としては、贅沢ですよ」

 「そうでしょうけどねー」

 そんなことを言ってるうちに、もう後半の始まりである。そそくさと登場した、しん平が扇子をパタパタさせながら、世間話のような調子で話し出した。

 「仲入、短かったでしょー。さん喬師なんか、まだ楽屋で靴下はいてるもん。とにかく、みんなに里心出させないようにしてんのよ。みんな、そんなにゆったり座ってるから、となりの人のぬくもりがまったく感じられないでしょー。もう、みんな端っこに寄っちゃって、夜店のハムスターじゃないんだから…。前半はたいした人は出てません。後半は実力者ぞろいなんだよ」

 「ところで、寄席に来る人って、だいだいどのくらいかなあ。さん喬師は二千人ぐらいといってるけど、(客席を見渡して)今これだけでしょ。千五百人以上が自宅待機なわけよ。もう死んだ人のテープ聞くのよそう!持ってたら捨てて! だいたい寄せも毎日やらないほうがいいね。客に危機感をもたせないといけない。落語家にはそんなもんないからね。早くこないと寄席が終わっちゃったりしてね。大勝軒みたいだな。今日はねー、漫談が一人も出てないんだよね。古典ばかりじゃは疲れるでしょ。帰るとき、落語全集しょってるように重くなっちゃう。たまにはオナラみてーなハナシも必要なんだよ。一瞬くさいけど、すぐに忘れるようなの」

 「うちのかみさんがさー、自民党本部まで行って、グッズ買って来たの。五十円のポスター五枚と、扇子と湯のみ。そんなもんどーするの?アタシに寄席で使えっていうのかねー。でもね、自民党グッズ、小泉さんになってから人気だけど、森さんのころの、何千個も余ってるんだって」

 面白いけど何のタメにもにならない、しん平の良質のオナラのようなハナシを聴いていると、不思議に肩の力が抜けてなごんでくるのだ。

 円太郎の代演、菊丸の「宗論」は可もなく不可もなし。丁寧だが印象が薄い。

 「お嬢さん、クリスマスは何の日か知ってる?」

 「しらないわよ」

 「キリストさんの生まれた日だよ」

 「へー、キリストさんってラッキーね」

 「なんで?」

 「だって、クリスマスに生まれるなんて」

 なんだかなあ、と首をひねっていたら、ヤソ教かぶれの若旦那が念仏三昧の親父の前で賛美歌を歌う場面でひっくり返った。なんと森進一の歌まね顔まねで「い~つくしみ深~く」とやるのだ。森進一、かなり歌いこんでいると見たが、十八番なのかしら?

 「前座さん、照明落としてください。そう、そうぐらい」

 トリの雲助は、場内の明かりを半分にして語りだしたのは、怪談「もう半分」だった。小さないっぱい飲み屋で、客の老人が娘を売って作った営業資金の五十両を店に置き忘れてしまう。その金をみつけた店主夫婦は、ねこばばを決め込み、「返してくれ」という老人の懇願に、知らぬ存ぜぬで通してしまう。肩を落としてかえる老人。このまま帰しては足がつく恐れがあると、店主は雨の中、老人を殺しに行く。

 「俺もおめえも、あんなこと、こんなことのある体だ。お白洲に出たら、この首は胴についちゃあいねえ」

 ここからが雲助版「もう半分」の見所である。

 雨中の殺人劇が芝居仕立てで、ツケ打ちに合わせて、雲助がひざ立ちで立ち回りの型を見せ、見得を切るのである。イヨッ、五街道っ!今年は、今回がお初だったらしく、何箇所か言いよどみがったが、それでもなんでも、この人の「もう半分」は最高である。重厚でだが、歯切れがよく、古風で、コワイ。この力演を、十人ちょいの客が独占しているのだから、やっぱり贅沢だよなあ。他の落語ファン、自宅待機でいいっすよ。

      ★ ■

 七月十九日(木)<池袋・夜席>

 静花:マジック

 さん喬:締め込み

  仲入

 しん平:漫談

 菊丸:よっぱらい

 和楽社中:太神楽

 主任=雲助:淀五郎

    ● ★ ■

 きのうあんまりよかったので、今日も池袋の夜席へ。久々の連チャンだが、さすがに、こーゆーわがままをお仕事は許してくれないようで、昨日より遅くなった。池袋の地下へ向かう階段をはしったので、息が切れて、ロビーで一休み。楽屋のドアが開いていたので、ちょっと中をのぞくと、出番を待つさん喬師と目があった。

 「この間は、イナバオフ、お世話になりました」

 「ああ、僕は途中で失礼したけど、あのあと、四時過ぎにイナバに電話したら『今帰った』って…。ずいぶん長時間やってたんだねー」

 「いやあ、料理も上手かったし、盛り上がったから」

 「そうそう弟はあの日、体調が悪かったんだよ。血圧があがってぼーっとしてたんだって。普通でも愛想がよくないのに、もっと無愛想で」

 「あ、そうだったんですか?それじゃ、無理やりみんなの前でしゃべらせたりして、悪いことしたなあ」

 「いやいや、いいんだよ。あいつはああゆうやつだからね、少し刺激を与えなきゃダメなんだ。料理だって、腕はいいのに、面倒くさがったりするからね。ポタージュも、はじめ作るのしぶってたけど、作らせて正解だったでしょ?あいつのクリームソースは上手いんだよ。カニコロッケだって、仕込みが大変だからって、メニューからはずしちゃうんだから」

 話をしているうちに、またキッチンイナバに行きたくなった。

 さて、さん喬師の出番が迫ったので、もう一度お礼を言って客席へ回る。昨日よりはずいぶんましだが、それでも場内は二十五、六人か。

 静花のマジックは、冒頭のロープと、最後のスカーフは同じだが、中盤は昨夜と全然違うネタ。寄席の色物は十年一日、特にベテランのマジシャンはそういう傾向が強いが、この人はネタもしゃべりも工夫の後が見える。ただ、地味な芸風なので、そういった努力が笑いや拍手にすぐには結びつかないのが、みていてもどかしい。僕にとっては、好感度の高いマジシャンなのだが。

 食いつきのしん平も、昨日と同じ漫談だったが、「仲入、短かったでしょ」という導入以外は、前日とぜーんぜん違う話。セクハラすれすれの女の子ウォッチングで引っ張りながら、前列の若い女性客をいじって「かんじわる~い」なんて逆襲されている。この人の場合はネタを変える努力というより、本当に出たとこ勝負で話しているんだろう。それがずぼらに聞こえず、芸になっているのは、この人の天性の資質によるところが大きいとは思うが。

 前日に続いて、円太郎がお休みで、代演もこれまた同じ菊丸だ。「よっぱらい」は可もなく不可もなく、途中歌は出なかったが「森進一」というフレーズがチラッと飛び出した。やっぱり森進一が十八番に違いないとみた。

 トリの雲助は、昨日と……、まるで違って、歌舞伎に題材をとった芸道物語「淀五郎」の一席。僕らの世代にとっては、六代目円生の薀蓄たっぷり、芝居心たっぷりな演出が記憶に生々しいが、雲助のは、当然ながら、師匠の金原亭馬生の方である。

 円生型とはっきり違うのは、判官の演技を座頭の団蔵にケチョンケチョンにけなされて絶望している淀五郎を、初代の中村仲蔵が励まし、演技を教えるくだり。

 「判官は腹をめす時に、いったい何を考えている?意地を通したとはいえ、自分のわがままの末、お家は断絶、数多くの家来が路頭に迷うのだ」

 「家来にすまない……」

 「そうだ、家来にすまない。そう思って判官が腹を切るのと、ほめられようと思って淀五郎が腹を切るのでは、お客様の目にどう映るのか」

 あまりの説得力に、そうそうその通りとうなづいてしまった。四十分の長講、うっとりとききほれて外に出た。せっかくだからと、客席にいたM木兄妹、S澤嬢らと、トリの師匠を出待ちすることにした。週末の飲み会、ちょうど一次会が終わったころなのだろう。西口一番街は、あちこちから歓声が上がって、にぎやかなだなあ。あ、やっと雲助が出てきた。

 「お疲れ様でした。昨日も来てたんですよ」

 「しってましたよぉ」

 「今日の淀五郎、珍しい型ですね」

 「あれは師匠の速記を見てこしらえたんですが、うちの師匠の速記はダメだね。スッカスカなの。音があれば、あの絶妙な間がわかるんだけどね。仲蔵が芝居を教えるとこ?師匠ので使えるのは、あのくだりぐらいなんだよ」

 「ところで、去年の夏は入院したりしたけど、体の方はどうなんですか?」

 「いや、それがね、ここんとこ、また血圧があがってきて…」

 「気をつけてくださいよ、人のことは言えないけど」

 「そうだよ、そっちこそ気をつけないと」

 喜助を連れて、駅の方向に向かう雲助を見送って、さあ、何か食べようか。今夜の飲み助がいないので、小さん師匠がジャスミン茶(あんまし高くないやつ)のボトルを入れている「茶館」で、飲茶にすることにした。あすの「海の日」は久しぶりに何の予定もない、だらだら休みである。

 

つづく

 


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