東京寄席さんぽ七月上席

 
 春は眠くてモニター画面の前でうつらうつら。夏は暑くて難しいことを考えられない。秋は柄にもなく感傷的になって筆が進まないし、冬は寒くてキーボードにさわる気もしなあいうわけだ)、年がら年中、原稿書きに四苦八苦している。よーするに集中力が持続しないのですよ、わたくしの場合。

特に苦手なのが、夏。あの、ぬ るま湯の中を歩いているような、べたべた、もあーっとした暑さ。ああ、考えるだけでも汗が出てきた。ま、これでね、仕事場が中軽井沢かなんかにあってだねー、昼間多少日差しが強くても大きな樅の木の下に入ると爽やかな風が通 って、なんつーシチュエーションであれば、・・・・だれでも楽しいか。ところが現実は、ビルビルビルの東京都千代田区大手町の真っただ中で、ちょいとそこまで昼飯を食いに行くのもアスファルトの照り返しを浴びながら、MP値、HP値を大幅に減少させてしまい、これではモンスターに出会っても攻撃一つできないではないか状態にまで衰弱してしまうのである。ああ夏なんて嫌いだいっ!と、誰にぶつけていいのかわからないドロドロの怒りを持て余して、田原町の国際通 りを北に向かっている。

日本橋三越前を入ったトラッドな喫茶店「ミカド」で打ち合わせがあったのだが、うっかりして名物のモカソフトを注文せず、あったり前のアイスコーヒー何ぞを飲んでしまったを悔い改めつつ、どうしようまた店に戻るのバカみたいだし、これから会社に帰っても原稿かける状態じゃないし、そうだもう二時なのに昼飯も食っていないじゃないか、それに今週はまだ寄席に行ってないし(考えてみたら今日は月曜だ!)、などともまったく考えがまとまらないまま、とりあえず暑いので地下道に潜り込み、勢いで銀座線の改札をくぐったら、思いもかけぬ 名案がひらめいた。

「このまま銀座線で浅草に出ちゃって、飯を食ったついでに昼席をちらっと覗く」

どーだ、すごいだろーと自慢するのは、さすがに気が引けるな。とりあえず、今週はまだ寄席に行ってないし(しつこい)、浅草で飯を食うのも久しぶりだ。国際通 りから浅草ROXの手前を東側に入ると六区興行街だ。この暑さでも結構人が出ているのは驚きだ。前のカップルは、なんか不倫っぽいなーどこいくのかなー、浅草演芸ホールまで行かないで右に回ったぞ、なんてつい後をついていったら「うまくって申し訳ないっす」の看板に出くわした。いつの間にか「洋食のヨシカミ」の前に出ている。せっかくだから、ここで昼飯にしようか。

時分どきをはずしているので、客が一組しかいないのはあたりまえ。でも、凄いのはカウンターの中である。白いとんがり帽子をかぶったコックさんが、ひいふうみいと数えて、十人もいる!さらに奥のテーブル席の方には、サービス係の昔のお姉さんが四、五人いるのだ。客三人に、従業員十五人。いやはや、これだけのスタッフの人件費をねん出するのは並大抵のことではない。しかし、もうかってるんだろうなー。

僕の注文はオムライス。なにしろコックが余っているのだから、仕事の取り合いである。作る人とケチャップをかける人と席に運んでくれる人が別 々という、考えてみればけっこう贅沢かもしれないコースをたどって出てきたオムライスは、ケチャップご飯を薄焼き卵にくるんだ昔ながらのストロングスタイル。味はまずまずだが、大きなお皿に載っているのはオムライスのみで、付け合わせやミニサラダのたぐいは一切なし。本体のオムライスもさほど大きなものではないから、たとえは悪いが、入りのよくない日の鈴本の客席のような感じでなんだかうらさびしい。これで千円以上の値段を取るのはいかがなものかと考えて、目の前でやることもなく意味のない笑顔を見せている十人のコックに目をやったりしていた。おいしかったんだけどね。

オムライスで腹の虫を抑えて、そのまま路地を北へと向かう。やたらとメニューの多い大衆食堂水口を通 り過ぎると五重塔通り。ここを右に少し行くと、浪曲定席の木馬亭の看板が見えた。ここんちの浪曲公演は上席の十日間、それも昼のみの興行なので、ぶらっと浅草に行って浪花節を聴くという体験はなかなかできなかったりするのだ。今日は幸い月初めの二日なので、やってるにはやってるが、時刻はもう二時半、すでに番組は半ばをすぎていた。

「あらひさしぶりねー」

ロビーにちんまり座った根岸のおかみさんが声をかけてくれた。特別 に懇意にしているわけではない。シルバー層以外の浪曲の常連は少ないから、二月に一度ぐらいでも聴きに行っていればすぐに顔や名前が割れてしまう。しかし、根岸のおかみさんはいつ行ってもロビーにいるなあ。この暑いのに扇風機も使わず、涼しい顔をして、汗をぬ ぐう僕を見ているのだ。汗かかないのかなー。

おかみさんと世間話をしているうちに仲入休憩になってしまった。場内にはいると客は七、八人。がらんとした中央通 路を、障害物がないせいか、クーラーの風がごうごうと勢いをつけて通 りすぎていく。

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七月二日<木馬亭浪曲定席>

仲入

福太郎:梅ヶ谷江戸日記

沢孝子:お富与三郎・稲荷堀

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 後半一番手は、玉 川福太郎の登場。東京浪曲一と言われる声量にあまんじることなく、着実にネタを増やしている。この実力派にあえて注文をするなら、得意の面 白浪曲もいいが連続物のような大ネタを、特別の会だけではなく、定席の木馬でもどしどしかけてほしいということだ。今日は、派手なテーブルかけを使わず、釈台を前に置いている。鈴本や国立などの落語席に出るときはこのスタイルが多いけど、なぜ浪曲席で座り高座なのだろう。ネタは「梅ヶ谷江戸日記」。落語でも「稲川」とか「千両幟」といった題名で演じられる人情噺風の相撲ネタである。素人の僕にはよくわからないが、福太郎の「梅ヶ谷」には、「かんちがい」をはじめ、いろんな節が盛り込まれていて、聴く人が聴けば、そっちの方でも面 白いものらしい。ただ、音方面に意欲的な分、ストレートな節のそう快感にはややかけるところはないだろうか。

上方相撲の梅ヶ谷が江戸に出てきて、その実力を発揮するが、いくら白星を重ねても人気が出ない。「やっぱり江戸の人は江戸相撲でなきゃだめなのか」と思案しているところへ、お菰さんが尋ねてきて「あっしは関取のひいきだ」と言い出した。喜んだ梅ヶ谷が座敷に招き入れて酒を酌み交わすが、このお菰さんが、実はとんでもない人物だった・・・・。

泣かせ笑わせ、また泣かせ。歯切れのいい福太郎節に乗せられて、人情芝居の一幕を堪能した。「やぐら太鼓は遠音で響く~」というフレーズを二度繰り返すラストも印象的。顔はごついが、芸は実に繊細である。

 次は・・・、もうトリの出番じゃないか。声の大きさ、説得力では福太郎にも劣らない沢孝子。この人も、面 白浪曲から文芸大作まで、実にネタ数が多い。個人的にはこの人の師匠である「寄席の浪曲師」広沢菊春直伝の、左甚五郎物が大好きなのだが、なにしろネタ数が多いので、もう一度聴きたいと思ってもなかなか同じお話に巡り合えない。今日は何かと思ったら、「お富与三郎」だって。落語では先代金原亭馬生がたまーにやって、今は門下の数人がごくたまーーーーーーーーーーにやるネタ。講談では・・・・・・きっとないだろう。そういうレアネタをどう仕上げるのかと思ったが、「お富」の中では比較的渋い場面 である「稲荷堀」を丁寧に演じた。

 お富にそそのかされて、心ならずも殺しに手をそめた与三郎。育ちのいい若だんなが、次第次第に悪の道に染まっていく。そんな与三郎を頼もしそうにみる、お富の笑顔に独特のすごみが出た。地味だが、「お富与三郎」の世話物の味を見事に描き出した。

 演芸好きの中に、「ドサだから」という理由で浪曲を敬遠する人が時々いる。浪曲にはそういう面 もあるのは否定しないが、相撲人情ばなし、世話物と続いたこの日の木馬亭には、ごうごうとうるさい空調の音に混じって、かすかだが、たしかに江戸の風が吹いていたのである。

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 相撲つながりというわけではないが、翌日の夜は、円楽党の両国寄席で過ごした。JR両国駅の東口を出て京葉道路を西へ。本所警察を過ぎたころ、右側のマンションの一階に「お江戸両国亭」の小さな看板が見えてくる。ここも木馬亭と同様、月初めの十日間だけしか興行をやらないので、たまたまその期間だけ忙しかったりすると、たちまち何か月かのごぶさたになってしまう。かくして、この夜も、「数か月ぶり」である僕は、受け付けの前座・春吉くんに「おひさしぶりです」と挨拶されてしまうのであった。

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七月三日<両国寄席>

円橘:青菜

五九楽:あくび指南

 仲入

好太郎:しの字嫌い

伊藤夢葉:マジック

主任=鳳楽:鰻の幇間

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 四角いスペースの一角を高座にしているので、客席は四つの辺に対して斜めに作られている。ごくフツーの折りたたみイスが四十客あまり。だいたい半分ぐらいのイスが埋まっている。鳳楽、円橘、好楽ら円楽党幹部に、若手のいいとこを加えたいい番組なのだが、どうにももったいない入りである。

 僕が入っていたときは、ちょうど円橘の「青菜」で、「やなぎかげ」が義経になったあたりだった。円橘を見るのは数年ぶりのこと。少しやつれた感じに見えるのは、もう夏ばてなのだろうか。師匠である小円朝を思い出させる(といっても僕は生で見ていないが)小味な芸は健在だが、この小さな会場で声がよくききとれないのはどうしたものか。前半のお屋敷での涼みの風情と、後半の長屋での「お大尽ごっこ」。「青菜」は、粋と爆笑の落差で楽しませる噺と思っているのだが、円橘の演出は後半がさらりとしすぎて、物足りない。押し入れの中から汗まみれのおかみさんが出てきて「だんなさま~」と言う、このあたり、ここまでじっくり伏線を聴かされてきた客は、ここで笑いたい。笑いを爆発させたいのである。くさくやれとは言わないが、たまには「おちゃめな円橘」を見せてほしい。まだまだ老け込む歳ではないのだから。

 自称「虚弱体質」、か細い体に似合わず、意外に骨太な芸を見せてくれる五九楽。円楽党の中では、はや中堅の位 置づけだろうが、見た目も演出も若々しい。だれかに似てるよなーと考えていたのだが、わかりました、「ちょっとビンボーくさいイチロー」じゃん。芸質はいいのだから、居心地よい(?)円楽党に満足してないで、内野安打でも何でもいいから、がんがん出塁してアピールしてほしい存在だ。

 夏風邪か、声を出すのがつらそうな好太郎が、なんとか「しの字嫌い」をまとめた後、ひざ代わりにできた伊藤夢葉がウケにウケた。彼の師匠の伊藤一葉(「何か質問ありますか?」、なつかしー)は、スマートな外見と、とぼけた会話が売り物だった。早死にしたので、夢葉が師事していた期間は短いはずだが、しっかりと伊藤の芸を継承している。説明ばかりで芸を見せない、という「しゃべくりマジック」。師匠と違うのは、しゃべくりの量 がやたらと多いことだろう。一葉がぽつりと言う最後の一言で笑いをとっているのに、夢葉はしゃべりづめである。

 「はいこれ、トランプですねー。我々のは一般 の方が使うのとはちょっと違って、バイシクルというアメリカのメーカーの物なんですねー。(前の客にカードを手渡し)はい、よく調べてくださいねー。どんなに細かく調べてもいいですよー。今日はそれ、使いませんから」

 この手の肩すかしギャグは、間が悪いと聴いていていたたまれなくなるものだが、夢葉のタイミングは絶妙。こういう芸を見せてもらったら、お約束で派手にずっこけてあげなきゃね。

 トリは鳳楽の「鰻の幇間」。主人公は、町中をうろうろ歩き回って、ひいき筋を見つけては鰻丼いっぱいから取り巻こうという「野だいこ」なのだから、ビンボーには違いないのだが、見た目良し着物良しの鳳楽が演じると、幇間にどことなく気品があるのが、いいのかわるいのか。羊羹を土産にひっさげての「穴釣り」から、往来での特攻隊「おか釣り」へ、前半部分をしっかりたっぷり演じて、それから本題と来るから、長い長い。長いのはいいのだが、旦那にまんまと逃げられて、勘定を払いながら鰻屋の女中に文句をいうくだり、「何だい、この鰻、一生舌の上に置いていてもとろけないよ」って、今日の噺の中では、野だいこ氏は、ひとかけらも鰻を食べていないのだ。鳳楽はネタも多いし、大師匠譲りの風格があるので、厳密にやっているように見えるのだが、実際には言い違えや小さなミスが多い。ま、客にわかんなきゃいい、ごまかすのも芸のうちと言われればその通 りなのだが、円楽党の実質的なエースだけに、あえて重箱のスミをつつく私なのであった。やな客だなー、オレって。

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連日暑い暑いと文句ばかりいっているが、考えてみると、まだ七月のはじめだ。いったい雨雲はどこへ行ってしまったのだろう。今日は珍しく「午後から雨」というよほうが出ているようだが、午後二時過ぎの神保町交差点岩波ビル前は、むやみに湿度が高いだけで、雨粒の一つも落ちてこない。昔立川談春の真打ち披露でもらった扇子をせわしなく動かしていると、なん手首に汗をかいてしまった。そんなところに、九段下の方向からショルダーバックを抱えて心持ちゆらゆら揺れながら「ごめんごめん」と近づいてきた人物がいる。暑さ厳しき折、もったいぶった紹介はやめよう。今日はこの神保町で、林家正楽さんと打ち合わせなのであった。

「どうも遅れてすみません」

「どっか喫茶店でも入りましょう」

「いいですねー。思いっきりエアコン効いてるとこね」

神保町交差点の北東側、細長いビルに脇の、これまた細ーい急階段を下りたところにある「トロワバグ」は、ここらあたりでは、ちょいと知られた店だと、ご近所の「奥野かるた店」の社長に聞いたことがある。暑さにあえぎながら中にはいると、きりりと冷房が効いて、背筋が伸びた。

「あ、アイスコーヒー、二つね。師匠、アフリカ行き、もうすぐですね」

「うん、十八日から十日ぐらい。ケニアのマサイ族の小学校に行って、子供たちと一緒に、動物切るんだって。こないだテレビ局から『正楽さん、ヤギや羊(食べるの)大丈夫ですか?』って電話がかかってきたよ」

「そういうの、大丈夫なんでしょ?」

「おれねー、そういうの駄 目なんだよー。きたないとことか、変な食べ物とか、ぜんぜん駄目なの。昔ザンビアとジンバブエに行ったときさー、砂漠の真ん中で車のタイヤが飛んじゃってね、五時間立ち往生したことがあるの。その時一緒に乗ってた現地の人がどっか行ってヤギ一頭買ってきてさー、道ばたで焼き始めたの。で、そのヤギの臓物を食え食えっていうんだよー。横で通 訳の人が『国際交流、国際交流』って言うんだけど、とうとう食わなかった。そしたら五時間後、修理に来てくれた人が日本の人でさ、ノリを巻いたおにぎりを持ってきてくれたの。梅干し入りの。あん時のおにぎりはうまかったなー。ヤギ食わなくてよかったよ。通 訳の人は無理してヤギくったんで、おにぎり入らなかったんだよ」

「すごい話ですねー。今度のアフリカもテレビの仕事なんでしょ?」

「そうそう『所さんのなんとか』っていうらしいよ。今度渋谷の方の放送局で、自分の母校に行って何かやるって番組があるんだけど、それに出ないかって話もあるんだ」

「へえー、あれって今まで芸人さん出てましたっけ?」

「うん、(桂)文珍さんが、丹波篠山の生徒七人の小学校でやったみたい。おれの(母校)はそんなんじゃないよ。目黒の駒場小学校。東大の隣なんだ」

こんな調子で一時間ほど。何が打ち合わせだ、と思うだろうが、このほかにもマジな話をしたんだけどなー。まだ一部オフレコの部分もあるので、中身についてはいずれまた、ということで、むにゃむにゃむにゃ。

芸人さんと話していると、本芸の方もみたくなる。正楽さんと会った日の夜、僕の会社から距離的に最も近いと思われる寄席、お江戸日本橋亭に行ってしまった。

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七月十六日<日本演芸研精会>

@お江戸日本橋亭

 

朝之助:真田小僧

遊馬:堀の内

三三:佃祭

仲入

小駒:たがや

主任=扇辰:麻のれん

     ● ▲ ■ ◆

いやあ、入ってるなー。十五分ほど遅れていったら、ざぶとん、イス席とも、ほぼ満席状態。入り口のところでぼう然としていると、最後列で小さく手をふる人がいる。だれかと思ったら、我が社のOBカメラマン、H氏じゃないの。

人をかき分け、H氏のところまで行くと、隅っこに三脚がスタンバイしている。

「今日はねー、Y紙の演芸評のカット写 真を取りに来たんだよ。だれがだれだかわかんないから、まず、めくりの名前をとって、それから演者を撮ることしたんだ」

「ふーん。で、著者は来てるんですか?」

「うん、あっちの隅にいるはずだよ」

振り返ると、上手側の壁に張り付くようにして、演芸評論家の保田武宏氏が、何やら一心にメモを取っている。保田氏といえば、博覧強記&落語音源のコレクター&著書多数&談志、円楽のお友達という、この道の大先輩だ。僕の顔を見て「ながいは無用」なんてしょーもない駄 洒落さえ言わなければ、「先生」とお呼びしなければならない人なのである。現役の記者時代は近寄りがたい存在で、二ツ目の勉強会なんか(関係者の方、ごめんね)、落語評の対象にはしなかったはずだが・・。そういえば、心持ち、表情も優しくなったような気がする。

演芸が始まっているので、長話をしているわけにはいかない。撮影に入ったHカメラマンの席に座らせてもらって、朝之助、遊馬と見る。考えてみたら、遊馬のちゃんとした噺を聴くのは初めてだった。大きな声、明るい表情、落ち着いた物腰。まことに堂々とした高座姿だが、芸はまだ若い。丁寧に演じている分、あわてものの主人公が次々と粗忽振りを発揮する時のリズム、スピード感が物足りないのだ。もっと口調にメリハリもほしいし、と文句ばっかし言ってるような気がするが、いいキャラクターなので、ついつい注文が多くなってしまうのだ。

三三の高座には、遊馬とはひと味違う風格があった。体格も声質も遊馬の方が少し上だろうが、ぴんと背筋が伸びて、りりしさがある。最近は宝井琴柳について、講談の修羅場を学んでいると聞くが、してみると、このき然とした雰囲気は講釈師のそれなのかもしれない。「みるからに柳家」である三三が講談に傾倒するのはどうか、という声もあろうが、「根っからの柳家」というシェルターの中に安住せぬ よう、いろいろな刺激を与えてた方が良い時期だと僕は思う。三三は今、確実に男をあげつつある。

後半は、みずみずしい高座が二つ続いた。といっても、手放しでほめているわけではない。久しぶりに見た小駒、この日の「たがや」はネタおろしだったようだ。若さと勢いで乗り切るのはいいが、細部がまだ腹に入ってないのだろう、後半のクライマックス、たがやと侍の対決場面 の描写が粗っぽすぎて、聞いている方の頭には、いっこうに「絵」が浮かんでこない。客席に何度も念を押すようなしゃべり方も、ややくどい。若さのベクトルの方向を、また定めかねているようだ。

トリの扇辰は、「麻のれん」。この人が手がけるネタは、「甲府い」「茄子娘」「団子坂奇談」に本日の「麻のれん」など、渋くて地味なネタばかりだ。まあ、師匠の扇橋系のネタということなのだろうが、あっちは今年七十になる枯れた俳人である、真打ち目前の勢いのある若手が演じるには損な噺ではないのだろうか。三三のことを「若年寄」と言う人が多いが、三三は見た目の「若年寄」、扇辰は料簡が「若年寄」なのかもしれない。もちろん、扇辰自身は若いし、すし屋の職人のような粋な感じも持っている。ただ、その若さが、江戸時代の若い衆のそれであるのが面 白い。

「麻のれん」は、噺そのものに魅力があるわけではない。枝豆、蚊帳、雷などの小道具を並べて、夏の風情が出せれば、それでいい。扇辰は、やや抑え目の口調で、ゆったりとした時間の流れを活写 する。あんまの徳市が、「はしり」の枝豆を食べる所作で、満場の喝さいを受けていた。

会場はいつも入りが良いし、あまり寄席に来ないような客筋ながら、よく笑いよく拍手する温かい客席がある。「研精会」は、若手噺家にとってはまことに居心地の良い場所だろう。ただ、きょうの番組を見る限りでは、実験をするのか安全牌で行くのか、この会をどうとらえていくのか、人によってばらつきがあるように感じた。居心地の良い環境に甘えることなく「研精」してほしい。かえりがけ、保田氏と話をしたが、久しぶりに「ながいは無用」と言われずにすんだ(もう二十回以上いわれているのだ)。

      ▲ ■ ◆

 日曜日の午後、桂文我を聴きに、両国まで足を延ばした。大病をしてから、落語を聴くのは平日ばかり、土日の遠征は控えているので、今日のようにポロシャツにチノパンツというカッコでの寄席見物は、なんだか落ち着かない。それでも両国まで出てきたのは、今日の「珍品復活上方落語選集」という新刊の刊行記念でもあったからだ。新聞社の文化部という、本好きには恵まれた環境にいるので、この本は刊行直後に読むことができた。取り上げられた噺は、題名の通 りの珍品ばかり。本を素読みにしても面白いのだから、実際に聴いてみたくなるのが人情ではないか。大相撲の七月場所を目前にしているとはいえ、日曜日夕方の両国は静かだった。

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七月八日

<「珍品復活上方落語選集」刊行記念落語会>

@シアターX

 

まん我:池田の牛ほめ

文我:高宮川天狗酒盛

米吉:明石飛脚

文我:後家殺し

仲入

対談:文我・藤波優(燃焼社社長)

文我:月宮殿星の都

     ● ▲ ■ ◆

 上方の珍品はどないなもんかなー(ええ加減な関西弁ですまん)と、意気込んで入場したのだが、あれれ、あんまり入りが良くないぞ。それになんだか、落語のお客さんじゃないみたいな雰囲気も。この日は昼過ぎから「文我百席」の公演もあったそうだから、おなじみさんはそっちに行ったのだろうか。開演時間をかなり過ぎて入ったのだが、簡単に席が見つかり、ぼくがすわったとたんに会が始まった。

 前座は、名前から想像するに文我の弟子なのだろう。明るくて、声もよく出ている。上方の前座は、たいていみんな、ほどよくまとまっている。一説によると、あちらには寄席定席がないから、前座は毎日寄席に通 って雑用をする必要がない。そのぶん、噺の修業時間をかけることができるというのだが、どういうものだろうか。一度、上方の若い人と話してみたいなあ。そうそう、まん我のネタだった。「池田の牛ほめ」は、東京の「牛ほめ」だった。「池田の猪買い」もそうだが、上方落語では「池田」が田舎の代名詞になっているのね。

前座が終わって、ここからが本番だ。「珍品復活」と銘打ってはいるが、「天狗酒盛」「後家殺し」「月宮殿」に、米平の「明石飛脚」と、実際に題名を並べてみると、すごいわこれ。東京の人はほとんど全滅だろうが、上方方面 の落語ファンはどのていど知っているのだろう。

「寄席や落語会であまりやらないいうのは、それなりに理由があって、現代人には通 じにくい部分が多いんでしょうな、結局、あまりおもろないという・・・」という文我の説明はよくわかる。昔通 りにやってもうけないし、言葉やシチュエーションが今の若い人に通 じないからといって、あまり迎合してしまうと原作の味がなくなるし・・・・・、というような段階を経て演じられなくなった噺は東京でもけっこうある。だが、文我は「そのままやってもつまらんなら、噺を損なわず、現代にも通 じるように直したら、面白くなりますがな」という。めんどくさいとわかっていながら、あえて「珍品復活」の作業をし続けようというのだ。まあ、考えてみれば、よほどのマニアならともかく、若い落語ファンがすべてのネタを網羅しているわけではない。しらなければ、定番も珍品も「初めて聴くネタ」という意味では同じなのだ。文我の努力で珍品が少しでも生気を取り戻せば、それはもはや珍品ではないのだもの。

さて、今日聴かせてもらった珍品はどうか。個条書き風に並べてみると、

「高宮川天狗酒盛」・・長い「東の旅」シリーズの中でうずもれかけている噺らしいが、展開に起伏があるし、旅の雰囲気も濃厚に出ていて、東京のファンにとっては十分に楽しい噺だ。どうしてこれがかからないのか不思議なくらいである。

「明石飛脚」・・・・小噺をつなげたような、へんてこなネタ。人のいい熊、という風情の米吉がやるから味があるが、これはちょっとつらいかも・・。

「後家殺し」・・・・六代目円生で一度だけ生で聴いたことがあるが、これは浄瑠璃というものが理解できないとつらい。「豊竹屋」と同じ意味で、客を選ぶタイプの噺、なんだろうなあ。

「月宮殿」・・・文我本人が「これは東京人の神経ではついてこれん、という噺でしょう。鰻をとってたら、それがいきなり大きくなって天に昇るという冒頭で、もうついてこれんひとがいる」と言い訳しているほど、荒唐無稽な噺である。そうはいっても、最近の東京の新作落語には破天荒な展開が多いのだから、どんなおバカな噺でも、若い客はついてくるはず。天に昇った主人公が月宮殿の祭りに紛れ込むあたり、もっと過激にしてもいいんじゃないかと僕は思ったが。

 と、だらだら思ったこと考えたことを列記したが、この日の落語会で一番面 白かったのは、文我らが演じた珍品ではなく、実は後半の対談に出てきた、本の発行者、燃焼社の藤波優社長である。「生粋の天王寺生まれで、『さっぱりわやや』という言葉をもっともそれらしく言える人」という文我の説明が当を得ている。本当にその通 りの、こってこての大阪人なのである。

「燃焼社いうんは不思議な名前だが、おやじの代ではボイラー、燃料関係専門の本屋で、『燃料及び燃焼社』といってたののが、わしの代になっていろいろな本をあつかういことになり、『青春は燃焼やー、といえば文化系の人にも通 じる』と思て、社名から『燃料』をとって、『燃焼社』にした。でも、なかなかもうからんもんで、去年出した笑福亭松之助師匠の一代記なんて、弟子のさんまがテレビで宣伝してくれる思て、ようけ刷ったんやが、あいつちーっとも宣伝してくれんで、まったく売れんかった。もう、さっりわやや」

てな感じで、面 白い面白い。かつてテレビの素人名人会に出て、蛇使いの口上をやって優勝したとかで、文我の求めに応じて、その口上を河内弁でたっぷりやってくれた。その見事さは、終わった瞬間、文我が「それ、稽古させてくださいっ!」とさけんだことで、想像してもらえると思う。とにかく途方もなく「濃い」人で、上方文化の奥の深さをかいま見せてもらった。いやあ、ええ会やった(と、まだヘボ関西弁をつかったりして)。

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ふと気がつくと、この芝居、まだ寄席定席に行ってなかった。別 に「十日に一度は鈴本か末広亭に行かねばならぬ、行かねば平手男が立たぬ ~(これは天保水滸伝)」てな縛りがあるわけではないが、実際の所、一芝居一度も定席に行かないと、なんかこう汗でべとべとのTシャツのまま歩いているような、便意を我慢して原稿書いてるような、ううむ、いい例えが思いつかないが、とにかく禁断症状のようなものが出てくるようになってしまった。ああ、寄席に行かなきゃ、寄席に行かなきゃ、こんな体に誰がした。で、僕のデスクの後ろに貼ってあるヨミーくん(Y社のマスコットだ)カレンダーを見るてみると、もう上席は楽日一日前じゃん。もう夜の七時を回っていたので、とにかく最短の寄席へと、上野鈴本へと向かったのであった。

      ▲ ■ ◆

七月九日<鈴本夜席>

 

正朝:悋気の火の玉

喬太郎:反対車

ゆめじうたじ:漫才

主任=一朝:転宅

      ▲ ■ ◆

 時間はすでに七時三十七分。割引料金の千円ナリを払って、モギリの横のモニターをちらりと見ると、小柄な女性が何かを回している。おおっ、食いつきの太神楽、小雪ちゃんの高座に間に合いそうだ。とっとと一階奥のエレベーター前まで来たが、待てど暮らせどエレベーターが来ない!エスカレーターは止まっているし、この暑いのに階段で三階まで行く気にはならない。ランプの表示を見ていると、上の方の事務所フロアで止まっているようだ。まだ客を入れているのに、エレベーターが業務用になってしまうとは、何考えてるんだ鈴本!と、怒りのエネルギーで無理やりエレベーターをたぐり寄せ、やっとこ客席にたどりつくと、ほーらやあし、小雪は終わって、次の正朝がマクラをしゃべっている。

 「やきもちは 遠火で焼けよ 焼く人の 胸も焦がさで 味わいも良しーーー。らくごを聞くと、こういう古川柳の、しゃれた文句を覚えられるです。(前の方の若い客に向かって)メモしてもいいですよ。さ、みなさんもご一緒に」

 こんな導入から、「悋気の火の玉 」へ。堅い一方だった商家の旦那に、いい女ができる。

「ひざまくらして、耳たぶかんだりして(リアルだなー)」と、いろいろあって、根岸に妾宅を構えることに。

 「根岸の里。閑静ですねえ・・・。今はいけませんよ、こぶ平が住んでるから。バカがうつります」

 ところが、本宅の奥様がこれを知って、五寸釘で呪いをかける。これを知った妾が六寸釘を持ち出す。これを知った奥方が今度は七寸釘ーー。人を呪わば穴二つ、結局、奥方と妾の両方が亡くなってしまい、お弔いを二つ出すことになった。

 「ダブルプレー、ゲッツーですな。清原がよくやるやつ」

 いちいち入るくすぐりが、本筋より面 白かったりして。サゲの「あたしのじゃ、おいしくないでしょ、ふん」の言い方がかなり激しく、「町内の若い衆」の「だ~れ~」のかみさんを思い出してしまった。こういう漫画チックな展開の噺は、正朝のデフォルメのセンスの良さが栄える。

 「みなさん、忙しいでしょ。あたしなんかね、あと一日ここに出てね、あさってから二十八連休なんです」とマクラをふる喬太郎だが、寄席は出なくとも、落語会やら地域寄席にひっぱりだこ。ほんとに二十八連休ぐらいとったほうが、仕事フリークの彼のためになるんではないだろうか。てなこと行ってるけど、自分が二十八日も連休もらったら、持て余しまくりだろうなあ、きっと。

 最近よくやってるハブの小噺、聴くたびに笑っちゃうよね。

「こんにちは~」

「こんちわ~。あれたちって、ハブだよねー」

「そうだよー」

「やっべー」

「どしたの?」

「さっき、舌かんじゃった」

くねくねと体をくねらせ、妙なイントネーションで語るハブの会話。きっとほんとに、こんなこと話してるに違いない。本題は「反対車」だった。車引きが名前を名乗ってないのに「トラさんってたってけね」なんて客が言ったりして、細部は粗いが、けっこう元気がいい。土管を何度も飛び越す「乱れ飛び」も、ざぶとんからはみ出す熱演だ。

「(さすがに息を切らせて)この噺は疲れるんだからさ、八時過ぎにやる噺じゃないよ」といいつつ、万世をわたって一路北へ向かった人力は、茨城県の牛久に着くのであった。

ひざの、ゆめじうたじは新ネタか?

「僕の友達が東京に住んでたんだけど、転勤で大阪に行ったんだ。そのとたん、不眠(府民)症になっちゃって」

「環境の変化も原因の一つかもしれないね。僕の友達は札幌でなったよ」

「札幌じゃだめ、大阪か京都でなきゃ」

トリの一朝のマクラは、だいたい決まっている。「イッチョウケンメイやります」と挨拶して、大師匠彦六の逸話を一つ二つ。ここから先が本当のマクラで、今日は「鬼薊清吉は狂歌がうまい」という話。ははあ、泥棒ネタは何かなと考えるまもなく「転宅」に入った。

間抜けな泥棒が、入った家のやり手の妾に丸め込まれ、夫婦約束をして、有り金みんな巻き上げられるという話だが、一朝が演じると、登場人物がみな善人になってしまう。泥棒氏はもともとぼーっとしてるからいいのだが、妾の方は、男をたぶらかすのだから「相当な美人」でないと、説得力が出てこない。ところが、チャウチャウ犬のように愛くるしい一朝がやると・・・、どう見ても長屋のねーちゃんみたいなのである。明るく、弾むような高座だったが、食いつきの小雪ちゃんを見逃したおじさんは、美人に会いたかったのだよ。ほんとに。

 

つづく

 

 


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