東京寄席さんぽ2月下席

 一年ぶりの入院生活である。パジャマに着替えて、ベッドの上にのぼると、もうすっかり病
人気分で、自分で何かしようという気力がなえてしまう。「はい、血圧はかりましょう」「御
版ですよ。持ってきましょうかー」と、いわれるまま、されるままである。寒い二月は心臓病
が多発するらしく、毎日のように救急車が患者を運んでくるので、集中治療室は満員らしい。
そんなこんなでざわざわしたナースセンターで、心臓カテーテル検査のための説明を聴く。こ
ういう場合、医者というのは、最悪の自体を想定してものをいうものらしく、「もし血管が細
くなってる場合は直ちにバルーン治療をします」とか「ステントという金属を入れることもあ
るけど、この場合の危険率は」などなど、悪い結果が出た場合の処置について実に詳細に教え
てくれるので、聴きながら気が滅入った。
 ただ、病棟の雰囲気はいい。同室の元板前のおじさんは、各地の温泉場の旅館の花板経験を
聴かせてくれるし、やってくる看護婦の大半が僕の顔を覚えていて「あら〜、久しぶり。元気
だったあ?」なんて話し掛けてくる。どうして一年前の患者の顔を覚えているのかと訊ねてみ
たら「だって、あなたは特別よ〜。二千年の元旦に来た初めての患者さんだし、カルテを並べ
るといつも一番上だし」って、そうか、おれはここでは有名人なのねと納得していたら、カテ
ーテル検査の処置室でも、手術スタッフから「あっ、ながいさんだ、おっひさしぶり〜」と挨
拶された。こっちは局部麻酔されていてぼーっとしてるうえ、相手の顔はマスクで完全防備さ
れ誰だかわかんない。こんな状況で、どういう挨拶すればいいというのだろうか。「ながいさ
ん、本だしたってきいたけど」「うん、去年の暮れに寄席の本だしてね、大きな本屋さんにあ
るから立ち読みでもしてよ」「ふーん、なんてタイトル?」ーーー処置室で動脈に管を入れら
れながらの会話とは思えんな、これ。
 入院最終日の午後、延々と待たされた後、ナースセンターで院長から検査結果を教えてもら
う。造影した血管の様子を収めたCDをみながら、「うん、だいじょーぶだね。前よりきれい
になってるじゃないの。これならオーケー。せいぜい歩いてください」だって。いやあ、よか
ったよかった。だけど、検査前の説明はいったいなんだったんだ。脅かすだけ脅かしといて、
「うん、だいじょーぶ」だもんねー。してみると、検査入院前の数日間の体調不良は、どうい
うわけだ。ううむ、暗示にかかってしまったか。自分の胆力の無さが情けない。退院まではま
だ時間があったので、またベッドに戻って「円生百席」の「水神」を聴いた。
 週末はさすがに検査疲れで、自宅でうだうだしていた。今夜は、なかの芸能小劇場で「さの
字の会」がある。三太楼、佐助、三三と、「さ」の字の噺家の競演会。以前に、僕の本の宣伝
チラシくばりをお願いしていたのだが、この体調ではいけそうもない。著者も行かないのに、
チラシをくばってもらうのは、本当にもうしわけない。ええと、中野はこっちの方角かなと見
当をつけて、とりあえずペコリとアタマをさげてみた。
 休み明けの26日、なんだか体調がいい。医師に「だいじょーぶ」と言われるとたんにこう
なっちゃうんだから、病気なんて、多分に気持ちの問題なのだろうな。気分がいいので、寄席
にでもいっちゃおうっと。
 <池袋演芸場・昼席>
 円太郎:強情灸 紫文 世之介:宮戸川 一朝:長屋の花見 仲入 いっ平:宗論 
 権太楼:厩火事 二楽 馬生:らくだ・踊り「夜桜」
 池袋の昼の部は、午後二時始まりの五時終演なので、平日でも比較的行きやすいのではない
かな。午後サボるといっても、正午始まりじゃ、飯もくえないしね。
 というわけで三時少し前に入場。ちょうど、円太郎が腕に灸をのせて見得をきってるところ
だった。風邪をひいたか、声がうわずっていて、啖呵が弾まない。
 次の紫文はいつもの「そのとき火付け盗賊改め方の長谷川平蔵が・・」シリーズをやった後
、「三味線持ってて、歌も歌えねえのかと思われるとシャクだから」と「惚れて通えば」を弾
きだした。「踊りがあると色っぽいんだけどなあ」という紫文の台詞をきっかけに、次の出番
の世之介が踊り手として登場、「噺の後ならよくあるけれど、噺の前に踊るのはあんまりない
なあ」と言いながら、さらりと踊って、そのまま紫文と交代である。寄席の流れを崩さぬ、程
のいい遊びがうれしい。
 仲入後、いっ平がテレビ出演をネタに漫談をたっぷり。
 「地井武男さんがベンツでUターン禁止の所でUターンして捕まった。『みえなかったんで
すよ』『標識が?』『いえ、おまわりさんが』」
 「うちの兄貴のこぶ平も、言問通りでスピード違反でとめられた。『こぶ平さん、ここは制
限速度何キロだか知ってるんですか?』『すいません、酔ってたもんですから」
 これでおりるのかと思ったら、「宗論」に入った。ちょっとクネクした仕草が、”ヘソ教”
狂いの若旦那のキャラクターにぴったりで、けっこう聴けるのだ。
 と、次の権太楼が、いっ平に刺激をうけたか、めったにやらない「厩火事」に入った。年下
のぐうたら亭主の了見が知りたい女髪結のおさきが、町内の「兄さん」の家に相談に来る。お
さきを諭す兄さんの口調に説得力があるぶん、その説教を皆目理解しないおさきのキャラクタ
ーが浮き上がって、実におかしい。孔子と白馬の逸話を聴いた後、「あたしねー、そういう難
しい話を聞くと、アタマ痛くなるんです」「難しいこと、なんにも言ってないよ」。このやり
とりだけで、おさきがどんなヤツか、きっちりわかってしまうのだ。たっぷり二十五分。こん
なトリネタを聴いてしまったら、帰るしかないんだけど、このあとほんとんぽトリがあるんだ
よなあ。
 ロビーでひと息ついていたら、場内モニターに映る、ひざがわりの二楽が困っている。「夜
中の太陽」という注文があったらしい。紙切り芸人を困らせる注文はなにかと、寄席ファンな
らだいたい考える。「仮面ライダー」と注文した後、「仮面ライダーV3」、「仮面ライダー
アマゾン」と続けていく・・・とかね。それにしても「夜中の太陽」、いい注文である。二楽
がどんなふうに処理するのかと思ったら、野球選手の練習風景を切っている。
 「ハイ、阪神のドラフト一位、藤田太陽選手が夜間練習しているから、夜中の太陽ですね」
 ううむ。なかなかのトンチではないか。おぬし、少しはできるな。
 昼の部なのに連日大ネタをかけているという馬生は、この日も「らくだ」で威勢のいいとこ
ろをみせた。
 「らくだといって、本名をらくだの馬さんという、そこまでしかわかんない。馬太郎だか、
馬治だか」
 馬治はあんたの前名でしょ。本篇は、いかにも馬生らしい、ひょうひょうとしている。第一
、「らくだよりすげえ」と噂の、丁の目の半次でさえ、すごみ方に粋な気分が漂っているのだ
。下手な「らくだ」を聴くと、腹にもたれるが、こういう軽さは大歓迎である。大劇場の独演
会ではなく、昼の寄席のトリで聴くにはもってこいのネタに仕上がった。熱演のせいだろう、
大喜利の踊りの前に、屈伸運動していたのがほほえましかった。
 その日の夜は、キャピタル東急ホテルの「春風亭昇太の芸術祭大賞受賞を祝う会」。演芸関
係者だけでなく、ファンにも有料参加を呼びかけたので、ひろーい会場は、人人人・・。だれ
がプロやら客やら、区別もつかない。芸協の田沢事務局長、春々堂(小朝の事務所)の江本、
加賀美両氏、コロムビア出版の真柄さん、木村万里さん、まるやまおさむ、喬太郎、三太楼、
小柳枝、TBSの牧さん、末広亭の北村席亭、浅草演芸ホールの若旦那、イーストの今野さん
、ソニーの京須プロデューサー、スポニチの花井編集委員、内外タイムズのねいQさん、写真
家の横井さん、橘蓮二さん、ああもう話をした人をあげるだけで疲れてしまうぞ。このよの収
穫は、昇太そっくりの小さな(!)ご両親の顔を見れたのと、僕の本「末広亭」を「定価で買
ってくれた」(北村席亭情報)というボンボンブラザースの鏡味繁二郎さんと話ができたこと
だった。遅くなってしまったが、昇太さん、本当におめでと〜〜!
 昨日午後さぼったおかげで、朝から猛烈に忙しい。そういえば昇太のパーティーで、丸山お
さむに「明日、東洋館の興行、見に行くからね」と調子のいいことを言ってしまったのだけれ
ど、こんな修羅場では浅草はおろか、お茶の水にだって行けそうもない。前田隣・丸山おさむ
・快楽亭ブラック、異色の三枚看板の公演、面白くないわけはないのだ。行きたいよ〜。
 てなことをいいながら、必死で仕事をしたら、なんと夕方で終わってしまった。急に思いつ
いて、立川企画のS藤さんに連絡をとり、本日の「志らくのピン」の会場で、「新宿末広亭 
春夏秋冬定点観測」のチラシを配らせてもらうことになった。ちらしの入れこみ作業がまもな
くだから、すぐ持ってくるよーにとのお達しがあって、あわててチラシ二百枚を抱えて、渋谷
の旧東邦生命ホール、今はクロスタワーホールへ向かった。
 <志らくのピン> 渋谷クロスタワーホール
 らく朝:後生鰻 志らく:居酒屋・小言幸兵衛・五貫裁き 仲入 志らく:シネマ落語「影
清・女(ライムライトより)」
 このところ充実振りを示す談春にくらべて、志らくの勢いがとまっているような気がしてな
らない。古典落語の中に投入される、あの奇想天外で機知にあふれたクスグリも一時よりも弾
まないし、売り物の「シネマ落語」も、江戸長屋物への移植に苦闘している様がありありとみ
えてきた。映画製作や、コラムニスト、パネリストなど、活動の幅は着実に広がっているが、
それがそのまま噺家志らくとしての充実に結びついているか、疑問符がつくのだ。
 この夜は、前半の古典三席とも」、まずまずの出来だが、意表をつくようなギャグも、あぜ
んとするような展開もなく、志らく落語特有のドキドキ感は味わえず。トリのシネマ落語は、
しみじみと落ち着いた風情は出たが、噺自体がどうにも小味なのだ。「世間の片隅の、ささや
かな人生模様」というだけでは、聴き手の心をがっちりつかむことはできない。原作「ライム
ライト」のパロディは、「やりにくいし、やってもしかたがないので、あえてしなかった」と
いうようなことを志らく本人が語っていたが、スケール小さく、映画の香りなし、笑いも少な
しでは、シネマ落語の看板が泣くだろう。異才・志らくの復活をせつに願うばかりである。
 と、ここまで書いて、もう月末だ。明日からは、会社の社内研修で三日間缶詰である。落語
も仕事も思いのままにならない、もやもやとした気持ちの中で、薄寒い一日が終わっていく。
春はまだ先の話である。

つづく


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