東京寄席さんぽ6月上席

 演芸ファンの「三大苦悩」(?)といえば、まず挙げなくてはならないのが「周りに落語の話をできる人がいない」というだろう(あとの二つは、各自考えて掲示板「寄席場良」に投稿するよーに。僕の場合は「演芸本&CDの整理」と「寄席見物における食事のとり方」かな)。職場や学校で、落語や漫才や紙切りやボーイズの話をするのは、なかなか難しい。「ああ、そーゆー人なの」といわれるぐらいならいいけど、「ぜーんぜんわかんない。それなんのことー?」なんて、不思議な生物を見るような目で見られては今後の社会生活に影響がでかねない。百歩譲って、ざっかけない居酒屋や喫茶店で、多少は気心の知れた仲間と話す場合でも、「こないだの歌舞伎座の源氏、よかったよねー。新之助はやっぱ市川。安部でも野原でもダメ~」なんてぐらい(これでもかなりだが)がせいぜいで、「五中の末広、ひざ代わりの太神楽の勝丸がさあ、いつもの五階茶碗やんなかったんだよー」なんて言った日にゃあ、グループ交際の先行きが案じられるなんてもんじゃーなおよな、例文がちとマニアック過ぎる気もするが。

 その辺、ありがたいのがネット仲間というやつで、全国津々浦々に潜伏して「日本政府打倒、落語帝国旗揚げ」を夢見る人々が、噺家のHPやら演芸好きの掲示板やらMLやらをよりどころにして、年齢性別職業宗教出身地スリーサイズの違いを超越して、「ほかではできないハナシ」を思う存分できる。学生時代、今はなきホール落語の名門「東横落語会」の当日券ほしさに、東急東横店の薄暗い階段に二時間近くも並ばされている時に、退屈にたえかねて、隣で江国滋かなんかの文庫本を読んでいる、明らかに自分と同類と思われる(当たり前だ、フツーのやつはこんなことしないぜ)オニーチャンに「あ、落語手帖、僕も読みましたよ」なんて、恐る恐る話し掛けたりしていたころとは大違い。本当に、よい時代になったもんである。

 というわけで、というわけでもないが(文法おかしいか)、二日の土曜日、言わずと知れない演芸HL「熊八」の定例東京オフ会に、いそいそと出かけた。「熊八」は、登録数三百人に迫る演芸井戸端会議の大手(?)で、関東、中部、関西をカバーし、濃いヒト、薄いヒト、若いヒト、それなりのヒトと、メンバーも多彩。この手のもの中では、かなりバランスのよい集団かと思うのだが、ま、小難しい話はこの際おいといて、要は楽しく落語の話ができればいいのだから、さっさと集合場所の愛宕山に行くことにしませう。

 熊八オフのスケジュールは、だいたいいつも同じである。月初めの土曜か日曜の午後に、新橋・愛宕山のNHK放送博物館に集まって、NHKが保存しているふるい演芸番組の鑑賞会を見学する。そのあとは愛宕下の「バーミヤン」でつないで、新橋駅付近の安い居酒屋に繰り出すというものである。この日は、大寝坊したのが災いして、昼過ぎになっても頭がボーッ。そんなわけで午後一時半虎ノ門近くの「ベローチェ」集合なんかに間に合うはずもなく、愛宕山に直行したものの、「番組を見る会」はすでに中盤、川崎の柳好「味噌蔵」、三語楼(初代じゃないよ)「家見舞」が終わり、スクリーンには、髪の毛の黒い(!)、おそらくは五十代後半と思われる、桂文治の姿が映っていた。ネタは「お血脈」だ。仏教伝来の薀蓄から始まって、本多善光と「ご本尊」の珍道中(?)、そして地獄の会議と、演出もギャグも、現在とほぼおなじである。今とやってることはほとんど変わらないのである。若々しい文治は新鮮ではあるが、今現在の白髪の文治のほうが明らかに面白い。がみがみと口うるさく、薀蓄たれで、江戸&江戸弁へのこだわりがあって、頑固者。こういうキャラクターが説得力をもつのは、年輪の重さがなければならない。早い話が、ジジイになった文治のほうが説得力があるのだ。芸自体は変わらなくても、年を重ねることで微妙な味が加わって、噺家として一皮向けることがある。「長生きも芸のうち」という言葉は、こういうことをも、指しているのではないだろうか、と考えた。番組のトリは、円楽の「阿武松」。これも五十代のころの映像だろうが、円楽もかわらないなあ。ずっと笑ってるとことか、せりふを時々かむところまで、おんなじだったりして。かつてともに四天王と騒がれた談志、志ん朝がそれぞれのやり方で頑張っている中、健康上の問題もあろうが、ひとり「あがっちゃったような」感じがする円楽。年をとって、もう一皮向けた四天王の競演を見てみたいと思うのは僕だけではないはずだよ、ね。

 番組を見たあとは、いつもの店、いつものコース。夜の十時過ぎにJR新橋駅で別れるまで、日ごろできないアノ話コノ話(って、こう書くとなんか怪しい集会みたいだが、傍から見てるとそのとおりだったりして)を堪能したのであったとさ。さあ、来週からはカタギに戻ろうっと。

     ● ★ ■

 週があけて、六日の月曜日は寄席の日だった。と思い出したのは、夕方仕事をサボって入った新宿御苑近くの「松床」の待合室である。どっかで宣伝してたという記憶もないし、世間の人々は今日が「寄席の日」と知ってるんだろうか。当初、噺家の有志が集まって「落語の日を作ろう」と旗揚げ公演をし、その後紆余曲折もあったりしながら、六月の第一月曜を「寄席の日」とすることで一応の落ち着きを見たのが三年前。一回目は超満員だった記憶があるが、三度目にしてパワーダウンはちょっと早いのではないか。

 散髪が終わったのが夜の七時過ぎ。今日はこのまま帰るつもりだったが、寄席の様子も気になるので、まだ怪しい人たちがでてくる前の新宿二丁目を横切り、三丁目の末広亭まで歩いた。

 木戸口に顔を出すと、もぎりのおねえさんが、「あ、いらっしゃーい、はいこれ、記念品ね」と団扇を出してきた。表に、正楽さんの紙切り「線香花火」、裏には各寄席の名前が寄席文字で書かれている。

 「どうですか、入りは」

 「昼間はいっぱい入ってたんですけど、夜はねえ…。中からにぎやかな声が聞こえてきて」今ちょうど仲入前の抽選会なんですよ。見ていきます?」

 「ううう、今日は疲れてるんで帰りたいんだけど…。じゃあ、抽選会だけ見せてくれます?」

 「ええーっ、抽選会だけですかあ」

 俺ってあんまりいい客じゃないなあ、と思いつつ木戸をくぐると、さん喬、正朝の二人が高座で奮闘している。くじ引きで噺家の手ぬぐいや、末広亭の招待券を宛てようというのだが、さん喬のテンションがいつになく高くて、「遠くからきたから」という理由ではずれ番号の人にまで景品をあげろと言い出して、正朝にとめられたりして。景品の運び役の前座が間に入って困っている。客席は六割ぐらいの入りが、空席は目立つが、さん喬たちの奮闘に乗せられて、客はよく笑い、よく拍手をしていた。

 さん喬の音頭で「チャチャチャン、チャチャチャン、チャチャチャンチャン」、高座客席が一体となって、寄席の日を祝ってお開きに。いい雰囲気なだけに、入りがもうちょっとよければなあと思いつつ、団扇を使いつつ、末広通りを地下鉄の駅に向かった。

 翌日の夜、仕事が予想外に速く片付いたので、池袋の夜の部に滑り込む。ま、早いといってももう夜の七時半だからなあ、もう仲入の終わるころだよなあと思っていたら、まだ仲入前の伯楽が高座にいるみたい。ロビーもなんだかごちゃごちゃしていて、いつもと感じが違うじゃないの。

 「今日はCSの収録やってるんですよ。だからみんな、みっちり」と演芸場の川村氏がいう。ロビーの奥が仕切られているのは、テレビ機材か何か置いているのだろう。せまい楽屋からあぶれたのか、ゆめじうたじがロビーに椅子を持ち出して、モニターから流れてくる伯楽の声に耳を澄ましている。「これは盗んだんじゃねえや。ねずみの懸賞であたったんだ」。おやおや、「薮入り」じゃないか。伯楽、張り切ってるなあ。

 時間が半端なので、そのままテケツの前で、川村氏と四方山話。

 「昨日の末広、夜の仲入で六割ぐらいでしたよ」

 「いいじゃないですか。うちなんか、いつもとほとんど変わらなかったもの。みんな寄せの日知らないんじゃないの。ま、こっちもろくな宣伝もしなかったけどさあ」

 「そうだよねえ、抽選会のこと知ってりゃ、一番あたる確率が高い池袋にくるもんなー」

 「そうそう」

 やっぱ池袋も、「寄席の日」は「フツーの日」だったようだ。寄席定席は、各席が営業方針や客層や立地が微妙に違うこともあって、足並みをそろえて何かしようというのは、なかなか難しいようだ。でも、今のままでは「寄席の日」が尻すぼみになるのは時間の問題だろう。特に「寄席の日」に肩入れするつもりはないけれど、「寄席の日」が盛り上がらないとうことは、寄席そのもの、もっと言えば大衆演芸全体のパワーダウンにつながりかねない危険があるということを、もちろん僕も含めて、頭に入れておかねばならないだろう。てなことを考えているうちに、テレビの機材が片付けられて、普通に戻った高座で、後半が始まった。入りは二十人にも届かない。いい顔なんだけどなあ。

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 <6・5 池袋演芸場・夜の部>

  仲入

 琴柳:魚屋本多

 雲助:町内の若い衆

 仙三郎・仙一:太神楽

 主任=歌之介:B型人間

 

      ★ ■

 三味線なし、ドンドンドンという太鼓の音だけど出囃子に琴柳が登場した。昨年大病をして以降、講談を聴く機会がめっきり減っているので、琴柳も久しぶりだ。客の少ない寄席では、拍手が必要なマジックとか、客席との対話風に進む漫談は、(客として)ヒジョーにつらいのだが、講談は物語をおとなしく聴くというのが基本形なので、こういうときは本当に助かるのだ、といわれても講釈師はうれしくないだろうが。

 本日の演題は「魚屋本多」。「男は顔や頭の毛じゃありませんよ」とかなんとか軽いマクラを振っただけで、すぐに本題へ。関が原の落ち武者が、介抱してくれた農家の娘と一夜の契り。娘が子供を生んですぐにこの世を去ったため、二人に再会も親子の対面もならぬまま十数年の歳月が過ぎた。江戸勤番になった男がある日、棒手振りの若い魚屋の持ちものに目をとめる。魚屋が使うとも思えない由緒ありげな水差しには、確かに見覚えがあった…。抑制が効いていながら、勘所ではメリハリのある、快い読み調子で、知らず知らず物語りに引き込まれていく。泣かせ笑わせ、修羅場を聴かせて二十五分。この日初めて講談というものを聴くという客が、この薄い客席にいたとしたら、その人はほんとうに幸運だと思う。自然と背筋が伸びるような、気持ちのよい一席だった。

 琴柳の講談で伸びた背筋を、次の雲助がゆっくりとほぐしてくれた。肩の力が程よく抜けた「町内の若い衆」。この噺は、長屋のかみさんの肝っ玉キャラクターがすべてである。雲助演じるおかみさんは、なにかというと「なーはーにが大したもんなんだか」そっくり返ってばかりいる、アバウトな女傑で、これがべらぼうに面白い。「外行って何か感心しちゃ、首傾げてる。このチコンキの犬!」という志ん生ギャグを久しぶりに聞いた。

 テレビ収録の関係で時間が押しているのか、ひざの太神楽は、仙一の五階茶碗と、親子のバチのとりわけだけで、さっとトリへバトンタッチだ。

 で、爆笑王・歌之介はいつものアレである。「笑いは健康の源ですっ!」と力強く宣言した後は、ギャグのオンパレードだ。

 「最近フランス語勉強してるんです。(鼻にかけて)ジュとジュでニジュ、あとジュでサンジュ。長ジュバーン、肌ジュバーン、住まいは麻布ジュバーン。基本形さえ押さえておけば大丈夫です」

 「韓国語もやってます。ヨーチョンギレルハサミダ。パンニハムハサミダ。寂しい夜は自分でコスミダ(センスで自分の頭をバシッ!)」

 「二年前、巨人が優勝できなかったのは、メイクドラマといってたからです。MAKEは負けです」

 「人生はいろんな答えがあるから面白い。数学はきらいです。答えがひとつしかないから」

 「イルカは頭がいいですねと飼育係の人に言ったら、『本当に頭のいいイルカは人間にはつかまりません』」

 「AB型は二重人格です。ロマンチストと現実主義者の両面を持っています。わかりやすく言えば、AB型は夜空の星を眺め、ハイネの詩を読んで、立小便ができるのです」

 「こないだ知り合いの人が『娘が今度アメリカにホームレスに行くんだ』言うてました。それを言うなら、ホームステイでしょう」

 「夜、妻の寝ているのを見ました。『青森まで 行かずに見える ねぶたかな』。頼むから雲竜型で寝返りをうたんでくれ。最近、『妻』という字が『毒』に見えてきました」

 「ケータイがどんどん進化しています。今に、相手にこちらの顔が見えるやつが出るでしょう。でも、つい(カメラ部分を)耳にあててしまいます。『おーい元気か』『どうでもいいが、耳の毛、どうにかならんか』

 「四年後には六十五歳以上の四人に一人がボケるんだそうです。(客席を指差して)一人、二人、三人、ボケ。四人でいるからいけないんです。今度から三人で行動するように」

 「近くにあるものは、意外に気がつかないものです。魚は絶対海に気づいていません」

 「私は感じが苦手です。いまだに『芋』と『竿』の区別がつきません。かみさんに聞いたら『長いほうが竿』。そうかもしれません」

 「『ぶどう』という字が書けますか? 生産してる山梨県の人だってかけません。『ばら』という字が書けなくて困ったことがありますか?」

 「一度でいいから右目で左目を見てみたい。もうちょっとなんですが」

 「私のふるさとの後援会長は大金持ちです。豆腐屋さんです。一日の売上が七丁。『困ったら何でも言え。一丁や二丁ならすぐ貸してやる』」

 「高校の時、英語でうどんを何と言うかという問題がでました。特産地なら讃岐ですが…。答えはジャパニーズ・ヌードルでした。うそです。数年前、初めて海外に行きましたが、ロスの空港では、うどんは『UDON』でした!」

 「私、四十二歳にしては若く見えるでしょう。どうみたって四十一歳です。これでもある高貴な方と同い年です。あっちは学習院、こちらは少年院。でも、少年院は国立です」

 「血行をよくするには、歩くのと笑うことです。一番いいのは笑いながら歩くことです。健康にはいいですが、友達が少なくなります」

 「人間健康が一番です。健康さえあれば、命はいりません」

 いったいいくつギャグがあったんだろう。覚えている半分も書き出せなかった。今日の客数を考えれば、一人三つ以上のギャグを持ち帰れ勘定になりそうだ。そうかんがえると、かなり贅沢な池袋の夜なのだった。

      ★ ■

 このごろ金曜の午後になると、かならずどこかの寄席に出没している。仕事サボって見物なんて余裕はない。金曜は日曜版の原稿の締切日。正楽さんが紙切りイラストを寄席の楽屋に預けてくれるので、それを回収に行くのだ。

 「あ、おはようございます~。正楽です~。原稿、新宿の楽屋においときます~」

 おお今週は末広亭か、てな段取りで、午後二時過ぎに新宿三丁目まで出かけた。と、あの、いつも見慣れた、よく言えば風情のある、悪く言うとたそがれ気味の、末広亭の建物に緑色のカバーのようなものがかかっている。その下には、ありゃりゃ、足場が組まれているではないか。ついに席亭が「このままではいかん」と立ち上がって、総工費五億円をかけた演芸の殿堂「新宿末広亭」の大改装が始まるのか!?

 「じょうだんいっちゃいけない。正面だけだよ。それも、水回りと修繕と、正面の壁の化粧直し。営業しながら一ヶ月ぐらいでやっちゃうの」と、テケツにいた席亭が教えてくれた。

 木戸の脇の電話で楽屋に連絡すると、前座さんが原稿を持ってきてくれた。ううむ、今回は「鵜飼い」である。相変わらず見事なもんだなあとチコンキの犬を気取っていると、脇から覗き込んでいた席亭が、「この原画、将来売るようなことになったら、花見のやつ、ウチに回してね。こういう商売やってると、意外にそういうもの持ってないんだよねー」だって。そんなことは本人に交渉してちょうだい。

 「せっかくだから見てきなよ」という席亭のお誘いを断って帰社したのは、締め切りのせいばかりではない。今夜は、「読売GINZA落語会」の第一回開催日。あれは読売事業部がやってることで、僕は直接関係ないとはいえ、同じ会社のこととて知らんぷりはできないなあとおもっていたところに、当の事業部からの電話。「ながいくん、君にはいい席をまわすからね」。やったあ、ラッキーと思うまもなく交換条件が提示された。「悪いけど、招待者受付、手伝ってもらうからね」。浮世の義理だ、会場前に銀座に出向きましょう。

 落語会の会場は、「ル テアトル銀座」。前のセゾン劇場といってもわからない人もいるかもしれんので、念のためさらにわかりやすく言うと、テアトル東京の跡地にある小じゃれた劇場である。七百五十人収容という、落語会としては大きな会場。若手中堅中心のフレッシュな顔ぶれ。さて、どうなりますことやらと思っていたが、チケットはほぼ完売、開場を待ちきれない人でロビーはごった返している。客、関係者、出演者のわくわくどきどきが伝わってくる。

      ★ ■

 <6・8 読売GINZA落語会 @ル テアトル銀座>

 きくお:おしのつり

 小米朝:かけとり

 小朝:船徳

  仲入

 花緑:大工調べ

 こぶ平:景清

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 エレベーター前に陣取ったワタクシメの役割は、招待者を確認しながらチケットを渡すのと、打ち上げ(一回目に限ってやることにしたのだ)への参加をお願いすることであった。「あ、花井さんよろしくお願いしまーす」「万理さん、こっちです~」「ねいききゅーさん、久しぶりー」「神津先生、元気ですかー」なんてやってるうちに、けっこう営業モードに切り替わっている自分に気がつく。営業スマイルと腰の低さがけっこう板についているではないか。さすがに学生時代渋谷丸井の紳士靴売り場でけっこうな売上を記録しただけのことはある、なーんてことを思い出したりして。ふふ。なんて自己満足にふけっている場合ではなかった。招待者の皆様のくるのが遅いので、サラのきくおが始まっちゃったではないかー。あわててロビーに上がるも、係員のおねーさんがやってきて「まことにもうしわけありませんが、開演中の入場はご遠慮ください。この演者が終わるまでロビーのモニターでお楽しみください」とにっこり笑顔でいうではないか。こしゃくなやつめ。

 きくおがおわって(結局ろくに聞けなかった)、ようやく席につくことができた。たしかにいい席ではあったが、何と部長のとなり~。これじゃあ居眠りもできんぞ。と、さっきの営業モードがうそのように、くつろぎモードに切り替わっている。

 さて、高座は小米朝の「かけとり」だ。この時期になぜ、年越しのネタなのだろうと思っていたら、これがなかなか面白い。掛取りのおにーさんたちを、それぞれの好きなものを並べて煙に巻こうという噺で、フツーは、芝居、喧嘩、狂歌といった芸を見せてくれるのだが、小米朝はいきなり「クラシック」で断り始めた。そうそう、この米朝のとこの若旦那は、音楽好きで、「落語オペラ」の公演(「コシ・ファン・トゥッテ」をもじった「漉し餡あんとって」なんてやつ)にまでかかわりあっているのであった。金の断りのせりふがモーツァルトやドビュッシーといった作曲家の名前尽くしだったりして、古典落語としてはいかなるものかと思ったが、せりふ自体が上手くできていることもあって、楽しい楽しい。「かけとり」のようなネタは、演じ手の得意な芸を盛り込む、いわばかくし芸大会のようなものと考えれば、小米朝のようなやり方も十分に説得力を持ってくるのだ。

 仲入前の小朝は、「船徳」をたっぷり。若旦那のマクラを振りながら、本日のテーマ「小朝とサラブレッドたち」の狙いを説明するあたりは、実にスマートである。

 「サラブレッドというのは、お馬さんの世界を見ても明らかなように、その人のお父さんだけではなく、母方のおじいさんに大きな影響をうけるんですね。たとえば、中村勘九郎さんは、名優勘三郎さんのご子息ですが、それだけじゃなくて、母方のおじいさん、つまり六代目菊五郎の血が大きいんですよ。そういう意味で言うと、花緑さんの母方の祖父は柳家小さん師匠、こぶ平さんのとこは、有名な釣り道具屋さんの親方ですよ。小米朝さんのお父さんは人間国宝の米朝師匠だけど、おかあさんは魚屋さん(だったかな?)の娘

さんで、その点でいうと…」

 仲入をはさんで登場の花緑は、柳家の芸の中でも、若々しく元気いっぱいのネタである。小朝の時に暗くしていた場内は、今度はネタにあわせたのか、かなりあかるい。が、これだけ広い会場だと、この明るさはつらい。明るすぎて高座との距離感が強調されてしまい、高座にもうひとつ集中しきれないのである。そういうハンデに加え、この日の「大工調べ」も、このところ上り調子の花緑にしては不満ののこる出来だった。啖呵をきりたい棟梁、因業な大家、能天気な与太郎、三人の登場人物の演じ分けはできているものの、棟梁の啖呵は一本調子だし、与太郎のテンポがわるくて、棟梁とのやりとりがかみ合わない。もちろん、大家の年輪が出るわけもない。真っ向勝負の高座は評価したいが、留保点が多い高座だったと注文をつけておきたい。

 さて、いよいよ本日の一番の注目高座だ。こぶ平の「景清」。演者とネタがこれほどしっくりこない組み合わせも珍しいではないか。世の中にこぶ平のファンは多いが、その中に寄席ファン、演芸ファンの数はかなり少ないと思う。ほとんど寄席に出ず、たまに出てもテレビネタの漫談ばかり。今まで何度か「古典をやります」といいながら途中で逃げ出してきた。その期待はずれの若旦那が、このところ、腰を落ち着けて古典落語に挑んでいるという話は聞いている。今日はその「こぶ平の古典」のホール落語での初披露である。新しいホール落語会の第一回のトリで、こぶ平の古典。客席のほとんどが「大丈夫だろうか」と固唾を飲んで注目している。自分の前で、小朝とこぶ平が大きなネタを熱演してその力を見せ付けているのである。誰が考えたって、キンチョーしないのがおかしいというようなシチュエーション。「新手のイジメ」と言ってもいいだろう。

 この異様な雰囲気の中、花緑の時より照明を落として落ち着いた感じになった高座にこぶ平が登場。律儀なお辞儀をした後、笑顔で語りだしたが、明らかに声がかすれている。まくらもそこそこに「生まれついてお目の悪い方は…」と、桂文楽の十八番として知られる人情噺風のネタに入っていく。

 驚いた。こぶ平が「景清」を立派にこなしている。やればかならず笑いの取れるテレビネタ、テレビギャグを一切使わず、古典落語の世界だけでの正攻法の勝負。人がよく、不器用で、誠実(かな?)という、こぶ平の人柄が、目を治したい一心の主人公と重ね合わさって、人物描写にも深みが出ている。テクニック的にはまだまだのこぶ平だが、物語自体の力もあって、最後まで、素に変えることなく、「景清」の世界で遊ぶことが出来た。けれんのない若武者ぶり。こぶ平のけなげさが、さわやかな印象を残した。こぶ平の未来に幸あれと、祈りたい気持ちになった。

 終わりよければすべてよし。「読売GINZA落語会」は、落語界のサラブレッドたち(とくに、こぶ平だ)の好演のおかげで、大成功のうちに幕を下ろすことが出来た。打ち上げも無事に済み、帰ろうとした僕を、文化部長が引きとめた。当初は「小朝さんを見たら帰ろう」といっていたのに、出演者の熱演に引き込まれ、トリまで聴いて、打ち上げでもご機嫌のようだった。

 「いやあ、よかったなあ、こぶ平。もしかしたら俺たちは、将来、こぶ平が化けるという歴史的な瞬間に居合わせたと言えるかも知れないな。いいものをみせてもらったよ」

 本当なら「飲みに行こう」ということになるのだろうが、相手が下戸で病み上がりの僕ではどうしようもない。小雨の中、二人で並木通りを歩いたが、おでん屋は休み、すし屋は暖簾を下ろしている。やむなく入った中華屋で、餃子とラーメンとマーボードーフで、落語会とこぶ平の成功を祝った。

 

つづく

   


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