東京寄席さんぽ3月中席番外編

 時は平成十三年三月十六日、旅ルポの仕事で愛知県知多半島を訪れた僕は、取材が順調に進
んで二泊三日の最後の午後の予定が空いたのをいいことに、帰途、名古屋に寄って、幻の寄席
「大須演芸場」を探検(?)することにした。
 知ってる人は知っているが知らない人はまったく知らない(当たり前か)名古屋唯一の寄席。
「慢性的かつ脅威的な入りの悪さ」と「それゆえ何度もつぶれかけたという窮状」で、全国の
演芸ファンにその名をとどろかしているが、不幸にもというか、幸いなことにというべきかわ
からないが、僕はこの大須演芸場に一度も足を踏み入れたことがない。
 だってさー、東京ー名古屋って、もんっのすごく中途半端な距離なんだよねー。出張しても
日帰りで帰れちゃうから、かえって日程がタイトになって、「ついでにみそかつ食って」とか
「寄り道して手羽先つまんで」とか「帰りがけに海老ふりゃーの味見して」とかって、食い物
ばかりだなこりゃ。とゆーよーなことが、なかなかしにくい。みそかつが食べにくいぐらいだ
から、演芸場で二時間、三時間過ごすなんということは、ほぼ実現不可能なわけ。といって、
バカンスで名古屋っつーのも、アレでしょ、ほら。てなわけで、恐いもの見たさ(?)で一度
中を覗きたいと思って十数年。今回ホントにたまたま午後の時間がぽっかり空いたのはまさに
天啓、おのれ大須演芸場、ここであったが盲亀の浮木うどん華の花待ちえたる今日ただいま、
さあ尋常に勝負勝負・・・って、何言ってんだ、おれ。
          ● ◆ ■
 知多半島の先端に近い河和(こうわ、と読むらしい)駅から名鉄急行に乗って新名古屋駅へ。
ここから歩いてJR名古屋駅の地下に入り、地下鉄を一度乗り換えて大須駅に着いたら、時計
の針はもう正午をまわっていた。数年前、やはり出張日程をやりくりして、なんとか午後の三
時過ぎに演芸場の前に着いたら、すでに昼の部の二回興行(!)が終わっていて、入り口のわ
きでタオルを洗っていた女の人にチラシだけもらって「アタシも出てるんでまた来てください
ねー(帰京後、この女性が大須くるみという専属芸人だったことを知った)」と言われたことが
あったから、今回も、「本当に昼興行、やってるのか」という不安が頭をはなれない。にぎわ
っている大須観音を素通りし、大須商店街の入り口のテイクアウトのお好み焼きの匂いにもよ
ろめかず、ひたすら演芸場を目指した。それにしても、この商店街の人ではどうだ。近くにパ
ソコン電気街があるし、アーケード商店街が何筋も走っているし、面白そうなレトロなお店が
あって、さらに大きな観音様まである。浅草と秋葉原を北関東に疎開させたような(地元のみ
なさん、ごめんなさい。これは好意に満ちた形容なのですよ)、大須の町はほっといてもある程
度の人出が見込めるはずが、この善男善女たちが、なぜ観音様の目と花の先にある大須演芸場
へ流れてこないのか。名古屋七不思議のひとつに登録しなければ行かんな。ちなみに、あとの
六つは、まだ空位である。と、そんなしょーもないことをアレコレ考えているうちに、ついに
演芸場にたどりついた。時間は十二時半ちょっと前、かすかにお囃子が聞こえくる状況は、あ
きらかに「開演中」なのだが、いまいち足を踏み込むのに躊躇するのには、理由がある。テケ
ツが閉まっているのだ。これは、入っていいのか悪いのか。しばしテケツの前で立ち尽くして
しまったが、ここれ引き返してしまっては、今後いつチャンスがめぐってくるかわからないじ
ゃん。ここは勇気をふり絞ってと、中に入ってみると、ロビーには、知らないおじさんひとり
と、どこかで会ったようなおねーさんがひとり。
「あのー、入れますか?」
「えっ?あっ!はい、いらっしゃいませ。千五百円です」
 と意外な生物でもみるような視線をあびせつつ、おねーさんはモギリに変身した。まてよ、
テケツの看板には千八百円とあるのに、もう割引なのかなと、ぼんやりしてたら、「こちらで
す」と、おねーさんが客席のドアをあけてくれた、あ、この人、思いだした。前回、タオルを
洗っていた大須くるみじゃん。しかし、演芸場に入るまでに、ずいぶん行数を使ってしまった。
早く入ろうっと。
        ● ◆ ■
 がーーーーーーーーん。予想してはいたが、目の当たりにすると、ショックは隠せません。
ただいまの入場者数、たったの二人。昔の池袋演芸場で、「つばなれ」しない状況は何度か経
験しているけれど、二人っつーのは、あったかなーー。中央ブロックの前から四列目右側に四
十台とおぼしき男性一人、その列の左端に
おばちゃん一人。どこに座ろうかと迷うより、早く座って場内の注視をかわしたいという理由
から、左ブロックの中ほどに体を沈める。椅子の背には白いカバーがかけられ、「大須ういろ 
ないろ」という地元特産品(?)の名が書かれているのだが、客がほとんどいないので、ひょ
いと前を見ると、見渡す限り「大須ういろ 大須ういろ 大須ういろ・・・・」のロゴである。
あああ、こんなところに一時間でもいたら、ぜったい刷りこまれるな、「大須ういろ」。今晩あ
たり、巨大な「大須ういろ」が東京湾に上陸する夢を見そうな気がしてきた。さぶーっ。
 ・・・・・場内のチェックに気を取られ、高座を見るのを忘れていた。メクリを見ると、「三
亀司」と書いてある。あきらかに柳家三亀松系の名前であるからして、三味線漫談のたぐいか
と思うと、これが大間違い。なんと、三亀司という人の芸は曲独楽なのであった。回した独楽
を扇の要でとめる芸や、独楽の綱渡りなどの定番を演じてはいるのだが、何か自信がなさそう。
 「アタシは独楽なんか回さなくってもいいんですよ。ええとこの貧乏人ですから。じゃ、な
んでやってるかというと、小遣い銭に困ってるから」
 なんでも独楽回しは最近はじめたらしく、「仕事の注文は今のうちですよ。来月になるとギ
ャラ上げるからね」なんて言っている。「風車」の芸の途中、前の男性が、トイレでも行こう
というのか、がたがた動き始めると、「今、席を立たんでください。ちょっとの振動で独楽が
ふらつきますから。拍手もだめですよ、今手をたたくと独楽が前に倒れる」。前のおっさんはよ
く笑うし、おばちゃんは元気に拍手をしている。僕を含めてたった三人の客しかいなけれど、
場内は、けっこう居心地がいいぞ。
 次の出番は、東京の演芸界を離れ、今では大須演芸場に住んでいるらしい三遊亭歌笑だ。学
生時代に何度か、池袋演芸場で聴いているはずなのだが、あんまり記憶がない。座布団にすわ
るなり、「昨日、新宿末広亭に行ってね」としゃべりだしたので驚いた。
 「いやあ、扇橋に用があったので、昼席に行ったんだけど、ここ(大須)の方が勝ってるね。
円菊のトリで、二人しかいかなった」
 うそだろー、僕もちょいと末広亭にはうるさいんだけど、お客二人はないよなあと思ってい
るところへ、お好みやきを持ったおじさん(さっき僕が買おうと思ったヤツだ)と、明らかに
常連と思われる白髪のおばさんがほぼ同時に入ってきて、後方の席に座った。これで仲間(?)
は総勢五人、末広が何人かは知らないけど、大須としてはアベレージの入りではないか。
 「今日は長屋の花見をやろうかと思ったけど、持ち時間が少ないので、珍しい噺をやろうと
思って」とはじめたのが、「馬大家」。先代円歌が手がけた新作らしいが、最近聴いたことがな
い。馬好きの大家のところに長屋を借りに来た男が、馬をからませて調子よくヨイショをし、
すっかり気に入られるという、たわいない筋だが、今時のギャグを随所に入れて、明るい噺に
仕上げている。
 あんまり元気がない「コミックマジック」の多嶋ゆきおをはさんで、伊東かおる・波たかし
の漫才である。プログラムをみると、この伊東かおるというオジサン、上席・下席は「ものま
ね」で出演し、この中席は漫才をやる。昔はコントのようなものもやってたというハナシもあ
って、正体不明なのだが、何を演じるにしろ、いつ来ても大須演芸場に出ていることは間違い
ないらしい。
 伊東がいきなり「漫才はよー、客おらんとヘタになるで」とかますと、波が「そんなこと言
うとるけど、こいつ、こんなこと二十五年もやっとんの」と切り返す。
 名古屋の漫才はいったいどういうものかと、身を乗りだして聴いていたが、これがネタなの
だろうか、大須周辺のウォッチングを元にしたコッテコテの名古屋弁雑談である。
 「ヨネヒロ(大須近辺の古着屋さんらしいが、漢字がわからん)さんは、最近ビルいっぱい
できて、景気良いのー。昔は、九百五十円均一の古着が山のようにあっって、店番のばーちゃ
んがとぼけとるから、ごまかして古着はいたまま帰ってきたのあ」
 「昔ヨネヒロさんのCMに出て三万円もらった。そうそう、アルギンZドラゴンズボトル
(!)のCMにも出て『うみゃーでかんわ』って言って、これも三万円だった」
 「だからこいつ、三万円芸人と言われとるんですわ」
 「大須観音のホームレスと知りあいになってな、演芸場の客が少にゃーでかんで、タダで客
席に入れたことがあるんだわ。『おみゃー、黙ってろ』と言っといたんやが、こいつが『かお
る〜』って、わしに声掛けるんだわ。『伊東、ホームレスの知りあいおんのか』と言われて、
こまってもーて」
 こんな調子で、十五分。最後に「心臓の悪い人に宝くじが当たってもーて、本人にしらせて
いいものかどうか、家族が医者に相談したんだわ。そんで医者が本人に『もし、宝くじで一千
万円当たったら、どないします?』と聴いたら、『センセに全部あげます』やて。医者のほう
がショックで死んだわ」と、小噺のようなものをひとつ。よくいえば、肩の力が抜けた芸。ふ
わふわしていて、僕は好きだよ。
 次はだれかなと思ったら、もうトリの登場である。フリーの噺家、雷門小福。この人、名古
屋在住だった雷門福助のお弟子さんらしいが、僕は師匠もこの人も、名前しか知らない。この
日のネタは「花色木綿」だが、スタイルはごくふつうの東京落語だった。六十代半ばのはずだ
が、年よりふけた感じで、声の張りにかける。今細部を思い出そうとしているのだが、うーん
印象が薄いのだ。
         ● ◆ ■
 午後一時四十五分で、第一部が終了。入場時間から考えると、正午から二時間で一回興行が
終わる計算になる。客席右後方のトイレで用をすませるて、多の客を見ると、二人が帰って。
のこり二人。後から来たおっさんは客席でタバコを吸い出したが、この場内では禁煙を守らな
くても誰にも迷惑がかからない。手持ち無沙汰なのでロビーに出ると、歌笑が長いすに座って
相撲中継を見ていた。よし、この際、思いきって話し掛けてみるか。
 「師匠、馬大家って、珍しい噺ですよね」
 「あれはねー、鈴木凹太って人が書いたもので、笑三さんと、あと、さん助さんがやってた
はずだけど、今はやってないだろうなあ。中身は『ざる屋』の改作なんだけど、クスグリとか
入れかえれば、軽くて笑いもとれるから、十分いけるとおもうんだけど」
 「末広亭にはよく行くんですか?」
 「いやいや久しぶりだったよ。扇橋がいなくてさあ、コエンジってやつが出てたけど、もう、
みんな今の名前じゃわかんなくなってね」
 「コエンジさんというのは、えーっと、たしか前座名はマコトでしたよ」
 「あーっ、そうかマコトかあ。あれは、秋葉原の電気屋の息子だったよね」
 ハナシが盛り上がって来たときに、ツアコンらしきおにーさんが入ってきて「お客さん、七
人さんおねがいしますー。数はわかんないけど、あとからもっと来ますよー」と言う。さあた
いへんと立ちあがった歌笑は、社長とおぼしき人と相談を始めた。そうこうしているうちに、
おばちゃんグループ七人が入ってきたので、「開演時間を少し早めよう、くるみには長めにや
るようにいって」と楽屋に電話で指示が飛ぶ。「さあ、始まるから中に入って」と歌笑さんに
背中を押されるようにして、客席へ戻った。
 帰りの新幹線が気になるし、まだ昼飯も食べていない。どうしようかと思ったが、この後い
つ来られるかもしれないので、出演者をひととおり見るまで居座ることにした。
 後半一番手は、専属芸人、大須くるみ。小柄でかなりぽっちゃり目の体を、青い着物に金色
の袴という、カラーコーディネートを無視した舞台衣装に包んで出てくると、365マーチの
替え歌で自己紹介ときたか。ふむふむ、毎日JR武豊線に乗って二時間かけて半田という町か
ら大須に通っているのかーと、納得していると、あららら、突然おばちゃんたちが、わらわら
わらわら入場してきて、これがいつまでたっても途切れないのだ。席選びでうろちょろし、荷
物の整理でガタガタし、やっと席に落ち着いたと思ったらこんどは大きな声で話しだした。こ
の先いったいどうなるのか、こりゃー帰ったほうがいいのではないか、と高座を見上げると、
意外にも、くるみは平然としている。どうやら、客席がわさわさしていることより、七十人近
い客が(どんな客でも)そこにいるという現実がうれしいようだ。
 「それじゃあ、私の唯一のお友達を紹介します」と、くるみが持ちだしたのが、小学校でや
らされる縦笛、いわゆるリコーダー。で、何をやるかといえば、「七つの子」を何の工夫もな
しに、ただ吹くだけなのである。果たしてこれが芸なのか、客席のおばちゃんたちよ、ともに
立ちあがろうではないかと周囲を見て仰天した。ほとんどすべてのおばちゃんが、リコーダー
のメロディーにあわせて、うれしそうな顔で「七つの子」を歌っているではないか!!!!!
この状況をなんと説明すればいいのか。いまどきヘルスセンター(古いー)だって、こんな光
景は見当たらないだろう。ううう、おそるべし大須演芸場・・・。
 白日夢のような、大須くるみの高座が終わった後は、なごやのバタやんの登場だ。メクリに
この通り書いてあるので、これが芸名なのだろうが、ふつー「なごやのバタやん」なんて、そ
のまんまの名前つけるだろうか。芸のほうは、名前だけで容易に想像できるよね。そう、田端
義夫のそっくりさんショーなのであった。
 「わし、似とるかなー?」
 「そっくりー」
 やんやの喝采に気をよくしたバタやんは、「今日の客の平均年齢にあわせて」といいながら、
「十九の春」から「梅と兵隊」、「嘆きのピエロ」と歌いまくる。場内は、またもやおばちゃん
たちの大合唱と、手拍子の嵐である。
 「バタやんなんて、今の若い人は知らんだろうがのー、わしは三年前に本人にお墨付きをも
らっとるんだわー。元は菓子屋でのー、ごまのついた菓子が得意だったで、いまでもゴマカシ
がうまいんだわー」
 いやはや、もう何もいうことはありません。ああ、頭の中をバタやんの歌がぐるぐるまわっ
ている。こりゃもう限界なので、演芸場を後にすることにした。と、後ろから「ありがとうご
ざいましたー」の声。さっき高座でリコーダーを吹いてた大須くるみは、もうジーパン姿でモ
ギリのねーちゃんをやっているのだった。さらば、大須演芸場。またいつか、・・・・・来ると
きがあるだろうか。
        ● ◆ ■
 名古屋弁とリコーダーとバタやんで頭の中はいっぱいになったけれど、おなかのほうがぺこ
ぺこである。ここは名古屋の真中だが、三時過ぎという半端な時間になってしまった。この時
間に食える名古屋飯は・・・。そうだ、松阪屋のレストラン街に、鰻のひつまぶしの蓬莱なん
とかいう店の支店があったはず。さっそく地下鉄で栄に出て松坂屋を探し、やたら連絡の悪い
通路をぐるぐるめぐりしながら、ようやく食堂街へ。と、鰻屋さんのあるはずの場所にうどん
屋が。そばに張り紙があって、「南館10階に移りました」だって。で、その南館へのアクセ
スが悪いんだ、これが。どうした松阪屋、これが関東モンを迎える態度かっ!と、怒りたいの
はやまやまなのだが、もう腹が減って腹が減って、どうしようもない。ふとみると、目の前の
うどん屋は「味噌煮込みうどん」で有名な山本家総本家やんけ。んじゃあ、この際味噌煮込み
に挑戦してみようと、がらーんとした店内に入った。メニューをにらんで、「一半親子」(1・
5人前、かしわ、卵入りのことなのだ、食ったことはなくても、こーゆーことはチェックして
るオレは・・、ま、いーか)を注文した。中略。で、初の本場味噌煮込みうどんの感想は・・・。
これが名古屋のスタンダードな味というなら、僕の口には合いません。うどんは硬いし、かし
わは少ないし、量の割に値段も高い。いっちゃ悪いが、東京のそばやでこんなのが出てきたら、
「出来そこない」と言ってしまうぞ。僕が食べたののが、たまたま出来が悪かった、あるいは
店が悪かったのであることを祈りたい気分になった。
 大須演芸場と味噌煮込みうどん、二つの初体験をなんとか無事に成し遂げた僕は、なんだか
わからない疲労感に襲われながら、夕方の上り新幹線にのった。「鰻のひつまぶし」と「うど
ん」の選択を誤ったのが悔やまれるが、発車直前まで駅構内の高島屋地下で帰りの駅弁を物色
していたところ、ぬあんとテイクアウトの「ひつまぶし」を発見。ひかりのグリーン車(週末
の東京行きに空席がなく、泣く泣く自腹でグリーン切符を買ったのだ)で食べたら、これが大
正解。さすがに車内で鰻の茶漬けまでは出来なかったが、じゅーぶんにおいしゅうございまし
た。名古屋「ならでは」の文化の一端にふれられたことに感謝して、明日も仕事に寄席見物に
かんばることを誓ったーーーー、ことにしておこうね、今回は。
番外編おしまい


お戻り


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皆様のご意見で益々良くなるおタスケを・・・・・・。
たすけ