東京寄席さんぽ5月上席

 晴れの日が多いはずの憲法記念日。朝から冷たい雨が降り続いている。
人並みに今日から四 連休をもらったが、初日に喪服に袖を通すことになる
とは思いもしなかった。
 細かい雨のカーテンで、通勤路の並木から色が消えている。車のハネを
気にしながら新三郷 駅まで歩いて、武蔵野線の上り電車に乗る。西国分寺
駅で中央線に乗り換えて一駅。国分寺で 下車するのは何年ぶりだろう。雨
は収まるどころか、かえって勢いを増し、風も出てきた。角 角に立つ前座
に道を教えられながら、狭い商店街に入る。シャッターを上げたばかりの
店先を、 喪服と傘の黒だけが黙々と移動していく。
 十二三分ほどで、斎場に付いた。「古今亭右朝告別式」と書かれた看板
が、雨に打たれて寒そ うだ。広い場内には覆いがないので、参列者は式場
横の和室に案内されていく。向かいの建物 の軒下をみると、権太楼、さん
光、太助師弟が雨風に身を縮めていた。
 暮れの「二朝会」の常連だったSさん夫妻に誘われて、和室に入った。
中央線沿線でマメに 会を開いている右朝師らしく、周囲の席は、地元の右
朝ファンでいっぱいだ。
 「右朝師が奇病で声が出ない」と聞いたのは、昨年秋のことだった。自
分が大病を経験した ばかりだったので、病気の話は他人事とは思えない。
とりわけ「噺家が声がでない」ときては、 一大事である。力のある、将来
のある右朝師だけに、しっかり養生してほしいと思うばかりだ った。暮れ
の末広亭「二朝会」で復帰して、やれ安心と思っていたら年が明けてまた
入院の知 らせ。四月上席の池袋で再び高座に上ったと聞いたばかりで、今
回の訃報である。肺がんを知 りながら、周囲には「奇病」と偽っていた・
・・。噺も姿形もきれいごとの、いかにも右朝師 らしい話なのが悲しいじ
ゃないか。
 今を去ること十数年前、右朝師は僕の結婚式に出席してくれた。特に懇
意だったわけではな い。招待した某評論家が直前で都合が付かなくなり
「代演を出すよ」と連絡があった。それで 来てくれたのが真打昇進直前の
志ん八さん、今の右朝師だった。後に取材で会った時にその話 をすると、
「当時のアタシは噺中心の生活で、あんまりそういうとこには行かなかっ
た。アタシ にしては珍しいことなんですよ」と笑っていたっけ。右朝師は
からみ酒でも有名で、酒を飲め ない僕は被害を受けてはいないが、同僚の
T記者が酒席で右朝師にからまれ、逃げようとした ら、横にこれまた酒乱
で知られる左談次師がいて挟み撃ちになった、てなハナシもあったなあ。
そんなことを思い出していたら、いきなりマイクを通して、高田文夫さん
の声が流れて来た。
 「むちゃな飲み方は僕が教えたようなものだ。学生 時代、千葉の海の家
で二ヶ月、真っ黒に なってバイトしたことがあった。卒業記念に何かやろ
うと、上野の本牧亭を借りて二人会をや った。満員になってよかったなあ。
あのころキミは、高田は面白いから噺家になれ、おれは作 家になるといっ
てたけど、逆になっちまったなあ。数年前に渋谷の東邦生命で日芸卒業何
十周 年記念かの二人会をやった。あのころが一番面白かったなあ。あっち
で、いっぱい酒を飲んで 下さい。そのうち俺たちも行きますから。にちだ
いらくごけんきゅうかいふくかいちょう、た じまみちひろくんへ。かいち
ょう、たかだふみお」  学生時代に戻ってしまった高田さんの涙声。和室
の隅っこで、さっきまで怪気炎を上げてい たはずの川柳師が、目頭を抑え
ている
。  雨を避けながら、軒下をつたってお別れに行く。すっきりしたなりに、
涼しげな顔。いつも 通りの高座姿が笑っている。「さよなら」と心の中で
つぶやいて列をはずれると、すぐ前を権太 楼師がゆっくりゆっくり歩いて
いた。
 葬儀委員長・志ん朝師の挨拶が始まったころから、いっそう雨風が強く
なった。
 「右朝が初めてアタシのとこに来たのは、有楽町ビデオホール の楽屋で
した。この四月、ア タシがトリの池袋で、何日か、誰かの代演で出てくれ
て、それが最後の別れでした。その時ど んなふうで、どんなことを話した
か、アタシはすべて覚えています。そのぐらい、強い印象を 与える男でし
た。アタシの弟子はみんな優れている。他の弟子にくらべても見劣りしな
いと思 っております。その中でも、右朝は異彩を放っていました。これか
ら、もう一まわりも二まわ りも大きくなる男だったのに・・・、アタシは
本当に残念です」  演芸関係の葬式は、ダジャレや軽口が飛び交う、一見
陽気(?)なものが多いが、これから、 という人の場合には、さすがにそ
うはいかない。芸人だって泣きたい時は泣きたいのだ。降り 続く雨が、右
朝師と、その死を悼む人々の涙に思えてならなかった。
     ● ★ ■
 出棺を見送って小一時間もすると、あの雨風は何だったんだと思うほど、
あっさり晴れてし まった。  いったん家に帰って着替え、夕方新宿に行っ
た。紀伊国屋ホールで開かれる「寄席山藤亭」。 上方の人気者・桂文珍に、
昇太・たい平・喬太郎という東の爆笑派がからむ魅力的な番組のせ いか、
場内は超満員だ。おけるところにはすべて補助椅子が出て、僕も真ん中辺
りの補助椅子 に座る。と、隣の"通常席"には同僚T記者がいるではないか。
 「ながいさ〜ん、こういう込みそうな会は早めに手を打たないとこうい
うことになるんです よ〜」と勝ち誇ったように言われてしまったが、昼間
の国分寺の印象がまだ残っていて、あん まり落語を聞く気分になれない。
昇太、喬太郎あたりは斎場にいたはずだが、こういう時の気 持ちの切り替
えはどうしてるんだろう。
     ● ★ ■
 <寄席山藤亭>
   五月三日(木) 紀伊国屋ホール
   昇太・たい平:前説  喬太郎:母恋いくらげ
  たい平:反対車  昇太:人生が二度あれば
  仲入
  文珍:星野屋
  対談:出演者全員
     ● ★ ■
 喬太郎は、おなじみ池袋のマクラから。駅の西と東に君臨する東武・西
武の両デパートを活 写し、西口の三越の悲哀を語り、隠れた待ち合わせ場
所「いけふくろうの像」にスポットライ トを当てる。そして舞台は西口に
変わって、出ました純喫茶「蔵王」の「トースト食べ放題」。 ここらで終
わるかと思ったら、蔵王から通りを渡って、向かいのコーヒー「サルビア」
へ入っ ていくではないか。
 「ここはね、喫茶店としてはメニューが豊富ですよ。スパゲッティ、ピ
ザ、トースト・・。 でもね、ふつー、ここまでですよ。喫茶店のメニュー
としては。きつねうどんは、いらないで しょ。コーヒー飲んでる後ろで、
ズズズズーってうどんをすする音がするんですよ」  珍しいロングバージ
ョン、堪能しました。  と、ここまではいいが、喬太郎を含めて、東京の
若手三人(「若手でいいのか?」と昇太も言 ってたが)のハナシは、マク
ラもネタもいつも通りで、何の変化も冒険もない。この三人を初 めて見る
山藤さんのお客さんはいいとして、一般の演芸ファンが今日の出演者に何
を期待する か、三人にわからんはずはない。それなのに、僕の目と耳には、
三人が安全パイを選んだとし か感じられなかった。文珍なんかぶっとばせ、
そんな心意気はけほども感じられない。厳しす ぎるとは思うが、一部のフ
ァンからは「手抜き」という声が出ていたことをあえて書いておく からね。
 仲入をはさんで、文珍のネタは、上方ではほとんど演じられることがな
いという「星野屋」。 後の対談で本人が解説してくれたが、あっちには
「震災落語」「震災」という言葉があるそうで、 これは、関東大震災で仕
事場を失った東京の噺家たちが上方へ来て、そこでいろいろネタを覚 えて
持ち帰った。そして、その逆もすこしはあったそうな。「星野屋」は、題
名は違ったかもし れないが、そのころやってた人がいたらしい」のだ。陰
気だし、あんまり面白いハナシではな いが、文珍バージョンは、浪花橋ま
での道行に鳴り物を入れて、軽く華やかな上方色を出た。 東京勢にくらべ
れば、まずは意欲的な高座じゃないの。  結局、この夜一番うけたのは、
落語ではなく、最後の座談会だった。冒頭から、文珍がやた らとたい平に
気を使っている。  「お父さん、元気でっか?」  「えっ?僕の父は秩父
の洋服屋ですが」  「ええっ!(しばし絶句する文珍)」  「師匠、ひょ
っとして、僕のこと、こぶ平の弟だと思ってません?」  「・・・・・・
・・」
 どうやら文珍は、名前の感じから、たい平が三平の実子だと思い込んで
いたらしい。客席は 大笑いだが、それ以上に高座の若手三人がうけている。
 「どうもおかしいと思ったんですよー。楽屋でも、他の二人にはそっけ
ないのに、僕にだけ、 饅頭食べまへんかと勧めてくれたりしてたもんなー」
 「いやその、三平師匠には、若いころ、がんばりやーと、よく声掛けて
いただいてたんで、 今日は恩返しが出来るかと・・・。じゃ、だれのお弟
子さんなんですか」
 「林家こん平です」
 「(脱力して)こん平さん・・、はーっ。よく(弟子入りを)決断しは
りましたな」  「ええ、(落語のこと)よく知らなかったもんですから」
 いやはや、とんでもないやりとりだ。これがずーっと後をひいちゃって、
話の切れ間ごとに 文珍の「そうですかー、こん平さんの弟子・・」が入る
もんだから、ハナシが堂々巡りする。 やんやの喝さいだったが、落語会と
しては????  最後のひと言、「寄席山藤亭」というからには、山藤章
二センセイがお席亭だよね。でも、こ の席亭、終始まんまんなかの一番い
い席にドーンと座って見ているんだもんなあ。補助椅子バ シバシ出て、場
内キツキツ状態なのに、席亭が上等な席でふんぞりかえっている落語会な
ん て・・。山藤さんだから、ま、いーかな。
     ● ★ ■
 前日と打って変わって、朝からからりと晴れた四日、中野へ桂吉朝を聴
きに行く。上方落語 の俊英が、毎年GWの時期に東京で開いている独演会
だ。  昨年は品川の六行会ホールでやったと記憶しているが、入りはいま
ひとつだった。で、会場 を一回り小さくして開いた今年は全席満員である。
適正人数を読むのは、いかに難しいかとい うことだろう。モギリでもらっ
たパンフレットを裏返すと、「東京桂吉朝独演会制作委員会 K iKi 
ずるずる」。このご両人をよく知っている(妙齢の女性である)のであん
まし言いたく ないのだが、「KiKi ずるずる」と列記されていると、
なにやら怪しい生き物が責任者みた いだぞ。
     ● ★ ■
 <桂吉朝独演会>
 五月四日(金)
 なかの芸能小劇場
 しん吉:犬の目
 吉朝:愛宕山
 仲入  吉朝:胴切り
     ● ★ ■
 開口一番は、年季明けしたばかりの四番弟子、しん吉クンというのだそ
うな。師匠とはまた タイプが違う端正な顔立ちだが、話す言葉はやっぱり
バリバリの関西弁。ま、当たり前か。  師匠のそばできっちり修業したの
だろう。メリハリもあり、トシの割りには達者な高座だが、 ここぞという
笑わせどころで、必ずとちってしまう。うまいとこを見てもらおう、ばっ
ちりや って褒められたいという気持ちが出てしまうのだ。そういうヤマ
っ気も多少はあったほうがい いのだけど、まだちょっと早いよねー。
 お次は、もうメーンの吉朝である。  「懸命に務めます」と言った後、
すぐに「うそでっせー」というのがオカシイ。  本日のネタ「愛宕山」は、
一八、繁八と、幇間が二人出て来るなど、細かな設定は同じだが、 山遊び
してー、途中でかわらけ投げてー、旦那の小判が谷に落ちてー、一八が飛
び降りて小判 をゲットしてーというハナシの流れはおんなじである。ただ、
上方噺らしく鳴り物がたっぷり 入るので、野駆けの気分が横溢している。
そんな浮かれ気分で一八が投げた土器が、的へ向か わず、脇の茶屋に直撃。
婆さんが怪我した額を押さえて出て来るのが楽しい。
 仲入の後、黒紋付きに着替えて出て来た吉朝のひと言が衝撃的だった。
 「これですぐ終わったら、怒ります?」  時計を見ると、まだ一時間し
かたっていない。三千円だか払って、一時間チョイというのは、 東京は知
らないが、シビアな関西のお客さんは、許さへんかもなー。  いかにマク
ラを工夫しても、「胴切り」では十五分ぐらいしかもたんと判断したのだ
ろう。マ クラのあとに、「かわいや」(またの名を「竹の子」だったか)
という短い噺を一席全部しゃべ ってしまい、それからおもむろに「胴切り
」へ。それでも二時始まりで、三時半過ぎには終わ ってしまった。すっき
りと軽く、品格のある芸風だけに、「たちきり」とか「百年目」といった
大ネタを吉朝で聴くと、さほどモタれた感じがしない。逆に、この日のよ
うにネタの時間が短 いと、噺の出来そのものには文句はないが、時間的に
「えー、これでお終い?」という感じが してしまう。別に本人が悪いわけ
ではないのだが。常連さんたちはそこのところを飲み込んで いるのだろう。
このままはしごして、夕方からの第二部も聴くという人がけっこう多い。
うう む、それもよかったかと思いつつ、二部のチケットのない僕は帰途に
付いたのであった。ウチ に帰って、「円生百席」でまだ未開封の長講モノ
でも聴こうっと。
     ● ★ ■
 三、四、五、六と四日も続けて休みを取ると、アタマを仕事モードに切
り替えるのに時間が かかる。月曜日は日本橋の「たいめいけん」で昼飯を
食っておしまい。火曜日は新宿三丁目の 「鉄ちゃん」(メニューが変わっ
た!)で中落ち丼をかっこんだが、そのあと折からの雨にあお られて、末
広亭の軒下に避難である。  「おっ、今日は披露目かあ。入ってます?」
 「どうせ来るなら、GW中の入りのすごい時に来てくれればいいのにー。
二階席もずっと空 いてたのよー」  「で、今日は?」  「入ってみれば
ー」  モギリのおねーさんと世間話をして、ずるずる昼席に入ってしまっ
た。こんなことをやって いては、週末のデスク作業がつらくなるのは日を
見るよりも明らかである、と断言しちゃうぞ、 もう。
     ● ★ ■
 <新宿末広亭・昼の部>
 桂歌若・三遊亭春馬真打昇進披露興行
 遊三:子ほめ(途中から )
 今丸:紙切り(床屋さん、二宮金次郎、花火)
 米丸:漫談
 文治:牛ほめ
  仲入
 真打披露口上(下手から、小遊三、米丸、春馬、歌若、歌丸、文治)
 歌若:新作
 東京ボーイズ:ボーイズ
 小遊三:夏泥
 歌丸:後生鰻
 ボンボンブラザーズ:曲芸
 主任=春馬:鷺とり
     ● ★ ■
 普段の寄席が殺風景だから余計目立つのだろうが、披露興行の飾り付け
は華やかだ。高座の 前、両サイドに大きな花輪。高座の上はとみると、
「落語芸術協会」の後ろ幕を真ん中に、下手 が歌若、上手が春馬の、祝
いの品物が陳列されている。埼玉県草加市出身の春馬には、大きな 草加
せんべい。送り主はトーゼン「草加市」だよね。後は、酒樽に座布団に着
物の生地と、ご 祝儀の定番がずらーり。で、歌若の方はとみると、あり
ゃりゃりゃ、不思議な物が並んでいる。 何かと話題のゲーム機「ドリー
ムキャスト」と、人気ソフト「サクラ大戦」の大きなパネルだ ったりし
て。歌若クン、セガやレッド(広井王子の会社だ)と癒着関係でもある
のだろうか。 しっかし、しげしげと眺めてみたが、寄席の高座とテレビ
ゲームって、まったく合わないなあ。
 そんなデコレーションの真ん中で、ゆらゆら揺れているのが、紙切り
の今丸。何だか落ち着 かないのは、このごろ正楽のばかりみているので、
ヒザ立ちで揺れる今丸スタイルについてい けないせいだろう。
 「何かご注文は」
 「(即座に)床屋さん!」
 「おやおやー、珍しい注文で。床屋さんですか?」
 「ハイ、そうです 」
 「料金はヤマカタぐらい?」
 「ええ、ヤマカタです」
 「我々の方と、符丁が同じなんですよね」
 へー、そうなのか。ヤマカタというと・・・、ま、それなりの値段で
すな。  開け放った窓から、雨音がきこえてくる。けっこうすごい降り
みたいだ。満面の笑顔で登場 の米丸は、左右の祝儀の品を眺めながら、
ゆったりと話しだす。
 「こういう披露目はやりにくいんですよね。ハナシが面白くないと、
目が脇にそれちゃう。 あの酒樽にはホントに酒が入っているのだろうか、
なんてね」
 仲入前は、文治会長。「落語はヘンナヤツが主人公。はっきりいえば
バカですな。この与太郎 も、名前は変わんないけど、十五歳未満、二十
歳そこそこ、女房子供がいるやつといろいろい るんです」なーんていい
ながら、「牛ほめ」へ。若手(?)の与太郎さんが佐平おじさんの新居
に行って「畳はビンボでボロボロで」と褒めてる最中に「ちょうど仲入
の時間になっちゃった んで、今日はここまで」といって下りちゃった。
このやり方なら時間調整はばっちりだ。もっ とも、こんな乱暴な下り方
で許されるのは何人もいないだろうが。
 柝がちょーんとなって、とざいと〜ざいぃー。いよいよ真打披露口上
の始まりである。
 「ただ今は、末広亭ならではの絢爛豪華な仲入休憩をご覧にいれまし
た。で、幕が開いたと たん、六個のアタマが下向いてるん」と、司会役
の小遊三が口火を切った。  「ご両人!」の掛け声にこたえるように、
新真打の顔を上げさせた後、二人の師匠の挨拶が 始まる。まずは歌丸か
ら。
 「昭和六十二年に、この人が入門して来た時、胆のう炎を患いました。
二ツ目になる時は鼻 のアナに鼻タケができた。真打が決まった時は、胃
に穴が開きました。なんのことはない、病 気を広めに来たようなもんで
・・・。今度病気になるのは本人です。できれば、落語病にかか って欲
しい。創作落語をやっておりますが、一にも二にも勉強ですから」と、
歌丸さんらしい、 そつのない運びである。こーゆー挨拶なら、春馬の師
匠・小遊三も負けてはいない。  「春馬は埼玉県草加市の出身で、せん
べいで育ったようなもんです。この男の顔をじーっと 見ていると、なる
ほど人間は猿から進化したんだなというのが、よーくわかります。どう
ぞ皆 さまのお力で、末には立派な板前になれますように・・・」
 米丸が春馬のことを何度も歌春と間違えて、温かい笑いが起こる。締
めくくりの文治会長、 「大泉!」の声にちらりと目をやってから、「え
え、一枚看板を目指して芸を磨くという・・、 まあ、お客が入って来れ
なければ、名前を取り上げて与太郎にするつもり」とやったから場内 大
爆笑。最後は歌舞伎スタイルの「ご存じ様の、いっそうのごひいき、お
引き立てのお願いを いたします次第でございます」で、しゃんしゃんし
ゃんの三本締め。がんばれよぉと、心の中 で声をかけた。
 今回は二人昇進のため、披露興行のトリは一日交代。のこる一人は、
前に上がるということ で、本日の食いつきはメガネの新作派、歌若であ
る。昔、御徒町の吉池で芸協が「土曜寄席」 をやってたころ、どういう
わけかこの人ばかりに当たった。そのころはどこか弱々しく、はっ きり
しない芸風だったが、しばらく見ないうちに声も大きくなり、自信にあ
ふれた高座をみせ るようになっている。これが売り物だという母校・弘
前電波工業の悪口をひとくさりした後、 転勤をテーマにした新作に。
「みかんとリンゴ、どっちが好き」と問われて「リンゴ」とこたえ たた
めに青森工場への転属が決まるといった、たわいのないハナシだが、こ
のつかみどころの なさが、この人なりの味になっている。欲を言えば、
もうちょっと力強さというか、強引にで も笑わせるパワーが欲しい。
 東京ボーイズは出て来るなり、あたりを見回して「噺家さんは、十四、
五年やってると、こ んなお祝いしてもらえるんだなあ。我々、四十年
近くやってて、何にもくれないの」だって。  「玉カルのリーダーは死
んだし、(モダンカンカンの)灘さんは心臓悪くて今年限り。今やボ ー
イズは我々だけですが、そういうリーダーも立派な糖尿病」といつもの
ネタを振りつつ、待 ってました、ヒゲの六さんの出番である。
 「それじゃあ、今日は孫を」
 「ちょっと待った、この歌、なんで流行ったか知ってんのかよ」
 「買った人がいたから」
 あーあー。
 リーダー「ま、いいや、そんじゃワイアン行こう」
 八郎「獅子てんや、瀬戸わいやん」
 リーダー「違うよ、小さな橋の下・・」
 八郎「に、住んでます」
 リーダー「なんでだよー」
 八郎「小さな竹の橋でしょ」
 六さん「あんた小さな橋の下って言ったから」
 リーダー「じゃ、それ行くか」
 八郎「(きっぱりと)オレ、できない。ウクレレ持ってるけど、演歌し
かできないもん 」
 ここで、リーダーと八郎さんが、じーっと六さんを見るんだなーと、
段取りを確認しながら 見ていたら、リーダーがとんでもないことを言いだ
した。
 「今日はマスコミの人が来てるんだから、うまくやれば新聞に書いても
らえるかもしれない よ」
 あちゃー、マスコミったって、この人数じゃ、僕しかいないじゃん。
ついに東京ボーイズに 面が割れしまった。それにしてもリーダーは目がい
いな、糖尿病のくせに。  小遊三、歌丸が短いながらピリリとしたネタで
場内を温める。ボンボンブラザーズの至芸「紙 テープ立て」で、さらにも
ひとつかき回して、新真打、春馬ヘとつないだ。  ネタは「鷺とり」。
考えてみれば、僕はこの人のネタ、これしか聴いたことがない。おそらく
勝負ネタなのだろうが、「小さいころから猿、猿と言われ続けて来た」と
いう、人間離れした、 しかし愛嬌のある容貌に、漫画チックなネタはぴっ
たりである。さらに激しさを増した雨に負 けず、力いっぱいの「さ〜ぎ〜
」。細部を見れば、まだまだ粗削りではあるが、なんとか客を引 き込んで
やろう、オレの顔を覚えさせてやろうという意気込みがびんびん伝わって
来る、さわ やかな高座ぶり。知名度も話題も、もうひとつという二人だが、
勝負はこれから。しゃかりき に頑張って、芸協に、演芸界に、自分の場所
を見つけてほしい。
     ● ★ ■
 GWの上野鈴本のトリは、 何年も前から昼・円歌、夜・権太楼に決まっ
ている。今年は三月 下席から連続で各寄席のトリをとりまくっている権太
楼だが、疲れを知らないかのように、連 休さなかの超満員の客を前に「た
ちきり」などというオゾマシイ、じゃなかった大ネタをかけ ているという。
それじゃあ、僕ものぞいてみようかと思いはするのだが、日ごろのアメリ
カン な客席になれているスレッカラシには、祝日の混雑はきょーいなので
ある。結局、休み中は上 野周辺には寄りつかないまま。九日目、木曜日の、
それも仲入が終わるころに、ようやく鈴本 の玄関に立ったのであった。
 と、入り口の前で制服の集団がワイワイガヤガヤやっているではないか。
あちゃー、またま た苦手科目の修学旅行だ。しっかし、この時間に木戸に
いるということは、帰るところに違い ない。そーかそーか、めでたしめで
たしと、やたら体のでかい中学生たちをすりぬけて切符を 買った。
     ● ★ ■
 <上野鈴本・夜の部>
  仲入
 のいる・こいる:漫才
 喬太郎:夜の慣用句
 金馬:たいこ腹
 正楽:紙切り(あじさいとお姉さん、三遊亭金馬)
 主任=権太楼:不動坊
     ● ★ ■
 エレベーターを降りると、人がうじゃうじゃ。まだ仲入休憩なのか。ロ
ビーに出ると、三太 楼、さん光の二人が机を持ちだして来月十四日の「権
太楼一門まつり」のチケットを売ってい た。  「この芝居、ずーっとこう
やって売ってるんですよー」  「へー、大変だねー」  「でもね、ありが
たいことに、売上は僕らの身入りになるんですよ」  そうかあ、それで真
剣なんだ。邪魔しちゃわるいので、とっとと中に入った。まもなくお囃 子
が成りだして、後半の開始。三太楼くんたち、どのぐらい稼いだのかなあ。
 なにはともあれ、演芸演芸。とはいうものの、直前まであせって原稿を
書いていたので、ア タマのスイッチがなかなか切り替わらない。どうも高
座に集中できないのだ。  のいこいさんの漫才がいまだお仕事モードの僕
の前を、猛スピードで通りすぎ、次は喬太郎。 集中集中集中集中、クール
ダウーン・・・ワケの分からない呪文を唱えながら「こうみえても 僕は、
噺家になる前、カタカナの仕事についていたんですよ。フリー・アルバイ
ター」、「その 前は本屋の店員でした」なーんてマクラを聴いているうち
に、次第にアタマが寄席モードにな ってきた。「夜の慣用句」で課長さん
にしかられている社員は、奥山、中村、斎藤の三人で、課 長さんの「座右
の銘」は「人間万事サイオウガウマ」。よーし、もう完全に平常心に戻っ
たみた い。  とうことで、金馬の「たいこ腹」でリラックス、その「金馬」
とリクエストされた正楽の「動 く余裕ありません」で大爆笑。調子が出て
きたと思ったらもうトリの出番だ。  「三月からずっとトリとってて、今日
明日でやっと終わるという・・。実はもう終わったよ うな気持ちなんですよ。
頑張ろうという気持ちはあるんですがね」とふって、すぐに「吉っつ ぁん、
こっちぃお入りよ」。得意の不動坊、連投の疲れも見せずパワフルに演じき
っちまうんだ もんあー。こういうの見せられると、ちょっとばかり原稿書い
たからダルイの疲れたのといっ てる自分が、すこーしだけど恥ずかしくなる。
よーし、明日もちょびっとだけ頑張ろうかなー なんて、思わせられちゃうと
ころが、まあ、権太楼落語のにくいとこなのだったりして。  帰りがけ、ま
だチケットを売ってる三太楼が手招きしている 。
 「なになに」
 「あしたの楽日、師匠のネタ『たちきり』ですよ。さっきそう言ってたから

 「そーかー、師匠の『たちきり』、聴いたことないんだよなあ」
 「そんなら明日もきてくださいよ」
 「そうしようかなー
」  勧め上手の三太楼につい乗せられて、こっちも連投する気になってしま
った。とはいえ、仕 事もたまっている。さあ、どうなるか。明日のことは明
日考えて、今日はとっとと帰ることに しましょ。
     ● ★ ■
 昨日予想した通り、仕事が次から次へとやってくる。仕事に好かれるより
もおねーさんに好 かれた方がなんぼ楽しいことでせう。あああ、とりあえず
おねーさん、じゃねーや仕事を右か ら順に片付けてと・・・。  朝からコ
ツコツに取り組んで、やっとこメドが付いたのが午後の七時十五分過ぎ。ま
たこれ が微妙な時間なんだよなー。鈴本の入場は七時四十分ぐらいだよね。
これから会社を出て、千 代田線で湯島駅まで行って、そこから歩いて広小路
まで、二十分で行けるだろうか。ま、取り あえず行くだけ行って、だめなら
うどん食って寝ちゃおうと、ダメもとでかけつけたら、あっ さり間に合って
しまった。  モギリで切符を切ってもらっていると、背後から「おやおや」
の声。ふりかえると、出勤途 中の権太楼がニコニコ顔で立っていた。鈴本で
途中入場する場合は、突き当たりのエレベータ ーを利用するしかない。当然、
芸人さんも同じだから、権太楼とエレベーターの同伴出勤であ る。
 「今日さあ、たちきりやるんだよ」
 「知ってますよ。三太楼くんが言ってましたもん」
 たいした話もせぬまま、三階に着いた。と、待ち構えていた三太楼、太助
の二人が「ごくろ ーさまですっ!」と最敬礼。居場所がないので、そそくさ
と客席に避難するや、出囃子がなっ て、とここまでは昨夜と同じだが、出
てきたのは「のいこい」ではなく、アサダ二世だった。  「今日は一所懸
命やります。(ぎゃははという笑いにこたえて)いやその、昨日はちょっと
や る気がなくてねー」  雑談っぽい感じの中で、すっとマジックに入るの
がアサダの芸なのだろう。のらりくらり、 ツカミどころのない人だが、今
夜はけっこうウケている。一所懸命の御利益だろうか。  お次は喬太郎だ
なと見ていたら、おやおや師匠のさん喬が出てきた。出番が入れ代わったら
しいが、びっくりー。
 ネタは得意の「短命」か。伊勢屋に婿が入るたびにすぐ死ぬのはなぜだら
ふか。好漢・八五 郎の疑問に答えるべく、若夫婦の仲の良さを微に入り細を
うがち説明して、「な、短命だろ」と ニヤリ笑う隠居さん。八っつぁんが
全然気がつかないので、「短命だろ」を何度も繰り返すあた りで、客席の
あちこちから、「うふふふ」「くすくす」というしのび笑いが生まれ、それ
が次第 に大きくなる。軽い艶笑バナシである「短命」の理想的なウケ方が、
今目の前で展開している。 さん喬の芸をクサイのクドイのとくさす人もい
るが、今夜の光景を見たら、クサくない「短命」 はダメなのではないかと
思い直すはずだ。  続く金馬は、一度も聴いたことのない新作だ。心なら
ずも人命救助をしてしまった泥棒が、 表彰されたくないばかりに、次々と
悪事を働こうとするのだが、何をやっても事態が好転し、 結局良いことを
したことになってしまうというもの。泥棒が主人公ではなるが、罪のない、
ほ のぼのとしたお話で、丸い顔がをくしゃくしゃになる金馬の笑顔とあい
まって、楽しい噺にし あがった。  トリの権太楼は、おなじみの出囃子
「こんぴら船々」ではなく、重厚な「中の舞」での登場 だ。
 「三月下席から七十日間、百四十席やって、今日が本当の千秋楽です。
(パチパチパチという 拍手に)だから何だというわけじゃない。当然のこ
となんですけどね」  「小またが切れ上がる」の「小」は特に意味がなく、
ただ強調する言葉だ。
「小粋」、「小ぎれ い」、「小ぎたない」、でも「小料理」は違いますよ、
てな導入から、「たちきり」の「たち」も 強調なのよと本題に結びつける。
ここまでは良かったが、「花柳界は、本来、下流界であり、 自分たちの商
売をへりくだっているんです」の当たりから次第に脱線していく。
 「噺家だってそうですよ。今は弟子入りでも、お屋が『この子の好きな
ことをさせたい』っ て応援する。でも、そんなもんじゃない。昔は長男だ
と、弟子入りできなかったんですよ。・・・・・・ どんどん話が離れてい
ってます。ついてきてくださいね」  ははははは。本人、やっと脱線に気
がついたようで、ここから軌道修正して、「たちきり」へ。  権太楼は最
近、どういうわけか「たちきり」ばかりかけたがる。長くて重くて難しく
て、そ のうえ笑いどころの少ない、爆笑派の権太楼には明らかに損な噺で
ある。しかし、言っちゃな んだがじっくり噺を聴こうという雰囲気がない
浅草でもやったみたいだし、今回の鈴本でもす でに一回演じている。自分
に向かないのを承知で、なぜ「たちきり」をやりたいのか。なぞだ よなあ。
 で、四十分間、みっちり聴いた感想は・・・、意外にいいんじゃない、
これ。こってこての、 おもーい展開を予想してたのだけれど、権太楼は肩
の力をちょいと抜き加減に、すっきり演じ ようとしている。ラストの若旦
那の号泣も、受け手となる芸者屋の女将に抑制が効いているの で、しつこ
い印象は受けない。芸風に合わないのを承知の上で、これだけ出きるのだ
から、恐 るべき腕前というほかない。  ただ、ひとつ注文をつければ、
蔵住まいになる若旦那の腹がすわり過ぎている。冒頭、番頭 や親類にいろ
んなことを言われて逆上するくだりには、本来は気弱なお坊っちゃんがめ
いっぱ い虚勢を張っている感じがほしいのだが、権太楼の若旦那は迫力満
点で番頭をしかりつけてし まうんだもの。  仏壇のろうそくとともに、
芸者の三味線の音が消えるサゲのところで、ホッと場内の緊張が 緩むのが
はっきり分かった。四十分間、それだけ引き込まれていた証なのだろう。
もう一度、 違うハコ、違う客で聴いてみたいネタである。  幕が下りた後、
耳をすますと、中で三本締めの音がする。そのまま楽屋に回ったのは、正楽
さんの日曜版用の原稿を受け取るためだ。  入り口のところにいた喬太郎
に「正楽さんの原稿、持って来て」とお願いすると、帰ったか と思った当
人が出てきた。後から、金馬、とし松らもぞろぞろ出てくる。そうか、こ
れから千 秋楽の打ち上げなのね。
 「今回は色をつけなかったよ」といい ながら、正楽さんが封筒から出し
てきたのが「祭り」 の紙切り。神輿をかつぐ若い衆の、ハチマキの結び目
まで切った、細かーい山車が三つ、シル エットで浮かび上がっている。い
つのまにか周囲にギャラリーが集まっているじゃん。はいは い、みんな、
そこまでそこまで。これはあげませんからねーだ。  帰り道、ビビンパ屋
に寄り道していたら、にわかの村雨。これはいかんと、さっきもらった 正
楽さんの原稿を傘のかわりに・・・するわけにはいかないので、濡れるに
まかせて湯島の駅 まで歩いた。いつのまにか、雨の冷たさが頬に心地よい
季節になった。
つづく


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